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【処女作】本能のままでー結婚するということー

作者: キキ虫

 雨は人間関係を新たにする。だから嫌いじゃなかった。一人でさえ窮屈に感じる傘の下に二人で入ると溢れて濡れる肩に心地よさすら感じていた。そうして女を小さなアパートに誘って、今度は二人で濡れるのも良かった。あの傘よりもゆとりのあるベッドの上で、もっと窮屈になるのは幸せだった。

 だから雨は 嫌いじゃなかった。今はもう自分を部屋に閉じ込めるものとしか思えない。

「ねえ晴人ちょっと。この写真見てよ」

 ソファの隣に深く座る小春が、むりやりヤスリで削った様な怪しい撫で声で言ってきた。リラックスしているかのように見えるが、これが女の臨戦体制である。厭な予感で、もう不機嫌が声になってしまいそうだが「なに?」となるべく興味を持っているかのような声で言ってみせた。

 彼女からスマホを受け取ると、画面にはウエディングドレス姿の花嫁とタキシードに着られてる男の姿があった。男の微笑みを見ると、少し苦しくなった。つまり、厭な予感は的中したというわけである。

「いいよね、こういうの」

 含みを感じさせる、ささくれ立った声である。今日が晴れだったなら外にデートでも行って、避けることが出来ただろうに。小春と結婚をしたい気持ちはあるのだが、急かされるとなるとどうも気持ちが舞い上がらない。突然背中を押されれば踏みとどまりたくなるものなのだ。

「うん」色々と思うところはあったが返事もしないというのは間が悪くて、穏便に事が済むことを祈りながら小さく言って、「友達?」と言葉を付け足した。

「えっ、これ千里だよ? 分かんなかったの?」

「あー、高校の頃一緒だった」

「そうそう。前の同窓会にも来てたじゃん」

「前って言っても、俺達が付き合いだしてから行ってないんだから三年前じゃん」

「確かに」小春が不機嫌そうに笑った。

 このまま煙に巻こうとしたのだが、どうやらそれは叶わないらしい。正直に言ってしまえば俺にとってこの写真が千里だろうが誰であろうがどうでも良かったように、小春にとってもそうだったのかもしれない。

「ねえ」低い声で小春は言った。

 差し詰めあの写真は威嚇射撃に過ぎなかったのだ。彼女がソファの金具を鳴らしながら前のめりになっていくのが、リボルバーが回転する音に聞こえた。

「ちゃんと考えてるの?」

 結婚のことと言葉にしないことに意地の悪さが感じられた。

「考えてるよ」

「いつするの?」

「いつって、それはタイミングがきたらだよ」溜め息が溢れた。

「タイミングってなによ」

「それはーー」

「私との結婚、ちゃんと考えてるの?」結婚と言葉にして、彼女はソファから立ち上がった。

 幸せを象徴する言葉であるはずなのに、こうも胸を締め付けるこれはなんなのだろうか。ああ、どうも結婚とは夢のような憧れの場所ではなく痛いほど現実を見せつけるものなのだ。

「ねえ、答えてよ」

 貧しい現実が、したいという理想を答えさせないでいた。稼ぎのことだとか、そういう己の未熟さを考えさせられて厭になる。そうして、そういう弱みを言葉にさせようとしてくる自己防衛が小春への攻撃性を生み出してしまっていた。

「うるさいな」自分でも驚くほどの低い声だった。

 たじろぐ小春を見て悲しくなりながらも、俺は自分を守れずにはいられなかった。

「ちょっと一人にさせてくれ」相変わらずの低い声で俺はそう言って、小春の声を無視しながら傘を一つとって家から出た。


「それで、部屋着のままってこと?」

 ビールを片手に荒山が居酒屋の喧騒に似合った高笑いをした。苦笑するしかなかった。

「いきなりお前から空いてる? とか言ってくるの久しぶりだからびっくりしたわ」焼き鳥に手を伸ばす彼に軽く頭を下げながら、愚痴に付き合わせて悪いと謝った。

「いやいや、いーのいーの。でも、あのハルハルコンビが結婚までするとはなー」

 晴人と小春でハルハルコンビ。こいつしか言わない愛称だ。

「高校の時から相性がいい二人だとは思ってたけど。いや、しかしお前がこはるちゃんと二人で同窓会から抜け出したときは興奮したぜ」

 分かりやすく顔を赤くして酔っ払った彼は人差し指をピンと俺の方に向けながら「とっとと結婚しちまえば良いんだよ」と言った。熱が籠ってきたのか、居酒屋らしいくたびれたスーツの袖をくしゃくしゃにめくって彼は「結婚したいって言ってくれる人がいるうちに結婚した方が良いんだよ」と言葉を続けた。店で最初見せていた休日出勤の退屈さを語る社会人らしい彼はいつの間にかいなくなっていて、ただの友人である荒山が目の前に座っていた。

「そんな簡単に言うけどさ」

「相手がいれば結婚するのなんか簡単じゃねえか。紙切れ一枚に名前をちょろって書いて、役所に出せばそれで終わりなんだから」

「婚姻届はそうかもしれないけど、結婚生活はそう簡単にいかないだろ」

「結婚してから言ってほしいもんだ」

「彼女を作ってから言ってほしいもんだ」言ってやって、荒山は「おおん」と威勢をあげてわざとらしく机を叩いた。

 小学校からの仲になるが、生憎と彼に相手が居るのを見たのは一度しかない。

「俺の話はどうでも良いんだよ。大事なのはお前だよ。結婚しようっていう気持ちはあるんだろ?」

「気持ちがあるなら良いじゃねえか」

「でも、気持ちだけで出来るもんじゃないだろ」ジョッキに伸ばした手を強く握りしめて俺は言った。

「それは離婚の方だ。結婚はお互いに好きってだけで出来るんだよ。でも離婚は金やらなんやらの理由でそうはいかねえ。あのな、好きってことはずっと一緒にいたいってことだ、なら簡単に離れられないように契約を結んじまえばいいのさ」

