第十八章(3)
わたしは夢を見た。
桟橋に立っている夢。
目の前にはキラキラと煌めく内なる海。遥か向こうに神樹が堂々と聳え立っている。
その姿は切り株ではなく、天高く幹を伸ばしたものだった。雲の上まで突き抜けた頭の先は、霞んでしまって見えない。
「聖女マグノリア様の旅立ちとしては、うってつけの日和ですな」
わたしの手を引く村長さんがそう呟いて、快活に笑った。付き添う侍女たちも、そうですね、と口々に言い微笑んだ。
桟橋の先には小さな船がある。頼りなげなオールがついた小さな帆船。そこには美味しそうなフルーツや焼き菓子、お酒やジュース、ありとあらゆる贅沢品が乗っていた。
飢饉の最中である村の、最大限の貢ぎ物だ。これ以上のものは村人には出せないし、これらを捧げてしまうと多分、あと数ヶ月も持たずに村は破綻してしまうのではないかと思う。
村のみんなはそれだけの覚悟を持って、この儀式に臨んでいるのだ。
わたしは決意を新たに、村を振り返る。
小さな港には、村のみんながひしめいていた。わたしの晴れ姿を見ようと、みんな痩せた体を押し合い圧し合いして一生懸命前に出ようとしている。
「祈り子マグノリア、必ずや天子さまのご病気を治して、村に恵みを取り戻します!」
わっと歓声を上げる人々。この一年暗い顔ばかり見ていたわたしは、みんなを笑顔にできたことに誇らしさを覚えていた。
「ひと月、いえ、数ヶ月くらいかかってしまうかもしれませんが、必ず天子さまに祈りを届けます。それまでどうか、みなさんも頑張って……」
再び歓声に満たされる場内。わたしは密かに視線を泳がせて、ロイの姿を探した。
気まずいままに別れることになってしまったわたしたち。ちゃんとお別れの挨拶をしたかったけど、最後までまともに取り合ってくれなかった彼。
見送りにもきてくれなかったのかしら。わたしはガッカリしながらも、みんなに笑顔で手を振る。そして単身、船に乗り込んだ。
鳴り止まない歓声に見送られ、マグノリアは旅立つ。
向かうのは神樹の麓にあると言う天子さまの国。
わたしはマグノリアの目から港を眺めつつ、キリリと胸が痛むのを感じた。
わたしの旅立ちはこんな誇らしいものではなかった。
マグノリアはわたしの理想通りの旅立ち方をしたんだわ。
でもそれは当然だ。義務感から仕方なく旅立ったわたしとは違う。
マグノリアは自ら望んで身を捧げたのだ。
彼女は生け贄になる運命を自ら選びとったのだ。
だからこそ、零の門を潜って白子として生まれ変わった。
マグノリアはわたしとは違い、清らかで高潔な魂。
きっと彼女なら、虎白さまを助け、イグニアヘイルを救う英雄になるだろう。
オールを漕ぎながら、マグノリアは緩やかに海を流れていく。随分離れてしまった岸辺に、見覚えのある茶髪が見えた。
「ロイ……」
マグノリアは立ち上がる。船から身を乗り出して、彼の姿を焼き付けようとする。
ロイは何かを叫んでいた。一陣の風が、彼の言葉を届けてくれた。
「マグノリア! 行くなよ。どうして行っちゃうんだ……」
突然、風景がバラバラと崩れていく。
ロイの立つ崖が、青い空と海が、バラバラになって闇に溶けていく。
ーーやめて! それ以上、わたしの夢を見ないで!ーー
悲鳴に似た声が、わたしの意識を現実に覚醒させた。
目の前にあるのは、青い海ではなく瓦礫の山。
ひどく水浸しで、辺りは肌寒いほどの湿気に覆われている。
「カノンさん! もしかして、元に戻られたのですか?」
側にはリンさんがいた。彼女の顔は右半分が、兎緋の人形から受けた火傷で痛々しいケロイドになっている。
でも、命に別状はなさそうだ。わたしは安堵の気持ちに包まれる。
「わたし、今まで何を……」
「髪の毛が青くなっていました。カノンさん、あなたはもしかして、藍猫を宿しているのですか?」
やっぱりリンさんは、わたしについて何も知らされていなかった。わたしはコクリと頷き、もう一度問い掛ける。
「わたしが藍猫になっている間、何があったのか教えてもらってもいいですか?」
「は、はい。私も気を失っていたので全てを把握してはいませんが……」
リンさんが目覚めたとき、わたしは兎緋の人形と戦っていたらしい。火の彩謌で辺りを破壊して回る人形に水の術で対抗し、相手を追い詰めていた。
「兎緋の人形は泣きながら、あちらのほうに逃げました。追いかけようとしたときにカノンさんに戻ったんです」
「そうなんですね」
じゃあわたしも人形追いかけなくちゃいけない? あれは街を壊して回るから、放置していては危険だ。
リンさんの指差した方向に走り出そうとしたとき、遠慮がちな声に止められる。
「あの、カノンさん……教えてくれませんか」
「はい、何でしょう」
リンさんはしばらくモジモジしていたけど、徐に口を開いた。
「司彩に憑かれるとはどういうことなんでしょう。金色に髪を染めたあの虎白さまは、先ほどのあなたのように、虎白さまではない別の人なんでしょうか」
その質問に、わたしは驚く。あれほど盲目に虎白さまに付き従っていたリンさんが、今ここに来て迷いを抱いてしまっている。
今日のリンさん、少し調子が悪そうだった。もしかしたら、虎白さまへの信頼の揺らぎが原因のひとつだったのかもしれない。
わたしは努めて堂々と言った。
「わたしはイレギュラーなんです。普通は虎白さまのように定常的に髪の色が変わります。司彩になると意識が乗っ取られてしまうらしいですが、安心してください、虎白さまは虎白さまのままですよ。瞳の色が変わっていないでしょう?」
「瞳の色……」
「意識まで支配されたら、人形のように瞳が司彩の色にギラギラと輝くのですよ。虎白さまはそんなことないですから、虎白さまのままなんです」
「そう……ですか」
リンさんはホッとしたような、そうでないような複雑そうな顔をして頷いた。
「今は兎緋を退治することが先決です。行きましょう、リンさん」
「はい。そうですね……行きましょう!」
リンさんは迷いを捨てたように、威勢のよい声を上げる。多分大丈夫だ。リンさんなら、兎緋に操られたりなんかしないだろう。
走りながら、わたしはマグノリアに話しかけた。
――マグノリア、マグノリア。
また力を貸してくれる? 兎緋の人形を退治してくれる?
