ゲートキーパーとドラクロア
「もしかして、俺、余計なことしたか?」
ソファーに座ったドラクロアが気まずそうにゲートキーパーに言った。
「え?」
「いや、俺が睡眠薬を作るなんて言わなければ、大村は冥界に行くのをやめたかもしれないなと思って。」
机に向かい、資料の整理をしていたゲートキーパーは、大村ユウジのこれまでの行動を思い出して答えた。
「んー…あの人の性格だと、それでも行くと思いますよ。」
「そうだよなあ。まあでも心配は心配だよなあ…。」
ドラクロアはため息を吐いた。
「そうですよねえ…。でも今は待つしかないですよ。コーヒーでも淹れて気分転換しましょう。」
ゲートキーパーは立ち上がりキッチンへと足を向けた。キッチンのドアを開けるとそこには異様な光景が広がっていた。目が眩むような色、色、色の洪水が、液体のようにドロドロに溶け混ざり合い、部屋は部屋の概念を失い、ただの色彩の空間となっていた。
「なんだこれ?!」
「どうした?うわっ!」
ゲートキーパーの声を聞いでキッチンに来たドラクロアも驚いて声を上げた。
「何が起こってるんだ?」
そう言うとゲートキーパーは手をキッチンの方へ伸ばした。その瞬間、ゲートキーパーの頭の中には地響きのような振動と共にとてつもない轟音が響き渡った。耳を塞ごうと遮れない声の洪水。それは、冥界で大村ユウジが体験していることと同じだった。
「うわっ!」
「おいっ!あんたそれ!?」
ドラクロアがそう叫んでキッチンに入り込んだゲートキーパーの手を指差した。しかし、ドラクロアの声は、音の濁流に飲み込まれているゲートキーパーに届いていない。
「わかんねえけどやべえだろ!これ!」
ドラクロアはゲートキーパーを抱き抱えキッチンから引き離した。その時初めてゲートキーパーは自分手がキッチンに渦巻く空間の色彩と同化していることを知った。
「うわっ!うわあっ!」
ドラクロアが驚いているゲートキーパーの体をさらに引き、キッチンから離れると色彩はヌルヌルとゲートキーパーの手から抜け出た。
ドラクロアは慌ててキッチンのドアを閉めた。
「冥界とのゲートが閉まってなかったんだ…。」
ゲートキーパーが呆然と呟く。
冥界とのゲートが閉まらずに冥界とキッチンが一体化してしまっていたのだった。
キッチンのドアは閉めたものの、冥界とのゲートが開いたままなので色彩はドアの隙間からジリジリと侵食して来る。ドラクロアとゲートキーパーは出来る限りキッチンから離れたところまで逃げていたが、もしキッチンのドアが冥界に取り込まれてしまったら次はこの部屋の番だ。キッチンのドアは全て飲み込まれそうになっていて、それも時間の問題だと二人が思った時、スイッチが切れたかのように色彩も声も消え、全て元通りになった。
「今のが冥界なのか?」
ドラクロアがゲートキーパーに聞いた。
「多分。」
ゲートキーパーの声は精彩を欠いていた。
「多分って何だよ?あんたの雇い主だろ?」
「大村さんは自分の世界線の感覚で考えるからああ言ってますけど、正確にはそういうのではありません。俺はゲートキーパーの役割のために生み出されたものです。気がついたら、今の姿で、ゲートキーパーだと認知して存在している。だから冥界から役割を与えられていることは知っていても冥界がどんなところかはわからない。」
「そんなのただの…。」
道具のようだとドラクロアは思った。だからオーラが見えないのかとドラクロアは思った。つまり、ゲートキーパーは生き物かどうかすら怪しい存在だ。大村ユウジはそんな存在に入れ込んで無茶してるのか…。
「くそ…。」
ドラクロアは小さく毒づいた。大村ユウジにはああ言われたが、彼の行動の端々には、やはりユリシアとの共通点が見え隠れしていて、心が揺らされる。
「私は、多分幸せにはなりませんわ。」
毒を買いに来たユリシアは言った。ドラクロアはユリシアからそんな言葉を聞くのは辛かった。
ユリシアに関しては、多くの噂がある。そのうちの九割は悪い噂だった。
だが、ドラクロアは知っていた。
ドラクロアとユリシアの関係は十二年前に遡る。その頃、まだ若輩だったドラクロアは自らの力は他の人にはない力なのだから、人の役に立てよう、善を成そうとしていた。しかし気持ちや過去を言い当てられた人達は恐れたり、不気味に感じたりしていた。そんなことを繰り返して来て、すっかり心を閉ざしていた時にまだ小さなユリシアと出会った。
「ねえ、あなた。ローズこうしゃくのおうちをしらない?」
「このまままっすぐあっちに行けば町があるから、そこから先は町の人に聞いてみな。」
「ありがとう。やさしいひとね。」
ユリシアは弾けるような笑顔で言った。些細なことだったが、恐れられ気味悪がられているドラクロアには一筋の光となった。
それ以来、ユリシアは父に連れられて東の町に来た時は必ずドラクロアの元に立ち寄り、ドラクロアと取り留めのないおしゃべりを楽しんでいた。
しかし、六年が過ぎた頃、ユリシアの口数は減り、曇りがちな顔をしていることが多くなった。
「お父様、デリカシーはないし、言葉遣いも荒いし、仕方ないのかもしれないけれど、色々悪いことを言われているのよ。」
「あー…まあ、それは俺の耳にも入ってくるよ。」
ドラクロアの耳に入って来ているのはそれだけじゃなかった。今、目の前で悪い噂を立てられている父を気遣っている少女の話も入って来ている。こんな小さな子に残酷な話だと、寧ろドラクロアはユリシアの方が心配だった。
それから二年後、ユリシアはドラクロアの所へは来なくなった。16歳を迎えたアクセル王子の婚約者選びが具体性を帯びて来た頃だった。
次にユリシアがドラクロアを訪ねて来たのは毒薬を購入した時だった。
「私は、多分幸せにはなりませんわ。」
ユリシアの言葉にドラクロアの胸がギュッと締め付けられた。
「それでもやるつもりなのか?」
「長年、父に付き纏っている悪評を払拭するためにはこの婚約者選びはチャンスです。でも、エレーヌと王子の気持ちを考えると…。だから、賭けに出るしかないと思っていますの。成功したら私達家族は同情されますわ。私は失恋を苦に自殺未遂したと言えばいい、そうすればエレーヌと王子は結ばれるでしょう。失敗したら…私が死ぬだけで、シナリオは変わらない。どちらにしてもみんな幸せになれますわ。」
「あんたが幸せじゃない。」
「ありがとう。優しい人ね。でも何とかできるならしてあげたい。」
ドラクロアは、誰かのために時に大胆に命すら捨てる覚悟がある、そんなユリシアに惹かれたのだ。ユリシアの根幹たるそれは大村ユウジも持っている。だから大村ユウジにも惹かれてしまう。例え、大村ユウジがこの道具のような男に特別な感情を抱いていても。
「大村さんの声がした…。」
ゲートキーパーが呟いた。
「は?」
「声だけじゃなくて…手の中にも…あの色の空間にも…大村さんが…。」
ゲートキーパーは色彩に取り込まれた手を見つめていた。
「おい!あんたっ…!」
ゲートキーパーはその場に倒れた。




