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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

最強の少年聖騎士、転生者を狩る【外伝】アルドラの乱 

 聖ルバウス王国第二都市ベネトナシュ、聖教会本部。

 中でも聖女や枢機卿をはじめとした教会上層部、または特別な許可を得た者のみが入る事を許可される中枢区画。

 その中に特別な牢があるということを知るものは少ない。

 何重にも重ねた物理的防壁と心理的防壁を経た暗闇の(はら)に、二人分の足音が響く。

 重ねられすぎて外界の音も光も遮った闇く冷たい廊下の先に件の牢があった。

 分厚い鉄板をそのまま利用した、およそ人間を閉じ込めるには過剰といった風体の扉に目線をいれるのに必要な窓が最低限空いている。

 通常であれば、あまりに分厚い扉を挟んだ向こうなど中の囚人に感知できる筈もない。

 だが、その囚人は敏感にかつ正確に彼の正体を感じ取った。


「──その気配は、アスラン・アルデバランかな」


 暗中の怪物は、爽やかな青年のような声で来訪した老騎士へ問いかける。

 アスラン・アルデバラン。

 聖教会の教義に反する最悪の異端である転生者を相手取る粛清騎士、その序列第四位に座する聖騎士である。


「なら、隣にいるのはエインズワーズ?」


 牢の中から響くその問いに、壮年の老騎士は厳しい顔を更に顰める。

 

「冗談にしては笑えぬぞ。彼奴の首を飛ばしたのは貴様であろうに」


「あぁ、そうでしたね申し訳ない。取るに足らない出来事だった故に、いまの今まで忘れていました」


 エインワーズ。

 それは幽閉される以前に彼が殺した先代の特務神父の名であった。

 自身の自由が奪われるキッカケになったその事を当人が忘れる筈がない。

 それは明確なアスランへの挑発であったが、彼と対するとした時点で覚悟を決めていたアスランは挑発に乗るコトなく湧き上がる怒りを内心のみに留め伏せる。

 そしてアスランが挑発に乗る気配がないことをすぐに感じ取った彼は、即座に対象を切り替えた。


「ならば、そちらは新しい特務神父殿でしょうか?」


 暗い闇から向けられた声に、アスランに同行しているもう一人が身体を強張らせた。

 そのもう一人──会話の中心軸が自身へ切り替わったことに、エインワーズの後任であるカーティス特務神父は悲鳴を口内で必死に噛み殺す。

 鉄扉の向こう側にいる相手が、どんな人物か知るが故に。


「お初にお目にかかります、特務神父殿。既に聞き及んでいるとは思いますが、改めて」


 闇に囚われた怪物は、怪物らしからぬ丁寧な口調で言葉を紡いだ。


「粛清騎士序列第一位、ザカリーです。姿も見せずにご挨拶をする無礼をお赦し下さい」


 粛清騎士序列第一位"最悪"の騎士、ザカリー。

 現行でもっとも強く、そしてこの先彼以上の騎士は現れないであろう粛清騎士。

 それでも彼を表す二つ名が"最強"ではなく"最悪"であるのは、聖騎士と称するには(おぞ)ましすぎる気性故か。

 暗闇の牢獄へ幽閉され、その姿を直接には見せないザカリー。

 だが、それでも尋常ならざる気配、存在感をカーティスは肌で感じていた。


「それとも、私をここから出していただけますか?」


 この扉の先に居るのは、怪物だ。

 昔話に聞く、人の声真似をして騙して封印を解かせるソレの似姿をカーティスはまざまざと脳裏に描いていた。

 本能が「逃げろ」「開けるな」と警鐘を鳴らす。

 だが、そうはいかない事情がカーティスにはあった。


「──軽い冗談のつもりだったのですが、まさか本気で?」


 押し黙るカーティスに対して、ザカリーは意外そうに不思議そうに声を掛ける。


「この私を?」


 続く言葉には僅かな嘲りが混ざっていた。

 カーティスは焦りと恐怖に言葉を詰まらせる。

 あぐあぐと陸で溺れる魚のように口を開閉させる彼を横目に見て、代わりにアスランが言うべき言葉を引き継いだ。


「緊急事態にある」


 アスランは、ザカリーの問いを否定せずに話を始めた。

 瞬間、場の空気が僅かに冷える。

 それはつまり、怪物が話を聞く姿勢を取ったということに他ならなかった。


「半日前、アルドラを自称する転生者が暴動──否、反乱を起こした」


 聖歴1680年9月16日。

 聖ルバウス王国北部より、大規模かつ不可解な反乱が発生。

 道中の村や町を襲撃しながら、百人あまりが王都へ向けて進行を開始していた。

 そして、この反乱にはいくつもの不可解な点があった。

 反政府組織または反政府運動の兆候はまるで無く、ソレはまさに青天の霹靂であったこと。

 更に奇妙なことは、反乱に参加する人々は正気を失って特定のうわ言を吐き出しながら、道中の村々で略奪と虐殺を始めているということ。

 ──そして、襲った村々でまた参加者が増えるということ。

 先見した聖騎士及び王国所属機関員からの報告を受け、本事案が転生者案件であると速やかな仮決定がなされた。

 そして聖教会上層部の有識者会議によってある程度のパターンが仮定された。


「精神感応または汚染系の異能を用いて、数百人規模の暴動が起きている」


 聖教会は過去に、他者の精神に何かしらの干渉を可能にする異能の存在を確認していた。

 今回はその異能の大規模行使が原因では無いかと仮説を立てたのだ。

 アスランが事情説明を買って出た間に息と心を落ち着けたカーティスが、言葉を続ける。


「北部の村から始まって、ねずみ算的に被害者と()()()を増やしながら南下中です。一両日以内に王都へ辿り着きますし、何より計算によるとあと半日程度で総戦力数は王国のソレを上回ります」


