3 永遠の後輩
初めてフランシスと話した日のことを、クロエは今でもよく覚えている。
昼休みに液晶タブレットをスマホにつなぎ、頭の中のキャラクターが社屋の中庭を背景に光と戯れる姿を描いていた。
――上手いなあ。
フランシスの声は、降り注ぐ陽光のようだった。
――ぼくは、とてもじゃないけど、人物をそんなに生き生きと描けないよ。
彼とクロエは間もなく、ゲームソフトの開発チームに配属された。皆、日本のアニメが好きで、日本のアニメに負けない動画を作ろうと張り切っていた。
――俺達は、『チームアールヌーボー』だ。
が合言葉だった。
アールヌーボーのアーティスト達が日本の浮世絵に触発されて、華やかな芸術の一大ムーブメントを起こしたように、自分達も日本のアニメやゲームを触媒に、新たなフランスのエンターテイメントを作るのだと意気込んでいた。
クロエとフランシスが加わった時には、企画はあらかたまとまっていた。
舞台となるのは、近未来の地球。温暖化で海が広がり、陸地が分断されて、世界は大まかに四つのグループに再編成されていた。さらに、宇宙空間に進出していた人々も一つのグループを形成し、五つのグループは共存しながらも、各地で紛争が勃発してもいた。
紛争の根源は、飽くなき利益を追求する、巨大産軍複合体。彼らが送り込む工作員が、対立の種を蒔き、争いを起こし、双方に自社の兵器を売りつけて、莫大な利潤を得るという仕組みだった。
各グループもそれに気づき、それぞれにアンチテロ組織を結成した。物語の主役となるのは、そこで働くテロリストハンター達だ。
――グループごとにキャラクターデザインする奴を変えるってのはどうだ? 人種や民族で外見が違うように、絵柄が違ってる方が多様性が出て面白いんじゃないか?
アートディレクターの一声で、クロエにもキャラデザの仕事が回ってきた。珊瑚礁に囲まれた群島を拠点とする海洋民族が、彼女の担当だった。
(こんなに早くキャラデザさせて貰えるなんて)
クロエは昂揚した。クレジットに自分の名前も出るのかと思うと、胸が膨らんだ。
クロエは日本のアニメが好きだったが、見ていて疑問を感じるところもあった。
なぜ、女性キャラの戦闘服は肌の露出が多いのだろう。あれではすぐに体中が傷だらけになってしまう。それに、なぜ戦闘コスチュームになる時、いちいち裸にならなければならないのか。
あるいは、やたらとフリルやレースのついたボリューミーで動きにくそうなコスチューム。こんな服を着て大剣を振り回すなんて、ありえない。
その他にも、見ているだけで肩が凝りそうな、不自然に大きな胸。動作の度にその胸の揺れが強調される描写。
フィクションだから、ではすまされない抵抗を感じるのは、やはり、そこに男性目線が透けて見えるからだろう。日本は先進国では考えられないほど男女共同参画が遅れているというが、こんなところにも、それは表れていると思う。
クロエはかねてから自分が感じていたもやもやを払拭するデザインにしようと考えた。きちんと身体を保護する、機能的でスタイリッシュなコスチューム。自然なボディライン。
制作は、今も日本のアニメに多い、人物は手描きの二次元、背景やメカは3Dで行われることになった。クロエは久しぶりに、紙に鉛筆でラフを描いた。
ラフを上げると、早速ダメ出しがきた。覚悟はしていたが、問題はそのポイントだ。
――顔はまあいいんだけど、何だよ、このガリガリヒョロヒョロの身体。まるで色気ねえじゃん。それに、何? この野暮ったいコスチューム。海洋民族なんだから、女性キャラはビキニだろう。
−−どうしてですか?
クロエは目をぱちくりさせた。
――海洋民族だからって、必要以上に肌を露出するのは合理的じゃありません。肌を浅黒く、髪を白っぽくしたのも、水の澄んだところでは、太陽光が透過するからで……
−−あー、もう、頭が固いんだよ、おまえは。ゲームはファンタジーなんだから。そんなとこに理屈持ち込むなんて、おまえ、クリエイターの素質ないんじゃねえ?
