第28話 新たな仕事
その人物は、見るからに貴族に仕えているといった風貌の青年だった。
シックな色合いのスーツをきっちりと着こなし、ピカピカに磨かれた革靴を履いている。
急に店先に現れて『領主様の使いでございます』と名乗った人物の顔を見た途端、レイリアは王子に居場所を知られたのかと思い体をビクリと硬くした。さらにそれを見たハーヴェイと、慌てて店先に出てきたクレアは例の暴力夫の関係者かといきり立った。
だが、その使者にとってこの反応は想定内だったらしく、穏やかな笑みを浮かべたまま店先に手紙だけを置いて帰っていった。
『色好いお返事をお待ちしております』という言葉を残して。
使者が帰った後、残された三人は互いに顔を見合せ、ゴクリと喉を鳴らしてから、その手紙を開いた。
内容は、領主の館で帳簿をつける仕事を手伝ってほしい、という仕事の勧誘だった。どうやら、どこかからレイリアの噂を聞きつけたらしい。
手紙の二枚目には、労働条件が箇条書きされていた。
仕事は週に数回でよいこと、現在の住居から通えるように領主の方で馬車を手配すること、もしも産後にも仕事を続けてくれるなら子連れで出勤しでもよいこと、必要なら領主の方で子守を準備することなどが、丁寧に書かれていた。
最後の行に書かれていた報酬の額は、バルネ雑貨店の給与の、実に三倍の額だった。
「よっぽど困ってるんだね」
ハーヴェイがううむと唸り、クレアも頷いた。二人には、条件が良すぎるように見えたのだろう。だが、レイリアの方はもう少し貴族の事情に明るかった。
「きちんとした会計士を雇えば、もっとお金がかかります。この金額の五倍は準備しないといけません」
「これの、五倍!?」
「はい。貴族には様々な種類の税金が課されていますから、それらの税務処理で不利益を被らないよう、徹底した管理が必要なので」
「それじゃあ、この条件はかなり悪いってこと?」
「そうでもありません。通いで週に数回でいいということは、他に帳簿の管理を担当している人がいるのでしょう。もしかしたら、経験不足から数字が合わないことが頻発しているのかもしれません。それを手助けする仕事と思えば、かなり妥当な条件です。子どものことを条件に入れ込んでくださっているので、むしろありがたいくらいですね」
「それじゃあ、この仕事を受けた方がいい」
間髪入れずに、ハーヴェイが言った。
「マルタは妊婦なんだから、座ってできる仕事をすべきだよ」
これにはクレアも頷いた。
「それに、これからは子どものために貯えも必要なんだから、たくさんお給料をもらえる仕事を逃すことないさ。うちは家賃の分だけ働いてくれれば十分なんだから」
「この仕事が上手くいけば、他所からも帳簿や事務の仕事が舞い込むかもしれない。そうなれば、生活はずっと楽になるよ」
二人にとって、レイリアは必要な人材だろう。それに、妊婦で厄介ごとを抱えている人物を、わざわざ住み込みで働かせてやっている立場でもある。それなのに、レイリアのためにとあれこれ考えを巡らせてくれている。
その優しさが嬉しくて、レイリアの胸が温かくなる。
「ありがとうございます。では、この店の仕事を続けながら、こちらに通わせてもらってもよろしいでしょうか?」
「もちろんだよ」
「それがいい」
優しい笑みを浮かべて頷く二人に背を押され、レイリアは早速領主に手紙の返事を書いた。とんとん拍子に話は進み、翌週から、週に二日ほど領主の館に通うことが決まったのだった。
初出勤当日、約束通り領主の館から迎えの馬車がやってきた。
といっても、領主の館はシュタインロットの街から馬車を使えばそれほど時間はかからない。街を出て街道を少し進んだ先の小高い丘の上に、その館はあった。
その玄関先で、領主はわざわざレイリアが来るのを待っていた。名をグラーフ・ライナルト・ヴォルクハルト、伯爵の位を持っているというその人は、豊かな口ひげをたくわえた初老の男性だった。黒髪に白いものが混じり始めているところを見るに、レイリアの父よりも少しばかり年上だろう。
