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衰退世界の人形劇  作者: 小柚
下巻
124/125

エピローグ

 ゆりかごのうた あなたがねむるまで うたうわ

 しとしとふるあめ あたたかなだんろ

 こねこがまるまり ねんね あなたもゆらゆら ねんねこよ

 柔らかな歌声に、わたしは目を覚ます。夕日が差し込む小窓に、垂れ下がったレースのカーテンがゆらゆら揺れているのが見える。

 どうやらソファーで眠ってしまっていたようだ。もぞもぞと上体を起こし、大きく伸びをする。

「あら。目が覚めたのね、カノン」

「ええ。ごめんなさい、部屋に帰らずに眠ってしまって……」

 わたしの言葉に、揺り椅子に座った女性が満面の笑みを浮かべた。

「いいのよ、カノン。修道院のお勉強で疲れてしまったのでしょう?」

「そうなの。何時間も背筋を伸ばして椅子に座っていないといけないのは辛いわ」

「そうよね、あなたは昔から体を動かしている方が好きだったから」

 もう少し眠っていてもいいのよと言われて、わたしは猫のようにコロンとソファーに丸まって目を閉じる。

「だいすき。母さま……」

 クスリと微笑が響いて、おやすみなさいと声がする。わたしは安心しきった心持ちで、再び微睡みの中にダイブした。

 わたしは気が済むまで母さまに甘えてから、自分の部屋に帰る。わたしの部屋はこのお屋敷の二階のすみにあって、姉さまの部屋と繋がっていた。

 すっかり暗くなった外を眺めながら、ふと思い出す。そういえば今宵もエリスフェスタが開催されていたかしら。三日ほど前に始まったお祭りは、何故か毎夜暗くなってから、ふわりと浮かび上がるようにいつの間にか始まっている。

「ねぇ、カノン。今晩もお祭りに行くでしょう?」

 パーテーションの向こうから姉さまがひょっこりと顔を出した。銀色のカツラと猫耳をつけて、お化粧をして綺麗なワンピースを着ている。

「私はね、今晩はテオさまとデートなの。途中まで一緒に行きましょう!」

「うん! 行こう行こう!」

 わたしもクローゼットから猫耳を取り出して、頭に装着する。わたしの髪は銀色だから、カツラは要らない。

 姉さまと手を繋いでわたしは街へと繰り出した。夜空に煌めくランプが美しい。屋台が立ち並び、賑やかな客引きの声がする。銀色の毛並みの二足歩行の猫たちは、昨日よりも大分数が増えたような気がする。

「カノンさん! シノンさん!」

「アイリスー! カーミィー! リリムー!」

 学友たちと出会ってハグをして、わたしたちは雑談をしながら屋台を回る。昨晩もこのメンバーだったけど、特に気にならない。進める通りの数が増えて、新しいお店にたくさん行けた。途中でみんなと別れて、わたしはククルと一緒に屋台を回った。

「カノンさん。いい人でも見つかったんですか? すごく素敵な笑顔をしていますよ!」

「えっ、そうかなぁ。別にそんな人いないよ?」

「またまたぁ。後でゆっくり教えてくださいね! 美味しいケーキでも食べながら」

 ククルは美味しいデザートのお店を何軒か教えてくれて、最後に件の"美味しいケーキのお店"に連れ込もうとする。色々と詮索されるのは嫌だったので、わたしは彼女の隙をついて人混みに逃げ込んだ。

 途中でばったりローダさまに出くわす。彼女はとても綺麗な女の人と談笑していた。なんだか姉妹のようにそっくりなふたりだった。わたしが声をかけると、ふたりは同じように上品に頬に手を添えて答えた。

