第31話 他の誰とも結婚するつもりはない
エドアルドは辟易していた。
冬のはじめにやってきたノルヴァンディアの使節団とマルガレーテ王女が、間もなく春になろうというのに、未だに居座っているからだった。
ルークとレイリアが亡くなり、葬儀や公爵家の後継騒動など、この数か月はかなり忙しなかった。彼らにとっては外交使節としてやって来たのにまともな交渉ができなかったという事情はある。だが、それにしても長すぎる逗留だ。
ラングレット公爵との火薬密売の件を隠ぺいするために来たと考えれば、この長逗留も納得ではあったが。
「エドアルド様、早くまいりましょう?」
今夜、マルガレーテ王女のために王宮では舞踏会が開かれている。本来であれば公爵家の嫡男であるルークが亡くなったのだから、その喪が明けるまでは社交は自粛されるものだが、外国人である彼女は自分には関係ないと言わんばかりだった。外交官たちは好き勝手に派手な行事を手配し、王女は毎晩のように遊び回っていた。
この舞踏会も、その一つだ。
マルガレーテ王女が主催として出資し、王宮の広間で舞踏会を開いた。本来であれば、この国の王族にしか許されない振る舞いだが、これも王女のわがままを国王が許す形となった。ノルヴァンディア王国をはじめとする西側諸国では国家間の緊張が高まっていて、今、ノルヴァンディアを刺激することは得策ではないからだった。
まるで弱みに付け込まれているようで、エドアルドはますますマルガレーテ王女のことが嫌いになっていた。
「今夜は春の花をたくさん飾ってもらったんですよ。舞踏会は、華やかでなくちゃ」
無邪気に笑いながら、マルガレーテ王女がエドアルドの手を引く。
その手に触れられると、エドアルドの肌には嫌悪感で鳥肌が立つ。だから、彼女と顔を合わせるときには手首まで覆う革の手袋を絶対に忘れないようにしている。
そんな彼の気持ちを知ってかしらずか、マルガレーテ王女はエドアルドの腕にしなだれかかった。
(最悪だ)
いつまで、こんなことに付き合わなければならないのか。
エドアルドは、心の中で深いため息を吐いた。
そうこうしている内に、舞踏会の会場である大広間に到着した。侍従がエドアルドとマルガレーテ王女の到着を高らかに告げる。
扉が開くと、大勢の貴族たちの注目が一気に集まった。今夜の赤色のドレスは自慢の一着なのだろう、マルガレーテ王女は得意げな表情でほほ笑み、優雅にお辞儀をした。
だが、顔を上げて会場を見回した途端、彼女の表情が不機嫌に染まった。
何かあっただろうかとエドアルドも会場に目を向ける。理由はすぐに分かった。出席している女性たちのドレスが、軒並み真っ黒だったのだ。
レイリアの死は、多くの国民に悲しみを与えた。特に貴族の女性たちは彼女の死を悼み、喪が明けるまでは黒いドレスで過ごすことが暗黙の了解になっていた。
よくよく見れば、彼女たちが着ているのはセラド織のドレスだった。
かつて彼女が愛した黒で、その死を悼み、悲しみを共有しようとしているのだ。
マルガレーテ王女は、それに気づいて気分を害したのだろう。むっと眉を寄せ、親指の爪を噛んでいる。
その醜い仕草に、またエドアルドの気分が悪くなった。
音楽が始まった。最初の一曲は主催者とそのパートナーが踊ることになっている。今夜でいえば、マルガレーテ王女と彼女に連れてこられたエドアルドだ。
マルガレーテ王女は華やかな音楽に気を持ち直したのか、うっとりとエドアルドに微笑みかける。
「さあ、踊りましょう」
仕方なく、エドアルドはマルガレーテ王女の腰に手を添え、踊り出した。音楽に耳をすませば、自然と足が動く。幼い頃から練習していたので、目をつむっていてもワルツのステップを踏むことができるだろう。
だが、心が躍ることはない。レイリア以外の相手と踊っても。
レイリアは、お世辞にもダンスが上手とは言えなかった。エドアルドと身体が触れ合うのを避けるためでもあっただろうが、妙にぎこちなくステップを踏むものだから、エドアルドはいつも彼女に足先を踏まれていた。だが、そんなことは些末なことだった。
