第11話 運命の人
エドアルドは王宮に戻ると、まずは私室に入った。公爵家の別邸で湯を借りて身支度を整えてはきたが、服は借りものだからだ。昨夜着ていた自分の服は朝には既に回収されて洗濯室に運ばれていて、執事が準備してくれた清潔な服を借りて帰ってきた。
適当に着ただけの服を脱ぎ、執務用の服に着替える。王宮の縫製室が仕立てた服は、彼の注文通りに身体を動かしやすく、しわになりにくい作りになっている。昼間の執務中に身だしなみに気を取られるのが嫌で仕立ててもらったものだ。
着替えが終わるころ、侍従が温かい茶を準備してくれた。
「少しお休みになってから出勤してくださいと、ルーク様からのご伝言でございます」
どうやら彼は昨夜の出来事を知っているらしい。ヴィンスかレイリアが伝えたのだろう。そもそも、王子であるエドアルドが初めての朝帰りをしたというのに誰も気にも留めていないところを見ると、昨夜のうちには王宮に知らせがあったのだろう。
エドアルドはソファに深く腰を落ち着かせて、深いため息を吐いた。二日酔いのように痛むこめかみを押さえながら温かい茶を飲むと、ようやく人心地がつく。
その様子を見て安心したのか、侍従は静かに一礼して退室していった。
一人になると、再びため息が漏れた。
昨夜の彼女の顔が、脳裏に焼き付いて消えないのだ。
ヴィンスの言った通り、彼女をベッドに押し倒したところまでは覚えている。だが、その後の記憶がさっぱり抜け落ちている。
気が付くと時間は昼前で、エドアルドは一人ベッドで眠りこけていたのだ。
彼女は何もなかったと言っていた。たしかにそうなのだろう。
だが、彼の肩には今も彼女のつけたひっかき傷が残っている。
この傷について尋ねると、ヴィンスは苦笑いを浮かべて『必死で抵抗したのでしょう』と言っていた。悪いことをしたと申し訳ない気持ちになると同時に、本当にそうだろうかと疑問がわいてくる。
なぜなら、彼の覚えている昨夜の彼女は、いつもと様子が違ったから。
(私のことを、心から心配していたように思う……)
エドアルドはレイリアに嫌われている。それは周知の事実であり、エドアルドも認めているところだ。
だというのに、昨夜のレイリアは薬のせいで苦しむ自分を献身的に看病してくれていた。はっきりとは覚えていないが、彼女が熱を出したエドアルドの身体をさすってくれたような気がする。
(……病人を前にすれば、当たり前のことか)
彼女は確かに悪女と呼ばれ、人から敬遠されてはいるが、決して常識のない人ではない。婚約者であるエドアルドが妙な薬を盛られたとなれば、心配するのも当然なのかもしれない。
だが、果たしてそれだけなのか。
そう考えてから、エドアルドは三度ため息を漏らした。今度は、深く、深く、肺の中の空気がすべてなくなるまで。
そして、
(自分の都合のいいように考えるのはやめろ)
自分に言い聞かせた。
(私は彼女に嫌われている。それは動かぬ事実だ)
何度も何度も心の中で繰り返す。
そう。この想いは、一方通行でしかないのだから。
今度は大きく息を吸ってから、エドアルドはソファの背もたれに身を預けて天井を仰ぎ見た。まっ白の天井を見れば気持ちが落ち着くと思ったから。
だが、上手くいかなかった。
白い天井を見ているとレイリアの無垢な肌が思い出されて、まったくの逆効果だ。
そんな自分に呆れながら、エドアルドは両手で視界を遮った。
* * *
エドアルドがレイリアに想いを寄せるようになったのは、いつ頃のことだろうか。彼の記憶は曖昧で、いつの間にか、という表現がしっくりくる。
彼女と出会ったのは、十三歳の時だ。
急に父から婚約すると言われて驚き、相手がルークの双子の姉だと聞いてさらに驚いた。しかも、彼女はルークとそっくり、瓜二つだったのだ。
初めての顔合わせの時、レイリアは一言も話さなかった。終始不機嫌な表情を浮かべてそっぽを向き、エドアルドの顔を見ることすらしなかった。
どうやらこの婚約を彼女は望んでいないらしいと分かって、エドアルドはすぐに父に婚約は辞めるべきだと申し出た。そもそも彼女はルークとは姉弟でありながら仲が悪いと聞いていたし、そのルークの友であるエドアルドと婚約するとあっては嫌がって当然だろうと思ったのだ。
ところが、いつもなら自分の意向を尊重してくれる父がこの件だけは決して譲らなかった。
