第24話 嘘か真か
その日の夕方、王子がレイリアを訪ねると言うので、レイリアは慌てて仕事を片付けて屋敷に戻った。いつものように急いでレイリアとしての身支度を調える。といっても、これまでのようにコルセットで身体を締め付けることはしないので、それほど時間をかけずに支度を終えることができた。
昼はルーク、夜はレイリア。妊娠してからも慌ただしい毎日が続いているため、真実を知っている両親や使用人たちには心配をかけているが、お腹の子どもはすくすくと成長しているらしい。ここのところ、ほんの少しだがお腹が膨らんできたような気もする。
(時間がない)
これ以上体型に変化が表れれば、男装するのが難しくなってしまう。
チクリ。
また、レイリアの胸が痛んだ。残された時間が、刻一刻と消えていく。それなのに、レイリアとしてもルークとしても何もかも中途半端で、王子と決別する覚悟を決める暇がない。
そんなモヤモヤとした気持ちを抱えたまま部屋を出ると、ちょうどレイリアを呼びに来た執事と行き会った。
「王子殿下がお越しでございます。応接間にお通ししました」
「応接間に?」
レイリアがじろりと睨みつけると、執事の肩がビクリと震えた。本当はこんな風に責めたくはないが、勝手に屋敷の中に通されてはたまったものではない。応接間に腰掛けて話すとなると、短時間で追い返すことができないのだから。
「その、殿下が、珍しい茶葉が手に入ったとおっしゃって……」
もごもごと言い募る執事に、レイリアは不機嫌そうに息を吐いた。
「仕方ないわね」
王族にそう言われてしまっては、部屋に通さないわけにはいかないだろう。どうやら、王子にはしっかり腰を据えて話すべきことがあるらしい。
レイリアが応接間に入ると、ソファに座って待っていた王子がすぐさま立ち上がった。その手には、赤いバラの花束。
王子はレイリアをエスコートして座らせると、その傍らに跪いて花束を差し出した。昨日と同じように。その様子に、給仕のためにやってきたメイドたちが頬を染めている。
「……今度は何なのです?」
レイリアは不機嫌そうに顔を逸らしたが、それでも王子は彼女の方をじっと見つめた。
「今度も同じです。……あなたを愛しています」
恥ずかしげもなく言ってのける王子に、レイリアの眉がピクリと揺れる。
だが、レイリアはツンと顔を逸らしたまま、何も言わなかった。花束も、愛の言葉も、受け取るわけにはいかないからだ。
何も言わないレイリアを王子が見つめる。
それはレイリアにとって、拷問のような時間だった。
だが、今日もそれほど長い時間のことではなかった。王子は昨日と同じように表情をわずかに緩めてから立ち上がって、側にいたメイドに花束を渡す。そして、無言のままレイリアの正面に座り直した。
気まずい沈黙の中、メイドが二人の前に茶器を準備する。執事の言っていた通り、王子が持参した珍しい茶葉を使ったのだろう。柔らかい花のような香りがふわりと立ち上った。
「東国のお茶ですか?」
思わずレイリアが尋ねると、王子が頷いた。
「病み上がりにいいらしい」
「そうですか」
そういえば、同じお茶が王子の執務室にも置かれていたことを、今さらになってレイリアは思い出した。どうやら、王子は病み上がりのルークとレイリアのためにわざわざ取り寄せてくれたらしい。
「感謝申し上げますわ」
とげとげしい声で言ってから、一口飲む。香り同様、優しい味わいの茶は、確かに病み上がりの身体に良さそうだ。
レイリアがほっと息を吐いたのを見て、王子も同じように茶を飲んだ。
「それで、ご用件は?」
昼間にルークに言っていたことを考えると、他にも用件があるはずだ。それでなくとも、わざわざ執事を説得してまで応接間に上がりこんだのだから、用件がこれだけであるはずがない。
レイリアが尋ねると、王子はカップを置いて居住まいを正した。
「既に聞き及んでいるとは思うが、ノルヴァンディア王国のマルガレーテ王女が王宮に滞在している」
謁見室には父であるカーディナル公爵もいたので、すでにレイリアの耳にも入っていることになっている。
「はい。あなたに求婚なさったとか?」
「その件は、もちろん断る」
はっきりと言ってから、王子が身を乗り出した。
「私が結婚したいのは、あなただけだ」
またしても真剣な瞳で見つめるものだから、その顔を直視できずにレイリアはまた顔を逸らした。内心では心臓がドキドキと音を立てているが、どうにかこうにか、いつも通り不機嫌に見えるよう演技を続ける。
「だが、すぐには断ることができない事情がある」
「どういうことですの?」
「この求婚は、例の火薬密売事件と関りがあると考えている。そこで、敢えて敵の策に乗ってあちらの情報を探ろうと思っている」
なるほど、とレイリアは納得した。
(そのためにマルガレーテ王女に近づくことになるから、先に婚約者である私に断りを入れにきたというわけね。誤解されないように)
と考えてから、またしてもハッとした。
(これじゃあまるで、本当に私のことを愛しているみたいじゃない!)
