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目の前の光景にレオスはビシリと固まった。
この宴の誰よりも美しく輝いてみえるアンシィは、艶やかな漆黒の生地に無数に散らばる大小様々なエメラルドの宝石が瞬く慎ましくも大人な色香を纏ったドレスに身を包んでいる。
透き通るようなブロンドの髪は品よく結い上げられており、ほっそりした首元と顕になった耳に輝くネックレスとイヤリングもまた豪奢なエメラルドが燦然とした輝きを放っている。
その姿は呼吸を忘れるほどに美しい。美しいが問題はそこじゃない。その色合いは隣で寄り添うようにしてアンシィをエスコートする長身の貴公子と同じ色合いなのだ。
「・・・っどういうつもりだ!!サイフォス公爵令息!!!」
レオスは我慢ならず激昂し、アンシィ達の前に躍り出た。
漆黒の髪と、深いエメラルドグリーンの瞳。騎士のように鍛え上げられた肉体を持つ精悍な顔立ちのその男は、王妃エカテリニの歳の離れた弟であり、新たに公爵家当主となったゼノン・サイフォスである。
突然現れたレオス王子に、周囲からはどよめきの声が上がる。アンシィもまた驚きに目を見開いていた。
しかし、すでに承知していたとでも言うように、名指しされた当のゼノンは冷めた眼差しで慇懃に応じた。
「これはこれはレオス殿下・・・令息は要りませんよ。しかし、おかしいですね。今宵の我が公爵家主催の夜会に、恐れ多くもレオス殿下をお招きした覚えはないのですが」
「ふん!白々しいことを・・・目先の手柄に目が眩んだ愚か者め。プネウーア侯爵は欺けるかも知れないが、この私を出し抜こうなど思い上がりも甚だしい。我が王家の正式な聖女披露の儀を待たずして、このような夜会に聖女を招くとは何事か!私の愛する聖女を政争の道具になどさせぬため、助け出しに参った」
真っ直ぐにゼノンを睨みつけて口上を述べたレオスは、さながら物語の勇者のように人の目には映ったことだろう。各所で息を呑む音が静まり返ったホールに響き渡り、誰もがレオスに畏怖の念すら抱いているのを肌に感じるようだ。
「何をおっしゃるかと思えば・・・どうやら殿下は実にさまざまな思い違いをしていらっしゃるようだ」
「貴様まだ言うか!」
不敬にも、わざとらしく溜め息を吐いてのたまうゼノンの態度に激昂するが、ふとレオスの双眸が未だ驚きが拭えていないアンシィを捉え、その表情は痛ましげに変わった。
「真実の愛に目覚めたというのに、アンシィ・・・そのような色合いのドレスを着せられてかわいそうに」
「・・・え?あ、あの?」
「大丈夫だ。言わずとも私はわかっている。さあ、こんなところから早く出よう!そのようなドレスは脱ぎ捨てて、私がもっとアンシィに似合う色合いのドレスを贈ってあげるから・・・・・・ああでも。何も纏わない君もわたしとふたりきりのときならば大歓迎だけどね?」
少しでもアンシィの気持ちが晴れるように、最後は少しおどけてウインクを付け加えた。
たちまち方々から悲鳴の声があがったが、あいにくレオスにアンシィ以外の令嬢を誘惑する思惑はない。
つくづく自分は女性にとって罪作りな存在なのだと嫌気がさす思いでいると、
「我が妻を辱める発言はやめていただこう」
ゼノンの静かな怒りを滲ませた声が響いた。先ほどまでの何処かレオスを小馬鹿にした態度から一変して眼光に鋭さが増していた。不覚にもレオスは一瞬怖気付いた様に肩を震わせたが、はたと先ほどの発言を思い返してカッとなった。
「つま・・・妻だと!?貴様、このようなドレスを無理やり纏わせているだけでなく、アンシィを妻呼ばわりするなど!!妄想も大概にせよ!!!」
「事実を述べたまでですよ」
「そんな馬鹿な話があるわけないだろうっ」
叫びながらレオスは周囲を見渡した。いい加減ゼノンに聴衆の反応というものを解らせてやりたくなったのだ。
レオスと同じくゼノンの常軌を逸脱した非常識さに驚き、さぞ非難の目が向けられていることだろうとの算段だったが、
(な、何なのだ・・・?)
誰もがみな一様に落ち着き払っている様子。一人としてゼノンの発言に顰蹙を買った者はいない。それどころか、何故か非難の目というならレオスの方に向けられているような?
(公爵派閥の人間どもがここまで腐った者達だったとは・・・!)
レオスは怒りに打ち震えた。
事実から目を背け、自分の見たいものしか見ようとしない人間。ありのままの事実を受け入れられず、曲解して自分の都合のいい様にしか捉えられない、哀れで愚かな人間。
(そうだ・・・こいつらこそが、私が背負った宿命の過酷さも、苦悩も知らず、下衆で下劣な中傷や妨害を繰り返していたのだろう)
聖女を見つけ出すためレオスが何人かの女性と交際を繰り返していたことを、一部の貴族は『貴族の模範となるべき王家の一員としてあるまじき行い』と強く非難し、王家に抗議する家も過去にはあったと聞く。
酷い時には、レオスが声をかけた令嬢の親たちがレオスとの交際を断じて認めないなどという罰当たりな事もあった。自分達の娘が聖女の可能性を秘めているかもしれないというのに、だ。
しかし国王は『レオスの行為は我が国に聖女を出現させるために不可欠な行いであり、何人たりともこの崇高な苦行を防いではならない』と高らかに宣言した。何より長年生活に困窮している平民達のレオスを支持する声は国政を左右するほど大きかった。
(それなのに、こんな時まで嘘をつくゼノンではなく私を非難してみせるなど・・・っ)
「っもう良い!貴様らの腐った性根は十分理解した。同じ空気を吸うのも不愉快だ・・・アンシィ!こんなところはさっさと出ていこう」
救いを施すようにアンシィに向けて手を差し伸べるレオスにしかし、アンシィは微動だにしない。
「どうした?アンシィ!」
「妻の名をみだりに呼び捨てるのはやめていただきたい」
「黙れ!言葉の通じぬ貴様と話すつもりはない!」
「ゼノン・・・いえ、旦那様」
その時、レオスの言葉を遮るように涼やかな声が発せられた。それまで沈黙していたアンシィが、レオスから庇うように前に出ていたゼノンの腕にそっと手を添え呼びかけたのだ。
「ア、ンシィ・・・?」
呆然と、レオスはアンシィを見つめる。
幼き頃、いつも控えめに慎ましく微笑みを湛えていたアンシィが、静かなしかし強い眼差しでレオスを見つめ返した。
「私はゼノン様と結婚して公爵家に嫁いだ身でございます。どうか以後は、サイフォス公爵夫人、とお呼びくださいませ」
「な、何だと・・・」
レオスは目の前が真っ暗になった気がした。