第21話 あなたを愛している
枕元に運ばれてくる花が誰かからの贈り物だとレイリアが気づいたのは、休みに入って十日目のことだった。メイドたちが黙って置いていくので黙って受け入れていたのだが、その量が尋常でなかったので、屋敷の者が準備したものではないと気づいたのだ。
「このお花は誰からなの?」
急に質問されたメイドはビクリと肩を竦ませて身体を硬直させてしまった。さらに、口を引き結んで黙り込む。誰かに口止めされているのだろう。
「誰なのか分からなければお礼も言えないわ。あなたは、主人である私が無礼者になってもいいと言うの?」
できるだけ厳しく聞こえるように高圧的な声で言うと、再びメイドの肩がビクリと震えた。レイリアは内心で気の毒に思ったが、背に腹は代えられない。
「王子殿下からです。あの、これを……」
震える声で言いながらメイドがポケットから取り出したのは、小さなカードだった。『君に会いたい』と、見慣れた王子の筆跡で綴られている。
「旦那様から、カードは隠すように言われて……」
口止めをしていたのは、父だったようだ。王子からの花だとレイリアが知れば、演技の一環として突き返すことになる。それを避けたかったらしい。
(お父様のお気持ちは、なんとなく理解できる……)
国王からの強い要望で、自分の娘に無理難題を押し付けているという罪悪感があるのだろう。だから、せめてその役割から解放された後、つまり王子と結婚した後には幸せになってもらいたいと心から願っているのだ。だから、王子とレイリアの関係がこれ以上こじれないよう、間に入ろうとしてくれているらしい。
レイリアにとっては、余計なお節介だとしても、その気持ちを無下にする気にはなれなかった。
「……いいわ。何も知らないことにしてあげる。その代わり、カードは毎回私に渡して。隠し事は嫌いよ」
レイリアの命令に、メイドはコクコクと何度も頷いてから、急ぎ足で部屋から出て行った。
彼女は、レイリアの妊娠のことを知らない。ただ、流行り病で腹を壊して休んでいるだけだと思っている。
事実を知っているのは、医者と一人二役の件を知っている限られた人間だけだ。
本来であればすぐにでも王家に連絡して公表すべきことなのだが、父に頼んでなんとか秘密にしてもらっている。
妊娠の件が王家に知られれば、今まで通りルークとして仕事をすることができなくなるからだ。
次期国王となる王子の子を身ごもったということはつまり、さらにその次の国王の母になるということだ。当たり前だが、普通の妊婦とは違う。国を挙げて祝わなければならないし、その身の安全を確保しなければならない。すぐにでも王宮に居を移し、王宮の侍医の手厚い看護を受けることになるだろう。
つまり、一人二役をこなすことは絶対的に不可能になる。
レイリアは、それだけは嫌だった。せめて、ルークに任せられた仕事だけは最後まで責任をもって務めたかったし、なにより、生涯にただ一人の友である王子との別れをこんな形で迎えるのは納得がいかなかった。
父は、レイリアのこの頼みを受け入れてくれた。
つわりが治まったらルークとして仕事に復帰し、最後の務めを果たす。それが終わったら、必ずレイリア自ら妊娠のことを王子に話すと約束をしたのだ。
医者の話では数週間もすればつわりは治まるという。それまでの間に自宅で出来ることをこなしつつ、ルークの後始末を進めていた。
そんな中、王子からの花は毎日欠かさず送られてきた。
最初のうちは苛立ちも感じたのだが、十日もすると馬鹿らしくなってきた。
メイドが持ってきてくれるカードには、一言一句たがわず、毎回同じ言葉が綴られていたのだ。『君に会いたい』と。
馬鹿の一つ覚えとはまさにこのことで、それがいかにも彼らしくて、十枚目のカードを受け取った時には思わず苦笑いが漏れた。もちろん、メイドが見ていることに気づいてすぐに表情を引き締めたが。
よほど、何かレイリアに伝えたいことがあるらしい。
