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衰退世界の人形劇  作者: 小柚
下巻
120/125

第二十四章(2)

 大陸に赤い斑点がいくつも穿たれていた。熱気が上がっているのか、大気が歪み、景色がボヤけている。

 赤い斑点の正体はわからないけど、火の手が上がっているわけではない。丸く穴が開き、そこを赤い液体が占めてるようなイメージだ。

「何をしたんですか……? 何ですかあれは……?」

「別に何でも良いでしょう。これから全部片付けてしまうんです。どうだって良いでしょう」

「片付けるって、何を……?」

 ファイさんは心底つまらなそうに深い溜め息をついて、吐き捨てるようにこう言った。

「つまらないこの世界をですよ。もはや有象無象しか存在しない。一欠片だって残したくない、綺麗にしたいんです」

「…………!」

 ファイさんはくだらないくだらないと繰り返し呟いてから、さらに彩謌を紡ぎ始める。これは藍猫の、ラグの基準律のカデンツだろう。

 この時にはもうファイさんの正体について、わたしの頭に解答らしきものが浮かんでいた。

 彼は『本当の神さま』だ。クラフティの創世記に書かれている創造神……天子ハクを作った存在だ。

 彼は千年の間世界と共に生き、理想の創造物……彼の理想の『天子』を作ろうとしていた。そのためだけに司彩という存在を作り、白子という存在を作り、司彩同士を争わせ競わせることにより最も優秀な天子を得ようとしていた……?

 結局その仕組みは上手く行かず、狂っていく司彩が出来上がるばかりで、彼のお眼鏡に叶ったのは虎白さまとスイさんだけ。

 マーリンはきっと彼の"中継地点"。他の国にも同じ顔の老人がいて、誰にも気付かれないようにひっそりと生きていたのだろう。思い返してみれば、マーリンはずっと老人だった。ばあやもオズワルドさまもみんなマーリンをお爺さんと呼んでいて、若い頃のことを語る人はいなかった。何故おかしいと思わなかったのか。思わないように仕組まれていたとしか思えない。

 わたしの目に涙が浮かんでくる。くだらないという言葉が突き刺さる。

 藍猫さまを信仰していたとき、神さまは"大いなる母"だと教わった。もしファイさんが本当の神さまであるなら、彼は"大いなる父"として崇められる存在のはず。

 それなのに。そのお父さまは、わたしたちを有象無象と、くだらない存在と認識している。

 彼にとって本当の子供は、虎白さまとスイさんだけだった。それ以外は間違って生まれてしまった子供なのだ。

 わたしはボロボロと涙を流し続け、カデンツが完成するのを止めることもしなかった。

 先ほどと同様に、今度は青い泡が天に上って消えていく。海があった場所に暗闇が生まれる。ぽっかりと空いた闇に、赤い斑点がポコポコと浮かんでいる。

「そんなにくだらないものでしたか? みんな頑張っていました。頑張って誰かの期待に応えようとしていました」

 わたしの脳裏に、歓声の中見送られるマグノリアの記憶が映る。

 彼女は間違えた。できもしないことをできると言い、望まない道を選んで後悔した。だけど彼女は一生懸命だった。みんなを幸せにしたいと、自分もみんなと幸せになりたいと、彼女なりに考えて決断を下した。

 彼女の人生をくだらないと言って良いのは彼女だけだ。くだらないかどうかを決めるのは彼女自身だ。

「くだらないですよ。みんな目の前のことしか見ようとしない。太極を見ようとしない。沢山の選択肢を探し出す努力をしない。それを精査して選びとる手間を惜しむ」

 馬鹿ばかりだ。千年も期間を与えたのに、ほとんど文明も発展しなかった! ヒントをやったのに。あれだけヒントを残したのに。

 ファイさんはそう吐き捨てて次の彩謌を紡ぎ始めた。今度は狐翠、ティールの基準律のカデンツだ。早く止めないと、地上は生き物が住めない世界になってしまう。いえ、すでにもうなっているの?