「無論、教会の聖騎士たちが対処できる範疇を超えるのも時間の問題だ」


 仮定反乱軍──否、反乱()の侵攻速度は常軌を逸していた。

 まだ中小規模の村々しか被害にあっていないが、向かう先には此処ベネトナシュをはじめとした大都市も点在している。

 そこで虐殺と新たな人員確保が為された場合、王国側にも聖教会側にも止める手段が無くなる。

 仮に止められたとしても、被害規模的に王国が王国であるままでいられる保証などは無い。

 

「ですから、特例として貴方の釈放を──」







「断る」






 返ってきたのは、明確かつ明瞭な拒絶の意思。

 それ相応の覚悟を持ってここまでやって来たカーティスは、予想だにしないその返答に言葉を失う。


 カーティス、は。


 一方、その隣に立つアスランの表情に変わりはない。

 つまりそれは、彼にとってはこの反応が予想通りであったということに他ならない。


「この地下で三年も外界から遮断された状況ではありますが、それでも推察できる点はいくつかあります」


 暗中の怪物は、吟遊詩人のようにとうとうと淀みなく自身の推察を述べはじめる。


「まず、聖女ステラの許可を得ていませんね」


 彼は最初に、自身が協力に応じないけってい


「彼女が、ここまでの事態を引き起こさせる訳がない。察するに、聖女ステラは現在職務をこなせない状況にあるのでは?」


「──聖女ステラは無実の罪で軟禁され、現在ご指示を仰げない状況です」


 彼の指摘にカーティスは苦虫を噛み潰したような苦渋を浮かべて、濁った答えを絞り出す。

 カーティスは()()()が誰かと言うことを口にはしなかった。

 だが、この国であの聖女を罠にかける程の強権を握っていつつ、明確な動機を持つ者など一人しかいなかった。


「はっ、あの愚王(バカ)が。最悪のタイミングで自身の首を締め上げましたね」


 聖教会の影響力は、いち組織としては破格と言っていいほど強大だ。

 拠点を構える聖ルバウス王国のみならず、諸外国にすら行使できるチカラがある。

 王国が"聖"を名前につけられるのも、凡庸な王が統治していながら侵略や戦争の危機に瀕していないのも単に聖教会の庇護があるからである。

 しかし、それは国家としてはあるまじき姿とも言えるだろう。

 自国内に全権を司る王や国務機関とは別に、彼らに匹敵或いは凌駕する程の権力を有する組織が公に存在するということは、統治者である国王としては気が気ではないだろう。

 更に、聖騎士団という独自の戦力も有しているのなら尚のこと。

 だからこそ、国王は常にどうにかして聖教会の力を削ぐ機会を伺っている。

 それは彼が閉じ込められる以前から語られる有名な話であった。

 だが、残念なことに聖女ステラという怪物はそう易々と隙を見せる事はない──だからこそ、愚王は強引な手を使ったのだ。


「それで神託が聖教会に伝わらず、転生者の覚醒を放置する結果になった」


 アスランは嫌に淡々と結果を伝える。

 それにまつわる怒りと嘆きはとうの昔にひとしきり噛み締めた後だと言わんばかりの淀みの無さ。

 その様に、カーティスは少しの嫌悪感を抱いた。

 いくら粛清騎士とはいえ、使命の為に感情をそこまで棄てなければならないのかと。

 ──しかし、彼を含めたこの場においてアスランが今、血が滴る程に拳を握りしめていたことに気がつく者はいなかった。


「しかも最悪なことに、神託を逃した転生者はかなり大規模な異能を行使できるタイプだったと」


 ひとしきりの事情を受けて、ザカリーは「ひひひひ」と引き攣るような笑い声をあげる。

 ──否、嘲笑(わら)い声を。


「これを嘲笑わずにいられる訳がない。まぁ、笑い事ではないのでしょうが」


「──故に、特例として貴様の釈放が」


「断ると言ったのが聞こえませんでしたか?」


 アスランの言葉を強い口調で遮る。


「し、しかし、今は一人でも多くの聖騎士が」


二位(ノヴェル)三位(モーガン)は?」


 彼の問い掛けに、思わずアスランは顔を顰める。

 そして一瞬だけ強く奥歯を噛み締めた後、淡々と答えた。


「ノヴェルは先月に転生者と差し違えた。モーガンは別件で重傷を負って、今は身体を休めている」


「当人は復帰の為に努力していますが、おそらくはもう」


 カーティスは目を伏せて答える。

 序列第三位のモーガンは背中を深く斬られ、脊椎を損傷した疑いがある。

 今後、粛清騎士として復帰はおろか日常生活を送ることすらままならない可能性すらあった。


「なるほど、なるほど」


 含みを持たせた返答。

 第四位であるアスランが今の事実上のトップであり、この緊急事態に動員出来る粛清騎士は五人以下であること。

 既に一般の聖騎士たち、場合によっては王国騎士団すらも総動員してコトに取りかかろうとしているのだろうとザカリーは推察する。

 

