第33話 ここに、いた
数週間後、エドアルドはヴィンスを伴ってシュタインロットの街に来ていた。火薬密売の件でヴォルクハルト伯爵を糾弾することと、逃亡したラングレット侯爵を追うためだ。そのため、フロイデン王国の関係者も同行していた。
ヴォルクハルト伯爵は特に問題なく捕縛することができた。
数日前に館に現れたラングレット侯爵に、逃げる必要はないと唆されたのが原因だった。ラングレット侯爵は『火薬密売はあくまでもアルテンベルク王国で禁じられているだけ。フロイデン王国の貴族である貴殿に、どんな罪を問えるというのか』とせせら笑っていたらしい。
もちろん、これはラングレット侯爵の嘘だ。
火薬の密売はアルテンベルク王国では重罪だ。同時に外交問題でもある。エドアルドはフロイデン王国に圧力をかけ、ヴォルクハルト伯爵の身柄引き渡しを要求したのだ。これを拒否すれば、その後に待っているのは麦の輸出制限や街道の封鎖といった経済制裁だ。そうなれば、北国で資源の少ないフロイデン王国には不利益しかない。また、こんなことで紛争の種を産むほど、現在のフロイデン国王は愚かではなかった。
フロイデン国王は、早々にヴォルクハルト伯爵の引き渡しを決めたのだった。
ラングレット侯爵については、使用人に聞き込みをしてみたが、その後の行方を知る者はいなかった。だが、ここから南の街道には既に見張りを配置しているので、北に向かったであろうことは予想できた。
これから、エドアルドはラングレット侯爵を追って北へ向かうことになる。それについても、すでにフロイデン国王の許可を得てある。
だが、その前に。
エドアルドにはこの街でしなければいけないことがあった。
「ルークという名の青年を知らないか?」
エドアルドは、自ら街に出て聞き込みを始めた。
その彼の隣には、無言を決め込むヴィンスが付き添っている。ルークの行き先について彼がなかなか口を割らないので、仕方なくエドアルドが自ら調べることになったのだ。
ところが、誰もが『そんな青年は知らない』と口を揃えて答えた。どうやら嘘をついているようには見えない。
実はこれは、レイリアの狙い通りだった。
万が一、エドアルドがルークが生きていることに気づいて彼を探しに来ても、彼が探すのは『ルーク』だ。つまり、男。実際にここに居たのは『レイリア』であり、大きな腹を抱えた女性だ。この二人を結び付けられる人はこの街に存在しないため、どれだけエドアルドが探し回っても彼には見つけ出しようがないと、レイリアは考えていた。
ところが、この狙いは今のエドアルドにとって全く意味のないものだった。
「では、レイリアという名の女性を知らないか? 黒髪にエメラルドの瞳の美しい女性だ。誰よりも賢く、いつでも誰かのために役に立とうと懸命に働く人だ」
これを聞いた街の人々は、ハッとした。
彼が探しているのはマルタだと、すぐに気が付いたのだ。同時に、この妙に身なりのいい男が、マルタの元夫、つまり彼女に暴力を振るった男だと考えた。
「し、知らないね!」
「そんなよそ者がいたら、すぐに分かるとおもうけどね」
「どうかなぁ、そんな人、いたかなぁ」
「ちょっと記憶にないなぁ」
白々しく嘘をつく街の人々をエドアルドは深く追求することはしなかった。どうやら、何か理由があって彼女の存在を隠していると分かったからだ。
だからといって諦めることもできず、エドアルドは街中を探し回った。
そうして、とうとう彼はバルネ雑貨店にたどり着いた。
焦り顔を見せるヴィンスに構わず、エドアルドはその店先にいた店主に話しかけた。
「お尋ねしたい。ここに、レイリアという女性がいなかっただろうか?」
「……知らないね」
どうやら既に噂が聞こえていたらしい。店主はエドアルドと目を合わせることすらせず、まだ明るいというのに表に出ていた商品を片付け始めてしまった。
「今日はもう店を閉めるんだ。帰ってくれ」
そう言われて、エドアルドは今度も黙って引き下がろうとした。
