第十四章(3)
神樹の切り株の向こうから顔を出した太陽が、空をくまなく照らしあげるまで待って、わたしたちはハクテイへと出掛けていった。
きっとお忙しい虎白さまのこと、謁見までは時間がかかるだろうと思っていたのだけど、謁見の間につながる地味な庭には数組の順番待ちらしきグループしかおらず、たいして待つことなくお目通りが叶った。
「カノンか。早かったな。もう答えが決まったのか?」
「はい。一応……」
わたしは横目でこっそりと周りを見回す。この国には機密事項など存在しないのだろうか。開けっ放しの正面扉と、通路の端のほうを行き交う人たちの姿がひどく気になる。
昨日謁見したときにずらりと並んでいた、カミノタミ風のおじいさんたちやサイグラム風の若い白子さんたちは、ほんの数人程度しかいない。呼び出されず来てしまったわたしが悪いのかもしれないけど、わたしに興味がある人、少なすぎやしないかしらと不安になる。
スイさんはわたしの価値を力説していたけど、この様子を目の当たりにすると全くそうは思えない。本当にわたしの意見は聞き入れてもらえるのかな……。
「それで、どうするんだ?」
「は、はい。えっと、わたし……司彩を起こすつもりはありません。解放するつもりもありません」
「では、寝かしつけたまま静かに暮らすのか」
「そのつもりもなくて……その、わたし、アピスヘイルを救いたいんです。そのために虎白さまのお力をお借りしたい。わたしにできることならなんでもします」
「……俺にアピスヘイルを救えと言うのか」
「えっと、その……はい」
「それがどういう意味なのか、わかって言っているのか?」
「…………?」
虎白さまは一呼吸の間をわたしに与える。その短い時間ではほとんど何も思い付かず、わたしは困った顔で彼を見返した。
「現状、俺がアピスヘイルを救う方法はひとつしかない。アピス国に侵攻し、併合することだ。アピス国を治める藍猫が、俺にアピス国を譲渡すると正式に申し出ていると受け取ってもいいのか?」
「え……それは……」
「そうでなければ俺は動けない。わざわざハクトの民を危険にさらしてまで、他国のものを救う考えはない」
「…………」
虎白さまのお話は理に叶っている。それが痛いほどよくわかったからわたしは何も言えなくなってしまった。
「そんな意地の悪いこと言うなよ。お前だってわかるだろ、カノンにそんな権限があるわけねぇって」
「俺は個人じゃない。ハクトの王だ。王というのは感情では動けない。筋を通さねばならない。実質はどうあれ、明確な行動理念が必要なのだ」
「そんなの、お前らが勝手に考えたらいいだろ! 小難しいことは、俺たちにはわかんねぇよ」
「俺が勝手に考えた結果がそれだ。最低限必要なのが、藍猫の許可だと言っている。これはどうあっても譲れん」
ギリリと歯噛みしながら虎白さまを睨み付けるルカさん。ルカさんがわたしを助けようとしてくれているのはわかるけど、どう考えても虎白さまのほうが正しい。
虎白さまはいじわるをしているわけじゃない。誠実に、"可能な案"を提示してくれているのだ。わたしはそれに答えなければならない。
「わかりました。わたしが藍猫として、正式に虎白さまに依頼すればいいんですね。それでいいです。アピスヘイルが助かるなら、それで構いません」
「そうか。それならその線でシナリオを考えてみよう」
虎白さまは膝を打って白い歯を見せた。わたしはほっとした。虎白さまの頭の中にアピスヘイルが残ってくれるなら、きっと悪いことにはならないだろう。
わたしのできることは、これくらいかしら……。ほっとしたのもつかの間、虎白さまはわたしたちに向けて不穏なことを口にした。
「ところで″なんでもする″と言ったが、それはお前たち二人ともを、自由に動かせる俺の駒だと考えても良いということか」
「え……」
わたしは思わず絶句する。なんでもするとは言ったけど……。わたしはルカさんを見る。彼は露骨に嫌そうな顔をしていたけど、拒絶の声を上げることはなかった。きっとわたしに遠慮してのことだろう。申し訳ない気持ちが胸一杯に湧き上がる。
「あの。駒というのは、具体的にどういう……」
「俺がやれと言ったことをやるだけだ」
「何をすれば良いんでしょう……」
「とりあえず、夜は暇だろう。暗くなったらまた来い。その時に指示を与える」
虎白さまはわたしたちに下がるように言い、反論する暇もなく外へと追い出された。
息つく間もなく次の順番待ちの人たちが謁見を始めてしまったので、わたしたちはとぼとぼと家路につくしかなかった。
「やっぱり信用ならねぇよ、やめとこうぜ、これ以上首を突っ込むの」
「そんなことないですよ。虎白さまはきっと、わたしたちにもアピスヘイルにも一番良い道を見つけ出してくれます」
「また死ねって言われたらどうするんだ?」
「虎白さまがそう仰るなら、それが一番良い道なんです、きっと……」
