第17話 ご懐妊でございます
「……婚約解消はしない」
その硬い表情を見れば、本心から言っていることは明らかだ。
なぜそこまで頑なになるのか。レイリアにはそれが分からない。
「エディなら他にもお似合いの人がいるよ。だいたい、姉さんなんかエディには相応しくない」
これもまた、彼女の本心だ。王子にはレイリアではない、もっと相応しい相手がいるはずと、彼女はそう信じている。
──ガタンッ!
大きな音を立てて王子の椅子が倒れた。彼が勢いよく立ち上がったので、その拍子に倒れたらしい。
レイリアがその音に驚いている間に、王子がつかつかと彼女に歩み寄った。
その足音に、怒りが滲んでいる。
「彼女を侮辱するな」
王子がレイリアに怒りを向けるのは、初めてのことだった。その剣幕に思わず後ずさりしそうになるが、レイリアの方もここで引くわけにはいかなかった。自分を睨みつける王子の視線から逃れるように顔を俯けた。
「事実じゃないか。愛想はないし、大して賢くもない。服の趣味だって派手で下品で……」
言えたのは、そこまでだった。王子がルークの胸倉をつかんだからだ。
「やめろ」
「何を怒ってるんだよ。君だって……」
同じことを思ってるだろう。そう言いかけたが、今度も言えなかった。
くらりと視界が回って、立っていられなくなったのだ。
「ルーク!?」
幸いなことに王子に胸倉をつかまれたままだったので倒れることはなかったが、そのまま王子の腕を支えにずるずると床に座り込んでしまった。
次いでこみあげてきたのは、猛烈な嘔吐感だった。
「ごめん、なんか……、吐きそう」
ぐらぐらと揺れる視界のなか、胸元から何かがこみあげてきて、同時に全身から冷や汗が噴き出した。我慢できずに、その場に嘔吐する。といっても、朝から何も食べていなかったので水分を吐き出しただけだったが。それでも、嘔吐感は治まらず、嗚咽を繰り返す。
「ごめん、ごめん……」
王子は謝罪を繰り返すレイリアの背を撫ぜながら、大きな声で人を呼んだ。
「誰か!」
この階には大臣や官僚の執務室もあるため、廊下には常に人が通っている。
「どうされましたか」
王子の見込み通り、すぐに部屋の扉が開いて官僚が二人、駆け込んできた。王子の一大事だと思ったのだろう。だが、すぐに青い顔で床にうずくまるルークを見つけて緊張が走った。
「水と手拭いを。あと、ヴィンスを探してきてくれ」
官僚たちはすぐに動いた。一人は部屋を出てヴィンスを探しに走り、もう一人は侍従を探しに外へ出た。
その間に王子がレイリアを抱き上げ、ソファに寝かせる。
「ごめん、ありがとう……」
「上着を脱がせるぞ」
(まずい)
このまま王子の手で服を脱がされれば、胸をつぶすために巻いているさらしを見られてしまう。そうなれば、ルークが男装であることを知られてしまって、これまでの全ての努力が水の泡になってしまう。
「大丈夫」
レイリアは上着の襟に触れる王子の手をぎゅっと握りしめた。
「だが」
「少し休めばよくなるよ」
言ってはみたが、眩暈は一向に治まりそうにない。気を失ってしまいそうだが、なんとか堪えなければと、レイリアは全神経を集中させた。ここで気絶などしようものなら、それこそ眠っている間に秘密を知られかねない。
「いや、まずは服を緩めなければ」
「大丈夫だってば」
レイリアは懸命に抵抗したが、当然、王子には力で叶わない。結局、王子がクラバットを緩めるのを許してしまった。
上着は着たままだったが、シャツの胸元が開いて空気が送り込まれてくる。そのおかげで少しばかり気分が楽になった。危機的な状況だが、思わずほっと息が漏れる。
その様子を見ていた王子が、今度こそ上着を脱がせようとその襟に手をかけた。
だが、すぐにその手を止めてしまった。
レイリアはハッとして、すぐに胸元を隠すように手で覆い、ソファにうずくまった。
(見られた!?)
