第25話 さよなら
翌日、レイリアは朝早くからティータイムの準備に勤しんだ。
メイドたちに手伝ってもらって温室の中の植木の位置を変え、お気に入りのテーブルとカウチを運び込んで。
カップやポット、カトラリーも自ら選び、茶葉や菓子も慎重に吟味した。
悪女らしからぬ行動に、メイドたちは最初こそ不審な表情を浮かべていたのだが、彼女があまりにも真剣に準備をするものだからメイドたちも次第に気合いが入っていった。
最終的に、温室の中には緑に囲まれた温かな空間が出来上がった。
テーブルの上には温室で育てたジャスミンを飾り、それに合わせて選んだ白磁のティーセットが並ぶ。カウチには生成りの糸で編んだレースの飾りをかけて、足下にも寒さを和らげるよう毛皮の絨毯を敷いた。
満足のいく出来上がりに、レイリアもメイドたちも、思わず笑みがこぼれたのだった。
ところが、約束の時間になっても王子は姿を見せなかった。
(何かあったのかもしれない)
レイリアは時間を過ぎるとすぐに不機嫌を装って部屋にこもった。そしてルークの姿に変装して、心配する両親と使用人たちをなだめてから、急ぎ王宮へ向かった。
広大な王宮の敷地内は、政務が行われる外廷と、王族の私的な空間である内廷に分けられている。何か事件があったのなら政務関係かもしれないと考えたレイリアは、まずは外廷にある王子の執務室に向かった。だが、そこに王子の姿はなく、すぐに内廷に向かった。
本来であれば王族と彼らの世話を担当する侍従や侍女以外は立ち入ることが許されない場所だが、レイリアは王子の親友として幼い頃から頻繁に内廷にも出入りしていた。また、現在もルークは王子の側近だ。公私にわたって王子を支援しているので、門衛はレイリアの顔を見ただけで内廷へ通してくれた。
中庭の中心を石造りの廊下が通っていて、その先に王族が暮らす棟が連なっている。廊下の左手には、外廷ほどの規模ではないが庭園が広がっている。王族が私的な時間を過ごしたり、大切な客をもてなしたりするために使われる場所だ。
その庭園の方から、可愛らしい笑い声が聞こえてきた。
聞き覚えのあるそれは、マルガレーテ王女の声だ。
(王女が、内廷に……?)
マルガレーテ王女をはじめとするノルヴァンディアの使節団は、王族が賓客をもてなすために使われる迎賓館に宿泊している。迎賓館は王宮の敷地外にある。
つまり、王族の誰かが招待しなければ、マルガレーテ王女が内廷に入ることなどできないはずなのだ。
嫌な予感がする。
それでも、確かめなければ。
レイリアは、重い足を引きずるようにして、庭園へ出た。背の低い雑木が囲む迷路の小道を、少女の笑い声を頼りに進む。
迷路が終わり、視界が開けると、そこは小さなバラ園だった。間もなく見ごろを迎える冬薔薇が、小さな蕾をつける薔薇のアーチの、その向こう。小さなガゼボの中で。
王子とマルガレーテ王女が、肩を寄せ合って座っていた。
「とっても寒いですわ」
「そうか」
「やっぱり、部屋の中にすればよかったですね」
「そうだな」
「でも、こうして身体を寄せ合う理由ができますから、寒いのも悪いことばかりではありませんね」
「そうか」
頬を染めてうっとりと王子の顔を見つめるマルガレーテ王女とは対照的に、王子の表情はいつも通りの無表情だ。だが、自分にまとわりつく王女を振り払うこともせず、彼女の言葉にいちいち返事をしている。淡々とした味気ない返事ではあるが。
彼がレイリア以外の女性と、こうして身体を寄せ合って会話をするのを見るのは、これが初めてのことだった。
その衝撃に、レイリアは思わず声を失った。
「……今日は、婚約者の方はよろしいの?」
「ああ」
「でも、せっかくの休日ですのに。私なら、婚約者がいれば休みの日にはずっと一緒に過ごしたいと思いますわ」
「そうか」
「レイリア様は、そういう方ではないと聞いていますけど……。エドアルド様は、どのように思っていらっしゃるんです? レイリア様のことを」
この問いには、王子はすぐには答えなかった。少し考え込んでから、小さくため息を吐く。
「父上に命じられて、仕方なく婚約者として振る舞っているだけだ」
その冷たい声音に、レイリアの背筋が凍った。心臓がじくじくと痛み、足が震える。
(それが、本心なの……?)
