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嵐の予兆

 その山は、神が宿るとされる神聖な場所だった。だが、いつからか、その神聖さは不気味な獣じみた気配に塗り替えられていた。


 北海道のとある地方、風間ヶ岳。標高千五百メートルほどの、それほど険しくもない山だ。初夏の緑が深まるにつれ、多くの登山客がその頂を目指した。だが、今年の夏は違った。連日のように行方不明者の届け出が役場に舞い込み、やがて山中で、その無残な姿が発見される。


 遺体はまるで巨大な獣に食い散らかされたかのように損壊しており、誰の目にも、それはヒグマの仕業だと映った。役場は即座に山への立ち入りを禁止し、警察と猟友会にヒグマの捜索を依頼する。


 しかし、この事態は、ただの人食いグマの暴走では終わらなかった。


「……五人全員、ですか」


 役場の担当者、若山は震える声で報告を聞いていた。警察と猟友会の精鋭、五名が捜索に出たまま消息を絶ち、数日後、やはり山中で遺体となって発見されたという。遺体は前回にも増して損傷が激しく、もはやヒグマの仕業と断定するには、あまりに異常な状態だった。彼らの装備品は無傷で散乱しており、まるで何か別の、圧倒的な暴力に蹂躙されたかのような跡だけが残されていた。


「これ以上、犠牲者を出すわけにはいかない……」

 若山は決意を固め、ある男の名前を思い浮かべる。


──五十嵐一郎。


 この地域では伝説的な存在の猟師だ。クマ撃ちの名手として知られ、経験と勘は人並み外れている。引退した身ではあったが、この状況を打開できるのは彼しかいないと、若山は藁にもすがる思いで一郎の元へと向かった。


 一郎は自宅の縁側で、年季の入った煙管をふかしていた。木々の緑が目に眩しいが、その瞳はどこか遠い山を見つめている。若山の訪問に、一郎は軽く目礼するだけで、多くを語らない。


「五十嵐さん、例の件で……」

 若山は切り出しにくそうに、事件の経緯を語った。


 一郎は煙を吐き出しながら、静かに若山の話に耳を傾ける。若山の言葉が途切れると、一郎は煙管を灰皿に置いた。


「わしには無理だ」

 一郎の低い声が、若山の言葉を遮った。


「ヒグマなら話は別だが、どうも気配が違う。あの山は、もうただの山じゃねぇ」

 一郎の言葉に、若山は絶望を感じる。


「ですが、五十嵐さん以外に頼める人がいないんです! このままだと、また……」

 若山の必死な懇願に、一郎は目を閉じる。彼の心には、長年培ってきた猟師の直感が鋭く響いていた。これは、ヒグマではない。この山には、獣とは違う、もっと根源的な恐怖が潜んでいる。


 しかし、若山の瞳に宿る必死な光を見て、一郎はため息をついた。


「……仕方ねぇな。だが、報酬は弾んでもらうぜ」

 そう言って、一郎は立ち上がった。若山の顔に安堵の表情が広がる。だが、一郎の心は重く沈んでいた。


「勘が、なまるな……」

 一郎はそう呟き、山へと向かう準備を始めた。その背中は、どこか寂しげに見えた。

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