筆頭魔術師様が海の底まで追いかけてきました。 3
* * *
数日経って、私はクラウス様から逃げ回るのをやめた。何度逃げても隠れても、追いつかれて見つかってしまうせいなんかじゃない。
本気を出せば、逃げ切れるのだ。私は、人魚なのだから。
「……なんだ。逃げるのは、もうおしまいか?」
少し意地悪な笑顔。細められる真紅の瞳は、真っ直ぐに私を見つめる。いつも、眉間に皺が寄っているのは、機嫌が悪いというわけではないらしい。
「クラウス様が、どこまでもついてくるからです。子犬みたいで、追い払うのが申し訳なくなっただけです!」
「はあ……。俺を子犬に例えたのは、レイラが初めてだな」
「……それなら、普段は何に例えられているのですか?」
ほんの意地悪のつもりだった。それなのに、クラウス様は、鼻で笑って、口元を歪めた。
「戦場の悪魔、冷酷魔術師、竜殺し、赤い薔薇の死神。ああ、それから……」
「もっ、もういいです!」
「……怖くなったか?」
「怖くないです! でも、自分のことそんなふうに言ったら、傷つきますよ」
クラウス様が、真紅の瞳をわずかに見開いた。
そんなふうに呼ばれるのが、当たり前になってしまっているのだ、クラウス様は。
「俺は、傷ついてなどいない」
「それは、クラウス様が、気がつかないようにしているからです。クラウス様が、そんなふうに言われていたら、私ですら嫌な気分ですもの」
筆頭魔術師なんてお仕事のお方だ。
おそらく、他の人にとっては、怖いこともあるだろうし、畏怖の対象になってしまうこともあるだろう。
でも、ここ数日、私が知ったクラウス様は、そんな人ではなかった。
「……純粋というか、怖いもの知らずというか」
ため息をつきながら、告げられた言葉に、言い返そうとした次の瞬間、抱きしめられていた。
「っ……! クラウス様?!」
「少しだけ、このままでいさせてくれないか」
ここ数日間の人を小馬鹿にしたような物言いだったクラウス様の言葉が、あまりに真剣だったから、私は押し返そうとした手を、ダランと下げる。
「捕まえた」
「ふざけているなら、離してください」
それなのに、離れてしまうと、なぜか寂しい。
しかも、クラウス様が、眉を寄せるでもなく、笑いかけてくる。
「ク、クラウス様っ! 私、家に帰ります!」
「ああ、すまない」
なぜか謝られた。
思い出か何か、クラウス様の琴線に触れて、思わず抱きついてしまったのだろうか?
やはり、子犬みたいだ。
微笑むクラウス様に、思わず見惚れてしまう。
それと同時に、なぜか泡みたいに消えてしまうのではないかと、不安にもなる。
「どうして、こんな海の底まで、来てしまったのですか? 恩返しなら、本当にもう」
「……今となっては、恩返しとか、君が人魚だとか、その桜貝のような髪とか、どうでもいい」
「やっぱり、理由があったんですね。恋とかウソですよね?」
「……ふ。どう思う?」
心のどこかで、ウソじゃなければいいと、思い始めている。その気持ちに、気づかないふりをする。
だって、今の私は人間じゃない。人魚だ。
私とクラウス様は、違う生き物なのだから。
身分違いとかいう次元ではない。
それなのに、クラウス様は、私の髪をそっと撫でてクスリと笑う。
「人魚に恋してしまうなんて。でも、それはレイラだからだ。仕方がない」
頭がクラクラする。海の水が沸騰したみたいに熱い。
そして、きっと私の頬は、珊瑚みたいに赤い。
その言葉に答えることもできないまま、私はクラウス様に背を向けて逃げ出した。
そのことを、あとで後悔するなんて、知りもせずに。
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