 頑張ったのに。あんなに沢山考えて頑張ったのに。わたしの脳裏に別の記憶が映し出される。

 アピスヘイルの禾穂の塔の上で、羊皮紙に文字を書き付ける姿。下手な文字で、一生懸命思いを綴るサリーの記憶だ。

 幼い頃に大好きな姉さまと母さまから引き離されて、随分寂しい思いをしたけど、姉さまの婚約者……義理の兄であるオズワルドくんが彼女らの代わりに甲斐甲斐しく面倒を見てくれた。

 オズワルドくんと一緒に色々と探検をした。地下の秘密の部屋でアルスの預言書の原本も見つけた。彼のお陰で毎日が輝いていた。彼と姉さまに幸せになってほしいと心から願った。

 サリーは毒を準備した。入念な計画を立てた。アリアトに出来るだけ長く安寧の日々をもたらすために、次の白子にもメッセージを残した。アルベルトに勝つためには情報が必要だ。先に地下へたどり着いてもらわなきゃ困る。

 サリーは名前も忘れてしまったあのアルベルトのハナタレ小僧を毒ナイフで刺し殺し、外なる海に突き落としてやった。全部自分で考えて自分で実行した。全て上手くやり遂げた。

 最期は自分で自分の胸を刺した。藍猫の言葉を信じてやり遂げた。彼女がやったことは非道でめちゃくちゃなことかもしれないけど。まっすぐでひたむきだった。その思いも努力も……全てがくだらないと一言で評価されてしまうの?

 ティールのカデンツが完成し、今度は空一杯に緑色の泡が生まれる。大気が消える……わたしは思った。もはや地上に人間は生きていないだろう。想像したくないけど、みんな苦しんで亡くなってしまったと思う。

 風の音が止んだ。地上からは何も音が聞こえない。雲も全て消えてしまって、地上の様子が良く見渡せた。

 穴ぼこだらけだ。赤と金色の穴ぼこがポコポコと開いて、妙に辺りが明るくなった。

 夜空だったはずの空は、ハクテイの天井のように白い光で満たされていて、明るすぎて目がくらむ。

 いっぱい頑張ったのに。これが結末だなんて。わたしの脳裏にまた違う記憶が映し出された。

 虎白さまの姿が目の前にある。彼はカノンの記憶よりも少し老けていて、茶金の髪をしている。強く抱き締めてくる彼の耳元で、『行って参ります』と一言囁いた。

 これはハリエットの記憶だ。龍紫と共に入り込んできた彼女の記憶。

 ハリエットは数人の白子と共にハクトを旅立ち、オブシディアに向かった。龍紫と領地の交渉をするためだ。十人の白子の命と引き換えに、永遠に……いや、最低でも五十年の平和を約束させてほしいとお父様に頼まれた。

 誇らしかった。お父様が私を頼りにしてくださるなんて誇らしかった。その期待に応えるべく、ハリエットは努力した。龍紫の前で次々と殺される仲間たちを目の当たりにしても怯まなかった。堂々と意見を言う彼女を龍紫は気に入った。

 ハリエットは運良く龍紫の頭になれた。しばらくは自我を保てていた。お父様の言いつけ通り、まずは五十年の平和をハクトにもたらそうと考えた。

 迷惑をかけないように、遠くからハクトを見守った。たまに人形や動物を操作して間者を送るくらいで満足していた。

 寝る間も惜しんでハクトのために奔走するお父様の姿を眺めているだけで、ハリエットは幸せだった。何故なら彼女自身が約束させたのだ。『私の代わりにハクトを、私が命を賭けて守ったハクトを、永遠に愛し守り抜いてくださいませ』と。お父様は約束を守ってくれている。それを確認できるだけで満たされていた……。

 白子じゃない当時の虎白さまは、長年の苦労が祟ったのだろう。若くして亡くなってしまった。享年五十歳くらいだっただろう。ハリエットはその報せを耳にして、ぷつりと何かの糸が切れた。そこからの記憶がない。きっと龍紫に飲まれてしまったのだと思う。