そんなはずはないのに、またしても勘違いするところだった。
「しばらくは、あなたではなくマルガレーテ王女を伴って社交界に出ることになる」
「左様でございますか」
不機嫌なまま頷いたレイリアに、王子はまだ何か言いたそうに口を開いた。だが、レイリアの冷たい声がそれを遮る。
「お好きになさればよろしいのに」
レイリアはことさら冷たく言い放ってから、苛立たしげな様子で立ち上がった。演技でも本心でも、これ以上何も聞きたくなかった。
「用件は以上ですね」
「いや、待ってくれ」
いつもならば、王子は頷くだけで済ませたはずだ。だが、今日は違った。レイリアの腕をつかんで、彼女を引き留めた。
「……なんです」
「何があっても、私はあなただけを愛している。信じてほしい」
「……はなしてくださいませ」
「ああ」
王子が素直に頷いて手を離すと、レイリアはくるりと彼に背を向けた。そんな彼女の背中に、王子がもう一度だけ囁くように言葉にする。
「信じてほしい」
と。
それでも、レイリアは振り返ったりしなかった。できなかったと言った方が正しいのだが。
「そうですか。では、失礼いたします」
淑女としてあるまじき態度ではあるが、レイリアは客である王子を応接間に残したまま、逃げるように退出した。そんな彼女の様子を見た王子がどんな反応をしたのか、それを確かめることなど、もちろんできなかった。
その後、メイドがあの赤い薔薇を花瓶に生けて持ってきた。受け取りたいのに、受け取りたくない。そんな複雑な気持ちのまま、結局は部屋の中に飾ることを許してしまったのだった。
それ以降、王子はレイリアではなくマルガレーテ王女を伴って、昼に夜にと忙しなく社交界に顔を出した。
レイリアはルークとしてそれに同行することもあった。ノルヴァンディア側の動向を探るためだ。マルガレーテ王女をエスコートする王子は相変わらず無愛想なままだが、彼女が無邪気に話しかけるのを邪険にすることはなく、見方によっては『まんざらでもない』と言えなくもない態度だった。
おかげで社交界では『エドアルド王子が、レイリア嬢からマルガレーテ王女に乗り換えた』という噂が流れ始めた。
一方で、王子は密かにレイリアのもとにも通い詰めていた。
夜会や舞踏会のない夜には必ず公爵邸を訪れたのだ。
赤い薔薇の花束を手に。
毎度、玄関先で追い返されると言うのに、彼は『信じてほしい』という言葉の通り、レイリアへの愛を囁き続けた。
それが嘘か真か、未だレイリアには分からない。
それでも、王子が二人の婚約を何よりも守りたいのだということは分かった。それが愛ではなく政略のためだとしても、この婚姻を大切に思っているのなら。
(このまま、エドアルド様と結婚してもいいのかもしれない。この子のためにも)
結婚すれば、ルークは消える。そうなれば、レイリアは何も偽る必要がなくなるのだから。
(もう一度、はじめからやり直せるかもしれない)
穏やかな気持ちで、そんなことを思い始めていた。
(……明日は、ゆっくり過ごすのも悪くないわね)
ちょうど、明日は休日。前回の訪問時に王子は昼過ぎには来ると言っていたから、午後のティータイムにちょうどいい。
レイリアはメイドたちに茶会の準備を頼むと同時に、王子に手紙を書いた。
『明日は茶会の準備をしてお待ちしております』
と。




