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衰退世界の人形劇  作者: 小柚
中巻

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第十八章(4)

『そこで戦うな、カノン。上へ来い!』

 虎白さまの声に、マグノリアは舌打ちをした。

「わかっているわ。煩いわね……」

 わたしはヒヤヒヤする。虎白さまに聞こえてやしないだろうか。マグノリアは思った以上にキツい性格の女の子らしい。何度か夢で見た生前の彼女とのギャップに面食らう。

 マグノリアは地を蹴ってふわりと空に浮かんだ。何度か小さく『水塊』を歌い、それを足場にしながら屋根まで上る。

 わたしは彼女の目を通して地上を見下ろしながら思った。

 この鳥瞰を見たことがある。わたしは何度も、鳥のように町を見下ろしたことがある。そんな経験があるはずがないのだけど、わたしには色んな記憶が思い起こされていた。

 飛んでくる矢や砲撃、罵声や悲鳴を受けてわたしは嘲笑を浮かべる。両手を優雅に操って青い髪の合唱団を指揮し、愚かな白子と有色たちに鉄槌を下した。

 怒りをぶつけて、ぶつけられて。傷付けて、殺して、殺されて。それは長い長い争いの歴史だった。

 わたしは目まぐるしく変わる記憶の風景に混乱する。眠気はいつの間にか吹き飛んでいた。もはやそれどころではなかった。

「しっかりしなさい。そんなものには目を瞑りなさい」

 マグノリアはわたしを励ますようにそう呟いた。

「あなたはカノン。十四歳のちょっぴり不運で可哀想な女の子よ。それ以外の何者でもないわ」

 そうよ。そうよね。わたしはカノン。わたしが見ていたのは、高い塔の窓から見下ろす故郷、アピスヘイルだけ。鳥のように飛んだことなんてないんだから。

 わたしは目の前の風景に意識を集中する。王宮の屋根の上には、赤い煙と金色の煙があった。兎緋と金鳳、そしてわたしの周りにまとわりつく青い煙は藍猫だ。

 兎緋の容貌がようやくはっきり見えた。ウェーブがかかった綺麗な赤いグラデーションの長い髪の女の子。わたしより何歳か上のように見えたけど、大きな瞳の可愛らしい顔立ちはまだあどけなさを残しているように思えた。

『カノン。いや、藍猫と言うべきか? 俺に味方をしてくれるという認識でいいんだな?』

『全く、世話が焼けるわ。あなた、金鳳で兎緋に本気で勝てると思っていたの?』

『白子の力も使えばなんとかなると思っていた』

『病的に楽観的ね。あなた、金鳳に汚染されてるんじゃない?』

 虎白さまはアハハと笑う。彼はわたしの存在にとても安堵してくれているようだ。信頼に満ちた感情が伝わってきた。

 不思議な感覚だった。司彩同士の会話は、こんなに遠くにいても伝わる。声だけでなく感情まで、まるで目の前にいるみたいに判断できる。

 溶けた液体が混じり合うようだ、と思った。魂を液体にして、どこか別の空間に流しているような感じ。その空間でお互いの意識を混じり合わせるように信号を送っている。

『藍猫さんまでヒドいです! 不可侵って約束したの忘れちゃったんですか? 不可侵ですよフ・カ・シ・ン! 意味わかってます?』

 怒りの感情と共に、キンキン声が流れてきた。マグノリアは不快な気持ちを隠さずに空間にそのまま流す。

『不可侵っていうのは、許可なく入っちゃいけないんです! イグニア国は兎緋ちゃんの国ですから、他の司彩さんは入っちゃ駄目なんです! 金凰さんはお友達でしたから許可してましたけど、金鳳さんは駄目なんです! 可愛い女の子の金凰さんしか駄目なんです!』