「あら。カノンちゃん。ごきげんよう」

「ごきげんよう、カノンさん。わたくしたち、アピスヘイルの政治についてお話ししていますの」

「そうなんですか。そういえばアピスヘイルの王さまって、今もアリアト王なんですか?」

「そのことなのだけど。私が治めたほうが良いんじゃないかって、ローダちゃんが仰るのよ」

 エリファレットさまらしきその綺麗な女性は、宝石のような笑顔をこちらに向ける。

「だから、私が治めても良いかしら、カノンちゃん?」

「さあ。いいんじゃないですか……?」

 わたしがそう答えると、ふたりは嬉しそうに手を取り合って、ぞろぞろと従者を引き連れながらお城のほうに向かっていく。

 わたしは彼女たちを眺めながらしばらく放心した。

 エリファレットさまが女王になる……。そうしたらアリアト王はどうなってしまうんだろうと考えかけたけど、どうでもいいやと思ってわたしは街の散策に戻った。他にも知り合いがいるかもしれないと、人混みの顔ぶれを品定めし始めた。

 ばあやがひとりの少女を連れて屋台の前にいた。わたしより少しだけ歳上のように見える女の子だった。

「もう。サリー。駄目ですよ。そんなに氷菓子ばかり食べていたらお腹を壊します」

「だって、お母さま。美味しいんだもの! オズワルドくんにも買っていきましょうよ」

 わたしはそんな会話を耳にして、ふふと微笑んでから背後を通り過ぎる。

「カノンお姉ちゃん!」

 次にわたしに声をかけてきたのは小さな女の子だった。彼女は可愛らしいグレイッシュな三毛猫柄のフード付きマントを身に付けて、両親らしき男女と手を繋いでいた。

「ソフィア! それと、ウィスさんとアイシャさん! お久しぶりです」

「こんばんは、カノンさん。お元気でしたか?」

「はい。おかげさまで、この通りです」

 わたしは握り拳をつくり、肘を曲げ伸ばしして元気さをアピールする。その仕草にアハハと笑ったウィスさんは、辺りに軽く視線を回してから言った。

「とても良い街ですね。こんな賑やかなお祭りに参加したのは初めてです」

「そうでしょう? わたしの一番好きな行事なんですよ」

「しばらく三人で滞在しようと思います。そのうち街を離れることになると思いますが……」

「えっ、そうなんですか。どこに向かわれるんですか?」

 ウィスさんはソフィアを見つめて、静かに呟く。

「この子を母親に会わせてあげたい。ハルム国が再建され次第、向かおうと思います」

「そうですか……」

 ハルム国かぁ……。再建はいつになるのだろう。確かに、ソフィアをこのままにしておくのは可哀想かもしれない。

「早く再建されるといいですね!」

 わたしの言葉に笑顔で答え、三人は人混みに消えていく。

 アピスヘイルだってまだまだなんだから、ハルム国の再建はかなり先の話になるだろう。かなりの期間アピスヘイルにいることになるだろうから、きっと彼らとはまたゆっくりお話できる。今のわたしならアイシャさんの手料理を美味しくいただけるだろうし、今度おうちにお邪魔しよう。そんなことを思案していると、後ろから肩をガシッと掴まれて驚いた。

「カノンさん!」

「あっ、リンさん! お久しぶりです!」

 今宵はなんて豪華な夜なんだろう。振り返ったわたしの目に飛び込んできたのは、童顔と左右のお団子が特徴の銀髪の女性、リンさんだ。

 当然ニトさんと一緒なのかと思ったけど、どうも別の人とお祭りに来たらしい。

「聞いてくださいよ、カノンさん。ニトに頼みに頼んで、私は今晩の機会を勝ち取ったんですよ。私、ものすごく楽しみにして、胸がはち切れんまでの期待を膨らませていたわけですけど……」

 拳をブルブルとさせながら、リンさんは語る。

「まさかコブ付きなんて! いえ、その、すみません、はしたないですね。でもその、私としては空気を読んでほしいというか、わかります? 白子とはいえ、私も年相応の憧れなどあるわけでして」

「はあ……」

 わたしは彼女がチラチラと視線を向ける先を見た。彼女の主張していることが一瞬で理解でき、苦笑いを浮かべてしまう。

 相も変わらずカミノタミ風の黒い衣装をだらしなく着こんで、長めの襟足をざんばらにしている長身の男性。彼の太い腕にすがり付くようにして十歳ほどの女の子が隣をガッチリとキープしていた。ギラギラした瞳でわたしたちを睨んでいる。

