第16話 心にもない言葉
「エドアルド王子がレイリア嬢への愛に目覚めたらしい」
いつかと同じように個室で葉巻をくゆらせながら噂話に興じる若者たちの会話に、レイリアは物陰から聞き耳を立てた。
「今さら、そんなことがあるのか?」
一人の青年が呆れた声で言った。レイリアもまったく同意見だ。
「だが、王子が首都中のブティックでドレスを買いあさっているという話を聞いただろう?」
「しかも、レイリア嬢の好きそうな赤や黒のドレスばかり」
「今までは王子が贈ったドレスは一度も身に着けたことがないという話じゃなかったか?」
「だから王子の方も義務的な最低限の贈り物しかしないのだと聞いたぞ?」
「どういう心境の変化だ?」
「それが……」
最初にこの話題を出した青年が、頬を紅潮させながら身を乗り出した。他の青年たちも、その様子に息をのむ。
「分からないんだ」
全員ががっくりと脱力した。
「なんだそれ」
「だが、心境の変化があったことは間違いない。ここのところ、頻繁に社交の場に出ていらっしゃるし」
「ああ、確かに」
「これまではお誘いしても断られることの方が多かったが……」
「近ごろは、派閥を問わず、あちこちの家からのお誘いを受けているらしい」
「しかも、レイリア嬢は殿下から贈られたドレスを着て、な」
盲点だったとレイリアは内心で舌を打った。人の口に戸を立てることはできない。ブティックや商人から、王子がレイリアにどんなドレスを贈ったのか噂が広がり、そのドレスとレイリアが着用していたドレスが一致すると特定されてしまったのだ。
彼らの言う通り、これまでの二人の関係を考えればあり得ないことなので、その変化に貴族たちは余計な憶測で話を広げているのだろう。
「では、レイリア嬢の方にも心境の変化が?」
「案外、殿下のアピールに根負けしたのかもしれないぞ」
「あの殿下がレイリア嬢を口説く姿というのは、想像しにくいが」
想像なんかするんじゃないと、レイリアは今にも叫び出しそうだったが、すんでのところでなんとか耐えた。
「まあ、お二人の関係が良くなるなら、その方がいいんじゃないか?」
「未来の国王と王妃だからな。仲が良いに越したことはない」
「それに、お二人のおかげでセラド織が大流行だ」
「セラド織だけじゃない。あちこちの花屋で赤いバラが飛ぶように売れているし、宝石店から黒真珠は姿を消したらしい」
「この一か月で、レイリア嬢は流行の最先端になったというわけか」
「プレゼントを選ばれた王子殿下もさすがだが、レイリア嬢の着こなしが素晴らしいのだと、うちの妹も目を輝かせていた」
「そちらもか。うちも姉が真似をしたいと言っていて。うちの執事たちが、あの鳳凰のネックレスをつくった職人を探し回っているところだ」
「ははは。女性の熱量はすごいな」
と、青年たちは笑い声を立てた。その後、輸入たばこの話題に話が移ると、レイリアは音もたてずにその場を離れた。
いつも通り澄ました表情で王子の執務室へ戻る廊下を小走りで進みながらも、頭の中は焦りでいっぱいだった。
(この数年の苦労が、水の泡になってしまう!)
『悪女レイリア』は、彼女の一人二役を隠すための隠れ蓑だ。
王子だけでなく多くの人に嫌われていたからこそ、これまで余計なことを詮索されずに済んでいたのに。彼女に対して、あろうことか憧れをいただく人が出てきたとなると、これまでのように正体を隠すことは難しくなる。
(調査のためとはいえ、やり過ぎたんだわ……!)
王子の仕事を手伝うために必要なことをしたまでだが、それが完全に裏目に出てしまった。
(なんとかしなきゃ。……時期を早めるしかない?)