 だがしかし。


「片腹痛い」


 それでも、"最悪"の騎士は協力を跳ね除ける。


「聖女ステラなしで私を従わせようなどと考えるとは、片腹痛いですね」


 ザカリーとて聖教会に所属する粛清騎士。

 教えに殉じるに値する覚悟とある程度の志は有している筈である。

 それでも協力を断るのは、彼が真に忠誠を誓う聖女が居ないから──だけではなかった。


「アスラン・アルデバラン」


 老騎士の名前を、暗中の怪物が呼ぶ。

 呼びかける闇よりも更に深く、纏わりつくような陰湿さを帯びた声だった。


「忘れましたか、貴方が私をこの暗闇へと放り込んだのでしょう?」


 |"最悪"《ザカリー》は忘れない。

 かつて光の下で自身を討ち取った英雄(アスラン)の名前を。

 エインワーズと当時の第七位を些細な理由で殺す蛮行を行った彼を、組み伏せて捕らえた英雄の厳しい顔を決して忘れない。

 いつかその首筋に立ててやろうと、暗闇の中で爪牙を研いだ日々を忘れない。


「──その時、何人犠牲になりましたか?」


 そして、その英雄は自身より強くないことも忘れてはいない。


「今、貴方ひとりで私を抑え込めるとでも?」


 確かに最終的に組み伏せたのはアスランである。

 だが、そうなるまでに彼を含め何人がかりで捕縛に向かい、何人が帰らぬ人になったのか。

 ──そのことを、英雄も忘れていない。


「この切迫した状況において悪戯に敵を増やす程、貴方達が愚かではない筈でしょう」


「もとより」


 説得しなければならないというカーティスに付き添っただけで、初めからアスランはザカリーが協力するとは思っていなかった。

 仮に出ようと言っていたら、全力で止めたであろう。

 だが、それでも会わなければならない理由がアスランにはあった。


「だが、状況は伝えた。貴様なら、この意味がわかるであろう」


「──」


 アスランの言葉に、ザカリーは沈黙をもって返す。

 老騎士が言わんとしていることを真横で聞くカーティスが察する。

 つまりは、万が一。

 万が一、自分たちが失敗した場合に後を託すとアスランは言っているのだ。

 "最悪"の騎士ザカリーは怪物である──が、粛清騎士序列第一位の席に座り続けることを許された傑物であることに変わりはない。

 そして聖女ステラには忠実である。

 万が一でも彼がいれば、最低限聖女の身は安泰である。

 ──少なくとも、その実力と忠義に関してのみアスランは絶対の信頼を寄せていた。

 そして、言うべきことは全て言ったと彼は踵を返す。


「行こうカーティス特務、もうあまり時間は残されていない」


「わ、わかりました」


 これからの死地を想像して未だ表情を青くしたままのカーティスにそう呼びかけて、アスランは帰路を辿り始める。

 遠ざかっていく二人の足音。


「偽善者め」


 その軌跡を、闇の中から爛々と輝く黄金の瞳が長く睨みつけていた。


▼△▼△


 北部の中規模都市アルゴル。

 そこで暮らす人々は避難の最中、彼方から轟く不気味な地鳴りを聞いていた。

 遥か彼方──とは言うものの、ただの振動が届く程に遠くない場所に厄災が迫っている事実に強い不安を覚える。


 そして一方、その厄災の渦中に身を置く者たちが既にいた。

 ──聖騎士。

 王国に属し国民を護る騎士とは違い、彼らは聖教会に所属して教徒を守護し教敵を打ち倒す使命を帯びている。

 だが、実際にその剣を振るう場面は多くない。

 侵略戦争でも起これば話は別だが、ここ100年程は武力による戦争は起こっていない。

 近年の彼らの仕事は、教徒たちから懇願された村の害獣退治や災害時の救援復興支援などが主になっている。

 任命から引退まで、一度も人に向かって真剣を振り下ろす事のなかった幸福な聖騎士も少なくはなかった。

 何故なら、転生者という最大の教敵に対して聖女の神託と精鋭である粛清騎士たちの活躍があったからだ。

 転生者が異能を使いこなす前に見つけ出す神託と、少数精鋭で奴等を仕留める粛清騎士という構造は完璧であった。

 故に、彼らの出る幕は無い──筈であった。


「アルドラ」「アルドラ」「アルドラ」「世界の王アルドラ」「私こそアルドラこそ世界」「アルドラ」「アルドラ」「アルドラ」「アルドラ」


 うわ言のように同じ文言を繰り返す無数の人の群れ。

 老人がいた少女がいた腕の欠けた男がいた死んだ赤子を引き摺って歩く母がいた。

 昔話か作り話に聞く屍鬼の群れのように、尋常ではない人々が地響きを立てて街へ向かっている。

 なんとしても、それは阻止しなければならない事態だった。

 王都から離れた位置にあるこの戦場へ、王国騎士団の援軍は間に合わないだろう。

 故に聖騎士のみで、街の人々が避難し終わるまで押し留めなければならない。


 集った聖騎士たちは街に駐在していた者、ベネトナシュから早馬で駆けつけてきた者と顔ぶれは様々であった。


 そして、危機に集った数十名の聖騎士たちが反乱群へと飛びこむ。

 

