第七章(4)
「私はですね、カノン様。今朝はあなたの嬉しそうな顔が見られることを期待していたんです」
「うん……」
「どうして泣き腫らした目をしているんです? 私はあなたの逢引のためなら一肌脱ぐつもりだったんですよ!」
「だって……」
「わかりました、わかりましたから! 泣かないで、あとで事情を聞かせてくださいね」
翌朝わたしの様子を窺いに来てくれたククルは、わたしの酷い顔を見て絶句した。とりあえず衣装や髪型、フェイスペイントまで綺麗に施して、憔悴しきった姿をなんとか誤魔化してから、彼女はわたしを街に連れ出してくれた。
「いったい何があったんです? お相手に何か酷いことでも言われたんですか?」
ククルは迷いなく一軒のカフェに入店し、青と白の縞々のパラソルが刺さったおしゃれなテラス席にわたしを座らせて、飲み物を二つ注文した。
「わたし、ククルの言う通りにお祭りに彼を誘ったの」
「頑張ったじゃないですか。それで? 何と言われたんです?」
ウエイターが運んできたレモンティーを一口飲み、カラカラの喉を潤わせてから、わたしは口を開く。
「『どうやって行くんだよ』って」
「そう言われたんですか」
わたしはこくんと頷いた。
「彼の家は、その、わたしよりも厳しいから、彼がお屋敷を抜けだす方法はわたしにもわからないの。だからわたし、何も言えなくなっちゃって……」
「あちゃー」
ククルは額に手を当てて、大げさに脱力してみせる。
「わかっていたのよ、わたし。最初から、わたしたちがお祭りに行くのは無理だって。でも何か方法があるはずだから、一緒に考えようと言ってくれるのを期待していたの」
「それ、本人に伝えました?」
「いいえ。恥ずかしくてそんなこと言えないわ」
ククルはわたしの回答を聞いて、バンと机をたたいた。二つのグラスが飛び跳ねる。通りに比べて静かな店内では、この音は高らかと響き渡って、数人のお客さんがこちらを振り返った。
「だ・か・ら! カノン様、男は鈍感なんです! ちゃんと言葉にしなきゃ駄目でしょう!」
「ク、ククル、声が大きいわ!」
わたしは周りの視線を憚って、椅子を寄せてククルに近づく。ククルもわたしに顔を寄せて、囁くように言った。
「カノン様、お相手の方は、行きたくないとは言わなかったんですね?」
「うん。行きたくないわけじゃないって言っていたわ」
「だったら脈はあります。要するにですね、その男性の場合、″お祭りに行くことのメリット″よりも、″お屋敷から抜け出すことのデメリット″の方が大きいんですよ。だから気乗りでないんです」
「……なるほど。そうかもしれないわ」
わたしは頷く。ククルは瞳の奥に炎を燃やしつつ、わたしに持論を語って聞かせた。
「男性は女性よりも理屈っぽい傾向にあります。夢物語を好む女性と違い、男性は現実的に可能かどうかを主軸に置いて話をします。だからたまに話が噛み合わないんです。
今回の場合、お相手の方はあなたとお祭りに出掛けることに大きなリスクを感じている。現実的にできそうにもないことを言って、あなたに期待させることを避けようとしている。典型的な現実主義の男性です。軟派な無計画男よりもよっぽど良いお相手ですよ」
「そ、そうかなぁ……」
典型的だと断言されると首を捻るけど、どうやらククルはルカさんを褒めてくれているらしい。わたしは何故だかくすぐったい気持ちになった。
「だからカノン様がどうしてもその方とデートしたいのであれば、外出のハードルを下げてあげるか、お祭りに行くメリットを上げてあげるか、どちらかをすればいいんです」
「?? わからないわ。具体的にどうすればいいの?」
わたしが問うと、ククルはキラリと目を光らせて、自信満々にこう述べる。
「外出のハードルを下げるのは恐らく難しいでしょうね。ならばお祭りのメリットを上げるのです。そうですね、具体的には……」
最後の提案を、ククルはわたしの耳元で囁いた。それを聞いたわたしの顔はみるみる紅潮し、思わずのけぞって椅子を倒してしまった。
「な、何を言っているの?! だから、わたしたちはそんな関係じゃないって!」
「え~? 別にそんな関係じゃなくても、男にはこれが一番ですよ~」
「だ、駄目よ駄目! 彼はそんなことに興味がある人ではないわ! 普通の男の人とは違うの」
「普通と違うって、カノン様、普通の男の人を知っているんですか?」
