挿話 逃亡者たち SIDE:バルト
この世界がこんなふうになったのは30年以上前だ。
ある日、大人達が騒ぎ出してあちこちの、おそらくは避難場所だろう、そこをうろうろ移動して回るようになった。
時には夜中に逃げ出したりという事もあった。
その頃の事はあまり覚えていない。
もっと昔、一年の終わりのお祭りとか、誕生日のお祝いの事とかはなんとなく覚えてるんだが、避難所での生活はほとんど記憶にない。
ただいつも静かにしろと言われて、腹が減って泣きたかった事だけは覚えている。
ゾンビを初めて殺した時のこともよく覚えていない。
ただ殺せと言われて、何度も何度もゾンビの頭を誰かの手製の槍で突いた。
なかなか刺さらなくて手が痺れて最後は泣いていた。
いくつの時かは思い出せない。
それからずっとゾンビを殺してきた。
殺せば殺すほど強くなったような気がするし、殺すのも楽になった。
それでも未だに、1人ではやつらのうち1体だって倒せない。
7、8年くらい前、仕事で寄ったエオニオの街でやたら綺麗な顔のガキに弟子にして欲しいと言われた。
断ったがしつこくて、仕方なく街に寄ったときには戦い方や体の鍛え方を教えてやっていた。
そのうちそのガキの姉・イオナとも知り合い、付き合うようになって、俺は親友を誘ってエオニオを拠点にして動くようになった。
そのガキ、ニグルが独り立ちしたら籍を入れて、俺は街の門番にでも雇ってもらうつもりだった。
そろそろ、と考えていた矢先、街長が死んだ。
死んだ街長の息子が街を仕切り出して、イオナに愛人になれと言い出したのを機に、いっそ街を出ようかと話していたが、相手はイオナを奴隷に落とそうと仕掛けてきた。
街の人たちはまだ俺たちの味方もいて助かったが、結局俺たちは街から逃げ出す事になった。
追手の弓でイオナが怪我をし、一晩木の上で過ごした後はとうとう意識を失った。
俺はイオナを背負って逃げたが、途中ゾンビたちに気づかれ、戦いながら逃げる羽目になったとき、子どもの頃の記憶にしかない自動車がこちらへ走ってきた。
もうあまり残っていない上に、走行時の音がゾンビを惹きつけるため使用されていないやつだ。
そんな自動車が俺たちとゾンビの間に割り込んできて止まり、そして男の声が響いた。
「こんにちは。お困りですか?」
場違いなまでに穏やかな声だった。
自動車の後ろには荷台があり、俺たちはそこに乗せられ、安全だという彼らの拠点へ連れて行かれた。
本当なら、もっと疑ってかかるべきだと思う。
だがあまりに予想を超えた出来事だったため、俺たちのうち誰もまともに頭が動いていなかった。
彼らは水と食事を分けてくれて、その言葉は本当に心からの親切で言われているような温かな響きがあった。
彼らがどんな人物で、こんなところで何をしているのかなんて1つも分からない。
だが、どういう裏があれ力を貸してくれるなら、助けてくれるなら。
イオナは夜中に目を覚ました。
彼らが用意してくれていた『スポーツドリンク』という熱があるときの飲み物と、お湯で戻すスープ……そう、確かインスタントのスープだ。子供の頃に飲んでいた記憶がある。
それらをとった後、解熱剤を飲んで、また眠った。
街を逃げ出した俺たちは、おそらく犯罪者として無線で他の街へ知らせが行っているに違いない。
このチャンスを逃して彼らと別れてしまえば、この先どうなるかは火を見るより明らかだ。
明日は、頭を下げて頼んでみよう。
助けて欲しいと。
俺だけの事なら何でもすると。
仲間達にも相談したが、3人とも他に道は無いだろうと言っていた。
巻き込んでしまったレークスとナツには本当に申し訳ない事になってしまったが、できる限り俺だけの契約で済ませるように話を持っていきたい。
そのかわり、汚れ仕事でもなんでもする。
そう頭を下げてみよう。
なんとなく、彼らならそこまで非道な真似はしない気がした。
だが全ては明日だ。
神よ。
この世界の神がまだ俺たちを見ていてくれるなら、どうか助けて欲しい。
イオナを、レークスを、ニグルを、ナツを。
俺のことは構わないから、どうか彼らを救ってほしい。
神よ。
そこにいるのだろうか。
ああどうか、神よ……。




