↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
衰退世界の人形劇  作者: 小柚
中巻

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
63/124

第十三章(1)

 夢の中で、わたしは生暖かい液体に、ぷかぷかと浮かんでいた。

 今、目を開けているのか、それとも閉じているのか、自分でもわからない。辺りは真っ暗で、何の目印もない。そこが広いのか狭いのか、天井がどちらで床がどちらにあるのかさえ、判別できなかった。

 どれほどの時間が経ったのかもわからないまま、わたしはただ漂っていた。

 そのとき、一条の光が、わたしの前に舞い降りてきた。

 光はゆっくりと輪郭を持ち、やがて、ひとりの女の子の姿を形作る。

「ごきげんよう、カノン」

 少女はスカートの裾をつまみ、膝を曲げて会釈をした。

 ふわふわとした髪を胸のあたりで緩く三つ編みにしている。真っ白でひらひらしたワンピースには、装飾らしい装飾は何もない。ただ、身体の輪郭を曖昧にするためだけの布のように見えた。

 服装なんて、どうでもいい。

 それよりも、わたしの視線を釘付けにしたのは、彼女の髪の色だった。

 右側は藍色。

 左側は橙色。

 まるで、ひとつのキャンバスに左右から別々の絵の具を垂らしたような、不自然な配色。言いようのない不安を覚えながら、わたしは答えた。

「ごきげんよう、マグノリア」

 わたしは、彼女の名前を知っていた。

 前回の夢で見た、鏡に映ったあの少女と同じ顔。間違いない。彼女はマグノリア。――わたしの前世だ。

 その証拠に、彼女はにこりと微笑んだ。

「会えて嬉しいわ、カノン」

「わ、わたしもよ。マグノリア」

 思いがけない再会に、わたしはたじろいだ。

 彼女は明らかに、普通の状態ではない。何かに侵食されている。

 もはや、それを「何か」とぼかす必要もなかった。

 藍は藍猫さま。

 橙は橙戌さま。

 マグノリアは、司彩に寄生されてしまっている。

「カノン。わたし、あなたのことをずっと見ていたわ。あなたはとても心優しくて、立派で、素敵な子。わたし、あなたのことが大好きなの」

「あ、ありがとう……」

 突然の言葉に戸惑う。何か返さなければと思うのに、マグノリアについての記憶は曖昧で、褒め言葉が浮かばなかった。

「わたしのことはいいの。無理に思い出さなくていいわ」

「で、でも……」

「大切なのは、あなたが素敵だということよ。あなたは穢れていない。わたしの理想の女の子なの」

「はあ……」

「わたしは、あなたにそのままでいてほしいの。清らかな乙女のままで。そうでいられたなら、きっと天子さまは、わたしの願いを叶えてくださるわ」

「……願い?」

 マグノリアは頷き、少し間を置いてから言った。

「わたしには、心残りがあるの。わたしが選べなかった選択を、あなたなら選べる。そして、まだ穢れていないあなたなら、天子さまもその選択を祝福してくださるはずよ」

「選択……?」

「お願い、カノン。幸せなあなたを見せて。わたしが選ばなかったものを選んで。あなたならできるわ……」

 お願い。お願い。

 繰り返されるその言葉に、別の声が混じり始めた。

「……カノン……起きろ、カノン……」

「ルカさん……?」

 わたしは、ゆっくりと意識を引き上げられる。

 突然、眩しい光が脳裏を刺し、思わず目を閉じた。

 目の前にあるのは、白い壁と小さな窓。窓からは、朝の強い光が差し込んでいる。

「カノン、良かった……やっと戻ったか」

「戻った……?」

 “起きた”ではなく、“戻った”。

 首を傾げるわたしに、ルカさんは少し早口で続けた。

「さっきまで、お前おかしかったんだ。目を開けたまま起き上がって、窓をじっと見て……髪の色が、青く染まってた」

「髪が……青く?」

 慌てて自分の髪を掴む。そこにあったのは、いつも通りの銀色だった。

「目も妙にギラついててな。今は大丈夫か?」

「はい……大丈夫です。なんともありません」

「……良かった」

 ルカさんの目は少し充血していて、どれほど心配してくれていたのかが伝わってくる。

 胸の奥に、ふわりと温かいものが広がった。

 わたしにはまだ、ルカさんがいる。色んな事が起きたけど、ルカさんがまだ側に居てくれている……。

 そのとき、ギシギシと遠慮がちに階段を上がる音が聞こえてきた。

「どうかしましたか?」

 ウィスさんがひょっこりと顔を出す。隣にはソフィアも並んでいた。