『煩いから黙って頂戴』

『うるさいって言った! ヒドいです!』

 四方から彩謌が聞こえた。マグノリアは巨大な水塊をいくつも出して、身を守る。爆発は水塊に飲み込まれたのか不発に終わり、兎緋が奇声を上げた。

『ムキー! 全然爆発しませんです! ヒドいです!』

 頭をかきむしり地団駄を踏む彼女はあまりに情けない。溜め息をついたマグノリアは、背後に気配を感じて振り返った。すると、屋根の影に隠れた金鳳の人形が目に留まる。

「藍猫。兎緋は間抜けだから、彩謌を無駄撃ちさせよう。ここは楔樹から遠い。奴は必ずエネルギーが尽きてカーネリアに待避する」

 司彩同士の会話ではない、直接的な声が届いた。マグノリアも声でそれに応じる。

「不発にするなと言うことね。でもわたし、逃げ回るのは得意じゃないわ」

「できるだけ俺が標的になる。援護してくれればいい」

「わかった」

 多分、司彩の会話をしたら兎緋にも聞こえてしまうのだろう。わたしはふと、橙戌のところでスイさんが似たようなことをしたのを思い出した。

 スイさんは橙戌の人形に囲まれた砂漠で、初めは司彩の会話をしていた。だけど彼は急に人形に近付いて内緒話を始めたのだった。

 思えばあれは、わたしに聞こえないようにあえてそうしたのだろう。あの時は検討もつかなかったんだけど、スイさんはわたしに聞こえては不味い話をしたんだわ。

「ペテン師だと虎白が言うのもわかるわね。あいつは信用できないわ」

 マグノリアはそう呟いてから、兎緋に視線を戻す。

「あなたは考えを駄々漏れにするんだもの。あいつに良いように読み取られて良いように使われたんだわ」

 読み取られた……。そういえば、スイさんはわたしの考えをいとも簡単に読み取っていた。わたしの意識は司彩の空間に滲み出してしまっていたのかしら。

 気付かない内に、わたしは色々とへまをしていたのね。

 彩謌が聞こえたので、マグノリアは屋根から空へと飛ぶ。爆風に背中を押されて宙を舞い、彼女は彩謌を唱えた。

 『軟化』、前方二十。

 横向きのまま壁に着地する。壁はボヨンと柔らかく体を受け止め、その反動でマグノリアはさらに飛んだ。

 一瞬後に壁が爆発する。マグノリアはトランポリンを飛ぶようにポヨンポヨンと建物を跳び移り、兎緋の攻撃を回避していった。

『そんなに服やら何やらが大事なら、俺もプレゼントしてやろう。イグニア国の主権を俺に譲渡してくれるならな』

『いらないですよ! あなたの衣装はダサいですもん。なんですか、そのヒドい組み合わせ! 趣の欠片もありません!』

『そうか? 俺は結構気に入ってるんだが』

 兎緋は攻撃の照準を虎白さまに移す。彼は敢えて兎緋を挑発して、わたしへの注意を逸らしてくれたのだ。

 マグノリアはいくつか複雑に建物を跳ね回った後、屋根の影に避難する。弾む息を整えながらじっと目を凝らし、虎白さまに彩謌を打ち込む数人の人形たちの位置を割り出そうと注力した。

 近くにいる。距離は大体二十五くらい。虎白さまに向けて彩謌を放ったのを見計らい、マグノリアは『水塊』を放った。

『キャー! もう! やめてください藍猫さん!』

 人形を潰されて怒り心頭の兎緋は、再びわたしに照準を向ける。しばらく回避した後に、虎白さまが再び挑発して攻撃を引き受けてくれる。

 わたしたちはそうやって兎緋の体力を消耗させつつ人形の数を減らしていった。

 だけど、いつまで続くのだろう。マグノリアは少しずつ傷を作っていった。建物が破壊された時に破片が飛んできて、足や背中に突き刺さる。多少の怪我はすぐに癒えるのだけど、こうも頻繁に受けると治る前に新しい傷ができてしまう。

 それは虎白さまも同じようだった。彼は建物に被害が出ないよう上手く攻撃を回避していたけど、広範囲の爆発は幾度も建物を破壊した。その度に破片が飛び、彼の体を掠めていた。

 金色の煙に少しずつ赤味が混じっていくのがわかる。あれは血だ。血液が霧状になって拡散しているのだ。

 司彩の姿に変化しているときに、頭である白子の体がどうなっているのかはよくわからないのだけど、煙に混じって拡散しているのだと思う。物質と魂の間のような状態になって、わたしたちは空を飛び回り続けている。

 かれこれ、数時間は経っただろう。日は傾き、辺りは夕暮れを迎えつつあった。

 わたしは不安を感じ始めていた。本当に兎緋のエネルギーは尽きるんだろうか。虎白さまの見立ては間違っていないだろうか。

「大丈夫よ。間違っていないわ。司彩のエネルギー供給源は楔樹が発散する高純度の彩素よ。わたしたちのように神樹の実を食べるなんて妙なことをしない限りは、他にエネルギーを取り込む手段はないわ」

 神樹の実を兎緋が食べているという可能性は?

