第十六章(2)
その後しばらくして、わたしとルカさんは船室に呼ばれた。
梯子を降りた先にある狭い船室に、地図を広げた机が置いてある。その地図を睨み付けるようにして、虎白さまはひとりで佇んでいた。
「呼びつけてすまない。二人には、これから先のことを少し話しておきたいと思ってな」
「これから先のこと、ですか……」
虎白さまが話したいというくらいなのだから、真剣に聞いておかないといけないことだろう。わたしはゴクリと喉を鳴らして彼の言葉を待った。
「アピスヘイルを救いたいというのがカノンの望みだったが、アピスヘイルに手を回すには金凰の説得が不可欠だ。その理由は言わなくてもわかるな?」
「はい。アピス国に侵攻したと思われたらまずいからですよね」
「そうだ。だからこれから金凰に謁見をし、我々の思惑を伝える」
「はい。それは理解しています……」
組んだ腕を顎にやり、彼は少し眉を潜める。
「おそらく金凰は開口一番に橙戌のことを聞いてくるだろう。あいつは金凰の犬だったからな。飼い犬の行方が知れんのは気に食わんだろう」
「そうでしょうね……」
つい忘れそうになるけど、わたしは当事者なのだ。わたしはごくりと喉を鳴らし、話の続きに耳を傾ける。
「しかし金凰はそこまで鼻は良くない。白子の群れに隠れたお前を見つけることはできん。お前はリンの後ろに隠れて平然としていればいい。何を言われても黙っていろ」
「は、はい」
「何の心配もするな。お前を売るようなことはせん」
わたしはパッと顔を上げた。優しい顔の虎白さまが目に入る。
「そんなことをしたらスイが黙っていない。狐翠を敵に回せば、ハクトは吹っ飛ぶ。
――だから安心していろ、必ずお前は守り抜く」
わたしの頬は紅潮してしまったかもしれない。
アピスヘイルではずっと『みんなを守る側』だったわたしだけど、ハクトに来てからは『守られる側の安心感』に浸っていられる。
それは心地良いことなのだけど……すっかり疑り深くなってしまったわたしには、一欠片の警戒心が残っていた。
守られてばかりの役に立たないわたしをここに連れてきたのは何故だろう。戦闘でも交渉でも大した役に立てないのなら、わたしが使節団に加えられた意味はあるの?
「わたしは隠れているだけでいいんですか? 本当に?」
「隠れているだけでいいが、ひとつだけ頼みがある」
思わず身が強ばる。やっぱりわたしには重要な仕事があるんだ。でないと、虎白さまが連れて来たいと思うわけがないもの。
「な、なんでしょう……」
ビクビクしながら続きを促すと、虎白さまは難しい顔をしてこう言った。
「金凰がどの程度交渉に応じるかがわからん。話の流れによっては戦闘になるだろう。勝てるかどうかはやってみないとわからんが、もし勝てた場合に、お前にもうひとり司彩を入れてもらう可能性がある」
「もうひとり……金凰ですか」
「そうだ。金凰を他の白子に入れるわけにはいかん。司彩を宿して問題を起こさない実績がある白子は、お前とスイしかいない」
「わたしかスイさん……」
「最悪のシナリオのひとつが、味方を金凰の頭に乗っ取られ、我々が壊滅してしまうことだ。せっかく勝ててもそれではつまらんだろう」
「…………」
「お前には積極的に金凰を受け入れてもらいたい。そうすれば金凰を封印できる」
すぐには返事ができなかった。
だって、今のところは司彩の魂を沈黙させているけど、三つ目も同じようにできるかわからない。三つ目を宿したところで限界を迎えて、コップから水が溢れるようにわたしの魂を侵食してくるかもしれないじゃない?
