第19話 変わらぬ、愛を
「ご機嫌いかがですかな、殿下」
やや嫌みを混ぜたような声音だったが、エドアルドは特に表情を変えることなく、淡々と頷いた。それを見てピクリと眉をひそめたのはラングレット侯爵の方だ。
「お付きの方がいらっしゃらないので、なにかご不便があるのではないかと思ったのですが、杞憂でしたか」
「不便は不便だが、どうにもならないことでもない」
「なるほど」
「そちらこそ、何か用があったのではないのか?」
エドアルドの問いかけに、ラングレット侯爵の口角が上がった。
「いや、本当に。何かお手伝いできることはないかと思っただけで」
その、じっとりとした湿気を帯びる眼差しに、思わず不快感が込み上げてくる。幼い頃から常に浴びせられてきたこの視線を、エドアルドは無視を決め込むことでいなしてきた。
といっても、本当の意味で受け流すことができるようになったのは、ルークと出会ってからのことだ。ルークと関わるようになってから、多くの人が自分に向ける視線がいかに空虚なものであるのかを実感した。自分にとって全く価値のないものだと分かったのだ。
今もそうだ。ラングレット侯爵の探るような視線、その中にわずかに混じる侮蔑、悪意。それらはエドアルドにとって、気にかける価値すらないものだ。
だが、今だけはそうも言っていられない。
(なぜ、このタイミングで話しかけてきたんだ?)
侯爵とはお世辞にも親しい間柄とは言えない。彼は貴族派の筆頭で、王家とは対立することの方が多く、社交界での付き合いも表面的な関わりに留まっている。現に、侯爵がエドアルドに話しかけたことに気づいた貴族や官僚たちが数人、緊張した面持ちで二人の方をチラチラと見ている。
普段ならルークが巧みな話術で相手の真意を探る場面だが、今はエドアルドがその代わりを務めなければならない。
(我々が火薬密売の件を調べていることはとっくに察しているだろうが……)
その件を探りに来たのかとも思ったが、それにしては表情に余裕がある。
(逆に煽りに来たのか?)
あり得る話だ。
火薬密売とは別に違法賭博についてはある程度の証言と証拠が集まっているので、今すぐ侯爵を逮捕することもできる。エドアルドはそれを理由に屋敷の捜索を行うなど強引な行動に出ることも考えたのだが、ルークはそれこそが侯爵の狙いかもしれないという推測を立てていた。
『恐らく、侯爵の屋敷を調べても何も出ない。むしろ、調べさせて無実を証明することが目的かもしれない』と、ルークが渋い表情で話していた。
一度無実が証明されれば、同じ罪で糾弾することは格段に難しくなる。つまり、侯爵は今よりも火薬密売がやりやすくなってしまう。違法賭博であれば罰金刑程度で済んでしまうので、それと引き換えに火薬密売の規模をさらに広げようとしているのかもしれない。
(私を挑発して違法賭博の件で逮捕させようとしているのか?)