領主はニコリと微笑んで、レイリアが馬車から降りるのをエスコートしてくれた。
「ようこそ、マルタ嬢」
これには、レイリアは苦笑いを浮かべた。領主は、レイリアを貴族の令嬢として扱おうとしているのだ。
「おやめください。今は、ただのマルタです」
「ですが、あなたはいずこかの国の貴族の身分のご出身でしょう?」
特に隠していることではないので、レイリアは遠慮がちに頷いた。ただし、そういう扱いは彼女の望むところではない。
「以前は、です。この子のために、身分も名も捨てました。これからは、いち平民の母として、この子を育てていかなければなりません」
「それで、この仕事を受けてくださったのですね?」
「その通りです」
「では、そのようにいたしましょう」
そう言ってから、領主はわざとらしく厳しい表情をつくって見せた。
「君には帳簿の整理と計算を任せる。家令の指示に従うように」
領主の隣には家令が控えていた。先日、レイリアのもとに手紙を届けてくれた青年だ。家令とは屋敷の使用人をまとめ上げ、一家の財産の管理までをも担う貴族の屋敷の中で最も重要な職務だ。その家令を務めるには、ずいぶん若いように見える。
だが、ここであれこれ質問するのは使用人としてはマナー違反だ。
「承知いたしました」
レイリアが短く返事をすると、領主は鷹揚に頷いて館の中に戻って行った。それを見送ってから、家令に向き直る。
「改めまして。マルタと申します」
「私はエリオット。この家の家令を務めております。では、まいりましょう」
家令は早速レイリアを裏口に案内した。今後は使用人の一人として、この裏口から出入りすることになる。厨房を抜け、古い床板の軋む廊下を進み、階段を上がって二階へ。そこに、家令専用の事務室があった。あまり広くはない部屋の中には物があふれ、書類が散乱している。
「これは……」
驚くレイリアに、家令が小さくため息を吐く。
「つい数か月前、父が急に病気で亡くなって家令を継ぐことになったんです」
「まあ」
家令は重要な職務であるため、世襲で引き継がれる例が少なくない。それだけ信頼性が重要視されるということだ。
「自分も執事として働いていたのである程度のことは把握していたのですが、いかんせん、父から全てを習う前にこの職務に就いたもので。まったく手が回らないのです。使用人の管理にかかりきりになっていたら、税務監査があることをすっかり忘れていて……」
「それはお困りですね」
「ええ。税務監査は散々で、余分な税金がかかることになってしまい、旦那様はたいそうがっかりされていました」
このままでは余分な税を納め続けなければならないし、家令もいつまでたっても仕事を覚えることができない。それで街で噂になっていたレイリアを雇うことになった、というわけだ。
「承知いたしました。では、私の当面の仕事は、お父様が亡くなってからの帳簿の整理と数字合わせですね」
「その通りです」
「では、その前に、部屋の片づけからですね」
レイリアは散らかった部屋の中を見回してから、チラリと家令の顔を見た。家令が気まずそうに視線を逸らすので、思わず笑みがこぼれる。
(これは、思いのほかやりがいのある仕事だわ)
あの頃の仕事に似ているのだ。
ふと、王子の側で働いていた頃のことが懐かしくなって、レイリアは目を細めた。王子の執務室はもっと広かったし、そもそも彼はそれほど物を散らかす人ではなかったが。
(……感傷に浸っている場合じゃないわね)
いくら懐かしく思ったところで、あの頃に戻ることはできない。今の自分に出来るのは、今を生きることだけだ。レイリアはワンピースの襟を整え、気を引き締め直した。
ところが。
働き始めてすぐ、レイリアはこの家の会計には、おかしな点があることに気が付いた。