わたしはマグノリアの二色に染まった髪の毛を思い出す。もし三つ目が入ったら、マグノリアの髪の毛はどんな風に染まってしまうのだろう。縦に三色? それとも斑になったりなんかして……。
「不安なのはわかるが、最悪のシナリオになればお前は死ぬ。俺もルカもリンもみな死ぬだろう。スイは逃げ延びるだろうが、他はみんな死ぬ」
「わ、わかりました! わかりました、やります。具体的にはどうすればいいんですか?」
「金凰の近くにいろ。器から出てきた司彩は一番近くにいる白子に取り憑く。近くにいればいるほど選ばれる可能性が高い」
「近くにいればいいんですね、わかりました」
わたしの答えを受け、満足そうに頷いた後に虎白さまはルカさんに視線を向ける。
「ルカも同じだ。金凰と対面しているときは、できるだけ黙っていてくれ。俺が呼びつけたらその通りに動いて欲しいが、他のことは何もするな」
「…………」
ルカさんは少しムッとしたようだったけど、特に何も言わず大人しく頷いた。
「今回の件は、俺の二百余年の経験のうちでも厳しい局面だ。どのような流れになるのかわからんから、不確定な要素をなるべく減らしたい」
「不確定な要素、とは……?」
「勝手に動かれたり、喋られたりすると困る。金凰に与える情報を制限したい。交渉には嘘やハッタリも必要だ。それをいちいち訂正されては敵わん」
虎白さまは眉根を寄せて、本当に嫌そうな顔をして言った。
「だから今回のメンバーは、できるだけ俺に従順な者ばかりを連れてきた。何をしでかすかわからんのは、お前たちとスイだけだ。頼むから、余計なことだけはしないでくれ」
「……カノンが不利にならないなら、お前の言う通りにしてやるよ」
ルカさんは静かにそう述べる。ひどく冷ややかで、怖い顔だ。
だけど虎白さまは、あっけらかんとして言う。
「それは俺の心臓を懸けて誓おう。カノンが不利益を被る交渉にはせん」
その答えを聞いて、ルカさんは少し表情を和らげた。
わたしのことを、本当に心配してくれているのね。
それなのにわたしは、自分の事ばかりで……。
少し恥ずかしくなりながら、わたしはお腹に力を入れた。わたしも使節団のみんなを守るために頑張らなきゃ。
「ご期待に添えるよう頑張ります!」
「よろしく頼む」
話はそれで終わり、甲板に戻ったわたしたちは船旅の続きをぼんやりと過ごした。
クラウディアはとても緑豊かな土地のようだ。内なる海から大河に入り、緩やかな河下りをするようになると、周りの風景が見たこともないくらいの鬱蒼とした森であることに驚く。
岸から迫り出す枝葉を避けながら船は進んだ。森にはたくさんの動物が生息していて、本の挿し絵でしか見たことがない大きな獣や鳥、可愛らしい小動物や色鮮やかな虫などを見ることができた。
「見てください、黄木が生えてますよ。あんなにたくさん!」
「黄木、ですか?」
リンさんが指差した先には、黄色い針のような葉をつけた樹が立ち並んでいる。
「黄木は最高級の木材です。硬くてまっすぐで木目が綺麗で、良い香りがするんです。なかなか出回らない素材ですよ」
「そうなんですか……」
「あの山の黄色い部分は全部黄木なんですかね?! 全部で一体いくらの価値があるんでしょう……」
目の中に金貨を浮かべているリンさんを眺めながら、わたしはそっと胸元に手を当てる。
確かわたしのパルフィートは黄木でできていたはずだ。こんな小さな加工品でも金貨が二枚も必要だったのだから、あんな大きな樹なら一本でも何十枚もの金貨に換えることができるだろう。
「流石クラウディアです。資源の宝庫です……」
リンさんは眉を寄せて、初めて不安そうな表情を見せた。クラウディアに来るのは初めてなのかしら? 荒野に囲まれたハクトとは雲泥の差であるこの国に圧倒されてしまったらしい。