 この記憶は多分、虎白さまが整理したものだ。彼の中に一瞬だけ留まれたハリエットは、その記憶と人格を上手く龍紫から隔離してもらえたのだろう。

 確かにつまらないのかもしれない。ファイさんにとってはくだらないものかもしれない。だけど少なくとも虎白さまは、わたしたちのことをくだらないとは思っていない。あなたの気に入っていた虎白さまは、わたしたちの行動に価値を見出だしてくれていた。

 わたしたちは有象無象ではないわ。頑張って考えて、答えを探して、一番いいと思うものを選んで、間違えて後悔して、反省して、次こそは失敗すまいと考えた。

 わたしたちは生きていた。懸命に生きていた。まだ地上には生きている人もいるかもしれないのに……。

 無慈悲にも目の前の神さまは、次のカデンツを唱え始める。橙戌の、ゲルの基準律のカデンツ。

 わたしはふらりと立ち上がった。これ以上の狼藉は許さない。いくら神さまだって、こんなことは許されない。許してはならない。

 わたしは彩謌を唱えた。見様見真似のカデンツ、今し方ファイさんが消してしまった大気を呼び戻すために、ティールの基準律のカデンツを唱え始めた。

「いけません、カノンさん。順番を間違えては……」

 何故だかファイさんは狼狽えて歌を止めてしまったので、わたしは彩謌を続けた。十倍音の狐翠のカデンツ。ファイさんが歌ったのとは一音違う、狐翠が知っている音階のカデンツを完成させた。

 風が巻き起こる。天から風が戻って来たように、星々から緑の光が雨霰と降り注ぎ、大気が狂喜乱舞した。

 ドスンとわたしの中で、何かが剥がれ落ちていくような喪失感がもたらされる。楔樹が枯れたのだと、本能的な部分が感じ取る。 

「その順番では駄目です。だから馬鹿だと言っているんですよ私は!」

 何故だか激昂するファイさんに、わたしは怯むことなく更なる彩謌を唱える。

 次は海を取り戻すのよカノン。 意識を喉に集中させようと目を閉じた瞬間、強い力で首を捕まれた。

 苦しい。声が出せない。目を開けると、恐ろしい形相をしたファイさんがわたしを片手で持ち上げている。

「馬鹿なやつだ、創世記を読み込めばわかるだろう? どうしてティールから始めるんだ。それでは世界は再生しない」

 最期のチャンスを与えようとしていたのに、と毒づくのを聞きながら、わたしの意識は朦朧とし始める。

 なんて強い力なの。お爺さんの出せる力じゃない。メキメキと音がする。わたしの体も随分と頑丈になっているのだけど、壊されていく力の方が強い。

 わたしは霞んでいく瞳で天を仰ぎ見た。相変わらず明るい空だ。白い光に紛れて、黒い雲が見える。

 雲? 先ほど消えてしまったはずの雲がある。わたしが大気を呼び戻したからだろうか。

 雲は段々と大きくなっていき、こちらに迫ってくる。光が遮られ影ができ、ファイさんもその存在に気付いたようだ。

 ムクムクと膨らんでいく雲。その中から何かが飛び出してきた。それは物凄いスピードでこちらに落ちてくる。

 人だ。少しいびつな形をしているけど、それは人だった。金色の髪と赤い瞳を持つ男の子……ルカさんの顔をした少年だった。

「ウアァアアァアァァ!!!!」

 嵐の風音、獣の咆哮、とにかく人とは思えないような凄まじい声を発しながらそれは落ちてきた。体よりも大きな拳を振りかぶり、その少年はこちらに正確な一撃を放った。

 すぐそばで破裂音がした。わたしの体は思い切り遠くへ吹き飛ばされる。

 視界の端で、何かが飛び散るのが見えた。ファイさんの頭だ。いえ、上半身がまるごと吹き飛んでいる。

「アアァアアァアアア!!!!! 当たったアアァアアァアアア!!!!」

 もう一度、彼は叫んだ。今度の雄叫びは、凄まじい歓喜の感情と共に放たれた。わたしは唖然としながら身を起こし、ファイさんの残骸を見る。

 気味の悪い姿だった。体は胸から上が弾け飛び、辺りに真っ赤な絨毯が敷かれている。心臓は無事のようで、体から少しはみ出たソレが、びくびくと震えている。

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