第29話 事件の真相
レイリアが帳簿の整理を始めてすぐ、おかしなことに気が付いた。
どれだけ丁寧に伝票から数字を拾っても、支出と収入の数字が合わないのだ。
といっても、貴族ならばそれほど珍しいことではない。どこの家も、国には報告できない収入や支出があるものだからだ。これを上手に数字合わせするのも、貴族に仕える会計士や家令の仕事と言える。
だが、それにしても、使途不明金や商人からの妙に高額な献金──いわゆる賄賂だ──が、あまりにも多い。
(前の家令は、これを誤魔化すことにかなりの神経を使っていたに違いないわ。だからこそ、息子に仕事を教える前に病に倒れて、さぞ後悔したでしょうね)
前よりもきれいになった執務室の中、レイリアが整理した帳簿をなんとか読み解こうとしている家令に目を向ける。おそらく彼は、こういった貴族の汚いところを知らずに今日まできたのだろう。
(領主にとっては、私の存在は幸運だった……。会計事務に詳しいだけでなく、貴族の事情にも明るい、またとない人材だったというわけね)
まさに、縁とはこのことだ。
どこかにいるかもしれない神様に感謝しつつ、レイリアは再びペンを動かし始めた。出産までに過去の帳簿の整理まではなんとか終わらせたいので、あまり物思いにふけっている余裕はない。
伝票をめくる。ふと、そこに書かれている事業者の名が目についた。
(アッシュウェル取引組合。この名前、どこかで……)
思わずハッとした。
(グスタフ・フォン=マルテンが経営している商会の一つだ!)
火薬密売に深く関わっている人物として、グスタフの周囲に関してはレイリア自身が徹底的に調査していた。彼は様々な悪事のために、いくつもの商会を経営していたのだ。その一つが、アッシュウェル取引組合だ。
(どうして、こんなところに?)
ここはフロイデン王国の中でも、僻地と言ってもいい。そんな土地の領主との商売など、計算高い彼がするだろうか。
続けて、レイリアは伝票をめくった。その束には、レイリアの祖国、アルテンベルク王国の商人と取引している伝票がいくつも混ざっていた。しかも、全て麦の取引をしている。
一つ一つは少額だが、合わせると莫大な金額になる。しかも、その金額に見合う麦を取引したとなれば、一大事業だ。小国一つの国庫を賄えるほどの麦と金が動いているのだから。ノルヴァンディア王国との麦の取引について調べていたレイリアが、この取引の存在に気づかないはずがない。
(つまり、この伝票は架空取引ね)
そうでなければ、説明がつかないほどの金が動いている。
(少し、調べてみるか……)
まずは、この疑いを確定させなければならない。レイリアは帳簿の整理を続けながら、他に怪しい動きがないかを調べ始めた。
また、屋敷の他の場所でも調査を進めた。人の記憶というのは馬鹿にできないからだ。
レイリアは使用人として働いているので、昼の時間になるとメイドたちと一緒に使用人食堂で食事をとる。その際、メイドたちと積極的に会話をするようにしたのだ。自分が働きやすい環境をつくるためでもあるし、おしゃべり好きなメイドたちから、何か情報が得られるのではないかと考えたからだ。
「ねえ、ちょっと聞いてもいい?」
レイリアが気安く話しかけると、顔見知りのメイドは笑顔で頷いた。
「もちろん」
「帳簿を見てるとね、アルテンベルクの商人とのやり取りが多いみたいなの。旦那様はあちらの国とご縁が深いの?」
「そうよ。旦那様のお母様は、アルテンベルクのご出身なの」
「それじゃあ、今もあちらのご親族と交流が?」
「ええ、もちろん。たまにご親族がいらっしゃって、私たちにもお土産をくださるの」
「少し前にも、えっと、ベルネック伯爵という方がいらっしゃったわ」
即座に、レイリアは気づいた。
(偽名だわ)
アルテンベルク王国に、ベルネックという名の貴族は存在しない。貴族台帳に載っている家の名をほぼ記憶しているレイリアには、その確信があった。
「お土産は、お菓子?」
「そうそう。かわいらしい焼き菓子だったわ」
「いいわね。またいらっしゃるかしら? 私もいただきたいわ」
「年に一度はいらっしゃるから、そろそろじゃない? ねえ、そうよね?」
他のメイドもレイリア達の話を聞いていたらしく、
「そうね。そろそろだわ」
「次はどんなお菓子を持ってきてくれるのかしら」
と、楽しげに話し始めた。
そんな中、一人だけ表情を曇らせたメイドがいた。レイリアは、そのメイドの顔をしっかり記憶したのだった。
さらに次の勤務日、レイリアは休憩を装って洗濯場でそのメイドに声をかけた。
「ベルネック伯爵のことで、何か気になってることがあるんじゃない?」
ズバリ尋ねると、メイドはおどおどしながらも頷いた。
「私、ベルネック伯爵がいらっしゃったときにはいつもお世話を担当するんですけど。あの、ほんとは内緒だよって言われてて、余分にお土産ももらってて。悪いことかもって思ったんだけど、でも言えなくて……」
どうやら、何か隠し事を頼まれたようだ。だが、この純朴な少女には、後ろめたさの方が勝っているらしい。
「誰にも言わないから、話してくれない? 私なら、家令のエリオット様にうまくお話しすることもできるわ」
「あ、ありがとう! あのね、前にこの屋敷にいらっしゃったときに、伯爵さまが懐中時計を部屋に忘れていったの。表に家紋と名前が刻印された、立派な懐中時計だったのわ。でも、その名前が違っていて、どうしてだろうって思っているところに伯爵さまが戻っていらして」
「そのことを秘密にしてほしいと言われたのね?」
「うん。知り合いにもらったものだから名前が違うんだよって。でも、仲良くしていることを知られたくない人だから、秘密にしてほしいって」
(まさか)
嫌な予感で、胸がドキドキと音を立てる。
レイリアは、少しばかり緊張した面持ちでそのメイドに顔を寄せた。
「その名前を、憶えている?」
「うん。……フリードリヒ・ラングレットって名前だった」
その名を聞いた途端、レイリアは愕然とした。
(こんなことって……)
あの頃、必死で追い求めていた事件の真相が、目の前に転がり込んできたのだ。