レイリアとルークは、来年の春までに消える。その時期を早めて早々にレイリアが王子のもとから去れば、一人二役の真実を隠し通すことができるだろう。
けれど、その覚悟はまだできていない。
レイリアの歩調が遅くなり、とうとうぴたりと足を止めてしまった。すれ違う官僚や侍従たちがちらちらと視線を向けて来るが、それには気づかないふりをして窓の外を見た。
庭園に植えられている広葉樹が色づき始めている。移ろう時の気配に、レイリアの胸が締め付けられるように痛んだ。
(いいえ、ダメよ)
痛む胸を抱えた書類で押さえつけながら、レイリアは再び歩き始めた。
(火薬密売の件がまだ解決していない。ルークとしての仕事は、きちんと片を付けなければ)
それが王子の側近を務めている自分の最低限の義務だ。
(その代わり、レイリアはもう二度と彼と会えなくなるかもしれない)
それでも構わないとレイリアは覚悟が決める頃、王子の執務室の扉の前に到着した。
(……エドアルド王子がレイリア嬢への愛に目覚めたらしい)
とんでもない噂話を思い出して、またレイリアの胸が痛んだ。
そんなことは絶対にあり得ないのに。
レイリアは沈む気持ちを振り切るようにペチンと自分の頬を叩いてから、書類を抱え直した。
「戻りました」
ノックもせずに入室すると、王子がパッと顔を上げた。だが、すぐに手元に視線を戻す。
これまでだったらルークの方を一瞥することすらしなかったのに。
(もしかして、例の噂が耳に入っているのかしら?)
十分あり得る話だ。
基本的にルークと王子の間でレイリアの話はしない。ルークが気まずい思いをするということで、王子の方が遠慮してくれているのだ。だが、ルークはレイリアと瓜二つ。全く気にしないというのは無理がある。
それでも何も言わずにいてくれるのだから本当に友情に厚い男だとレイリアは内心で感動しつつも、これからその友情に傷をつけるかもしれないと思うとまた胸が痛んだ。
今朝からずっとそうだ。鳩尾のあたりがきゅうっと痛んで、昼食はまともに喉を通らなかった。件の噂のこともそうだが、やはり疲れがたまっているのかもしれない。
「エディ、ちょっといいかな?」
レイリアの問いかけに、王子はすぐに顔を上げた。愛称で呼んだので仕事の話ではないとすぐに分かっただろうが、どうやら聞いてくれらしい。
「姉さんのことなんだけど」
レイリアが切り出すと、王子の眉がピクリと揺れた。
「例の噂が姉さんの耳にも入ったらしい」
「……私が彼女への愛に目覚めた、という、あれか」
やはり聞いていたらしい。王子は気まずそうな表情を浮かべて目を逸らしてしまった。
「そう。それで……、もう二度とエディの顔を見たくないって」
ごくり。喉を鳴らしたのは王子だった。
「僕に直接言ってくるくらいだから、よっぽど嫌だったみたいだね」
心にもないことを言葉にする度、レイリアの喉がからからに乾いていく。だが、辞めるわけにはいかない。
「……」
王子は何も答えなかった。いつもなら『そうか』と言って納得して、さっさと仕事に戻るはずなのに。今日に限って、いつまでたっても目を逸らしたまま黙り込んでいる。
それがまた、レイリアの不安を煽った。頭の中が、どんどんぐちゃぐちゃになって、何をどうすれいいのか分からなくなる。
レイリアは王子に嫌われていなければならない。その焦燥感だけが、彼女を駆り立てていく。
「ちょうどよかったじゃないか。これを機に婚約を解消したら?」
できるだけ冗談っぽく聞こえるように言うと、王子にじろりと睨みつけられた。
「何を」
「だって、エディだって別に姉さんのことが好きで婚約したわけじゃないだろ? カーディナル公爵家にとっても、別にこの結婚が必須ってわけじゃない」
カーディナル公爵家は既に多くの領地と財産を持っている。政略結婚で家を発展させる必要はなく、それなりの家格であれば結婚相手は誰でもいいのだ。実際、レイリアのもとには王子と婚約を結ぶ前から多くの縁談が持ちあがったが、父は彼女の意向を尊重すべきと言って全てを断っていたのだ。
だから、こんな事情がなければ父は王子との婚約を無理にすすめたりはしなかったはずだ。
「……婚約解消はしない」
ぽつり、王子がこぼした。




