第22話 嫌な予感
一人部屋に戻ったレイリアは、花瓶に生けられた薔薇を前に頭を抱えた。
そして、
(冷静になれ!)
と、何度も自分に言い聞かせていた。
だが、心臓はいつまでたってもドキドキとうるさいし、足がモゾモゾしてじっとなどしていられない。ついでに、頬が熱くてたまらなくて、レイリアはとりあえず窓を開け放った。
秋の風が、火照った頬を撫でると、ほっと息が漏れた。
だが、次の瞬間には、跪いて『愛している』と宣った王子の顔が思い浮かんで、再び頬がカッと熱くなる。
そして、ブンブンと勢いよく頭を振って、余計な思考を追い払おうと必死になった。
(本気なわけがないじゃない!)
そう。『愛している』などという言葉が、彼の本心であるはずがない。では、なぜ急にこんなことを言い始めたのか。
(……そうか!)
ハッとひらめいて、レイリアはポンと手を打った。
(国王陛下に命じられて、仕方なく言ったに違いないわ!)
王子とレイリアの結婚は、国王が強引に推し進めたものだ。レイリアの父は、最初はこの結婚に反対していた。そもそも、公爵家はすでに広大な領地と莫大な財産を持っており、今さら王家と縁戚関係を結ぶ旨味はほとんどない。どちらかと言うと、王家と縁戚関係になると面倒ごとの方が多いのだ。
だが、王家側は事情が違う。レイリアを逃すと、他の結婚相手を見つけるのは簡単なことではない。
王子の結婚相手は、すなわち未来の王妃だ。相応の身分を持つ女性を迎えなければならない。公爵令嬢であるレイリアは、当然、この条件に合致する。国内には、他にも王子と歳の近い高位貴族の令嬢が何人かいるにはいるが、王子との接点はほとんどない。王子はレイリアと婚約してから、ずっと他の令嬢を遠ざけてきたからだ。王子は間もなく十九歳。二十歳を過ぎれば、貴族の男女はこの国では結婚が遅いと噂される。それまでに、なんとか結婚させたいという焦りもあるのだろう。
だから、きっと、国王が王子に命じたのだ。
『なんとかレイリア嬢をつなぎ留めろ』
とかなんとか。
そこまで考えて、レイリアは深く息を吐いた。
「あれは、エドアルド様の本心じゃない」
声に出して言ってはみたが、か細く震えた声音に、思わず自分が情けなくなる。
(この期に及んで、いったい何を期待しているの!)
レイリアは自分を叱責する為に両手でパチンと頬を叩いた。
(目を覚ますのよ、レイリア!)
だが、それでも彼女の胸の高鳴りは止まらなかった。
『愛している』と言った王子の顔を思い出しては心臓がドキドキと音を立て、その残像を振り払い、また思い出しては心が浮つく。
そんなことを繰り返すのが嫌になって、レイリアはとうとうベッドにもぐりこんだ。夕食はまだだし、着替えすらしていないが、眠ってしまえと考えてのことだった。この無限に続く制御できない思考と感情から解放される方法が、それしか思いつかなかったのだ。
予想外の出来事で疲れていたのか、眠りはすぐに訪れた。
その夜、レイリアは幸せな夢を見た。
金髪の可愛らしい赤ん坊を抱いた彼女を、エドアルドが優しく抱きしめてくれる夢を──。
翌日からも、レイリアはルークとして出勤した。とてつもなく顔を合わせ辛いが、だからといって休むわけにもいかない。
王子は、憎たらしいほど、いつも通りだった。
昨日あんなことがあったというのに、まるで何事もなかったかのような顔をして、レイリアよりも先に出勤して仕事を始めていた。
「……おはよう」
レイリアが声をかけると、チラッと顔を上げて、
「ああ」
軽く挨拶する。その仕草もいつも通りだ。
レイリアは昨日の自分の慌てぶりを思い出して、無性に恥ずかしくなった。だが、いつも通りの王子の態度には、むしろ助けられることになった。ルークとして何食わぬ顔で王子と過ごすために相当な精神力を必要とするだろうと予想していたのだが、王子があまりにも普段通りなのでレイリア自身も拍子抜けするほどいつも通り過ごすことができたのだ。