もうどうしたらよいのか分からず、レイリアはそのまま動けなくなってしまった。王子も何か言えばいいものを、無言のままレイリアの背をじっと見つめるだけで。
二人きりの部屋の中に気まずい沈黙が流れる。
ややあって、先に口を開いたのは王子だった。
「ルーク、お前……」
言いかけた言葉は、バンッと荒々しく開かれた扉の音によって遮られた。
「ルーク!」
入って来たのは、やはりヴィンスだった。
「何があった」
ソファに駆け寄ったヴィンスがレイリアの肩に触れた。
その温もりに安心して、彼女の瞳からポロリと涙が零れ落ちる。
「急に、吐き気がして」
「変なものを食べたか?」
「わからない」
小さな声で答えるレイリアに、ヴィンスはため息を吐いた。同時に、彼女の服の胸元が乱れていることに気づいたようで、自分の上着を脱いでルークの身体を覆うように着せかけた。
「とにかく、屋敷に帰ろう」
「うん」
レイリアが返事をするのとほぼ同時に、ヴィンスはひょいと彼女を抱き上げた。
「殿下、申し訳ありませんが、連れて帰ります」
「ああ」
王子は短く返事をしてから、レイリアの顔を覗き込んだ。そのいつも通りの表情に、またレイリアの瞳から涙があふれる。体調が悪いせいなのか、先ほどの王子との喧嘩のせいなのか、レイリアの情緒はぐちゃぐちゃだ。
だが、そんな彼女の様子を見ても王子は顔色一つ変えなかった。
いつも通りの淡々とした表情のまま、ポケットから出したハンカチでレイリアの涙をぬぐって、そのまま彼女の顔を隠すように顔にあてる。
「心配するな。すぐに良くなる」
彼の優しさが心に沁みて、また涙があふれそうになる。だが、そんな顔を見せたくなくて、レイリアは王子のハンカチごとヴィンスの胸元に顔を埋めてしまった。
「頼むぞ」
「はい」
ヴィンスは返事をするや否や、すぐに速足で歩き始めた。しばらく進んで王子に声が届かなくなるほど執務室から離れると、レイリアはヴィンスの胸に顔を埋めたまま唸り声を上げた。
「見られたかも」
「胸か」
「さらしを」
「それならまだ誤魔化しようがある。そんなに思いつめるな」
「でも」
「今はとにかく、早く医者に診せないと」
「……うん」
屋敷に帰ってからも、レイリアは嘔吐を繰り返した。胃の中身は空っぽだというのに、それでも嘔吐感は治まらず、胃がひっくり返ってしまうのではないかと本気で心配したほどだった。
しばらくすると、医者が屋敷にやってきた。
もちろんルークの姿で診察を受けることはできないので、しんどい身体に鞭打って服を着替えなければならず、その間にもレイリアは嘔吐を繰り返した。
診察はレイリアの部屋で行われた。彼女の様子を聞いた両親も駆けつけ、部屋の外で診察が終わるのを待っている。
医者はベッドにぐったりと横になるレイリアの胸を聴診し、腹を触診し、いくつかの問診をした。いつから症状があるのか、月のものが最後にきたのはいつだったのか、などだ。簡単な質問ばかりだったが、レイリアは口を開けば吐き気を催すような状態だったので、必死の思いで答えなければならなかった。
その後、医者は部屋の外で待っていた公爵夫妻を呼んだ。その神妙な表情に、何か悪い病気なのかとレイリアが不安に思っていると、突然、医者の表情が明るくなった。
「おめでとうございます」
病気の診察中にはふさわしくないセリフに、レイリアも両親も思わず怪訝な表情を浮かべた。
だが、レイリアにはその意味がすぐに分かってしまった。
どっと心臓が跳ね上がる。
(まさか)
そんなことがあり得るのだろうか。たった一晩、共に過ごしただけなのに。
心臓が早鐘を打つ。
どうか、どうか。違うと言ってくれ。そんなレイリアの願いは虚しく、満面の笑みを浮かべた医者が告げた。
「ご懐妊でございます!」
第3章へ続く……
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