リンさんはブツブツと何かを唱え始める。耳を澄ませていると、その内容が聞こえてきた。
「大丈夫、大丈夫ですよ。虎白さまは天子なんですから。ハクトが一番なんです。大丈夫です……」
リンさんも全く不安を感じていないわけではないのね。わたしはその様子を見て逆にホッとしてしまう。
わたしだけが不安なんじゃない。みんな不安なんだわ。みんな同じ不安に立ち向かわなきゃならない。わたしたちは同じ不安を抱えた仲間なんだ。
船はいくつかの村と関所を通り抜ける。関所では通行料として、木箱をひとつ下ろしていった。
村人たちはわたしたちにひどく警戒するような視線を向けている。アピスヘイルで出会ったコックさんと同じように、獣と似た耳や尻尾が生えた人たちがたくさんいた。
クラウディアは獣人の国だと言っていたっけ。この世界にこんな容姿の人がいるなんて。しかも、こんなにたくさん……。
『あなたたち白子だって、世界にはほとんどいないはずなのに、ハクトにあれだけ集まっているじゃない。似たようなものよ』
久しぶりにマグノリアが話しかけてくる。
確かにそうだわ。ほんの少し前までわたしは、世界に白子は二人しかいないのだと思い込んでいたのだから。ただわたしが知らなかっただけで、この世界には色んな立場の人が生きているのよね。
わたしは不審な目を向けてくる獣人さんたちに薄く微笑みを返す。返したけども、わたしは本当にこの人たちにとって害のない人間なのかしら? とも思った。
表向きは白紙を献上しに訪れた使節団だけど、裏向きにはこの国の神さまである金凰を暗殺しようとしている。不審の目で見られて当然だ。
河を下るにつれて関所のある集落は大きくなり、村が町になり、街になり、ついに都と呼べそうなまでに成長した。
恐らくここがクラウディアヘイルだ。木箱を三つも降ろし、獣人の兵士さんに通行の許可を取る。兵士さんたちは銀色の薄い金属でできた装備を身に付けている。橙戌さまが自慢していた甲冑の素材に似ている気がした。
兵士さんは船の中を調べさせろ要求し、ぞろぞろと十人ほどの兵士さんが船に乗り込んでくる。彼らは船内をくまなく調べ、どこにも武器のようなものが積まれていないことを確認してから下船した。
その後、砦の下にある立派な水門がゆっくりと開かれる。水門の先にあるのは、晴れ渡る空と波ひとつない広々とした海。
「外なる海、だな」
ルカさんの呟きで、わたしの身は一気に引き締まった。
この先は司彩の領域だ。死水に囲まれた、生命が踏み込んではいけない領域。藍の都の周辺とはかなり印象が違ったけれど、生命の息吹を感じない静かな海であることは同じだった。
船は緩やかに、外なる海に流れ入る。ここに入ったことのある白子はほとんどいないようで、使節団の全員が甲板に出て海を眺めていた。
「外なる海の水は死水と呼ばれる。白子には害のないものだが、有色の民には毒だ。飛沫を浴びんように気を付けろ」
虎白さまに言われて、有色の髪の船員さんたちが怯えた表情をする。
この水、本当に毒なんだ……。
わたしは初めて自分が白子で良かったと思う。
少なくともここでは、有色の人たちよりも白子のほうが安全なわけだ。
しばらく同じような景色が続いた後、クラウディアと同じように緑豊かな島が姿を表した。
いいえ、同じようであって、それ以上に彩り豊かな島。クラウディアよりも色んな色彩の緑、黄緑、青緑、赤、紫……賑やかな色で染まった森が眼前に現れた。
その森の中心部に、盛り上がった黄色が見える。黄色というか、金色に輝いているようなその山は、おそらく黄金都ガルドを守る楔樹。司彩の力を象徴するというその大樹は、圧倒的な大きさでその頭を天に突き上げていた。