「知らないけど、とにかく、彼は違うんだってば!」
もう、真面目に聞いて損しちゃった。わたしは椅子を元に戻し、アイスティーをズズと吸い込む。よく冷えたそれが体に染み渡って、火照ったわたしの体温を下げてくれた。
「カノン様。男っていうのは大体そんなものです。夢を見すぎるとまた泣くことになりますよ」
「もういいの! お祭りは女の子と楽しむんだから! 明日はローダさまとお約束しているし」
「ローダ様って、ローディア様ですか? うわー! すごいビッグな方とご一緒されるんですね!」
その後はふたりでとりとめのない話で盛り上がり、パンケーキやパフェをものすごい勢いで平らげるククルにほれぼれとしつつ、カフェで数時間を潰した。
ククルはなおも恋愛話を蒸し返そうとしたけれど、その度にわたしが話題を変えるものだから、お昼を過ぎる頃には諦めてくれたらしい。午後からは中央広場で開催される、有名な踊り子たちによるメインイベント『白猫たちの演舞』を鑑賞し、会場に来ていた平民区のエリスをククルが辛口評価したり、再び食べ歩きに興じたりした。
「明日は私、お仕事なんです。ローディア様とご一緒なら心配いりませんね」
夕方までしっかり付き合ってくれたククルは、教会区の門の前までわたしを送り届けてそう言った。
「もし私が必要なら、また声をかけてくださいね。お祭り期間中の私の休みは明明後日だけですけど、他の日にもしデートの予定ができましたら、誰か身代わりにできそうな人を用意しますので」
「わかったわ。五日目にはまた誘ってもいいの?」
「はい。今年はカノン様と思い出を作ります。実は私も昨晩振られてしまったんですよね~」
「えっ! そうなの?」
あっけらかんと衝撃発言をした彼女は、傷心の旅に出てきます~などと言い残して、手を振って去っていった。
わたしの話ばかりして、悪いことをしてしまったかしら。少し気に病んだけど、ククルの楽しそうな足取りには悲壮さなど微塵も感じない。彼女ほど魅力的な女の子なら、男の子一人に振られようがどうってことないんだろう。
トボトボと教会へ帰ると、今夜も豪勢な夕餉の準備がされていた。見たことがない飾りつけの机に、奇妙な料理が並んでいる。
「今夜は旅の料理人さんらしいですよ。メインディッシュは″悪魔の魚″という気味の悪い食材を使った真っ黒な料理らしくて、お手伝いに入った侍女が悲鳴を上げていました」
「ええ~、なにそれ……」
こっそり耳打ちしてくれたブレンダに、わたしは顔を顰めてしまった。びくびくしながら席に着いたけど、並んでいる前菜はどれもおいしくて、今まで食べたことがないような生の魚や奇妙な形の果物に驚いた。
料理人さんは全身に毛が生え、尖った耳をした恐ろしい容貌の人だったけど、『獣人』という変わった種族の方だそうで。外国ではそんなに珍しい種族じゃないんですよと言われて、世界の広さを痛感した。
わたしが知らないことはまだまだたくさんあるんだなぁ。悪魔の魚というのも、気持ちの悪い姿をしていたけど味は美味しくて、ブレンダが遠くで悲鳴を上げる中、わたしはぺろりとすべて平らげてしまった。
「美味しかったです。ありがとうございます」
「いえいえ。高貴な身分の方に楽しんでいただけて光栄です」
獣人の料理人さんは、優雅にお辞儀をしてくれる。ぴょこりと跳ねた細い尻尾が、喜びを表現しているようで可愛らしかった。
お腹が満たされたわたしは、湯浴びの準備ができるまでのわずかな時間を部屋でのんびりと待つ。部屋の隅の跳ね上がった絨毯を横目に眺めて、ぼんやりと思った。
今夜はどうしよう。ルカさん、昨日のこと変に思っているかしら。昨晩は逃げ出すように彼の部屋から出て行ってしまった。今夜にでも元気な顔を見せないと、ルカさん心配しちゃうんじゃないかしら。
いえ、ルカさんがわたしのことを心配するわけないわよね。きっと今も机でお勉強しているんだわ。別に今日行こうが明日行こうが、数日顔を見せまいが、ルカさんの行動が変わるとは思えない。
「そうよね。だってルカさんは、わたしのことなんて何とも思っていないんだもの」
わたしが勝手に乙女病に罹っているだけ。ルカさんにとっては迷惑千万よね。わたしが自嘲に耽っていると、コツコツと聴き慣れない音が耳に飛び込んできた。