「いえ、なんでもありません。少し寝ぼけていただけで……」

「そうですか。ちょうど今、ソフィアと朝食を食べ終えたところなんです。おふたりはどうしますか?」

「えっと……」

 わたしはルカさんを見る。彼はわたしの手をそっと取って、小さく囁いた。

「とりあえず席につこう。それから考えればいい」

「……そうですね」

 わたしたちは一緒に階下へ降り、食卓に着いた。

 アイシャさんが焼いてくれたパンは、相変わらず香ばしくて美味しそうだった。唾液が自然と口の中に溜まる。

 ひとつを手に取り、口へ運ぼうとした、その瞬間だった。

『食べないほうがいいんじゃない? カノン。……また眠くなってしまうわ』

「……っ!」

 わたしははっとして、周囲を見回した。

「どうした? カノン」

「いえ……今、誰かが、わたしに話しかけた気がして……」

「誰も喋ってないと思うが……」

 自分でもわかるほど、顔から血の気が引いていった。

 今の声は――マグノリアだ。

 彼女は、わたしの頭の中に直接、話しかけてきた。

 わたしの指は石のように固まり、パンは皿の上にぽとりと落ちた。

「……やっぱり、食えないか」

「はい……すみません……」

 ルカさんも、手にしていたスプーンを静かに置き、同じように小さく溜め息をついた。

 ソフィアを肩車して遊んでいたウィスさんが、ダイニングへ戻ってくる。

 ほとんど手をつけていない朝食を見て、彼は首を傾げた。

「まだ、食欲が戻りませんか?」

「はい……ちょっと……」

「無理に食べなくても大丈夫ですよ。僕も神樹の実をかじったときは、空腹を感じるまで何も食べたいと思いませんでしたし。食べなくても問題ありません」

「そうなんですか……」

「ええ。心配しなくても、そのうち元に戻りますから」

 白い歯を見せて、ウィスさんは笑う。

 ――多分、彼は知らない。

 わたしに司彩が憑いていることも、今の異変の本当の理由も。

 スイさんは、そこまでの事情を伝えていないのだろう。

 俯くわたしを見て、ルカさんが神妙な顔をした。

 一瞬だけ視線を泳がせてから、彼はゆっくりと口を開く。

「ウィス。俺たちは……今まで、散々な目に遭ってきた。これから先も、どうなるかわからなくて、正直不安だ」

「わかります。僕たちも、最初はそうでしたから」

「他の白子のことはわからない。でも、俺たちは相当に特殊なほうだと思う。それでも……普通の生活に、馴染みたいと思ってる」

「大丈夫ですよ。この国には自由があります。意思さえあれば、何にでもなれます」

「俺たちは、『普通』がわからない。どう生きればいいのかも、どうなりたいのかも、まだはっきりしてない。ただ……」

 ルカさんは一度、言葉を切った。

「ただ、ウィスとアイシャみたいに、穏やかに暮らしたいと思ってる」

「……そうですね。きっと、それが一番いい。僕たちはこれ以上ないくらいに幸せですから」

「だから、これからも教えてほしい。普通に生きるにはどうしたらいいのか。時間がかかるかもしれないし、迷惑もかけると思う。それでも……見捨てないでほしい」

 ウィスさんは、初めて会ったときと同じ、太陽のような笑顔で頷いた。

「もちろんです。僕たちにできることなら、何でも。安心して、頼ってください」

 ルカさんの目に、うっすらと涙が滲む。

 それは、今まで見たことのないほど、弱くて、正直な表情だった。

「……ありがとう、ございます」

 彼の口から出た、たどたどしい敬語。

 それは感謝と決意が入り混じった、紛れもない本心だった。

 ルカさんは、変わろうとしている。

 ただ生き延びるのではなく、前を向いて生きようとしている。

 わたしは、胸の奥が熱くなるのを感じた。

 ――そのとき。

 頭の奥で、くすりと笑う気配がした。

 マグノリアが、笑っている。

 彼女は、わたしの気持ちを後押ししてくれているようにも思えた。

 もしかしたら、怯えなくてもいいのかもしれない。

 彼女は、わたしの味方なのかもしれない。

 周囲を見渡せば、思っていたより、わたしの味方は多いのかもしれない――

 そんなふうに、少しだけ気持ちが緩んだ、そのときだった。

 玄関の扉をノックする音が響く。

「はい」

 アイシャさんが応え、駆けていく。

 次の瞬間、明らかに動揺した声が上がった。

 それは――

 この穏やかな光景に、不協和音をもたらす人物の訪れだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。