 こうして並んでみると、なるほど、顔立ちが良く似た父娘だった。同じ虹色の切れ長な瞳でわたしを見て、父親のほうはにこりと笑った。

「カノン。お前の言う通り、賑やかできらびやかな祭りだな。なかなか良い催しだ」

「気に入っていただけて嬉しいです! 虎白さま」

 虎白さまに会うのは今宵が初めてではない。彼は五日ほど前にひょっこりとアピスヘイルに現れた。

 その時の喜びと言ったら、筆舌に尽くしがたい。わたしは彼の胸に飛び込んでわんわんと泣き、彼は優しく頭を撫でてくれた。

 この世界にハクトはまだないようだと語る彼に、まだないとはどういうことかと尋ねそうになってやめた。わたしは「そうなんですね」と一言だけ述べ、アピスヘイルの街を案内した。

 その日はラピスの祝日で修道院がお休みだったし、アピスの白子という責務から解放されていたわたしは、葬儀に参列するという仕事も何もなかった。一日中虎白さまと過ごして色々と案内したけど、まだ街並みは貴族区の一部と教会区、王城くらいしか出来ていなくて、立派な庭を見て回るくらいしか出来なかった。

 エリスフェスタというお祭りが素晴らしいんですという話をしたのはその時だった。幽霊男のベンチに座って虎白さまは「気が向いたら行ってみよう」と呟いた。そのあと虎白さまはふわりと姿を消してしまったのだけど……本当に来てくれるなんて感激だ。わたしの頬は思わずユルユルと緩んでしまう。

「リンさん。リンさん。ご存じですか? このお祭りはですね、みんな猫の耳と尻尾を着けないといけないんですよ」

「えっ、そうなんですか? だから道行く皆さん、猫なんですね……」

 わたしはリンさんに顔を近付けて囁く。重要な話だから確実に伝えなければならない。

「リンさん。明日の晩も虎白さまと出掛けてください。その時は是非とも猫の装備を……」

「……は、はい。そうですね……善処します」

 リンさんとわたしで、ニヤリと笑顔を交わす。きっとリンさんならやりとげてくれるはずだ。

 わたしは期待に胸を膨らませながら彼らに手を振って別れた。

 わたしには向かわなくてはならない場所があったから、長話をしているわけにはいかない。

 貴族区前広場から、外城壁に上る階段へ足を向ける。途中で車椅子を押す男の人とすれ違った。車椅子に座ったおばあさんと一緒に階段の先を見つめていて、わたしは躊躇いつつも声をかけた。

「どうしました? もしかして、上に上りたいんですか?」

「ええ、そうです。彼女に綺麗な夜景を見せてあげたくて」

 そう答えた男の人は、絵本の中に出てくる王子さまのようなとても綺麗な顔立ちをしていた。わたしは思わず顔を赤らめてしまう。

「えっとその、衛兵さんに頼んでみます! きっとお手伝いしてくれますよ!」

 わたしは貴族区の正門前にいた、ガタイの良いお兄さんたちに事情を説明して、車椅子のおばあさんを階段上まで運んでもらった。

「ありがとう。親切な方。お名前を聞いても良いかな?」

「はい。わたしはカノンと言います」

「カノン、良い名前だね。私はスイという。彼女はアニエスだよ」

 おばあさんはぺこりとお辞儀をし、上品に微笑んだ。とても綺麗なおばあさんで、年齢を感じさせない魅力があると思った。

「カノン、ありがとう。またね」

「はい、また……」

 わたしは少しだけ切ない気持ちになりながら、彼らと別れて反対方向に向かう。目指すのは大河が良く見える場所。まだイベントが始まる前だから、そんなに人は集まっていないはず。

 わたしの目論み通り、一番眺めが良い場所に人はいなかった。塀に寄りかかって河を眺める。まだ光は流れてこない。わたしは冷ややかな風に目を細めながら、遠くを見つめた。

 わたしがこの不思議な世界で目を覚ましたのは、二週間ほど前のことだ。母さまの歌声で目を覚ましたわたしは、母さまに抱き抱えられて揺り椅子で揺られていた。

 初めは何もわからなくて混乱した。ここは何処と問うわたしに、母さまはひたすら「あなたの家よ」と答えた。

 初めの何日かは、母さまの部屋で過ごした。母さまの部屋以外に何もないようだった。窓の外は真っ暗で、扉は固く閉ざされて開かない。三日後に突然扉が開いて、姉さまが修道院に行こうとわたしを外に連れ出した。