なんだろう。ベッドから状態を起こし、音の方向を見る。多分、階段の方からだわ。わたしはそう思うと同時に、部屋の隅に走った。慌てて絨毯のしわを伸ばし、ベッドまで駆け戻る。その間、数秒。
「こんばんは、カノン。入っても良いですか?」
「は、はい! どうぞ!」
一瞬後に階段から頭を出した主教さまに、わたしは上ずった声で答えた。
主教さまがこの部屋に訪れるなんて、何年ぶりかしら。わたしは緊張のあまりに部屋を右往左往してしまう。椅子を勧めた方が良いかしら。それともクッションを勧めるべき? おろおろするわたしに、主教さまはすぐに帰るのでと告げて、落ち着くように諭された。
「料理はおいしかったですか? 今晩は異国の料理だったようですが」
「はい! 見た目はちょっとビックリしましたが、美味しかったです」
「それは良かった」
にこりと笑う主教さまだけど、なんだかその表情は硬い。一体何の御用かしら。わたしは色々考えたけど、思い当たる内容は強烈なものが多すぎて恐れおののいてしまう。
その心を知ってか知らずか、主教さまは大した用事ではないのですがと前置きをして、優しい口調でこう言った。
「カノンは、お祭りの五日目に予定はありますか?」
「え? 五日目ですか? 特にないですけど……」
五日目どころか、明日以外予定はないけど。そんなことは聞かれていないので答えない。
主教さまは安堵された様子で、続けてこう言った。
「では五日目のお昼過ぎに、使いの者に迎えに来させます。二時あたりが良いでしょう。聖堂前で待っていてください」
「はい、わかりました。けど、その、何があるのでしょう?」
「私の屋敷に来ていただきます」
「え!?」
わたしは耳を疑った。″私の屋敷″って、オズワルドさまのお屋敷って、わたしの育ったあの家よね?
「あの、わたしは生家に近付いてはいけないのでは……?」
「その日は特別です。あなたが会いたがっていた、イリアに会っていただきます」
わたしは声が出ないほど驚いた。心臓が痛いほど高鳴って、両手が小刻みに震える。
「その、あの、ど、どうして……」
「ずっと会いたがっていたでしょう? あなたの日頃の頑張りへのご褒美です。それとも、もう会いたくないですか?」
わたしはちぎれんばかりに首を横に振った。
「それは良かった。では、後日。忘れないでくださいね」
「はい! 絶対に忘れません!」
何気ない様子で帰っていく主教さまとは対照的に、わたしは踊りだしたくなるほどの幸福感に包まれていた。主教さまが教会から出たくらいを見計らって、わたしは階段を駆け下りてばあやの姿を探した。
「ミリア様なら、先ほど主教さまとお出かけになられましたよ」
そう教えてくれたのはベテラン侍女のリンカで、今夜は彼女が湯浴びを担当してくれるようだった。もう、リンカでもいいわ。わたしははちきれんばかりの喜びを彼女に語った。
「それはよろしゅうございましたね。カノン様のご立派に成長されたお姿に、イリアさまもお喜びになるでしょう」
「そうかな? だといいけど。わたし、長らくお会いしていなかったから自信がないわ……」
「大丈夫ですよ。カノン様はわたくし共の自慢の白子でございますから」
「そう? ああ、どんな姿で行ったらいいかな? 誰が準備を手伝ってくれるのかしら。この頃ばあやはよく出掛けているから不安だわ」
「あまり変に着飾らないほうが良いと思いますよ。確かにミリア様は別件でお忙しいようなので、お望みならばわたくしがお手伝いいたしますけれど」
「お願いするわ。そうだ、以前ローダさまに招かれてお城の晩餐会に出席したじゃない? あの時のドレスなんてどうかしら」
「ドレスはちょっと、イリア様も驚いてしまわれるのでは……」
リンカと当日の打ち合わせを済ませて、わたしはご機嫌で部屋に戻る。頭の中は依然、母さまのことでいっぱいだ。
「ああ、どうしよう。そうだわ、何かプレゼントを用意しなきゃ」
何が良いかな。一日限りの再会かもしれない、慎重に選ばなきゃ。わたしはブリキの缶をひっぱり出して、全ての小銭を袋に詰めた。……ククルのお陰で予算が少ない。あまり高価なものは買えないわ。
その夜はすっかり舞い上がって、ルカさんのことなど頭からすっぽり抜けてしまった。
次の日、王城からわざわざ従者を引き連れて迎えに来てくださったローダさまと共に、わたしは再び商店街の大通りに足を運んだ。