 反乱群が進むアルゴルへの道は開けた平野部であり、地理的に迎撃に向いた場所は無い。

 渓谷などが挟まっているならば少数での迎撃が可能であったが、それは叶わない。

 無論、アルゴルでの籠城戦も不可能だ。

 当たり前である。

 国境付近ならば兎も角、内陸の街に侵攻を止める為の城壁等の措置などある筈もない。

 だからこそ、聖騎士たちはあまりに無謀な措置しか取ることができなかった。

 比較的経験に長けた中堅の聖騎士が叫ぶ。


「少しでもいいから、奴等を間引くんだッ!!」


 そう、間引く。

 無秩序にやってくる反乱群に対して、出来うる限りの殺傷を行って人数と勢いを削ぐ。

 押し寄せてくる反乱群も転生者の被害者、護るべき信徒だった。

 だがもう躊躇いが許される場面ではない。

 少しでも生存率──否、生存時間を増やす為に三人一組で押し寄せる人々を殺傷していく。


「やあぁぁ!!」


 一人の聖騎士が頭部を狙って剣を振り下ろす。

 何人もに振い続けた刃は血と脂に濡れて、切れ味など最早無い。

 ただの鈍器として振るわれたそれは無抵抗の老人の額をひしゃげさせ、彼を沈黙させる。

 崩れ落ちる老人の背後から、老人の亡骸を踏み付けて女の手が聖騎士の首へ伸びる。

 そこへすかさず横から中堅の聖騎士が剣で切り上げて、首へ伸びた手を跳ね飛ばす。

 三人目の聖騎士が姿勢を崩された女の腹に


「手心を加えようなんて思──かふっ」


 中堅聖騎士の喉笛に、子供の腕が握った尖った枝が突き刺さった。

 姿勢を崩された彼にごちゃごちゃと雑多な人々が雪崩れ込み、押し潰される。

 精悍だったその聖騎士の姿は、瞬く間に挽肉へと変貌した。


「──ひ」


 引きつったような悲鳴が漏れたが、漏らした主は誰もわからない。

 誰しもが自分のモノかと錯覚したからだ。

 本来ならば正規の戦闘訓練すらしたことのない──ましてや正気を失った人間など、いくら実戦経験に乏しかろうが聖騎士たちの敵ではない。

 だが、圧倒的な物理は個の武勇などお構いなしに全てを薙ぎ倒し押し流す。

 聖騎士の死体どころか、彼らの同胞の亡骸をも踏みつぶし。

 狂気の軍勢が、なだれ込んでくる。

 多くの聖騎士は既に死を覚悟して戦いに臨んだ。

 だが、肌で感じる()()死と狂気は、生半可な覚悟を粉砕する。


「あ、あああぁぁぁぁああああああッ!?」


 若き聖騎士の首や両目へ向けて伸びる無数の手、手、手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手。

 自らの終末()を予感した彼だったが、結果としてソレは裏切られることとなる。


「──待たせた」


 迫りくるその手の群れを、一閃で全てを切り伏せて。

 十字の意匠を汲んだ黒い鎧を身にまとった聖騎士が──粛清騎士(えいゆう)()()が現れた。

 混沌の戦場にに五人の粛清騎士が集う。


 円盾と片手半剣(バスタードソード)を構えた、序列第四位"最堅"の騎士アスラン・アルデバラン。

 身の丈ほど巨大な戦斧を肩に担いだ、見上げるほどの巨躯を誇る、序列第五位"最大"の騎士ライアン・アッシャー。

 長さの異なる二振りの刃を逆手に持った若き青年、序列第六位"最愛"の騎士ルカ・マギル。

 最も軽装かつ唯一無手で戦場へ立つ、序列第七位"最善"の騎士ハワード・フーカー。

 楔型の大槌を背負った、その武器の威容に似つかわしくない体躯の序列第八位"最小"の騎士ジュークス。


 武力をもって厄災を鎮める黒鎧の聖職者。

 現最高戦力が集結した。

 一刻すら惜しいと、すぐさまアスランが指示を出す。


「ジュークス、ハワードは援護しつつ負傷者の撤退を」


 今の今まで奮戦してきた聖騎士たち。

 その彼らの保護をふたりの粛清騎士へと要請。

 ハワードは次々と組みついて来る反乱群を木端(こっぱ)の如く投げ捨て、その隙にジュークスが負傷者に駆け寄る。


「お疲れ、一旦引いてください」


「し、しかし」


「あとは、我々が」


 徒手空拳の達人たるハワードが壁役として、生存した味方を少しでも逃がそうとする傍ら。


「アルデバランさん! ボクたちは」


 最年少のルカが、尊敬する先達に指示を仰ぐ。


「二人は私と共に!」


 ()()となる三つの刃が、反乱群という巨大な集合生命体に差し込まれた。

 三者三葉が、それぞれのやり方で群れの中を斬り進む。


「精神汚染感染者は、──斬り捨てよ!!」


 アスランとて苦渋の決断。

 しかし、それが最善と判断した。

 過去、精神感応や精神汚染系の異能は該当する転生者を(ころ)せば能力は強制解除されてきた例がある。

 つまり、最短最速でその息の根を止めれば、残った精神汚染者たちの汚染は解除される。

 ──助けられる。


「アルドラ!」


「アルドラ! アルドラ!!」


「アルドラ! アルドラ!! アルドラァァ!!!!」


