第15話 王子が愛に目覚めたらしい
「違法賭博の件は、わざと情報が拡散されているのではありませんか?」
今夜も二人は連れ添って夜会に出席している。もちろん、レイリアが着ているドレスは王子から贈られたものだ。金と黒の糸を織り込んだセラド織のドレスで、オリエンタルな文様の刺繍が施されている。
そのドレスが、二人のステップに合わせてひらりと舞う。二人で寄り添ってダンスをする時間は、内緒の話をするのにうってつけだ。
といっても、相変わらずレイリアは王子と身体が触れてしまわないように細心の注意を払いながらぎこちなく踊っているのだが。
「その可能性はおおいにある。違法賭博、小麦の密輸入、東方への硝石の横流し……。これらの偽情報を巧みに操って、火薬の密売を隠しているのだろう。それぞれについて情報を得ることができても、それらを繋ぐ決定的な証拠が見つけられず、情報に踊らされているのが現状といったところだな」
相変わらず仕事のこととなると饒舌になる王子に呆れながら、レイリアは彼のリードに合わせてくるりと回って見せた。その拍子に王子のつま先を踏んでしまったが、王子は気にした様子を見せることなくダンスを続ける。
「まったく、こんなに長引くとは思っていませんでした」
季節は既に秋。あの仮面舞踏会の夜から、一カ月半ほどが過ぎようとしている。
「すまない」
珍しく王子が素直に謝った。レイリアを疲弊させている自覚があるのだろう。
レイリアはこの一カ月半、社交界に頻繁に出席する為にルークとレイリアを頻繁に行き来する必要があった。さらに、情報交換が不自然にならないように、エーベンハルト伯爵夫人ともそれなりの頻度で顔を合わせる必要があった。もちろん、ルークとしての仕事も山積みで、とてつもなく忙しい毎日を送っていたのだ。
今夜の彼女は決して顔色がいいとは言い難く、化粧を濃くすることで深く刻まれたクマだけはなんとか隠すことができているが、全身から漂う疲労感だけは誤魔化しようがなかった。
(早く帰って休みたいけど、この夜会にはラングレット侯爵の従兄が来ているというし……)
などと考えながらレイリアがぼんやりと踊っていると、王子がピタリと足を止めてしまった。
「殿下?」
レイリアが訝しげに首を傾げるのにも構わず、王子は無言のまま彼女の手を引いてバルコニーの外に出てしまった。休憩用のソファにレイリアを座らせ、近くにいた執事に一言二言なにかを命じてから、自分も彼女の隣に座ってしまう。
「……」
相変わらず何も言わない王子に、レイリアは不安に駆られていた。
(呆れたのかしら?)
仕事で来たというのに疲れた表情でぼんやりしていたから。
チラリと王子の顔を盗み見ても、やはり何を考えているのか分からない。
もしも相手がルークなら。疲れていることを気遣って休憩させてくれたのだと考えるところだが、王子がレイリア相手にそんなことをするとは彼女には思えなかった。
レイリアはその不安を悟られないよう、いつも通りそっぽを向いて不機嫌な表情を作ることしかできない。
そこに、先ほどの執事がもう一人の執事を連れて戻って来た。彼の手にはブランケット、もう一人は湯気の立つポットとティーカップの載った盆を持って。
執事からブランケットを受け取った王子は無言でそれをレイリアの膝にかけ、もう一人の執事は脇に置いてあったテーブルを二人の側に寄せて、そこにティーセットを並べて去っていった。
「……」
再び沈黙が落ちる中、王子がカップに茶を注ぐ。
「一体、なんですの?」
レイリアが不機嫌そうに言っても、王子は全く動じなかった。無言のままティーカップを差し出されれば、レイリアもそれを受け取るしかない。