クロエは殴られたような衝撃を覚えた。クリエイターの素質がないなんて、一番ひどい暴言だ。
呆然とするクロエの前で、アートディレクターは容赦なくラフ画に描き込みをしていった。西瓜が二つ並んだような胸、ビキニトップにチアガールがはくようなスカートが描き加えられたラフ画を、クロエは呆然と見つめた。さらに衝撃を受けたのは、水中戦闘用スーツだった。まるでハイレグ水着を着たようなラインを入れられたのはまだしも、「泳いでいるところを後方から見たらこんな感じ」と、余白に描き込まれた指示だ。臀部と思われる二つの丸の間にくっきりと線が一本入っている。
――そこに開閉部があるのが合理的だろ? 女性なら特にさ。
思わず、足元がふらつく。世界的に有名な企業のエリート社員の、あまりにもむきだしの本性。フランスはこんな国だったのだろうか。
クロエは、それでも何とか要求に応えようとした。
自分が肉感的な体を描くのが苦手なのは、クロエにもわかっていた。だから、筋肉を意識した、スポーツ選手のようなボディラインを目指した。コスチュームの切替部分も筋肉の流れに沿ったものにした。そんな工夫も空しく、ラフは無情に突き返された。
――おまえのは野暮ったいんだよ。常識にとらわれ過ぎてるっつうか、センスないっつうか。『砂の民』も、『草原の部族』も、とっくに下絵に入ってるぞ。
センスがない。またも、こんな仕事をしている者にとって、一番こたえる叱責だ。
OKを貰った二人はどんなデザインをしたのだろう。『砂の民』のキャラデザを見せて貰うと、男性キャラも女性キャラも、フードのついた膝丈のローブを纏っている。状況に応じて口元を覆うマスクを引き出せるデザインだ。
シャープな線で描かれた猫のような目が、黒い布の間で妖しく光る。ああ、上手いな。クロエは思った。この画力があるから、こんな地味なコスチュームでもOKが出るのか。
と、いったんは納得しかけたが、女性キャラのローブ下を見て、目を見張った。ブラとショーツだけとしか言いようのないいでたちで、両太腿に短剣を挿したホルスターを装着し、編み上げのサンダルを履いている。
――このローブは特殊繊維でできていて、敵の攻撃を防ぐんだよ。
八方から弾丸が飛んできても、ローブを翻して弾き返し、自分は空中にジャンプしながら、二本の短剣を抜く。そして、怪鳥のように頭上から襲いかかるのだ。フードに隠れていた額には、三日月型の装飾品がついており、それもブーメランのような武器になるという。
――ローブを着てる時と脱いだ時のギャップ感がいいねって褒められたんだ。
同僚は屈託なく笑いながら言った。
女性キャラが二人、背中合わせに腕を組み、足を旋回させて攻撃する場面のラフ画はショッキングだった。それを地面から見上げると、ショーツの「開口部」が合わさって花芯となり、連続で回し蹴りをくらわす脚が、さながら花びらのように見える。確かに、印象的なビジュアルだが、しかし……。
クロエは目眩を感じて、その場にしゃがみ込んだ。
クロエは悪戦苦闘した。どうすれば、自分の信念を枉げずに、プレイヤーの目を楽しませることができるのだろう。
フランシスに相談したかったが、彼はメカニック担当で、データ入力に没頭していた。
3Dの初期モデリングは、地道で手間のかかる作業だ。だが、ひとたびアルゴリズムが構築されると、どんなアングル、動き、光の当たり方でも自在に表現できる。2Dでは到底できないカメラワークも可能になるので、複雑なメカなどにはうってつけだ。黙々と作業する彼の邪魔をしたくなかった。
毎夜仕事の夢をみて、少しずつ良質の睡眠が取れなくなった。
朝起きると頭が重く、ベッドを抜け出すのが辛い。食欲もなくなり、ただでさえ痩せぎすだった体がガリガリになった。見せる前からアートディレクターの罵声が脳裏に響き、精神が萎縮する。
ある日、ディレクターが妙にやさしい猫なで声で言った。
――ネプチューン族のキャラデザはもう決まったから、おまえは原画に回ってくれ。
クロエは一瞬、何を言われたのかわからなかった。その意味が頭にしみわたるにつれ、腹の奥が熱くなった。それならそれで言ってくれればいいのに。実力不足で降ろされるのは仕方がない。なぜ、そんな騙し討ちのようなことをするのか。
――いや、おまえ、意固地なところがあるだろう? 絶対降りないって駄々こねられたら困るからさ。
今度は人格の否定か。クロエは言い返す気力もなかった。知らぬ間に下絵に入っていたキャラデザを、新しい担当者に見せて貰った。
――おまえのも、人物の造形だけは光るものがあるから、できるだけそれを活かすようにしたから。
と、ディレクターは言ったが、クロエの目にはまるで別物に見えた。顔の輪郭は子供っぽく丸くなり、異様に大きな瞳と、点を打っただけのような鼻と口。そのくせ、瞼には青いシャドウをのせ、マスカラを何度重ね塗りしたのかと思うような睫毛は、少女が無理に大人ぶっているようで、痛々しさすら感じた。クロエが描きたかったのは、もっと清涼感のある大人の女性だった。
――わたしのと同じところなんて、白っぽい髪と褐色の肌くらいだわ。それも、こんな水の抵抗がありそうな綿飴みたいな髪型にして。
久しぶりに顔を合わせたフランシスに、クロエは自分のラフ画と並べて見せた。
――そうだなあ。
フランシスは困ったように首を傾げた。
――きみのも素敵だけど、プレイヤー目線で見ると、決定稿の方がそそられるかな。
――そそられるって、何?
