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衰退世界の人形劇  作者: 小柚
中巻

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第十八章(2)

 日が高くなった頃、わたしたちはイグニアヘイルの港に到着する。港には何もなくがらんとしていた。そのことは『縮地』で把握していたものの、実際に何もないと少し不安になる。

「嫌に静かだな」

 虎白さまはぽつりとそうこぼしたものの、特に物怖じもせず埠頭に降り立った。

 その後は計画していた通りに部隊を動かす。港に残る部隊と、左右から市街を回り本隊を補助する部隊と、市民を保護する部隊。兎緋のいるイグニア王宮にまっすぐ向かうのは本隊だけだ。

 わたしとルカさんはリンさんがリーダーである右小隊に配属された。各部隊には金色の髪をした獣人の兵士さんが補佐についている。金色の瞳をギラギラと輝かせた彼らは『金鳳の人形』だ。

 エリファレットさまは人形を一人の人間のように喋らせていたけど、他の司彩はそんな使い方はしないのかしら。虎白さまが操っているはずのこの人形は、表情もなくボンヤリと宙を見つめてリンさんのそばに立っている。リンさんは気味が悪そうにその人形を眺めていたけど、虎白さまの連絡役だと説明されて、不承不承ながら存在を受け入れたようだった。

 わたしたちは船を降りる前、武器を選ぶように言われ携帯していた。一般兵とは違って彩謌隊は武器をあまり使わない。ほとんど持ったことの無い武器を使うと自分が怪我をするんじゃないかしら。そう思って、わたしは一番小さな短剣を選んだ。ルカさんとリンさんはスタンダードな長剣を選び、ニトさんとカリナさんは長槍を選んでいる。武器による応戦は後ろにいる一般兵たちが担ってくれるはずだから、わたしたちが武器を使う事態にはならないだろう。

 リンさんをリーダーとする右小隊は、五人で一分隊である彩謌隊が二つ、十人で一分隊である一般兵部隊が三つ、補給・医務隊が一つの五十人だ。イグニアヘイルには今、ほとんど兵士がいないらしいけど、数十万の平民が暮らしている。そのうち何人が武装して民兵と化しているのかわからない。まさか全員が襲いかかってくることはないだろうけど、全部で三百人にも満たないわたしたちに向かって一割が襲いかかってきても相当骨が折れるだろう。

 敵は少ない方がいい。一般都民を刺激しないように、わたしたちはマントの下に武器を隠した。意味があるかどうかはわからないけど、平民に危害を加える気はないことを明確にしておけば、敵が減るような気がしたのだ。

「右小隊、出撃します!」

 リンさんの指示でわたしたちは歩き始める。しばらくは本隊と少し離れた位置を並走する予定だ。本隊が民兵に囲まれたときに、外から救い出すのがわたしたちの最初の役割だったから。

 敵が現れないようなら、徐々に位置をずらしイグニア王宮の背後に回る。兎緋を本隊と左右の小隊で包囲するのが最終的なわたしたちの位置取りだ。

「イグニアヘイルのみなさん。私たちはハクトから来ました。みなさんの敵ではありません。みなさんを兎緋の圧政から解放するのが目的です。みなさんを今すぐ保護できる用意があります。希望者は武器を持たずに港へ向かってください」

 リンさんはそのような演説をしながら堂々と歩いていた。鎧を着た有色の兵士さんが周囲を固めていたけど、白いマントをはためかせるリンさんは一見無防備で華奢な女の人であり、銀色の髪の毛も相まってその姿は神々しいオーラに包まれているようにも思えた。

 わたしたちは最大限配慮していると思われたのに、街は相変わらずしんと静まり返っている。港町から商店街に入り、住宅地に入っても、見かけるのは野良犬や野鳥ばかりで人の姿はない。

