第1話 公爵家の双子
ルーク・カーディナルは、今日も忙しなく王宮の廊下を闊歩している。
王子の側近として多忙を極めており、今も王子に命じられた資料を大急ぎで運んでいる最中なのだ。
そんな彼とすれ違った令嬢たちがぽっと頬を染め立ち止まっている姿に、内心でため息が漏れる。
彼の歳は十八。背丈は男性の平均より低く、体つきは華奢でお世辞にも男らしいとは言い難い容姿だ。だが、ゆるく結わえただけの長い黒髪をなびかせて歩く姿はどこか憂いを帯びていて、不思議と人を惹きつける。
女性だけではない。騎士や官僚たちも、横目で彼を盗み見ている。
立ち止まる女性たちをルークが一瞥した。
スッと細められた瞼の間で、エメラルドの瞳がキラリと輝く。次いで、桃色の唇が美しい弧を描いた。
途端、女性たちから黄色い悲鳴が上がる。男性たちの頬にも朱が差した。
ルークの中性的で神秘的な美しさに、その場にいた誰もが魅了されているのだ。
だが、ルークはすぐに彼らに背を向けて、再び颯爽と歩き始めた。
彼にとってこれは必要な演出ではあるが、それほど長い時間かかずらっているわけにはいかないからだ。
ところが。
「レイリア嬢が、またやらかしたらしいぞ」
しばらく進んだ先で聞こえてきたその声に、ルークはピタリと足を止めた。
「また?」
話しているのは、年若い官僚たちだ。
休憩中なのだろう、小さな空き室の中で葉巻をくゆらせながら雑談を楽しんでいる。部屋の扉がわずかに開いたままになっていたため、中の話し声が漏れ聞こえてきたらしい。
「昨夜は確か、エドアルド殿下と共にシュタイナー伯爵家の夜会に出席されたはずだが」
「そう、その夜会で」
「また何をやらかしたんだ?」
官僚たちが噂を持ち込んだ一人の方に顔を寄せた。他に人がいないとはいえ、公爵令嬢の悪評について大きな声で話すのは憚られたのだろう。
扉のすぐ外でルークが聞き耳を立てていることには、誰も気づいていないらしい。
「きっかけは演奏中の楽団が、ヴァイオリンの弦を切って演奏を止めてしまったことだ」
夜会や舞踏会ではよくあることだ。王族が開くような大きな舞踏会では弦楽器だけでも二十人以上で演奏することもあるが、貴族が自宅のホールで開く夜会ではそれほど大仰な楽団は呼ばない。弦楽三重奏のような少人数の編成であれば、主旋律を担当するヴァイオリンの弦が切れたら、一度演奏を止めて仕切り直すしかない。
「それでレイリア嬢が不機嫌になったんだ」
責めても仕方ないことに腹を立てるとは、と言いたげに官僚たちが呆れた表情を浮かべる。
「逆に殿下は寛大で、黙って演奏の再開を待っていらしたのだが、それがまたレイリア嬢の癪に障ったらしく……」
官僚たちは、今度は頭を抱えてしまった。なんでだよ、そう思ったのだろう。
「レイリア嬢は『あなたには女心が分からないのね』と言い捨てて、帰ってしまったそうだ」
公爵令嬢が、あろうことか婚約者である王子を罵った挙句、その王子を放置して主催者に挨拶もせずに夜会を途中退席するとは。貴族の規範となるべき高位貴族の淑女としてあるまじき態度だ。
だが。
「そんなことか」
一人がぽつりとつぶやいた。それを聞いて、他の官僚たちも軽く頷く。
こんなことは、日常茶飯事だからだ。
「あのレイリア嬢だしな」
「今度こそ殿下に蹴りでも入れたのかと思ったが」
「その程度なら」
「まあ、いつも通りだなぁ」
と、官僚たちは呆れ半分面白半分といった様子で笑い声を上げた。
「いつになったら破談になるのかねぇ」
一人の官僚がぼやいた。
「王家とカーディナル公爵家との婚約だぞ? そんな簡単に破談になんかなるものか」
「だが、今のままではエドアルド殿下の評判にも影響があるぞ」
「確かに。……ここだけの話、『悪女レイリア』という呼び名が、国内外で囁かれているらしい」