クロエは思わず声を上げた。心がささくれだって、自制心が上手く働かない。
――だから、ユーザーの多くは若年層なわけだろ? だったら、やっぱり、こういう、ちょっとあどけない感じのキャラの方が親近感を抱けるんじゃないかな。大人のプレイヤーも可愛いなって思うだろうし。
――プレイヤーが、じゃなくて、男が、でしょう? 女性ユーザーが同じようにそそられるって思ってるの?
――待ってくれよ。そそられるって言い方が悪かったのかもしれないけど、そんな、フェミニストみたいな噛みつき方しなくてもいいじゃないか。
クロエは、彼と初めて話した日を思い出した。眩しそうに彼女の液晶タブレットを見つめていたやさしい目。あたたかい声。彼が別人のように見えるのは、自分が疲れているからだろうか。
――あなたは、わたしの絵をほめてくれたのに。
――きみの絵は上手いよ。今でもそう思ってる。でも、ゲームは商品なんだから、顧客のニーズに応える必要があるってことさ。個人的な価値観を押しつけてたんじゃ、ものは売れないよ。あくまでも、ゲームのキャラとして見た場合、ぼくもやっぱり決定稿の方が魅力的だと思う。
クロエの中で何かが崩れた。
――わかった。もういい。
彼女は自分のラフ画をフランシスの手から抜き取ると、歩き去った。
絵コンテが出来上がると、クロエは気を取り直して、原画の作成にかかった。自分色は極力抑えて、キャラデザに合わせた絵を描いた。それでも、作画監督に容赦なく修正を入れられる。あまりにも修正の多い原画は、作監が全て描き直すことになるが、クロエはそれが一番多かった。
――自分のデザインに未練があるのはわかるんだけど、アニメはチームプレイなんだから。これじゃ、わたしが原画やってるみたいじゃない。
――そんなつもりありません。ちゃんとキャラデザや絵コンテの通りに……
――形だけなぞっても、生きた絵にならないのよ。たとえば、この髪の広がり具合。あなたはストレートでデザインしてたから、どうしてもまとめようとしちゃうのよね。もっと水の中で
ブワーッと広がる感じがほしいの。
――そう描いてるつもりですけど。海藻の動きとか参考にして。
――海藻かあ。それが違うんだよね。
作画監督は大げさに頭を抱えた。
――そうじゃなくて、もっとフワフワ〜っとした感じ。
――水面に漂うクラゲみたいな感じですか?