『彼女こそが、そなたの運命の人だ』
と、王族らしからぬことを言って。
そうして、あれよあれよという間に、当人たちの気持ちを置き去りにして二人の婚約が正式に成立してしまった。
本当なら神殿で婚約式を執り行うところだが、レイリアが嫌がっているという理由で中止になった。多くの貴族たちが彼女のわがままに呆れ、王宮に勤める者たちも伝統をないがしろにされたと顔をしかめた。
正直に言えば、エドアルドも呆れていた。
貴族の娘として生まれたのだから、自分の気持ちではなく義務を優先すべきだと、そう思ったのだ。
(彼女とは適度に距離を置いて付き合おう)
それがお互いのためだと、なかば諦めにも似た気持ちだった。
ルークとも、レイリアの話はほとんどしなかった。彼女の話題が出ると、ルークの表情があからさまに曇るのだ。どうやらレイリアの方がルークのことを一方的に嫌っているらしいといのは聞いていたが、それが腹立たしくもあった。
そんな気持ちが変わり始めたのは、十六歳を過ぎて彼女と一緒に社交界に出るようになってからだった。
この国では男性は十六歳で成人を迎え、王族や貴族は社交界に出なければならない。その男性に婚約者がいれば、相手の女性も同時に社交界デビューするのが慣例だ。
王子とその婚約者の社交界デビューとして、王宮で大規模な舞踏会が開かれることになった。
最初、レイリアはこの舞踏会に出席するのを嫌がった。だが、エドアルドの父である国王と彼女の父である公爵の二人に説得されて、渋々出席を了承したのだった。
当日、エドアルドが彼女を公爵家の屋敷まで迎えにいった。婚約者といっても、一国の王子が臣下である公爵家の令嬢のためにそこまでする必要があるのかと思ったが、父に命じられたので仕方なく、だった。
玄関ホールで待つこと数十分。星の模様に敷き詰められた大理石の床や百合と乙女の天井画を眺めるのにも飽きてきた頃、彼女が来た。
大理石のらせん階段の上、カツンカツンと硬い音を立てながらやってきた彼女は、真っ赤なドレスに身を包んでいた。
彼女が動くたびに艶やかな絹地が揺らめいて、縁を彩る金の刺繍が瞬くように光る。スカートは流行りの鐘型ではなく、ほっそりとした彼女の身体の線にぴったりと寄り添っていて、むき出しになった胸元と肩とも相まって艶めかしい雰囲気を醸し出していた。
そして、きっちりと結い上げられた髪には、一輪の赤いバラ。
とても十六歳の少女が着るようなドレスではない。周囲で見守っていた執事の中には、彼女の艶めかしさに目を逸らす者までいる。
だが、エドアルドの反応は全くの逆だった。
(きれいだ)
彼女から、目が離せなくなっていたのだ。
階段を下まで降りたレイリアは、不機嫌そうに踵を鳴らしてエドアルドを睨みつけた。
『最低の気分ですわ』
この言葉に、彼女を見送る為に玄関に着ていた公爵夫妻がぎょっと目を剥いた。
『こら、レイリア』
公爵が叱りつけるが、レイリアはそっぽを向いたまま、その場から動かなくなってしまった。
その時になって、エドアルドははっとした。自分の態度が彼女を怒らせてしまったのだと。
本当なら、彼女が階段を降り始めてすぐに迎えに行くべきだったのだ。踵の高い靴を履いているのだから、一人で階段を下りるのは大変だ。そんな彼女の手を引くのが今日のエドアルドの役目だというのに、美しい彼女に見惚れてぼーっと突っ立っていたのだ。
彼女が不機嫌になるのは当然だった。
エドアルドがさっと右手を上げると、公爵は頷いて一歩下がった。
彼女の前に出て胸に手を当て、軽く腰を折る。
(何か言わなければ)
このままでは、舞踏会には行かないと言い出しかねない。
だが、ふと思った。
(……無理に連れ出す必要があるのか?)
そうだ。そもそも彼女は婚約にすら納得していないのだ。だというのに、嫌っている相手と踊るためにわざわざ衆人環視のもとに出向くなど、彼女にとっては苦痛でしかないだろう。
こうして支度をして玄関まで出て来てくれた、それだけで十分に思えた。
『……』
結局、エドアルドは何も口に出さなかった。代わりに、彼女に右手を差し出す。
もしも、ほんの少しでも一緒に舞踏会に行ってくれる気があるなら、この手をとってくれるだろうと思って。
玄関ホールに、気まずい沈黙が落ちた。