 それから何日か、修道院で昼の時間を過ごした。以前と同じように姉さまと、アイリスと、カーミィとリリムがわたしを囲った。授業を受けて食堂へ行った。わたしはいつものようにパンをたくさんトレーに取り、みんながそれを茶化して笑った。

 昼は修道院、夜は母さまの部屋。そんな生活がしばらく続いたあと、お屋敷の中にわたしの部屋ができた。わたしは「白子のカノン」ではなく、「カノン=アピスリム」としてこのお屋敷に住むことが許された。

 さわさわと吹く風が、わたしの髪を揺らす。

 いつの間にか周りにはたくさんの人がいて、河の上流を眺めていた。キラキラと光の粒が流れてくる。キャンドル・ナイトが始まったのだ。

 友人のグループ、カップル、子連れの家族と様々な人がいた。みんな言い伝えのことが頭にあるんだろう、何時まで粘ろうかと相談しあう声がそこかしこから聞こえた。

 特等席にひとりで佇むわたしの姿は変に映るだろうに、誰もわたしのことなど見えていないかのように振る舞った。特に奇妙だとは思わなかった。この世界にはもっとたくさんのおかしな事象があったから。

 山の向こうが蜃気楼のように揺らめいている。昨日もあそこはあんな様子だった。新しい土地が出来つつあるのかもしれないと思った。

 わたしはなんとなく、あそこにはハクトが作られると感じていた。あまりにも距離が近いけど、関係ない。近い方が往き来がしやすいから、その方が良いとしか思わない。

 わたしはあらゆる事象を、深く考えず受け入れることにした。たぶんその方が良いと、本能的に感じていた。

 わたしは真実を受け入れることが出来るほど強くない。この世界は優しく、わたしの求めているものが全てあり、完璧なものだった。

 わたしは今、マグノリアの人生も含めて、生きていた中で一番満たされていた。幸せを感じていた。この幸福を手放したくなかったから、深く考えることを放棄した。

 わたしは夜風に吹かれながら、延々とキャンドルを眺める。この永遠に続くかのようなキャンドルの流れにも限りがある。あの光が途切れる瞬間を大切な人と見ることが出来たら、その人との絆は永遠になるという。

 わたしはキャンドルナイトの開催を知った昨晩、キャンドルが始まる前からここにいて、終わるまでの数時間をぼんやりと過ごした。

 わたしは誰かを待っていた。キャンドルの終わりを一緒に見たい人がいることを覚えていた。

 それは母さまでも、姉さまでも、ばあやでもククルでも虎白さまでもなく、わたしと同じくらいの年頃の男の子だった。

 昨晩に続いて今宵もその人は姿を現さず、わたしは真っ暗で誰もいなくなった城壁を下り、帰路に着いた。

 次の夜も、また次の夜も、わたしはひとりでここへ来て数時間を過ごした。

 わたしはひとりでここにいるのが好きだった。遠くにいるあの人を思いながら、ぼんやりと光を眺めているのが好きだった。

 周りの人たちはわたしに目もくれず、大切な人とキャンドルを眺めて、終わりを見届けることもなく帰っていく。

 わたしはいつもひとりでキャンドルの終わりを見ることになるのだけど、特に寂しいとは思わなかった。

 この世界には全てがある。誰もわたしのことに興味を示さず、それぞれに幸せな暮らしを送っている。わたしは少しの間だけ彼らと接し、喜びを分かち合ってからまたここであの人を待つ。

 わたしは幸せだった。満たされていた。

 また今宵もキャンドルが終わる。明日が始まればまた、たくさんの人と楽しい一日が過ごせるだろう。

 最後の光の一粒が河の下流に消えてから、わたしは踵を返す。

 明日の授業はなんだったかしらと考えながら、母さまと姉さまの待つお屋敷に、軽やかな足取りで帰っていった。

 ふと見上げた夜空は真っ暗で、どこにも月は見あたらなかった……。

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