――違う、違う。もっと不定形で曖昧っていうか、雲が海面に落ちたのを、水中から見上げてるみたいな。
――雲……ですか。
毎回この調子なので、クロエの混乱は深まるばかりだった。皆が寄ってたかって自分の感性を否定しているかのようだ。誰か一人でいい。全肯定してほしかった。でないと、自分を支えられなくなる。自分を疑い、内側から崩れていってしまう。
その後のことは、ぼんやりとしか覚えていない。会社を辞める直接のきっかけがなんだったのかも、今となっては曖昧だ。わかっているのは、せっかく好きなことを仕事にできたのに、挫折してしまったという事実だ。今だって、絵を描く以上に好きなことなどないのだ。他の仕事を探す気になどなれない。
失業が長く続くと、学生時代の友人とコミュニケーションを取るのも辛くなった。「昇給した」「同業他社によりよい条件で転職できた」などという近況が眩しい。「初めて部下を持って戸惑っています」という悩みさえ羨ましかった。皆、着実に人生の階段を上っていく。自分だけがドロップアウトしてしまった。手待ちの金を減らすのが怖くて、食事の誘いにも応じられない。
自分の作品をネットで発信しようと考えたこともある。そういうプラットフォームに登録もした。思い知ったのは、会社がいかに仕事をするためのお膳立てをしてくれていたかだった。デスクにあたりまえのように並んでいた二台のパソコン。整ったネット環境。頼まなくても割り振られる仕事。今のクロエには、五年前から使っているパソコンが一台と、液タブしかない。どうすれば注文を取れるかもわからない。
(とにかく、投稿することだわ。考えてたってしょうがない)
そう思って液タブに向かうのだが、腕が動かない。何を描いたらいいのか、まるでわからない。今こそ、自由に、思うがままの絵を描けばいいのに。
(でも、また、あんな風に否定されたら? センスがないとか、クリエイターに向いてないとか、糞味噌にけなされたら?)
そんな思いがよぎっただけで、一本の線も描けなくなる。
もうダメだ。ここから脱け出せない。
リストカットをしても、ためらい傷が増えていくばかりだ
クロエはついに、福祉事務所のドアを叩いた。
安積という日本人医師は、穏やかに頷きながら、クロエの話を聞いてくれた。
「お察しします。辛かったですね。よく話して下さいました」
その声があまりにやさしかったので、クロエは目尻を指で拭った。
「わかってるんです。早く次の仕事見つけなきゃいけないってことは。でも、どうしても他にやりたいことが見つからなくて、だからといって、また同じ仕事をするのも怖いんです」
「無理もありません。あなたはリストカットをするようなところまで追い詰められたんです。仕事というものにすごくネガティブなイメージを持ってしまうのも仕方ありません」
「そう言って頂けると、心が救われます」
クロエは弱い抗不安薬を処方されて、医師のアパルトマンを出た。パリの開業医は、ごく普通のアパルトマンの部屋を診療所にすることが多い。
医師の言葉は、やさしくクロエを肯定してくれて、耳に心地よかった。だが、頭の片隅で、
(でも、何のたしにもならない)
と囁く声がある。今、本当に必要なものは、生活していくための仕事、それも、あんな風に自分を傷つけない仕事だった。わかっている。それはクロエが自分で探さなければならないものだ。
自分のアパルトマンに戻ると、郵便受けに大家からの通知が入っていた。今月から家賃を値上げするという。クロエは突然、胸を刺されたような気分になった。
*
法服の袖に手を通す度に、裁判官みたいだ、といまだに幸葉は思う。日本では、法服を着るのは裁判官だけで、弁護士も検察官も、スーツにバッジをつけるだけだ。
(これって、お洒落なのかしら。どうなんだろう)
ローブの前に垂れる白いリボンの先を手のひらで弾ませながら、幸葉は思う。フランス人のデザインだから、やはりお洒落なのだろうか。
「あら、ユキア。サヴァ(調子はどう)?)」
同業のシャルレーヌに声をかけられて、
「サヴァ(いいよ)」
と答える。
「サヴァ、鯛、平目、鯵」
と続けると、シャルレーヌは黒曜石のような瞳を煌めかせて笑った。
「また、ユキアがおかしなこと言ってるわ」
「ちょっと発音違うけど、日本語のサバは魚の名前なの」
シャルレーヌの背後には、高級そうなスーツに身を包んだ男女が、ひとかたまりになってこちらを見ている。おそらく、そこそこ大きな会社の社員達だろう。
