人魚姫の願い事と青い鳥 1
* * *
三日経っても、クラウス様は、帰ってこなかった。代わりに毎晩夢で見るのは、『褒美!』と叫ぶ青い鳥。うるさくて、寝不足だ。
「クラウス様……」
そして、その日私は、急に目の前に現れた、大きな銀色の泡の中に、見てしまった。
クラウス様が、倒れたドラゴンの前で、膝をつくのを。その足元は、赤い液体で濡れている。その液体は、ドラゴンのものなのか、クラウス様のものなのか、泡はすぐに、パチンとはじけて消えてしまい判別できなかった。
心臓が苦しいほどに、早鐘を打ち始める。
居ても立っても居られず、海面に向かって、泳ぎ出す。その後のことなんて、考えることもできない。
ザバッと音を立てて、海面から顔を出した。
「……クラウス様っ!」
呼んだところで、返事なんてないとわかっていても、呼ばずにはいられない。
今日は、快晴だ。
南の海の直射日光が、ジリジリと肌を焼くようだ。
『人魚に恋してしまうなんて。でも、それはレイラだからだ。仕方がない』
クラウス様は、どうしてこんな海の真ん中で、溺れかけていたの? だって、魔術を使えば、海の中にまで、来れるような人なのに。
魔術が使えなかったから?
意識を失っていたから?
……筆頭魔術師と呼ばれるほどのクラウス様が、そんな状態になるほどの何かと戦っていた?
その事実に、心臓が止まってしまいそうなほど、ギュウギュウと縮こまる。
その時、頭に浮かんだのは、青い鳥。
「ラック!」
私は、藁にもすがる思いで、その名を呼んでいた。その瞬間、バサバサと羽ばたく音とともに、私の目の前に真っ青な空に溶け込みそうな色の鳥が現れた。
『レイラ。褒美……。受け取る気になったか?』
「っ……。クラウス様を助けて!」
『ふーん、あいつの危機をどうやって知った? ……だが、僕が叶えてやれるのは契約者自身のことについてだけだ』
「それなら私は、クラウス様を助けに行きたい」
波の音と、小さな羽ばたきだけが、私と青い鳥以外には、海と空だけの広い広い空間を支配する。
ピピッと小さくさえずる青い鳥。
『無謀な人魚。だが、嫌いではない。クラウスを探すよう命じられていた僕に協力してくれた対価分だけ助けよう』
その瞬間、浮遊感と灼熱感が、私を襲う。
『だが、クラウスがいるのは地上だ。人魚は地上に行くことができない。それは、この世の理だ。だが、レイラだけは特別だ。お前の中身は』
「人間になったら、クラウス様を助けにいける?」
『ああ。願うか?』
「お願い、私を人間にして!」
クラウス様が、膝をついた場面を見た時、やっと自分の気持ちを認めることができた。
好きになっているらしい、クラウス様のこと。
泡になって消えてしまってもいいとは、思えないけれど、助けに行くことに迷いはない。
次の瞬間、一瞬投げ出された宇宙と、焼けるような感覚とともに二つに分かれる私の。
トンッと、地上に降り立つ。
急に水中から出た時の、体の重さを感じながら、膝をついて荒い息を吐く、クラウス様に走り寄る。
久しぶりの地面に、足の力がうまく入らないけれど、自然と調整されていく。
そう、これが人魚の魔法なんだ。
育っていく中で、自然とわかるという魔法の感覚。はじめて理解した。だって、私の心は、人魚じゃない。
「……死ぬ間際に見るという、泡沫の夢か?」
「違いますよ」
「……どうしてここに?」
「クラウス様が、また来るという約束を破ろうとしたので」
やっぱり、赤い水溜まりは、クラウス様からこぼれ落ちている。
振り返れば、大きなドラゴンが倒れている。
こんな生き物といつも戦っているのだろうか、クラウス様は。
人魚は、自然と魔法を使っている。
でも、それ以上を求めるときには、対価が必要だ。
(人魚の肉を食べた人に、永遠の命が手に入るのは、対価を払った人魚の魔法)
実際は、人魚を食べても、不老不死になるわけではない。対価を捧げて誰かを助けようとした人魚の魔法を表す比喩なのだ。きっと。
人魚の魔法は、歌声と血液とともに流れている。
今ならそれがわかる。
だから、おとぎ話の人魚姫は声を失ったのだ。
「やめてくれ」
「嫌ですよ」
私を遠ざけようとする力は弱い。カリッと唇を傷つけて、クラウス様にキスをした。
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