その瞬間、店の中の様子が視界に飛び込んできた。よく整理整頓された棚に、値札が貼られている。その筆跡に見覚えがあった。
「おい!」
店主が止めるのにも構わず、店の中に入った。値札には値段だけでなく商品の名前と、詳しい説明書きが添えられていた。丁寧で優しい、少し几帳面で、そして気高い、レイリアの字だ。
ふと会計台の方に目を向ければ、帳簿が置かれていた。その隣には、一冊の帳面が開かれたままになっている。帳簿の付け方についての説明書きがびっしりと書かれている帳面だ。そこに書かれている文字も、間違いなく彼女の筆跡だった。
「ここに、いたんだな」
この問いに、店主は無言を貫いた。さらに店の奥では、店主の妻であろう女性がエドアルドを睨みつけている。その傍らで佇んでいた小さな男の子が、エドアルドを指さした。
「だれ?」
その声に、店主の妻の感情が弾けた。ポロポロと涙を流して、つかつかとエドアルドに迫る。
「あんたのせいで、マルタは……!」
店主の妻は、その勢いのままエドアルドの胸倉をつかんだ。ヴィンスが止めに入ろうとするが、それをエドアルドは視線だけで制した。
「あんないい子に手を挙げて! 一人でこんなところまで旅をさせて! 挙句、あんたが追いかけてきたせいで、あの子はまた逃げなきゃならなくなったんだ!」
ここへきて、エドアルドは街の人々がレイリアについて口を閉ざしていた理由が分かった。彼女は夫の暴力から逃げてきたという体で、この街で暮らしていたのだ。本当に賢い人だと、内心で舌を巻く。
だが、次の言葉に、エドアルドの頭はまっ白になった。
「身重だっていうのに!」
一瞬、彼女が何を言ったのか理解できなかった。
「みおも?」
呆けたように繰り返したエドアルドに、店主の妻が呆れる。
「なんだよあんた、知らなかったのかい? あの子が妊娠してるって」
エドアルドは、慌ててヴィンスの方を振り返った。
「どういうことだ」
「どういうこともなにも、そういうことです」
「いや、だが、彼女が……妊娠?」
混乱するエドアルドに驚いて、店主の妻は掴んでいた手を離した。エドアルドは頭を抱えたまま、フラフラとその場にうずくまってしまう。
「誰の子なんだ?」
エドアルドがつぶやくように言うと、それに呆れてヴィンスはため息を吐いた。
「本当に、心当たりはないのですか?」
心当たり、とオウム返しにしたエドアルドは、すぐにハッとした。
「あの夜か!」
媚薬に身体と思考を侵されて、公爵家の別邸でレイリアの介抱を受けた夜。彼女は何もなかったと言っていた。エドアルドはそれを信じていたのだが。
「なんてことだ……」
エドアルドにはまったく記憶がない。だが間違いない。あの夜、彼は無理やりレイリアを抱いていたのだ。それに気づいて、エドアルドは愕然とした。
(なんという酷い仕打ちを……!)
これでは、街の人々の考える暴力夫と同じだ。
いや、それよりも酷い。
店主夫妻は、床にうずくまって打ちひしがれるエドアルドに呆気にとられていた。彼女の妊娠を知って、これほど動揺するとは思っていなかったのだ。
夫妻が互いに顔を見合わせる。ほんの少し気の毒には思ったが、だからといって彼女の行き先を教えるわけにはいかない。
誰も何も言えず、沈黙だけが流れた。
ややあって、どうにか気を持ち直したのか、エドアルドが立ち上がった。
「感謝します」
「え?」
「彼女を守ってくれて、本当にありがとうございました」
エドアルドは、店主夫妻に深く頭を下げた。
「彼女は一人きりで、心細かったことでしょう。けれど、ここで暮らして働いていた彼女は、きっと幸せな時間を過ごした。この店を見ていれば分かります」
この言葉に、店主夫妻の表情がぎゅっと歪んだ。今でもこの二人はレイリアのことを愛し、心配してくれているのだと分かって、エドアルドの胸も熱くなる。
「彼女のことは、一生かかっても自分で見つけ出します」
エドアルドはもう一度深く頭を下げてから、バルネ雑貨店を後にした。