さらに昼過ぎには、そんな個人的な事情など思い出す余裕もない状況に陥った。
ノルヴァンディア王国から、突如として使節団がやって来たのだ。
しかも、その一団の中には、ノルヴァンディア王国の王女がいるという。
「いったい、どういうことだ」
足早に謁見室に向かいながら、王子が苛立たしげに尋ねた。
だが、状況が分からないのはレイリアも同じだった。
「分かっているのは、この使節団はなんの前触れもなくやって来たってことと、ちゃんとして身分証明書を持っているから本物なのは間違いないってこと。とにかく早急に国王と謁見したいと言われて、王女様の手前断ることもできず、今まさに謁見室で国王陛下と対面しているってことだけだよ」
「王女というのは」
「現在のノルヴァンディア国王には、五人の王女がいる。そのうちの誰かだと思う」
「狙いは?」
「分からない。だけど……」
レイリアが言葉を止めたのを受けて、王子がピタリと足を止めた。レイリアも同じように立ち止まり、王子の顔をじっと見つめる。どうやら、同じことを考えているようだ。
「例の偽情報が関係しているのかもしれない」
王子も頷いた。
偽情報とはつまり、『ずさんな工程で製造された火薬が西側諸国に流通してしまった。暴発の危険性がある』という噂のことだ。
この使節団は、この件を対応するためにやってきた可能性が高い。
王子はジャケットのボタンを留め直してから、再び謁見室に向かって歩き始めた。
謁見室は官僚や貴族たちでごった返していた。普段通り扉が解放されたままになっているので、使節団と国王のやりとりを聞こうと人が集まっているのだ。現国王は政治が密室で行われることを好まず、謁見や会議は貴族であれば誰でも出入りすることができるので、こういうことが起こる。
王子とレイリアはその人混みではなく、脇の扉から謁見室の裏に回った。玉座のすぐ隣に出られる王族専用の出入り口があるのだ。普段であればレイリアだけは別行動で正面の扉から入るのだが、今日ばかりは王子の後ろについて謁見室に入った。
脇の扉から中に入ると、そこには分厚いカーテンが引かれている。王族の控室になっているのだ。そのカーテンの向こうが謁見室だ。
カーテンの脇には侍従が控えていて、王子の顔を見るなり緊張した面持ちで頷いた。
「エドアルド王子殿下のお越しでございます」
侍従が高らかに宣言すると同時にカーテンを開くと、謁見室に集まっていた人々の視線が、一斉に集まった。王子はそれらの視線をものともせず、玉座に向かって颯爽と進み始める。玉座の正面にいた一団──ノルヴァンディア王国の使節団も、王子の方をじっと見つめていた。
静寂の中を、王子の靴の音だけが響く。
レイリアは足音を立てないようにカーテンの隙間から出て、そっと壁際に控えた。そして、じっくりと使節団の面々を観察する。
人数は十数名。先頭に立っているのが外交官だろう。そして、その隣にいる華やかなドレス姿の女性が王女だ。
(まだ若い)
その違和感に、レイリアは眉を寄せた。
ノルヴァンディア王国は隣国であり、火薬密輸事件でも深く関りのある国だ。当然、王家のことはそれなりに調べてある。
現在の国王に男児はおらず、五人の王女がいる。第一王女は次期女王として既に立太子しており、結婚もしている。第二王女は成人後すぐに国内の筆頭貴族に降嫁した。第三王女と第四王女もすでに成人しており、王族のまま婿を迎えて次期女王の施政を支える体制を整えているという噂だ。
レイリアははじめ、使節団に王女がいると聞いた時、第三王女か第四王女が来たのだと予想していた。だが、見目麗しい王子の登場に目を輝かせている女性には、少女と言っても差し支えないほどの幼さがある。
政治の場にそぐわないこの少女は、おそらく成人前の未婚の女性だろう。
(第五王女のマルガレーテ様ね)
使節団の目的は分からない。だが、何らかの外交交渉をするために来たことは間違いない。その目的にそぐわない若い王女の同行に、嫌な予感がしてレイリアの胸がチクリと痛んだ。