そんなはずはないと、心の片隅で誰かが囁く。
そうだ。彼は『信じてほしい』と言っていたじゃないか。
レイリアは自分に言い聞かせた。
そんな彼女の葛藤など知らないマルガレーテ王女は、さらに王子の方にしなだれかかった。
「そうですわよね。レイリア様って、美しい方だそうですけど、冷たい方だと聞きました。エドアルド様には相応しくありませんわ」
「……そうか」
「ええ。エドアルド様は国王になられるお方ですもの。もっと優しくて、女性らしい、安らぎを与えられる存在が必要なはずですわ」
マルガレーテ王女は、甘く優しい声で囁くように言った。まるで、寝室で愛を乞うような声音だ。
「ねえ、エドアルド様」
桃色の唇が、王子の耳元に寄せられる。
「今夜も、私のお部屋にいらっしゃってね」
これ以上は、聞いていられなかった。
レイリアは足音を殺すことも忘れて踵を返し、迷路に駆け込んだ。そのまま足を止めることなく、内廷を後にする。途中で顔見知りの侍従に声をかけられたが、まともに返事をすることすらできなかった。
門を出て、ようやく足を緩めた。
ゆっくり歩きながらなんとか呼吸を整えようとするが、うまくはいかない。椅子にでも座って休むべきだろうが、一秒でも早く一歩でも遠く王宮から離れたくて、レイリアは浅い呼吸を繰り返しながら廊下を進む。
(……今夜も)
マルガレーテ王女は、確かにそう言っていた。
それはつまり、今夜以外にも共に過ごした夜があったということだ。
考えたくもないのに、ベッドの上で過ごす二人の姿を想像してしまった。
自分以外の誰かが、あの逞しくて美しい身体に抱きしめられたのだと思うと、胸が締め付けられるように痛んだ。
王子と過ごした、たった一度の夜に想いを馳せる。
あの夜の出来事は事故ではあったが、レイリアにとって特別な思い出だった。ただ一人の愛しい人と愛し合った、かけがえのない夜だった。
それなのに。
彼はレイリアに『愛している』と囁きながら、他の女性にも同じことをしていたのだ。
その事実が、無性に悲しい。
同時に、こんなことで感情をかき乱される自分が情けなくて仕方ない。
ぽろり。
とうとう、こらえきれなかった涙がこぼれおちた。
(こんな場所で、情けない)
休日とはいえ、外廷には官僚の姿がある。このままでは、ルークの情けない姿を彼らに見せてしまうことになる。
早く泣き止まなければ。早くここから立ち去らなければ。
レイリアは袖口で涙をぬぐいながら、懸命に足を動かした。
そんな彼女の後ろから、一人の人物が駆けてくるのが分かった。
「ルーク!」
王子だ。
「レイリア嬢に言われて来たんだな」
慌てた様子の王子がレイリアの肩を掴んだ。泣き顔を見られるわけにもいかず、レイリアは顔を伏せたまま頷いた。
「そうだけど。まあ、適当に言っておくよ」
「まて、ルーク」
「エディは年下の可愛い女の子の方が好きみたいだよって」
「ちがう、そうじゃない!」
王子が声を荒げるものだから、すぐ近くにいた官僚が何事かとこちらを見ている。このままでは、王子にとってよくない噂が立ってしまう。白昼堂々、婚約者の弟であり側近である人物と喧嘩など、人に見せられるものではない。
頭では分かっていたが、今のレイリアの心は、とても冷静ではいられなかった。
「何が違うんだよ。マルガレーテ王女の寝室に行ったんだろ?」
レイリアの問いに、王子の表情が固まった。
「それは……」
言いよどむ王子に、またレイリアの胸が痛む。否定しないということは、やはり事実なのだ。
「隠さなくていいよ。姉さんだって、分かってくれる。だって、姉さんと君は愛し合ってるわけじゃないんだから」
「ルーク、違うんだ。聞いてくれ」
「ごめん、聞きたくない」
そう言ってから、レイリアは王子の腕を振り払った。
この時にはもう、涙は枯れていた。
悲しくて、悲しくて、どうしようもないほど胸が痛んだ。けれど、それももう終わりにしようと、レイリアは静かに決意していたのだ。
「……さよなら、エディ」
ぽつり。
小さな声は彼に届いただろうか。
それを確かめることもせず、レイリアは一人王宮から立ち去った。
そしてその数日後。
レイリアとルークが事故死したという知らせが、王宮に届けられたのだった。
第4章へ続く……
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