ルカさんは大きな溜め息をつく。彼が落胆しているのが伝わってきた。折角穏やかな暮らしができそうで、普通に戻る努力ができそうな道が見えていたのに、わざわざ獣道を選んでしまったわたしは愚かだと思う。
だけど、やっぱり無理なんだ。アピスヘイルをそのままにして、わたしひとりだけ平和に暮らすなんて無理な話だ。
『無理じゃないわよ。きっと楽しいわ。ルカとふたりで暮らせたらきっと幸せよ。彼、とっても優しいし、カノンのこと好きなのよ』
何を言っているのよ、マグノリア。勝手なことを言わないで。
『ウィスとアイシャだって、国から逃げてきて幸せに暮らしているわ。あなたたちだって幸せになれるはずよ』
わたしたちは彼らと違うわ。フリンジヘイルは災害に襲われていないし、そもそも彼らは狐翠さまから直々に許されてこの国にいるのよ。わたしたちとは違う。
『あら。今はあなたが藍猫なんだから、あなたが自分で許可を出せば良いんじゃない?』
ふざけないで、マグノリア。それを言うなら、藍猫はあなたの方でしょう? 藍猫の力を使って、あなたがアピスヘイルを救ってよ。あなたが平和なアピスヘイルを取り戻してくれたら、わたしは心穏やかに暮らせるわ。
『…………』
マグノリアは何故だか気分を害した様子で黙り込んでしまう。わたしも不機嫌な顔を浮かべていたら、ルカさんに心配そうな顔をされてしまった。
笑って誤魔化しているうちに、家へと辿り着く。ダイニングの椅子に座ってぼんやりとしていると、ノックの音が響きソフィアの声が聞こえてきた。どうやらアイシャさんとふたりで遊びに来てくれたらしい。
「必要そうなものを持ってきました」
「ありがとうございます!」
アイシャさんがルカさんと炊事場の整理をしている間、わたしはソフィアとお話をした。彼女はウィスさん夫婦に本当に良くしてもらっているらしい。昨晩のご飯が美味しかったとか、ウィスさんに肩車をしてもらったとか、キラキラとした瞳で語るソフィアは幸せそうだ。
わたしは嬉しく思う反面、チクチクと胸が痛む。どうしてわたしはソフィアのように、純粋にハクトの暮らしを楽しむことができないんだろう。結局その痛みは彼女たちが帰る頃まで続き、再びルカさんと二人になれた時には安堵の気持ちが湧き上がってきた。
「大丈夫か? 疲れたのか?」
「いえ。元気ですよ。アイシャさん、何を持ってきてくれたんですか?」
「調味料と乾物と、粉類とかだな。日持ちがするものばかりだから、試せそうなときに食事でも摂ってみるか」
ルカさんは芋もあるぞ、と大きなサツマイモを差し出してくる。
「ふかし芋、食べてみたいと言ってただろ?」
「そういえば、そうでしたね……」
わたしは芋のにおいを思い出しながら、ぎゅっと眉根を寄せた。どうしても、美味しそうだと思えない。思い出すだけで、胃の辺りがムカムカとする。
「食べたくなったらでいいんだ。無理しなくていい」
「すみません……折角気を遣ってくださったのに」
「いいんだ。俺もそうだったから……」
夕方に再び訪ねてきてくれたアイシャさんたちに、″もうすぐハクテイに行くから″と言ってお風呂のお誘いを断った。
空にぽっかりと口を開けた月をはっきり認めてから、わたしたちはハクテイへと出向く。家々の門前に灯されたランプと、大通りの街灯のお陰で道に迷うことはなかった。
真っ暗なのはハクテイの広い庭だけで、低木に導かれるままに石畳をそろそろと進み、閉じられた正面扉にそっと手を掛ける。
辺りは本当に真っ暗だったから、わたしは驚いた。重みのある木の扉が軋みながら開くとともに、隙間から眩い光がこぼれでてきたのだ。
「……!」
隣でルカさんが息を飲む。謁見の間は昼間のように明るかった。広々した室内には人がほとんどおらず、奥の壇上には大きな背もたれの椅子と、本棚が付いた広い机がある。その上にある、くすんだガラス張りの窓だと思っていた部分が、今はまばゆい光を放っていた。
「これは、電灯か……?」
「デントウ?」
「火じゃないだろ。こんな明るい照明なんて、この世界で見たことがねぇぞ」
「そうですね。夜なのにこんなに明るいのは初めてです」
わたしたちはしばらく、その不思議な窓を見上げて立ちすくむ。ようやくわたしたちに気が付いたらしい虎白さまがくるりと椅子を回してこちらを向いた。
「来たか。待っていたぞ」
虎白さまは椅子から立ち上がり、階段を下って左奥の通路に足を向ける。
「何をしている。付いてこい」
「は、はい!」
わたしはルカさんの袖を引いて、慌てて虎白さまの背中を追いかけた。
背の高い虎白さまは一歩一歩が広いから、早足で歩かれたら追い付くのが大変だ。置いていかれないようにわたしたちは、ほとんど小走りの状態で彼に付いていく。
通路の高い位置にも白くくすんだガラス窓がはめられており、辺りを明るく照らしていた。階段を下りて、緩くカーブのかかった通路を進んで、見た目より随分広い建物なんだなぁと感心していた頃、ようやく目的地らしき場所に辿り着く。
虎白さまが扉を開けた先に有ったもの。わたしはあまりにもびっくりしすぎて、開いた口が塞がらなかった。