 ただそれだけを目的として、立ちふさがる汚染者たちを三人は斬り殺す。

 大多数を助ける為に、相対的少数を殺傷して歩を進めていく。

 精神汚染を発する首謀者は能力の範囲的に群れの中心。


「ガッ、クソっ!」


 戦斧の一振りごとに複数名を弾き飛ばしながらライアンは悪態をつく。

 何度振るおうと蝗の群れのように人がなだれ込んでくる。

 ──きりがない。


「いやぁ、しんどいッスね」


 踊るように人と人の合間をくぐり抜けながら、ルカは淡々と刃を振るう。

 ただし振るわれたそれは刃の峰であった。


「マギル、斬り捨てよと言った筈だが?」


「けど、アルデバランさん!」


 若さ故の奢りか、優しさか。

 手心を加えることは、殺すより労力を要する。

 優しさ故とはいえ、少しの疲労の蓄積がこの先明暗を分ける可能性がある。


「今は先を急がねばならない!」


 アスランが叱責を飛ばす。

 この戦いを全員が無事で帰れる保証はもとより無い。

 それは、救出役で残した二人を含めてだ。


「我らの中、誰か一人でも転生者──アルドラを名乗る元凶の首に刃をかけることが出きればそれで良い」


 万が一は、最も若く才能のあるルカを残し、自身を犠牲にすることを心に決めていたアスランは叫ぶ。


「それが出来なければ、全てが終わるのだぞ!!」















アルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアル


 耳が、腐り落ちそうだ。

 アスランは疲弊した脳の片隅で、愚痴をこぼした。

 こちらに伸びる無数の手、叫び。

 ひたすらに唱えられる、アルドラという謎の名前。

 繰り返し振られる剣から伝わる骨を断つ感触と降りかかる生暖かい赤。

 精神ががりがりと音を立てて削り取られていく。


「が」


 瞬間、()()じゃない言葉が彼の耳に飛び込んできた。

 横目で見る。

 かの騎士の巨躯が、消えていた。


「──」


 アスランにもルカにも、汚染者たちに群がられたライアンを助ける余裕はなかった。


「くっそ」


 ルカが短く吐き捨てる。

 精神汚染者たちを斬り進み、群衆の中心へとだんだんと近づくにつれて()()が増す。

 ──いや、密度だけでない。


「さっきから、なんなんだよこれは!!」


 刃を握りしめたままその手を額に当てて、ルカは苦痛に顔面を歪める。

 その理由原因に、アスランもまた気が付いていた。


アルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアルドラアああああああああああああああ


 耳に、ではない。

 ()()()()()()

 呪詛のような文言が、思考を虫食いのように蝕む。

 己の意志を強制的に漂白していこうとしている。


「れ。これ、が、精神汚染!」


 元凶である転生者が放ちつづけているであろう異能。

 感応精度、適応度には個人差があるのか、アスランには自身よりも若いルカの方が響いているように見えた。


 まずい。


 アスランは強い危機感を覚える。

 ただでさえ多勢に無勢な状況での強い精神干渉。

 攻撃の精度が、技の精度が落ちる。

 張り詰めた精神への変調は、それだけで命に直結する。

 脳裏をよぎり続ける最悪の未来を振りほどき、彼は円盾で迫りくる汚染者の頭部をかち割りながら鋭く視線を走らせる。


 通常、転生者の討伐は聖女の神託ありきである。

 聖女ステラが神託によって事前に転生者の本名──前世での名前を知っておく。

 そして彼らの前でその名を口にすると、()()()()()()()()()

 その反応をもって、転生者を見極める。

 だが、頼りの神託は無い。

 それでも、アスランにはある種の確信があった。

 この転生者は、一目でわかると。

 精神汚染に頭を痛めながら、周囲を見渡す。

 見渡す限りの汚染者の山の中から、()()()()()()()()を探す。

 一刻も早く、一刻でも早く。

 そしてその視線の先に。


「──奴だ」


 正気を失ってもなお、活発的に動き回り此方に向かってくる汚染者たちの中にひとりだけ。

 粛清騎士(われわれ)に見向きもせず、虚空を見つめる痩せこけた男の姿。

 長く歩き続けた為であろうボロボロの靴を履き、疲れ切ったような大きな隈を虚ろな瞳の下に抱えている。

 この事件を起こすタイプの転生者だ、とアスランは確信した。


 転生者とは、ある日突然前世の記憶と人格、そしてソレに紐づけされた異能(チート)に覚醒した者たちのことだ。

 つまりそれは、彼らは一度死に。

 死の瞬間の記憶すらも所持しているということに他ならない。

 ごく稀なことではあるが、前世における死の間際に()()()()()をした者が出てくる。

 そうした者は──覚醒の瞬間に、()()()()()