「国内ならまだしも、国外でも?」
「ああ。特にノルヴァンディア王国の社交界では噂の的らしい」
「ノルヴァンディアとは、貿易協定の交渉中だろう?」
「エドアルド殿下も苦労が絶えないな……」
官僚たちの間に沈黙が落ちた。
次いで、息を合わせたかのように、揃ってため息が漏れる。
「……ルーク殿も、大変だろうな」
彼らが思い浮かべたのは、今まさにこの部屋のすぐ外で盗み聞きをしている彼のことだ。
「ああ。血のつながった姉がこれでは」
「いずれ公爵家を継いで、そのうえ王家の外戚になれるとはいえ、あの方が姉では」
「有能な方だ、なんとかするだろうが……」
「なあ」
彼らも貴族の子弟、ルークの苦労が理解できるのだろう。再び深いため息を吐いた。
それと同時に、一人の葉巻からぽとりと灰の塊が落ちる。
「おっと」
「そろそろ戻らないと」
彼らが口々に言う頃には、ルークも再び廊下を歩き始めていた。
(……昨夜の演技は悪くなかったみたいね)
内心でほっと息を吐きながら。
昨夜も、なんとか秘密を守ることができたようだ。
『ルーク』と『レイリア』はカーディナル公爵家の双子の兄妹として知られている。
ただし、実態は違う。
そもそも、カーディナル家に男子はいない。
そう。
『ルーク』とは、『レイリア』が男装した姿に与えられた偽名なのだ。
昼間は男装をして王子の側近として働き、夜は本来の姿で王子の婚約者として社交界に顔を出す。
この十数年、レイリアは一人二役を演じ続けている。
なぜこんなことをしているのか。それを説明するためには、十三年ほど時を遡らなければならない。
* * *
五歳の誕生日を迎えたばかりのある日、レイリアは男の子の服を着せられて王宮に連れ出された。
『王子殿下には遊び相手が必要なのだ』
行きの馬車の中、腕を組んだ父が難しい表情で言うのをレイリアは黙って聞いていた。幼いながらに、何か事情があるのだと理解していたからだ。
『どうして私なのですか?』
王子と同年代の貴族の男子は、この国に大勢いる。王家の親族にも、なんならレイリアの従兄も一つしか歳は違わない。
『男の子ではダメだったのだ』
『ダメ?』
『エドアルド殿下は、なんというか、優しすぎるところがあってな。男の子相手では、相性が悪いのだ』
『お友達がいないのですか?』
レイリアのはっきりとした物言いに、父はさらに眉間の皺を深くした。
『まあ、そういうことだ』
『女の子がお友達ではダメだったのですか?』
これも、当然の疑問だ。
男の子がダメなら、普通に女の子と友達になればいいと、レイリアはそう思った。
『エドアルド殿下はいずれ国王となるお方だ。臣下となるべき男子と幼少の頃から信頼関係を築けなければ、国を治めるのは難しい』
これにもレイリアは首を傾げた。
『私は女ですから、殿下の臣下にはなれません』
『分かっている。……必要なのは、きっかけなのだ』
『きっかけ?』
『そうだ。一人でも友達ができれば、他の男の子と関わることができる、そういう、自信のようなものが身に着くのではないかと……』
今度は、なるほどとうなずいた。確かに、きっかけさえあれば交友関係を広げることもできるかもしれない。
『国王陛下の思い付きだ。まあ、失敗すればそれまでのことだ』
『成功したら?』
『しばらくは殿下の友達として過ごしてもらうことになる』
では、女の子の自分はどうなるのだろう。再び首を傾げたレイリアに、父は小さく肩を竦めた。
『なあに、心配するな。時を見て、ルークは遠くへ行ってしまった、とでも言えはそれで終いだ。レイリアは元の女の子に戻ればいい』
それほど長い間のことではないよと、父はそう言ってほほ笑んだ。
──結論から言うと、この見通しは全くの見当外れだった。