シャルレーヌは幸葉の肩を軽く叩くと、ローブを翻してそちらに歩き出した。すらりと伸びた長い脚が、褐色の肌のせいでよけい引き締まって見える。男性なら、かぶりつきたくなるのではないか。
(何で、みんな、あんなに颯爽として格好いいんだろう)
「竜導先生、呼ばれてるんじゃないですか?」
依頼者に突かれて、幸葉は我に返った。いつのまにか自分達の番がきていたようだ。
「行きましょう」
幸葉は依頼者と連れ立って、法廷に向かった。
帰りのメトロの中で、幸葉は、目の前の座席に座った男性を、何度となく眺めていた。
深い緑と茶が基調の、森を思わせる色合いの服装。手にした携帯のケースは鮮やかなグリーンで、膝に置いたバッグは、血のような赤だった。
(この人、お洒落なのかしら、違うのかしら)
ダークグリーンとエメラルドグリーンの組み合わせに、補色の赤を持ってくるのだから、やはり色彩感覚がいいのだろうか。安物ばかりを組み合わせた、いかにも普段着という装いだが、決して見苦しくない。
そのせいだろうか。事務所の執務室でエラリイがティーポットから紅茶を注いだ瞬間、
「わぁ、お洒落」
という言葉が口をついて出たのは。
白地に薄緑のラインが入ったカップは、一見、地味に見えたが、紅茶が入ったとたん、液体の色とカップの色が鮮やかに引き立て合った。
この部屋の主で、ティーセットの持ち主でもあるエースことラエスリール・エースナイトは、幸葉の言葉ににっこり笑った。
エースと、エラリイ・スターリングは、どちらも、ヴァレリー法律事務所で働く、イギリス人弁護士だ。
法廷から戻ると、ちょうどティータイムだったので、エースの執務室でお茶を飲むことになったのである。
一見地味に見えるティーカップに、こんな魔法が隠されていたなんて。幸葉は、自分ならまず買わなかったであろうティーセットをつくづく眺めた。
「で、何、勝ったのに、不景気な面してるんだよ」
エラリイに訊かれて、幸葉は顔を上げた。
「あたし、裁判所行く時、そんな大騒ぎして出て行った?」
「大騒ぎ?」
「んー、自分でも、もしこういう展開になったらどうしようって、言いまくってた記憶が、うっすらとはあるんだけど」
「ああ、そう言えばそんなこと言ってたな」
「帰ってきたら、顔合わせる人、顔合わせる人、みんな、『裁判、どうだったの?』って訊くんだよね」
「それが?」
どうして、欧米人は、こう一から十まで説明しないとわからないんだろう。日本人なら、このあたりで、「ああ、そういうことね」と察してくれるのに。
「あたしって、そんなに危なっかしく見えるのかなって」
「そんなの、昨日や今日に始まったことじゃねえだろ」
つまり、ずっとそう見え続けているということか。英語なら、現在完了進行形ってやつか。
「いや、幸葉さんの場合は、それだけ気にかけて貰ってるってことじゃないですか?」
エースが、例によってやさしくフォローしてくれたが、単なる言い換えに聞こえる。
「そもそも、それって、そんなくよくよ気に病む価値のあることか?」
エラリイの言葉に、幸葉は、
「ないけど……」
と呟く。
エラリイもエースも気の合う同僚で、良い友人だとも思う。だが、こんな時はやはり、親しい日本人と日本語で話したい。
幸いというか、そろそろそういう人物が、幸葉の部屋を訪う予定だった。
「……目的空港の横風が強くて、限界値を超えそうだったでござるよ」
風呂上がりの隼と、北欧のハーブティーを飲みながら、『ガーディアンルシファー』を見るのが、いつしか習慣になっていた。リモコンを持つ隼を、
「あ、イントロ、スキップしないで。あたし、この曲好きなの」
と、制する。オープニングテーマが流れた。
「瞳を開け〜、風の声を聴け〜」
思わす口ずさむと、
「幸葉殿、もう覚えたでござるか?」
と、感心された。
「ネットで検索して、覚えるまで聴いた」
幸葉はハーブティーを一口飲み、
「そういう時ってダイバート(着陸空港を変更すること)するの?」
と、訊ねた。旅客機は機体が細長いので横風に弱い。限界値を超えると着陸許可が降りなくなる。
「ダイバートも考えたでござるが、どこの空港も似たような天候で、最初の目的空港の方が、風で滑走路の雪が吹き払われてるだけマシなぐらいだったでござるよ」
「じゃあ、どうやって降りたの?」
隼は話の間の取り方が上手いのか、しゃべりながらでも、アニメの台詞が頭に入ってくる。
――あれを助けてはいかん。大宇宙の意思に反する。
いつもは青いルシファーの目(のように見える部分)が、今は赤く輝いている。久志少年の操縦に、ルシファーが抗っているからだ。
――大宇宙の意思? 何だよ、それ。神様とか言うやつか?