 まさか既にみんな殺されてしまっている? そんな不安に駆られながらも、リンさんは演説をやめず歩き続けた。

 数十分が過ぎた頃だったか。街の静寂が突然破られる。どこか遠くから、超音波が聞こえた気がした。かなりの高音だったので、わたしの耳では何の音かまではわからない。

「リンさん、彩謌が……」

 わたしがそう進言しようとした時だった。周囲から無数の空を切る音が聞こえる。次の瞬間、そこかしこで短い悲鳴が上がった。

「敵襲だ!」

 誰かの怒鳴り声が響く。パッと見回すと有色の兵士さんたちの何人かが矢を受けているのが見て取れた。

 再び空を切る音。わたしの右肩を何かが掠め、石畳の隙間に突き刺さる。

「『"防壁"、左右五』!」

 リンさんの掛け声と共に、二組の彩謌隊はそれぞれ左右に術を放った。透明な壁に弾かれて、矢が次々と地に落ちていく。わあっと掛け声と共に、建物の影から無数の人々が駆け出してきた。手には木槍のようなものを持っている。

「私たちは敵ではありません!」

 リンさんは叫んだけど、人々は止まらなかった。有色の兵士さんたちは彩謌隊を守るように応戦を始めたけど、あまりの出来事に気圧されているのが素人目にも明らかだった。

 向かってくる人々の風体、表情がどう見ても異様なのである。彼らが兵士ではないのは予想できていたのだけど、民兵ですらなかったのは意外だった。彼らは着の身着のまま家を出てきたようなほとんど布一枚しか身に付けていない平民で、老人や女性、子供ばかりだ。みんな目を血走らせて、歯を剥き出しにして憤怒の感情を顔に張り付けている。木槍と表現したけど、それはただ長い木棒の先端を尖らせただけの粗末なもので、まともな戦闘ができるとはとても思えない。

 民兵であれば応戦しても良いが、非戦闘員は保護という方針を叩き込まれていたわたしたちは、この集団にどう対応すべきかうまく判断ができなかった。

「ーーーー!!」

 金鳳の人形が吠える。超音波の振動が肌を震わせた。一瞬イグニアヘイルの平民たちの動きが止まったけど、今度はまた遠くから同じような超音波が聞こえてきた。

 再び武器を振り上げる人々に、仕方なく応戦する兵士さんたち。

「駄目です! 私たちは平民を傷つけてはいけません」

 か弱い人々は、兵士さんが武器を一閃しただけでバタバタと倒れていく。

 リンさんの命令を受けて、兵士さんはなるべく平打ちや柄の打撃で対応していたけど、中には躊躇いなく平民を斬りつけている人もいた。

 噴き上がる血飛沫と悲鳴。辺りは一瞬にして戦乱に姿を変える。

 どうしたんだろう。リンさんの声が届いていないのかしら? リンさんは困惑していたけど、吹っ切ったように次の声を上げた。

「『"発電"、前方十』!」

 わたしは直ぐに呼応し、ゲルの音を出す。バチバチと小さな音が走り、十歩先の人々が倒れていく。その中には味方も何人か含まれた。

 ほっとしたのも束の間、遠くから超音波が聞こえると共に、新たな民衆が武器と共に駆け出してくる。わたしたちは再び発電の術を撒き、敵を無力化した。

「彩謌隊から離れないでください! 平民に致命傷を与えないでください!」

 リンさんは叫んだけど、命令に応じずどんどんと平民をなぎ倒していく兵士さんが増えていく。彼らはわたしたちから離れ、わざわざ平民の群れに突撃して彼らを襲っていた。

 彩謌は敵味方関係なく効果を及ぼすから、敵陣に入り込まれるとこちらも攻撃を打ちにくくなる。支援の術も届かないし、良いことがひとつもない。そもそも平民を傷つけてはいけないという方針だったはずでしょう。どうして彼らは言うことを聞いてくれないのか。