彼女と手を繋いで踊る時間が、エドアルドは大好きだったのだ。
それと比べて、今のこの時間は、ただただ虚しい。
エドアルドは、早く時間が過ぎるようにと祈りながら、無心で足を動かしていた。
そんな彼の気持ちなどお構いなしに、マルガレーテ王女が優雅に舞う。その様子を、多くの貴族たちは胡乱な瞳で見つめていた。場違いな赤いドレスに、誰もが顔をしかめていたのだ。
二人が踊り終わると、まばらに拍手が起こり、すぐに次の曲が始まった。舞踏会に来たからには踊らないわけにはいかないので、貴族たちが遠慮がちにフロアに入っていく。
その様子を見て、マルガレーテ王女がまた不機嫌を露わにした。侍従から受け取ったジュースを飲みながら、唇を歪ませている。
「レイリア様が亡くなって、もう何か月にもなるのに。辛気臭い方々ですわね」
この言葉が聞こえたのだろう、周囲で談笑していた貴族たちの表情がさらに険しくなった。もちろん、エドアルドも。だが、マルガレーテ王女はそんなことには構いもせず、徐々に言葉が強くなっていく。
「いつまでも黒いドレスを着て。セラド織なんて、西では流行遅れでしてよ。それに、皆さん全く似合っていないわ。みんな似たり寄ったりの格好で、本当につまらないわね」
そして、彼女の言葉は徐々にレイリアの悪口になっていった。
「まあ、レイリア様にはお似合いでしたでしょうね。悪女レイリア、でしたっけ? 本当に性格が悪くて、皆さんに嫌われていたそうじゃないですか。そんな方には、黒はピッタリの色だわ。他にも色々うかがいましたわよ? ずいぶんな浪費家だったとか、ものすごい悋気持ちで毎日周囲に怒鳴り散らしていたとか。王妃に何か到底相応しくない、とか。それなのに、どうして皆さん、悲しんでいるふりなんかなさるのかしらね?」
エドアルドが何も言わないのをいいことに、マルガレーテ王女の勢いは止まらない。
「ただ公爵家にお生まれになったというだけの人で、何の取り柄もなくて、何の役にも立たなくて……」
その可愛らしい顔が、嫉妬で醜悪に歪んでいる。
「自分勝手で、誰からも必要とされない人だったのに」
この言葉に、エドアルドはとうとう我慢の限界を迎えた。
口にするわけでもなく、ただポーズのために手にしていたシャンパンのグラスが、床に落ちる。
──ガシャンッ!
大理石のあたったグラスがけたたましい音を立てる。その音に驚いた楽団まで手を止め、全ての人の注目がエドアルドに集まった。
彼の隣では、マルガレーテ王女も驚きに固まっている。
「聞くに堪えない」
沈黙を破ったのは、エドアルドの硬い声だった。腹の奥が怒りで冷え切っている。そのせいで、いつもよりも低く威圧的な声が出てしまった。すぐ近くで聞いていた貴婦人が恐怖で顔を真っ青に染めるほどだ。
だが、エドアルドには、この怒りを抑え込むことなどできなかった。
たった今、この世で最も愛する人の名誉を傷つけられたからだ。
「エドアルド様?」
マルガレーテ王女が頬を引きつらせながらエドアルドの方を見上げている。
その顔を、じろりと睨みつけた。
「ひっ!」
よほど恐ろしかったらしい、マルガレーテ王女は喉を引きつらせて悲鳴を上げながら後退り、無様にも床に尻餅をついてしまった。エドアルドはもちろん、それを助け起こすことなどしない。もう一度、彼女の方を睨みつけた。
「レイリア・カーディナル嬢が、自分勝手で誰からも必要とされない? 馬鹿を言うな。彼女ほど優しさに満ちた働き者を、私は他に知らない。彼女こそ王妃に相応しい最良の女性だった」
一息に言ってから、エドアルドはぎゅっと唇を噛み締めた。
「私が愛しているのは、今までもこれからもレイリア嬢ただ一人。他の誰とも結婚するつもりはない」
そして、真っ青な顔で座り込むマルガレーテ王女を残して、エドアルドはクルリと踵を返した。
「これ以上、茶番に付き合うつもりはない。早々にお帰りいただこう」
そう言い残して、エドアルドは早々に大広間を後にしたのだった。