「そう言ったって」少し拍子抜けて、握りしめていた拳が開いた。

「それが出来ないなら好きじゃないってことだ。別れるべきだよ」

 別れたくはない。でも、結婚にも踏み出せない。その二つをどう説明しようかと俺は沈黙した。

「背中押されたら足出せば良いんだよ、変に踏みとどまろうとするから苦しいんだ」

 ジョッキから目を離して、見上げて彼を見ると想像以上に真剣な面持ちでギョッとした。そんな俺を気遣ってか荒山は「男同士の会話なんだから、うんうん分かるよ、なんて甘い言葉はかけてやらねえぞ」と言ってから「可愛い女の子相手なら全肯定だけどな」と冗談っぽく言った。場の張り詰めた筋肉を緩ませようとしてくれたのかもしれない。

「まあな、でもお前の気持ちが分からないわけでもないんだよ。要はお前は彼女の前で強がり過ぎなんだよ。一緒に住んでんなら男も素っぴんを見せなきゃいけねんだよ」そう言って、彼はまた焼き鳥に手を伸ばした。

 その傍ら、素っぴんを見せろという言葉にやけに腑に落ちている自分がいた。俺はもっと弱みを見せるべきだったのだと思う。

「でも、最近は離婚する夫婦も多いよな」何気なく、俺は思ったことを言った。「離婚のハードルはお前の言う通りそりゃ高いけど、最近は低いような気もする。上司からバツイチだって聞いても、そんなに驚かなくなったし」

「そうなってくると結婚の魅力がなくなってくるな」荒山は寂し気に言った。「別に相手を束縛するための結婚だなんて風に思ってないけどさ。やっぱり結婚は人生で一度きりであるべきだと思うんだよ、じゃないと途端につまらなくなる。まあこれは結婚を考えているお前に言う話じゃないんだけどな。本能だけで人を愛せるのは一度きりなんだよ」

 俺は彼の言葉をもっと引き出そうと黙った。普段は聞けない荒山の恋愛観を欲していたのだ。

「この前、暇だったからさ家で映画を見たんだよ。昔、俺が子供の頃に見てめちゃくちゃ感動した映画をさ。たまたまそれの解説動画が流れてきてもう一度見ようと思ったんだ。やっぱり面白くて感動しちゃったよ」興奮を思わせる言葉ながら落ち着いた声だった。何かを懐かしむ様な哀愁か、あるいは飢えでもう時期死ぬらしい犬の様な弱々しい声で彼は「でも」と続けた。

「ーーでも、違うんだよ。子供の頃の輝いた感動ではもうなかったんだよ。心の底から、本能からのそれじゃなかった。言葉による再解釈、理性での感動だった。それはそれで良いと思うが、あの頃の全能感と無能感が同時に内在する感動はもう味わえないのかと思うと、寂しいと思ってしまうんだ。ーー結婚して愛の言葉を囁くのなら自分自身で言葉を考えなくちゃいけないよ、本能での愛を忘れてしまうから」

 それから程なくして注文していたものを食べ終えた。

「二軒目行くか?」荒山が言った。

「いいや、もう帰るよ」俺がそう言うと、荒山が満足そうに笑った。

「ただいまを言う相手がいると言うのは良いですねえ」

「お前も早く彼女作れよ」

「おおん」彼は言いながら拳を強く握りしめて見せつけてきた。

「冗談だよ」

 そうして先生になってしまいそうだった彼を友達の座を引きずり落としてから、傘を開いて背中を見せた。


「ただいま」

 そう言って玄関に入ると、しおらしい足音をぺたぺたと鳴らして小春がやってきた。

「おかえり、どこ行ってたの?」怒りと不安がないまぜになった、なんとも言えない声だった。

「結婚の話なんだけどさ」俺は小春の言葉に何も返さずにそう言った。「来週、空いてる?」

「えっ?」小春は怒りも不安も吹き飛んだ素っ頓狂な声を出した。本当に驚いたといった感じだ。

「今言うのもあれだし、ほら準備したいものもあるから一週間待ってほしい。サプライズするから」

「言っちゃってるからサプライズにはもうなんないけど。なに、酔ってるでしょ」

「酔ってるけど、酒にじゃない」俺はそう言いながら、小春の頬に温もりを求めた。

「もう酔ってるじゃん」

「一週間後空いてるよね? 俺は本気」

「うん」すると、頬を撫でていた親指にじんわりとする温もりが溢れてきた。それがなんなのかは分からなかった。靴を脱いで部屋に上がると、さっきまで歩けていたのが不思議なくらいでふらついて、すぐにソファに倒れ込んだ。どうやら俺は酔っているらしい。寝転んでから頭が少し冷静になり、急に恥ずかしくなってクッションで顔を隠したくなった。でも、勘違いされてはいけないと、本気なんだと伝えるためにもう一度小春の方に向き直った。

「なによ? ちょっとくさいんだけど」

「一週間後ーー」

「もう分かったから。ほら、早く着替えて寝よ」

「うん」

 そうして、俺たちは同じベッドに眠った。アラームをかけ忘れたと思ってスマホを手に取り、ついでに一週間後の天気予報を見ると失敗したと思った。いや、しかし片膝を濡らしながらプロポーズするのも悪くないだろう。雨は、やっぱり嫌いじゃない。  

 ここまで読んでくださりありがとうございます。感想などいただけると励みになります。処女作なので完結させることが大切だと短編になりましたが、長編も書こうと思っています。長い付き合いになれたら、それほど嬉しいことはないです。今後ともよろしくお願いします。

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