――そうだ。
思いがけないルシファーの答えに、久志少年の眉が上がる。
――ハァ? おれは神なんか信じないぜ。神様が本当にいるなら、こんなこと絶対許さないだろうってことが、いやというほど起きたんだ。
おまえには関係ないかもしれないがな。
――少年よ。おまえの視座は低い。そして、小さい。宇宙の意思ははるかな高みにある。おまえには神の価値判断はわからない。
緊迫した展開の合間に、隼のこれまた緊迫した着陸譚が差し挟まれる。
「もちろん、そういう時の手順がちゃんとあるでござるよ」
横風が恐いのは、機体が滑走路の外に流されていくからだ。それを防ぐ方法は一つではないが、隼が採ったのは、機体をバンクさせて機軸と滑走路のセンターラインを一致させる方法だ。設置の際は、風上側のメインギア、風下側のメインギア、ノーズギアの順に車輪を降ろしていく。
「なんか、すごい、難しそう」
「簡単ではないでござるが、ちゃんと訓練でやってるから大丈夫でござるよ」
画面の中では、久志少年が、ルシファーに視力と聴力への接続を切られたところだった。
――次は、脚を動かなくするつもりか? やれるもんなら、やってみろ。
闇の中で、久志少年は、残された感覚を研ぎ澄まして、黄金の機体を目標方向に進めようとした。
――大宇宙だが何だか知らないが、空の上から、あいつの姿が見えるか? あいつが救けを求める声が聴こえるか?
自由を失った脚に代わり、身を屈めて手で操縦装置をまさぐる。
――だが、地べたを這い廻る、ちっぽけなおれにはわかるんだよ。あいつがあそこで助けてって言ってるのが。
一瞬、ルシファーの体が身じろぎする。数秒後、闇に閉ざされたコックピットが次々と点灯し、コントロールが久志少年の手に戻る。ルシファーの黄金の手が伸びて、メタルビーストに襲われる寸前だった少女を掬い上げた。
「やったー、いいぞ、久志くん」
幸葉は拳を握って歓声を上げた。
少女は意識を失っており、基地に連れて行かれてメディカルチェックを受けた。
――こ、これは……!
医療スタッフが表示されたデータに驚愕したところでその回は終わった。
「ねえ、さっきみたいな難しい着陸の時」
エンディングテーマが流れ始めても画面が切り替わらないので、幸葉はリモコンを押して十秒ずつスキップした。こういう時は、最後にもう一エピソードあるのだ。
「一緒に飛ぶパイロットが、ちょっと頼りなさそうで危なっかしい人だとイヤだよね?」
「そんなパイロットはいないでござるよ」
「言い放ったね」
幸葉は軽く隼を睨んだ。
「でも、レインボー航空だけで何人いるの、パイロット。みんながみんな、腕がいいってわけじゃないでしょ?」
「幸葉殿が言う、いい、悪いが、どの程度かわからないでござるが、本当に腕が悪い人はそもそもパイロットになれないでござるよ」
「そりゃあ、みんな、厳しい審査をクリアしたんだろうけど」
「てか、資格っていうのは、そういうものでござろう」
隼は珍しく語調を強めた。
「そう思わなきゃ、旅客機の操縦なんて怖くてできないでござるよ」
「お客様の命を預かって飛ぶんだもんね」
「幸葉殿も、そうではござらぬか?」
エンディングが終わったところで停止していた画面を、幸葉はまた再生した。画面いっぱいに、大星雲が広がる。煌めく恒星を背に、人型の生命体が円になって浮かんでいる。彼らの足元には巨大なレンズのような、透明な円板があり、その遥か下方に青い点のような星が見える。どうやら、それが地球らしい。
「あたしって、どの職場でも頼りなく見えるみたいなの」
「全然違う職種にばっかり転職するからでござるよ」
隼は軽く笑いとばすように言った。
「二度同じ仕事についたのは、弁護士が初めてでござるな」
「でも、やっぱり一番後輩みたいな感じだよ。四十過ぎたら、後進を育てるようにならなきゃいけないって、何かの本に書いてあったのに」
「それは能力じゃなくて個性ではござらぬか? 先輩キャラとか、後輩キャラとか」
地球を見おろしていた人型生命体の一つが声を発した。
−−また、やったな。ルシファー……