 気がふれて、異能の制御(たずな)をも用意に手放す。

 アスランは以前に、生前焼死したらしい転生者と出くわしたことがある。

 その者は、覚醒の瞬間に自身を含めた館一棟を全焼させた。


 その者と、似た雰囲気を老騎士はソレに感じた。


「マギル!」


 アスランが叫ぶ。

 事件の元凶、反乱群の心臓が現れたことを後輩に伝達する。

 奴の喉笛に刃が突き立てれば、この戦いは終結する。

 その時点で、生き残っている精神汚染者たちは異能解除で助けることができる。

 終着点の存在を伝え──。


「マギ、ル?」


 唯一ここまでついてこれた若い黒騎士からの反応が、無い。

 汚染者たちを切り分けながら、彼へと視線を向ける。

 粛清騎士ルカ・マギルは、人の波の中で茫然と棒立ちになっていた。

 ()()()()()()()、に。


「あ、あ、あるど、ら。あるどら」


 そのルカの口から洩れる言葉をアスランは聞き逃さなかあった。


「っ!」


 瞬間、アスランは彼から全力で距離を取りにかかる。

 ルカ・マギルが汚染された。

 粛清騎士の戦力が襲い掛かってくるという最悪の障害を前にして、無視をして最速で転生者(やつ)を叩きに行く。

 相手にしていられないし、相手にしたくない。

 だが、この密集した戦場で素早く動く技能はアスランには無い。

 アスラン()()

 他の汚染者からの妨害を受けなくなった最強格の騎士の速度は、この戦場においては神速と変わりない。

 精神汚染を受けたルカの狂刃が、アスランへと迫る。

 左の長剣の横凪を円盾で弾く。


「正気を保て!!」


「あ、あ、るど、ら」


 正気を失って尚、技の精度が落ちないのは身体に染み付いているが故か。

 怒涛の連撃がアスランに襲いかかる。

 盾で受けつつ無力感の手段を模索する。


『精神汚染感染者は、──斬り捨てよ!!』


 自分が口にした言葉が脳裏を過ぎる。

 そう、精神汚染者は斬り捨てる。

 今まで散々自分がやってきたことだ。

 それを、仲間だからと区別するのか。

 思考が濁った瞬間、円盾が弾かれてルカの接敵を許す。


「ッ!」


 小柄なルカがアスランに組み付き、逆手に持った短剣を振りかぶる。

 逆手に持った剣は、振り下ろしの到達が早い。

 アスランが口内で戯言を噛み潰し、覚悟を決める。

 サブウェポンとして持っていた小剣に手を伸ばした瞬間。


 切先が、振り下ろされない。


 目を見開くアスランの眼前で、ルカは刃を首に当てて笑った。

 

