七日目の狼
「月には魔力があるんだってさ」
珍しく真面目な調子で話す男に少し驚いて彼の方を向く。男は、どこか寂しそうな顔をしていた。彼がこちらを見る。月光が優しく照らす桃色の髪の奥から、優しげな灰色の目が覗いている。
「満月の夜は犯罪が多くなるんだって。それに狼男も満月を見たら暴れるっていうお話、あるでしょ?」
「ふーん、それで?」
「だからさ、仕方の無いこともあるんだよ」
灰色の目が細くなり、口の両端が少しだけ吊り上がるのが見えた。首から下がった銀色が満月を反射している。
「だから、大して飲める訳でもないのに人の静止振り切ってバカほど飲んで吐いたことも、それの介抱の頼むって名目で家に連れ込んでも、何かしら間違いがあっても“仕方の無いこと”ってこと?」
私がそう聞くと、彼は弱った顔をして
「別にそういう訳じゃないしそんなつもりも無いよ、ただ……」
とそこまで言って口を噤んだ。こちらから目線を逸らしてそのまま下を向いた。右肩にかかった彼の手から少し力が抜けた気がした。
「ただ、なに?」
彼から目線を夜道に戻す。力の抜けた大男を介抱していて前を見ないと危険だから、という訳ではなかったと思う。単になんとなくかもしれないし、こんな様子の友人を見ていたくなかったからかもしれない。
「ただ……好きな人と飲みたいときだってあるでしょ?」
「ああ、そうですか」
なんだコイツは。真面目に心配して損した。この男はどの口で何を言っているのだろう。ただでさえ聞き飽きたセリフなのに加え、つい2ヶ月前、浮気が原因で元カノの手で横っ面に椛を作られたことを覚えていないのだろうか。あまりにも真剣なトーンで話すものだから、私までおかしくなってしまったのかと思った。
「えぇ、なにその冷たい反応……オレ、本当のこと言ってるんだからね?」
私の反応が気に食わなかったのだろう、上目遣いでこちらを見ている気がする。お得意の「可愛い顔」というやつだろう。確かにこの男は端正な顔立ちをしているが、それが故にタチが悪い。
「残念ながら私はその顔と言葉には騙されませんので。満月で暴れそうなら他のとこでやってよね」
目線をそのままに言葉を投げた。不満そうな声が聞こえた気がして、腹が立ったから左手で支えていた背を叩き、歩く速度を上げた。
「最悪だな、本当に」
月を見ながらの回想を一言で断ち切った。黒のインクが染み込んでいくように、満月が端からじわじわと闇に飲まれていく。
「本当に、月には魔力があるみたいだね」
自分以外誰もいないベランダに、誰も聞いていない言葉をかける。冷たい風に揺られた前髪が月を覆い隠す。何故か、独りで酔いたいと強く思ってしまった。
視点は本当に誰でもない人のものです。