 だけどすぐにわたしにもその気持ちがわかるようになった。兵士さんの間を縫って飛び込んできたひとりの老婆が、木槍をリンさんに突き刺そうとした時のことだ。

「! ニト!」

 リンさんを庇ったニトさんの脇腹に槍は突き刺さり、辺りに血飛沫が舞う。わたしはその光景を目にして、頭の中が真っ赤になった。

 助けに来たわたしたちに、こんな酷いことをするなんてどうかしている。こんな人たちのためにニトさんが死んでしまうなんて許されない。

 わたしはカッとなってマントの下の短剣を抜いた。しっかり両手で握りしめ、木槍を振りかざす老婆に向かって駆け出した。

「カノン! 落ち着け!」

 ルカさんの声が聞こえて、わたしは足を止める。わたしの短剣は老婆の木槍を真っ二つに割いただけで、まだ血に塗れてはいない。

「だってルカさん! ニトさんが怪我を」

「俺たちは実を食べた白子だ。怪我なんてすぐ治る!」

 ルカさんは老婆から折れた槍を叩き落として、彼女の腕を後ろに捻り上げた。

 周りには鎮圧した平民の群れが座り込んでいて、服を割いて作ったらしい簡易のロープで数珠繋ぎにされている。

 ルカさんは後ろ手に縛り上げた老婆をその集団に繋いでから、ニトさんにすがり取り乱しているリンさんのもとに向かった。

「リン! お前まで敵の術にかかってどうするんだ!」

「て、敵の術……?」

「みんな明らかに精神攻撃を食らっているだろう。あの彩謌は恐らく精神を昂らせる術だ」

「精神攻撃……」

 リンさんはパッと顔を上げる。辺りの騒乱を見回して、ようやくその意味を理解したようだ。

 司彩は白子を操ると聞いていたけど、まさか有色の精神まで操ることができるの? いえ、流石に操るというところまではいかないだろう。多分、何か感情のスイッチを強制的に入れるような術だ。それでもこの混乱を作り出すには充分な威力を誇る。

「あの音波を止めないと、数十万から袋叩きだぞ! 今は多少犠牲を払っても、あれを止めないといけないだろ」

「その通りです」

 リンさんは毅然とした表情を取り戻し、すくと立ち上がった。その側にふわりと金髪の獣人が降り立つ。

「リン。範囲十以内に仲間を集めろ。飛ぶぞ」

「は、はい!」

 リンさんは命令を受け、仲間を引き寄せつつ周囲に発電のルオンで結界を張った。何人か置き去りにすることになるけど、この状況では仕方がない。

 金鳳の人形は三色の石を砕き、ルオンを唱える。この音は『縮地』だ。風景がグニャリと歪み、わたしたちは一瞬にして違う場所へと移動した。

「ここはどこですか? 虎白さま」

「王宮の裏手だ。北広場。あそこに見えるのがイグニア王宮だ」

 金鳳の人形は、他の部隊の状況を簡単に説明してくれた。

 住宅地に入ったとき、他の部隊も一様に平民に襲われた。左小隊は南広場に、本隊は中央広場に同時に飛び、三隊でイグニア王宮を包囲している。

「兎緋は王宮にいるとハオランは言っているが、彩謌は違う場所から放たれていた。市中に人形が紛れているようだ。数はわからん。今から本隊で王宮を攻撃してみるが、相手がどう出るかわからん。四方に注意しろ」

「わかりました」

 そんなやり取りが終わるか終わらないかのところで、わたしの頭の中に大音量が響き渡った。

『ズルいです! ズルいズルい! ワープするなんてズルい! 金凰さんはそんな彩謌は使えないはずなんです! ズルいズルいズルい!』

 キンキンする高音の女性の声だ。わたしは思わず耳を塞いだけど、その声量は全く弱まらなかった。

『王宮を攻撃なんてヒドいです! ここは可愛い兎緋ちゃんのおうちなんですよ! 金凰さんがくれた可愛い服とかぬいぐるみでいっぱいなんです! 絶対に許さないんですから!』