「すいません、あとはたのみます」


 一瞬、アスランの呼び掛けで正気を取り戻したルカは。

 彼の邪魔にならないように、振り上げていた刃を自身の首に引いた。


「ぁ」


 ひと目で"もう駄目だ"とわかる量の命がアスランの上へと降りかかる。

 自身へ覆い被さってきた若く黒い亡骸を手に、老騎士は叫んだ。


「ぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」


 我武者羅に遮二無二に、アスランは走った。

 人という人を掻き分けて、伸びてくる手を蹴り飛ばし潜り抜け殴りつけ。

 力の限り走る──元凶の元へ。

 夢遊病患者のように、感情が抜け落ちたその男へ無我夢中で組み付いた。

 戦友を殺す為に握りしめていた短剣を、怒りを込めて振りかざす。

 その間にも無数の手が、精神汚染者たちの腕が。

 雪崩れ込むようにアスランへ伸ばされる。

 ソレらが彼の命へ届く前に、アスランは刃を元凶の首へと振り下ろした。

 その刹那、元凶の言葉が耳につく。



「   たすけて、あるどら   」



 ──彼らが唱えていた"アルドラ"という名前は彼のモノではなかった。

 覚醒と同時に精神を病んだこの転生者は、ずっと助けを求めていたのだ。

 アルドラという名の、この世界の誰も知らない英雄へ。



「──だから、手を伸ばしていたのか」



 もう動かなくなった元凶の、哀れな転生者へ向けたアスランの言葉に怒りはなかった。


 ただただ、悲しみがあった。


 だが、これで精神汚染を発する元凶は死んだ。

 まだ生きてる汚染者たちも順次正気に戻るだろう。

 ──そう、アスランが軽率に安心した時だった。



ぃ゛い゛ぁ、ああァァあがあァァあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ



 大地を震わせる絶叫が響き渡る。

 誰の叫びか。

 ──精神汚染者たちの叫びだ。

 全ての汚染者たちが白目を剥き、喉を掻きむしって絶叫を上げる。

 深く深く、その爪を喉へと食い込ませ。


 ──血飛沫を上げてコト切れていく。


 アスランは予想外の光景に目を見開く。





 元凶を倒せば全て丸く収まる、そんな安易な()()を打ち砕く地獄がそこにあった。





「──わ、私は」


 屍山血河、という言葉では生温い。

 倒すべき転生者も守らねばならなかった人々も、共に背中を預けた戦友も。


 全てが全て、息絶えた。


 夥しい血が大地を赤く染色し、命だった物が辺りに散らばるのみで、自分の息遣いのみが聞こえる虚無の地平。


「何を」


 彼は頭の中では、理解していた。

 此処でアルドラを処せれば、ここで戦いを終わらせれば、多くの人が救われると。

 だが、目の前の屍の地平がそんな理屈に疑問符を突きつけてくる。

 己の行動の是非を。

 正義の在り方を。

 粛清騎士の価値を。

 アスラン・アルデバランは自身の使命に盲目になりきれるほど、純粋でも愚かでも無い。

 普通なら十年も在籍していられない粛清騎士に、その何倍もの期間座していられる程に卓越した技量と幸運を持つ彼は、実力に不釣り合いな程に優しかった。

 隣人の痛みや苦しみを良く理解できた。

 だからこそ、この光景は彼の心を折りにくる。

 より冷酷であったのなら、より盲目的であったのなら、他人の痛みなど知りもしないのであれば良かっただろう。

 ──それこそ、あの怪物のように。


「神よ、何故貴女はこのような」


 答える者は居ない。

 神も人も、この場には誰もいない。

 ただ一人生き残ったアスランを除いては。

 深い絶望に、思わず膝が折れる。

 もっと上手くやる方法は、犠牲を抑える手立ては無かったのか。


「いや、私は判断を誤ってはいない」






 それでも。

 最善の地獄がコレなのか。






「いずれ、私には天罰が下るだろう」


 理由と大義があったからとはいえ、多くの命を奪った。

 だが、今更止まることは出来ない。

 自身の行いを肯定する為ではない。

 強いてしまった数多の犠牲、その価値を貶めない為に。

 そして屍の山を築いた責任と、これからも築き続ける咎はいずれ清算されなければならない。


「だがそれは、今では無い」


 戦いは終わったが、アスラン・アルデバランはまだ終わってはいない。

 老体に鞭を打ち、彼は立ち上がった。


「──どこかで、馬を拾おう」


 終わっていないならば、走り続けなければ。

 そうでなければ、許されない。

 例え神が許したとしても、己が許せない。

 そして、犠牲者たちもきっと許してくれないだろう。

 少しでも、些細なことだろうとも。

 まだ、何かをしなければならない。


「先の村々に、まだ誰か生きている者がいるかも知れない」


 強迫観念にも似た思考で、彼は北を目指して歩き出した。















 あの"アルドラの乱"と名付けられた事件から一年が経過した、ある日のベネトナシュ。

 聖女ステラの帰還と共に、事件の後の事件に聖教会は忙殺されていた。

 数多の復興作業に救援作業、そして死者行方不明者捜索に照合、そして埋葬。

 王国側との連携でそれらを行なっていくが、聖教会側からは今回の遠因である彼らへ強い不信感や嫌悪感を抱く者も少なくは無かった。

 結束の為には、英雄の存在が必要不可欠であった。

 目に見える英雄(シンボル)が復興に尽力しているとなれば、人々の溜飲も感情の矛先も変わるというもの。

 それはつまり、戦友を失っても尚アスラン・アルデバランに休息は無いということだった。

 例え誰も救えなかったとしても。

 多くを失ったとしても。

 心が折れかけたとしても。

 アスラン・アルデバランに立ち止まることは許されなかった。

 失った者より多くを救わなければ、自身の行いに正しさは無い。

 そう志を新たにし、血を吐きながら走り続けてきた。


「カーティス特務」


「はい?」


「少し、出てくる」


 目の下に酷い隈を作ったまま書類の山と格闘しているカーティスに対して一抹の申し訳なさを感じながらその日、アスランは紙束に埋もれた執務室を後にした。

 ここ数日ですっかり有名になってしまった彼が道を通るたびに教会の職員たちが深々とした礼を返す。

 居心地の悪さを感じたアスランは足早に聖教会本部を出て、馬を借りてベネトナシュに駆り出した。


『今はまだその黒鎧姿で出歩いた方が、人々の為になる』


 そう言われて公務でもないのに粛清騎士の姿で街に出たアスランは、先日に受け取った手紙を手に道をたどる。

 彼がやってきたのは、聖教会と付き合いのある孤児院。

 手紙の主である孤児院の院長と軽く会話を交わしたのち、アスランは庭に出る。

 子供たちが自由に身体を動かせるように広く敷地を取られているその庭では、幼い子らが元気に走り回っていいた。

 あまり見る機会のないその微笑ましい光景に、まぶしそうにアスランはヘルムの中で目を細めた。

 しかし、その微笑ましい光景の中にひとり混じっていない子供の姿を彼は見つけた。


「あの子か」


 どこから見繕ってきたかわからないが、木刀を持ち一心不乱に素振りを繰り返している。

 その姿を見て、彼の胸の内に痛みが走った。

 痛みを隠しながら、彼はその子供へと──見知った少年へと近づく。

 