ふと顔を上げると、庭園には色とりどりのダリアが咲き乱れていた。屋敷から漏れる明りを浴びて、ぼんやりと色が浮かび上がるような光景に思わずため息が漏れる。
「……これを飲んだら、今夜は帰ろう」
「なぜです?」
今夜はまだ何もしていない。せっかく来たのにという気持ちを込めて、レイリアは王子をじろりと睨みつけた。
王子は何か言おうとして、だが結局何も言わず、ふいと視線を逸らしてしまった。その先には、美しいダリア園。
しばらくの間、二人は無言のままで温かい茶を飲みながらダリアを眺めて過ごした。
その後も、やはり王子が何かを話すことはなく。結局、何の収穫もないまま馬車に乗り込むことになった。馬車の中でももちろん王子は無言で、レイリアは不安に思いながらも不機嫌な演技を続けるしかなかったのだった。
屋敷に到着すると、ヴィンスが待っていた。どうやら先に戻っていたらしい。
「くれぐれも頼む」
王子はヴィンスにそれだけ言って、返事も聞かずにさっさと帰って行った。
「……さっきの、何の話?」
疲れた体を引きずって自室に向かって長い廊下を歩きながらレイリアが尋ねると、ヴィンスは何とも言えない微妙な表情で肩を竦めた。
「うーん。なんというか。……うーん」
どうやら彼も戸惑っているらしい。
「俺から話すこともでないというか」
「どういうこと?」
「まあ、流れに身を任せておけばいいんじゃないか?」
いったい何を言いたいのかさっぱり分からず、レイリアは唇をへの字に曲げた。その様子に、ヴィンスが苦笑いを浮かべる。
「お前にとって、悪いことではないと思う」
やはり何が言いたいのか分からず、レイリアはため息を吐いた。
自室に戻ると、メイドたちが待っていた。
「お湯の準備ができております」
レイリアの部屋には、浴室が備え付けられている。猫足のついた大きな浴槽が置かれていて、疲れた時には温かい湯につかってゆったりする。といっても、沸かした湯を運んでもらう必要があるため、浴槽に湯を溜めるのは週に一度の贅沢だ。その浴槽がたっぷりの湯で満たされ、優しいハーブの香りまで漂ってきている。
「頼んでいないけど?」
レイリアの一言に、メイドがビクリと肩を竦ませた。だが、すぐに気を取り直して、にこりと微笑む。
「疲れて帰っていらっしゃるので、湯の準備をするように、と」
「誰がそんなことを?」
チラリ。メイドがヴィンスの方を見た。
どうやらヴィンスがそう命じたらしいが、彼がそんな気の利いたことをしたことは今まで一度もなかった。
「殿下の命令だ。帰ったら十分身体を休められるように段取りをしろ、と」
「え?」
思わず声を漏らすと、ヴィンスがまた肩を竦めた。
「俺に聞いても殿下の真意など分からないからな。俺は、ただ言われた通りにしただけだ」
それだけ言って、ヴィンスは早々に退散していった。
その後、メイドたちが珍しく『手伝わせてくれ』と粘るので、仕方なく彼女らの手を借りてドレスを脱ぎ、ゆったりと湯につかった。ハーブの香りに包まれてうとうとしている間に、髪も身体もすっかりきれいに洗ってもらった。
いつもは自分でするのだが、人に手伝ってもらうのはとてつもなく楽だった。
(たまには悪くないかも……)
これまでは一人二役を隠すために、メイドを遠ざけるようにしてきた。レイリアの部屋でルークの服に着替えることもあるので、それを見られるわけにはいかないからだ。けれど、こうして人の手の温もりを感じながらゆったりと過ごすのも悪くない。
そんなことを思いながら、レイリアはベッドに横になって柔らかいタオルで髪を乾かしてもらう間に、眠りについてしまったのだった。
その翌日、ルークとして王宮に出勤したレイリアの耳に、とんでもない噂が聞こえてきた。
曰く、
「エドアルド王子がレイリア嬢への愛に目覚めたらしい」
と。