「どうしたんだ? カノン」

 耳を塞ぐわたしにルカさんが奇妙そうな顔を向ける。そうか、この声は司彩であるわたしと虎白さまにしか聞こえないのか。

 わたしは兎緋の声が聞こえることを小声で伝え、虎白さまの反応を待った。この発言に彼はどんな対応を見せるのか。だけどその反応を見る前に、周囲から爆発音が響き渡った。

「『"防壁"、後方十』!」

 透明な壁に弾かれる無数の瓦礫。広場の向こうには豪勢な街並みが広がっていて、そこから次々と火の手が上がっている。

 悲鳴と共に、逃げ惑う人々の群れが見える。彼らは武器を持っていない。ただ必死に避難しようと広場に押し寄せてくる。

『逃がしませんよ! ドーンですっ』

 無邪気な声が脳内に響く。声に合わせて巨大な爆発が起こった。地面ごとえぐれた市街地が、広場の上空に放り出されている。

「し、『"焦光"、倍音三、上方、えーと二十』!」

 リンさんの手元から放たれた光の塊が、上空の島を粉々に分解する。ドスンドスンと重たい音と共に、ざらざらと細かい欠片がわたしたちに降り注いだ。

 視界が悪い。押し寄せる人々にもみくちゃにされて前後不覚になる。なるべく息を止めて、目を閉じて、砂塵が晴れるのを待つ。

「火だ! 火が来るぞ!」

 そんな声が聞こえたと思ったら、わたしは群衆にドンと突き飛ばされて瓦礫の山に放り出された。顔や体に激痛が走る。

「カノンさん、大丈夫ですか?」

「は、はい……」

 わたしを助け起こしてくれたのはリンさんだった。彼女はわたしの手を引き走り出し、周りに向かって大声を上げる。

「皆さん、港に向かってください! ハクトの兵があなたたちを守ります! 彼らの指示に従ってください!」

 次々と爆発音が響き、瓦礫が撒き散らされる。瓦礫に埋もれた人々を救出している味方の姿がちらほら見えた。

 火の手が上がる中、リンさんは逃げ遅れた人々に声をかけて回っている。瓦礫に挟まれた人を見つけては『上昇』で救い出し、簡単な応急処置をする。わたしも微力ながらそれを手伝い、たくさんの人に感謝された。

 生存者を探し回っていると、赤く染まった路地に一人の女の子が泣いているのを見つけた。リンさんは彼女に駆け寄り、そっと肩に手を乗せる。

「ここは危ないですから、逃げましょう。泣かないで、大丈夫ですから」

 女の子は泣きじゃくるのを止めない。仕方なくリンさんが彼女を抱き上げようとすると、少女はパッと顔を上げた。

「ドーンですよ」

 ニタリと笑う顔を見たのは、多分わたしだけだろう。あっと言う間もなく、リンさんは吹き飛ばされていた。壁に叩きつけられたリンさんは肩を中心に右半身が焼け焦げていて、意識を飛ばしているように見える。衝撃を受けた壁は崩れかけていて、わたしは頭が真っ白になった。

「ヒドいです、ヒドいです! みんなみんなあなたのせいですよ! イグニアヘイルに攻めてくるなんて、悪魔です。あなたたちは悪魔です!」

 ヒステリックにわめきたてる少女は大きな赤い瞳をギラギラと輝かせている。兎緋の人形だ、とわたしはすぐに理解した。

「イグニア国民が死ぬのもみんなあなたのせいです。あなたのせいですよ! あなたのせいです!」

 赤毛の女の子は、呪文のようにそう喚きながらわたしに近付いてくる。リンさんは微動だにしない。壁は崩れかけてパラパラと粉を振り撒いている。

 わたしは腰を抜かしてその場に座り込んでいた。そんなことをしている場合じゃないのに、頭が回らない。

 少女が手を天に翳した。

「ドーンですよ」

 彼女の口から彩謌が紡がれるのを、スローモーションのようにわたしは見ていた。

 わたしは咄嗟に祈った。わたしの中の彼女に祈った。

 マグノリア。マグノリア。どうかわたしを助けて。リンさんを助けて。イグニアヘイルのみんなを助けて。

『わたしに助けを求めると言う意味を、あなたは充分に理解しているの?』

 マグノリア。わからない。わからないけど、助けてほしいの。あなたにはその力があるのでしょう? このままでは、わたしたちは死んでしまうわ。

『……。わかった。それじゃあ、わたしに体を預けなさい』

 体を預ける?

 どうすれば……。

 そう問い掛けたわたしは、急激に眠気に襲われる。抗う間もなくわたしの意識は、深い暗闇の中に落ちていった。

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