 「随分と、せいが出るな」


 声に驚いて、少年が肩を震わせて振り向く。

 黒い髪と紫水晶のような瞳を持った、以前より大きくなった少年だ。


「貴方は、もしかして?」


「あぁ、久しぶりだな少年」


 その声を聴いて、少年は一瞬でアスランのことを思い出したようだった。

 あの事件の後、アスランが唯一保護できた子供がこの少年であった。


「あ、あの時は、どうも」


「う、うむ」


 少年は目を背けながら、ぶっきらぼうにそう言った。

 アスランにとって、その少年の存在はかなり複雑なモノであった。

 「何故、自分たちを助けてくれなかったのか、間に合わなかったのか」という真っ当な恨みを直接ぶつけてきて()()()のはこの少年だけであったからだ。

 だが、複雑な感情を抱いていたのは、この少年も同じだった。

 故に、そこに気まずい沈黙が流れる。

 やがて、その気まずさに耐えられなくなった少年が口を開く。


「僕に、何か用ですか?」


 失礼なその物言いともとられかねない言葉だったが、アスランはそれには答えずに腰を落とす。


「君はなぜ、他の子どもと同じように遊ばないのだね」


 ()()()のように少年に目線を合わせる。

 その問いに、少年は暗い瞳をたたえたまま答える。


「僕は、遊んでいる暇なんかない」


「何をあせっている」


「早く強くなりたいんだ。だから、遊んでいる暇なんかない」


 その声には、独特な響きがあった。

 その声色に籠っている感情の正体を、アスランは知っていた。

 悔恨、罪悪感、贖罪意識。

 およそまだ十歳にも満たない少年が持っていい感情ではなかった。


「僕に力があれば、何かが変わったかもしれない。守れたかもしれない」


「それは、君の責任ではない」


「責任の問題じゃないんだ。ただ、あんなことがあったのに何も変われなかったとしたら」


 少年は手にした木刀を強く握りしめる。

 そして睨むように鋭い視線がアスランを射抜く。


「弱いままで居続けるのだとしたら、僕は僕を許せない」


 瞳の奥に暗い炎が灯っていることを、アスランは幻視した。

 少年の感じているソレをアスランは知っていた。

 災害や事件事故で、奇跡的に生き残った生存者が感じる罪悪感。


『同じだ』


 歪な鏡を見ている。

 そうアスランに錯覚させる程に、少年の持つ感情は自身の持つ罪悪感と共感した。

 しかし、罪悪感を払拭する為ね遮二無二な少年の自己流な鍛錬はある種の自傷行為に近い性質を持った、危うい兆候だった。


「──あぁ」


 アスランは、強い自責の念を覚える。

 あの時、唯一この子だけでも救えたということが自身にとっての救済であった。

 それがあまりに自分勝手な妄想だったことに、今の今まで気がつかなかったのだ。

 身体だけ救えた所で、心までは救えない。

 

 ──だからこそ、老騎士の口は自然とある言葉を紡ぎ出していた。


「そんなに強くなりたいなら、私が君を鍛えよう」


「え?」


 その言葉に驚いたのは、少年だけではなかった。

 口にしたアスランもまた、自身で驚いていた。

 だが、もうこれしかないとも彼は同時に感じていた。

 自分の目の届く範囲で少年を鍛えることで、彼が大きく道を踏み外すのを防ぐことができるのではないか。

 その過程で、やがて彼の心からその傷を洗い流すことができたなら、その時初めて自分はあの惨劇から、たった一人だけ救い出せたといえるのではないか──そうして英雄(アスラン)は、覚悟を決めた。


「君が、本当に強くなりたいのなら、私についてきなさい」


「そうすれば、本当に強くなれるの?」


 少年の不安に、アスランは力強く頷く。


「保障する。何故なら、私は──」


 ここで彼は己の名前を出すのを躊躇った。

 しかし、それは一瞬の事。

 今からこの少年に真に向き合うのだから。

 自身の持ち得る全てを注ぎ、全てを賭けてただ一人を救い出す。

 一国を救ったかの"アルドラの乱"の英雄には似つかわしく無い、ささやか願いに手をかけるために、彼はヘルムを脱ぐ。

 老いたその素顔を少年の前に晒し、忌まわしく誇り高い名と称号を告げる。



「私は、粛清騎士序列第四位アスラン・アルデバラン。この国で四番目に強い聖騎士だ」


 虚勢を張るように、わざとらしく力強く。

 その肩書きに己が本当に見合うかという自信もない。

 しかし、一人の為の希望になる為に、気高く彼は名乗った。


「ついてくる気があるなら、名を名乗れ、少年」


 そして老いた英雄は、覚悟を問うような厳しい視線を少年に向ける。

 ヘルム越しではない、その視線に一瞬少年は怯む。

 だが意を決して、自身の名を口にする。


「──ら、ライ」


 やがて史上最年少で粛清騎士となる少年の運命は、この日この時に決められた。


「僕の名前は、ライ・コーンウェル」

 本日よりcomicスピラ様より、この本編であるコミカライズ版「最強の少年聖騎士、転生者を狩る」が配信開始されます。

 よろしければ是非ご覧になってみてください。

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