『…………』
どうしたの、マグノリア。何故黙っているの?
わたしの問い掛けに、彼女は大きな溜め息で応えた。
――どうしたの? わたし、何かまずいことをしたかしら。
『あのね、カノン。あなたは体を預けるときたらすぐに眠りこけて、わたしに任せきりにして少し無責任なんじゃない?』
わたしはそれを聞き、ぱちくりと目をしばたたかせた。
――だって、抗えないほどの眠気に襲われるのよ。眠らないなんて無理よ。
『無理じゃないわ。意識を目覚めさせたまま、体を預けることもできるわよ』
――そうなの?
『そうよ』
マグノリアにきっぱりとそう言われ、わたしは考えを改めた。
抗えないと思っていたけど、単に抗おうとしなかっただけなのかもしれない。
――じゃあ、眠らないよう努力してみるわ。それならまた力を貸してくれる?
『いいわ。だけど、眠ったら終わりよ。わたし、あなたを叩き起こすから』
――わかった。頑張ってみるから、よろしくお願い。
わたしがそう応えると、再び強い眠気に襲われる。
ガクンと膝から崩れかけたけど、わたしは踏ん張って耐えた。
空を見上げたのは、わたしだったのか、既にマグノリアに操作されていたのか。
ぽきりと折れたお城の屋根の向こうに、ちらりと赤い影が過る。
「あれは、兎緋です!」
リンさんが叫んだ。お城の屋根をピョンピョンと跳ねるように、赤い煙がうごめいている。
ぐるぐるとお城を回り、一番高い屋根に跳び移ってから、煙は一ヶ所に集まった。煙は凝集し、兎のような形を作り、その中心に小さな人影が現れる。
『ヒドいです! 兎緋ちゃんの大切な王宮をめちゃくちゃにして!』
金切り声が脳内に響いた。きっとあの人影がわめいているんだろう。遠すぎてどんな人かはまるでわからないけど、赤い髪をしているのはわかった。
『絶対に許しませんから!』
叫びと共に、近くから彩謌が聞こえる。これはケンの基準律、和音は『爆炎』、倍音七、距離五十。
マグノリアは予想爆心地に視線を送る。一瞬の後に爆音が鳴り響く。
暴風と共に、王宮のまわりの住宅地に火の粉が降り注いだ。恐らく何人かの人形が一斉に攻撃したのだろう。爆発は三度連続して起こり、空はその度に真っ赤に染まる。
兎緋が何を狙っているのかはすぐにわかった。爆発を避けるように、空高く旋回する金色の影。優雅に飛翔しているのは、金色の鳥だった。
『子供みたいに喚くな。兎緋、お前はもういくつだ? その頭は今の俺よりも歳上なのだろう?』
『うるさいです! 兎緋ちゃんは永遠の美少女なんです!』
再び彩謌が聞こえる。わたしはゆるゆると首を振った。
「全く、派手にやってくれるわね」
わたしの声だけど、わたしが言ったのではない。
勝手に右手が上がり、勝手に彩謌が紡がれる。
ラグの基準律による『水塊』、倍音五、前方十。
視線の先でみるみる膨れ上がった水の塊が、激しい音を立てて地にぶつかる。
『キャー! 何です? 兎緋ちゃんの人形が! 潰れちゃいました!』
クスッと笑うわたし。いえ、笑ったのはわたしでなくマグノリアだ。
『ヒドいヒドい! 寄ってたかって兎緋ちゃんを苛めて! もう絶対許さないんですからね!』
『別に許してくれなくてもいいわよ。貴女はここで死ぬんだから』
『!!』
驚くべきことに、マグノリアは司彩の脳内会話に入り込み、兎緋を挑発する。
遠目でもわかる。みるみる顔を真っ赤に染めた兎緋は、髪の毛を逆立てながらこちらを睨み付けた。