「ないわ。神樹の力は古き神、創造神のもたらすもの。新しい神を自称する司彩は、毛嫌いして退けるはず」

 仕都は緋の都に近いわ。楔樹のエネルギーが届いちゃうんじゃない?

「そんなはずはない。藍猫の記憶でも、橙戌の記憶でも仕都ではエネルギー切れを起こして敵に負けていたわ。だから今の司彩たちは自分の彩の都に立て込もって出てこないのよ」

 それじゃあ、もしエネルギー切れを起こしても、緋の都に戻られては復活してしまうんじゃないの?

「戻られては負けるわ。だから、戻ろうとしたときがわたしたちのラストチャンスよ。確実に仕留めなくちゃいけない」

 マグノリアはわたしの不安を沈めるために、疑問全てに丁寧な回答をくれた。

 信じて戦っていれば、必ず勝利が見えてくる。わたしは祈った。祈るしかできなかったから、ひたすらに神さまに祈った。

 ハクトの神さま、古き神、創造神に向けて祈りを捧げた。

 祈りはなんともあっけなく届き、兎緋の様子に変化が現れ始める。彼女は彩謌を歌っても、爆発が起こらなくなったことに首を傾げていた。兎緋はエネルギー切れというものを経験したことがないのか、その事実を察するのに時間がかかっているようだった。

 その隙を見て、虎白さまは攻撃を叩き込む。

 あれは『支援』。植物に命素を送り込んで急成長させる彩謌だ。金凰が使っていた攻撃だ。

 先端を尖らせた蔦が地面から伸びて、次々と兎緋を襲う。彼女はキャーキャーと悲鳴を上げながらそれをかわした。

『やだー! 白子のみなさーん! 私を助けるのですよ!』

 兎緋は泣きながらそんなことを叫ぶ。白子に助けを求めてどうするのか、と思ったすぐ後にわたしは重要なことを思い出した。

 下から一斉に彩謌が聞こえる。マグノリアは慌てて『渦潮』を唱えた。地面を濡らしていた水が渦を巻き、飛んできた無数の火球を消していく。

『兎緋ちゃんは待避するのですよー!』

『待ちなさい!』

 マグノリアは彩謌で雨を降らせて、下からの攻撃を牽制した。兎緋はまだエネルギーの残っているハクトの白子たちを操って、退却の援護をさせる気らしい。

 次々と火が放たれる中、人形のように潰すわけにもいかず、マグノリアは対処に困っている。

『わたしがなんとかするから、追って!』

『すまんな』

 ピョンピョン逃げる兎緋を、飛翔して追いかける虎白さま。マグノリアは彼を保護するように水塊を飛ばし、火球を消していく。

 虎白さまのほうが速いから、難なく追い抜いて進路を塞ぐ。金色の鳥は、逃げようとする兎緋に合わせてくるくると旋回した。

『残念だが兎緋、俺の国民はお前などに従わん』

『そんなことはないですよ! みんな可愛い兎緋ちゃんにすぐ夢中になっちゃうんですからっ』

 兎緋は強気にそう言ったけど、彩謌は聞こえてこない。

『あれ? あれれ? どうしてですか~』

 兎緋は何度も何度も手を振りかざし、攻撃を命じる素振りをみせる。虎白さまは勝ち誇ったように笑った。

『遊びはもう終わりだ、兎緋。その器は捨てて俺のもとに来い』

 薄暗くなったイグニアヘイルの町並みに、金色の光がポツポツと生まれる。エリスフェスタの夜祭ような光景から、一斉に彩謌が聞こえる。

 この響きは、『"発雷"、倍音三』。空から落ちてきた光の槍に、兎緋の体は貫かれた。

 



 

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