だが、レイリアとして王子と会うことは、もう二度とない。
(ルークの仕事が終わったら、このまま消えてしまおう)
彼女は、そう決めていた。
さらにそれから十日ほどが経つと、ようやくつわりが治まってきた。あの頃のことが嘘だったかのように食欲が戻り、普通に身体を動かせるまでに快復。いよいよ、ルークとして仕事を再開することになった。
まさか、それから数日もたたずに王子がやってくるなど、思いもしなかったのだ。
王子の訪問当日、ルークは体調不良ということで早めに仕事を切り上げて帰宅した。すぐにレイリアとして支度をして、王子を迎える準備を調える。
会わずに追い返すことも考えたが、『会えるまで毎日通う』と言っている相手にそんなことをしても無駄だ。ほんの少し顔を合わせて、改めて『二度と会いたくない』と冷たく言い放てば、王子もきっと諦めるだろう。
本当なら、こんな心にもないことを本人に直接言うことは避けたかった。だが、こうなってしまっては仕方がない。レイリアは、つわりが治まったはずなのにキリキリと痛む胃をおさえながら、玄関ホールで王子を待ち構えた。部屋に招き入れず、玄関先で顔だけ合わせて帰ってもらうつもりだったのだ。
玄関ホールには彼女を心配した公爵夫妻も駆けつけ、大勢の執事とメイドも集まっていた。
そこに、王子がやってきた。百輪はあろうかという、大きな赤い薔薇の花束を抱えて。
王子は公爵夫妻への挨拶も抜きに、颯爽とレイリアの前に進み出た。
そして、彼女の前に跪いてしまった。
その場に居合わせた全員が、花束を抱えて跪き、真剣なまなざしでレイリアを見つめる王子を見て、呆然と立ち尽くしている。
もちろんレイリアも、驚きのあまり声を上げることもできずにいた。
「人の口を介して伝わってしまったことを、心から謝罪したい」
やはり何の前置きもなく用件を切り出した王子に、使用人たちがゴクリと喉を鳴らす。
いったい何を言いたいのか分からず呆然とするレイリアに、王子が花束を差し出した。
そして。
針を落とす音さえ響きそうな静寂の中、王子がよく通る声で言った。
「あなたを愛している」
と。
それを聞いた瞬間のレイリアの頭の中は、思いのほか明瞭だった。いつものように、王子が足りない言葉で何を伝えようとしているのかを理解するために、素早く思考を巡らせる。
答えはすぐにわかった。
(ああ、なるほど)
彼は、例の『エドアルド王子がレイリア嬢への愛に目覚めたらしい』という噂のことを謝っているのだ。自分で打ち明ける前に、噂と言う形で伝わってしまったことについて、謝罪したいということだろう。
と、妙に冷静な頭で考えてから、レイリアは思いっきり頭を振った。
(何考えてるの! そんなはずないじゃない!)
あれは、ただの噂話だ。何かを勘違いした貴族たちが、好き勝手言っているだけの、ただのゴシップだ。
それがまるで真実であるかのように考えてしまった自分に呆れ、レイリアは唇をかみしめた。
(あり得ない……!)
だが。
再び王子の方を見ると、先ほどと変わらず真っすぐな瞳でレイリアを見つめていた。
愛している。その言葉が、まるで真実であるかのように。
彼女の頭の中は、大混乱に陥った。
王子が自分を愛しているはずなどない。それなのに、自分に向かってあなたを愛していると言っている。何がなんだが分からず、何をどうすればいいのか分からず、レイリアは立ち尽くすことしかできない。
「レイリア嬢」
王子に呼ばれて、ようやく意識が現実に戻る。彼は跪いたまま、緊張した面持ちで彼女の言葉を待っていた。
だが、レイリアが何も言えずにいるのを見て、ふと表情を緩めて立ち上がった。そして、花束をすぐそばに控えていたメイドに渡して踵を返す。
「今日はあなたに気持ちを伝えるために来ただけだ。花は部屋に飾ってもらえると嬉しい」
そう言って、王子は来た時と同じように颯爽と去って行った。
玄関の大扉が閉まると、そこには気まずい空気と、薔薇の香りだけが残されたのだった。




