最終話:思い出せない私に、あなたは今日も優しい
朝が来た。森が、目覚める。
私は机に向かい、また物語を書き始めた。
猫たちが窓辺で日向ぼっこをしている。レオは外で薪を割っている音がする。
平凡で、静かで、満ち足りた時間。
私は思う。
この物語に、誰かの名前を入れたくなる日が来るかもしれない。
そのとき私は、もう少し素直に、自分の気持ちを見つめられている気がする。
“私はまだ、私が誰だったかを思い出していない。
けれど今、ここにあるこの時間を、私は大切に思っている。
そう思える今の私が、きっと私なんだ――”
ペン先から、そんな言葉がするりとこぼれた。
◇ ◇ ◇
レオは、何も語らなかった。
王女だった過去も。戦火の夜も。最後に交わした口づけも。
彼女の瞳が今、穏やかであるならそれでいい。
過去を知らずとも、彼女が笑うこの森の時間が、彼には何より尊かった。
そして今日も彼は、彼女の隣で火を起こし、食事をつくり、何も求めず、ただそばにいる。
彼女が思い出す日は来ないかもしれない。
けれどそれでも、レオは何度でも彼女に恋をするのだ。
この“今”に咲く、静かで温かな恋に。
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