だが、エドアルドはそんな策に乗るような短絡な人間ではない。
エドアルドも、じっと侯爵を見つめ返した。探っているのはお互い様だと、無言のうちに伝えるために。
「……まいりました」
この無言の応酬に、先に音を上げたのは侯爵の方だった。
「正直に言いましょう」
神妙に言ってから、侯爵はずいっとエドアルドとの距離を詰めた。そして、周囲には聞こえないような小さな声で、
「最近噂になっている、殿下とレイリア嬢のラブロマンスに興味がありまして」
などと言うものだから、エドアルドは思わず侯爵を睨み返した。それを見た公爵が、ニヤリと笑う。
「その反応を見るに、どうやら噂は本当のようですな」
これには何も答えなかった。これ以上問答する気はないと言外に伝えたはずだが、侯爵の方はまったく意に介さず、ニヤニヤと笑い続けている。
「それで? どんな花を贈ったのですか?」
「花?」
「まさか、病床の婚約者に花かごの一つも贈っていないのですか?」
この問いには答えようがなく、唇を引き結ぶ。
「……まさか、本当に?」
侯爵は、今度は呆れた表情を浮かべてからペチンと額を打った。
「それはいけません。まったく、なっていない」
「だが……」
花を贈ってもまともに受け取ってもらえたことは一度もない。
エドアルドは思わずそう言い返しそうになったが、なんとか堪えた。彼女の名誉のために、こんなことを公言することはできない。
その様子をどう受け取ったのか、侯爵がやれやれといった様子で首を横に振った。次いで、親しげにエドアルドの肩をぽんぽんと叩く。その表情には、同情心が見え隠れしている。
「女心と秋の空ということわざを知らんのですか、殿下は」
もちろん、エドアルドもその言葉の意味は知ってはいる。だが、今の会話の流れにどう関係しているというのか。
「女の心は移ろいやすい。若ければなおさらです。昨日は赤い花が好きだと言ったのに、今日は黄色い花がいいと言ったりもする。つまりですね……。一度、贈り物を断られたぐらいで、へこたれては男ではありません。男ならば、どっしりと構えて伝え続けるのですよ。変わらぬ、愛を」
妙に含蓄のある言葉に、エドアルドは気づけば深く頷いていた。それを見て、侯爵も神妙な表情で頷き返す。
「すぐに花を手配なさいませ。バラはいけません、香りが強いですから。カモミールなどの気持ちの落ち着く花を贈るのですよ。それから、愛していると、素直な気持ちをカードに書くことです」
そう言って、公爵は懐から取り出したカードに素早く何かを書き留めた。
「我が家が懇意にしている花屋です。扱っている花の種類が多いので、役に立つでしょう」
そのカードを半ば無理やりエドアルドに握らせると、侯爵は軽く頭を下げて去って行った。取り残されたエドアルドはしばし呆然としてしまったが、なんとか気を取り直して執務室に向かって颯爽と歩き始めた。
(遺憾だ)
文字通り、敵に塩を送られてしまった。だが、彼の言うことはいちいちごもっともだった。
(伝え続ける。……変わらぬ、愛を)
それは、今の自分にとって、最も必要なことのように思えた。
エドアルドは改めて侯爵に渡されたカードを見たが、ぐしゃりと握りつぶしてポケットに突っ込んだ。彼の言っていることが正しいとしても、全てを言う通りにするのは癪だったからだ。
その時になってエドアルドはハッとした。
(しまった)
結局、ラングレット侯爵が何を狙ってエドアルドに声をかけたのか、それを聞き出すことができなかったのだ。
思わずため息が漏れた。
(ルークがいなければ、この程度の人間だな、私は)
自嘲ではない。事実だ。
とはいえ、そんなことばかりも言っていられない。エドアルドは足早に執務室に戻り、一人仕事を再開したのだった。
その日の夕方、エドアルドは王妃に頼んで彼女の温室に入らせてもらった。
王妃は無類の花好きで、様々な種類の草花を栽培していることを思い出したのだ。
レイリアの見舞いに花を贈りたいと話すと、王妃は張り切って一緒になって花を選んでくれた。
最終的にエドアルドが選んだのは、優しい香りの白い花──ジャスミンだった。
侍女に頼んで花かごにしてもらい、そこに直筆のカードを添える。
『愛している』と書くのは何かが違う気がして、『君に会いたい』と、ただそれだけを綴った小さなカードだ。
その花かごを託された侍従が強張った面持ちで公爵邸に向かうのを、エドアルドも緊張して見送った。突っ返されることを覚悟していたのだが……。
花もカードも、送り返されることはなかった。
翌日からも、エドアルドは毎日王妃の温室から花を選んだ。
返事はない。それでもいいと、エドアルドは花とカードを贈り続けたのだった。
ルークが仕事に復帰したのは、それから約一か月後のことだった。




