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衰退世界の人形劇  作者: 小柚
下巻
113/125

第二十二章(5)

 わたしは船に乗っていた。

 周りにはひたすらに同じ風景が広がっている。水面から両腕をまわしたほどの太さの樹の幹が突き出し、天に向かって伸びている。

 わたしは甲板に仰向けになって、その幹がくるくると巻き合いながらひとつの大樹に集約されていく様子を見ていた。いや、正確にはそれは大きすぎて見えないから、いつも遠くから眺めていた景色と″それ″についての知識から、その様子を頭に思い浮かべていただけだ。

 ここは内なる海で、わたしはこの船に乗って故郷の村リーンを旅立った。内なる海には神さまの樹があり、わたしはその大樹に取り込まれるような形で、幹の隙間を漂っている。

 ここは迷路のようなところだった。はじめのうちはわたしも元気があったから櫂を使って船を漕いでいたけど、一晩が過ぎ、もう一晩が過ぎ、いくつもの夜を越えてすっかり気力を無くしてしまった。

 永遠のように感じる時の中で、わたしは悟ってしまった。

 わたしは騙されていたのだと。ここには天子さまの待つカミノクニなどというものはなく、ただ広大な海と巨大な樹があるだけで、わたしは死ぬまでここを漂い続けるしかない。

 そう気が付いて、わたしは村に戻ろうともした。だけど陸とは逆方向に海流があって、わたしの力ではそれに逆らえそうもない。

 陸に戻れない。カミノクニにも辿り着けない。わたしはこの船の上で徐々に乾いていき、朽ち果てて行く運命なのだ。

「死にたくない」

 わたしは呟いた。

「死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない」

 何度も何度も呟いた。その言葉は空しく空に吸い込まれて、辺りに静寂が戻る。

 わたしは自棄になって貢ぎ物を投げ捨てた。飲食できるものは全て胃に収めてしまった。甲板には何もない。空になった樽の口を開いて、雨でも降らないか期待しているくらいのものだ。

 内なる海には何もない。魚もいないし、海草すら生えていない。現代の内なる海とはまるで違う。ここには外なる海のような″死水″がなみなみと注がれている。

 マグノリアには知りようがないことだけど、カノンの知識で推測した。マグノリアの生きていた時代には、内なる海と外なる海は逆の存在だったのかもしれない。外なる海から湧き上がった命水が、川を流れ内なる海に注ぎ込む。川を流れる内に毒素が溜まり、内なる海に着く頃には全て死水に変わっている……。

 マグノリアは船に積まれた天子さまへの貢ぎ物を全て粗末に扱ってしまった。自分が生きるために、村人たちの切なる願いを踏みにじってしまった。

 それなのに、村に帰りたいと思っていた。ロイの元に戻りたいと思っていた。

 そもそもわたしが天子さまのもとへ行き、ご病気を治してみせるなどとできもしないことを言ったせいで、村の人たちはなけなしの財産を差し出してしまった。わたしが『ロイと暮らしたい』と言っていたら、みんなは陰口を叩くことはあっても無理強いをしたりはしなかっただろう。

 だって、天子さまは"天真"……真に清らかな心の乙女を求めていた。村のために自ら身を差し出す清い魂を求めていたからだ。

 全てはわたしが清らかな乙女になりたいがために背伸びをした結果だ。″穀潰し″と影で囁かれているのに耐えられなかった、プライドの高さが招いたことだとも言える。

 わたしは身の丈に合った幸せを選びとらなかった結果、最悪の事態を招いてしまったのだ。

「本当は……清らかな乙女じゃなくて、ロイのお嫁さんになりたかったのね」

 気付いた時にはもう遅い。すでに取り返しがつかないところまで来ていて、わたしは死を受け入れるしかない。

 わたしは呪った。自分ではなく、このような事態になっても助けてくれない天子さまを呪った。

 それはわたしの"天真"を顕にする行為だったのかもしれない。わたしは天に向けて呪いの言葉を口にした。祈り子として受け継いでいた、断片的なカミコトバを使って、わたしは天子さまを罵った。

『嘘つき! 偽物の神さま! 滅びなさい、この世界から消えてしまいなさい! 悪魔! あなたは悪魔よ!』

 その時だ。わたしの声に呼応するように、周りの樹の幹が眩い光を放ち始める。

 わたしは焦った。やっぱり天子さまは実在するの? わたしを試していただけなのかしら……。

 怯えながら空を見上げる。光は上に上っていき、雲のように広がる枝葉にエネルギーを注ぎ込んでいる。

 幹を上っていく内に六色に分かれたのだろうか。虹色に染まった幹と青色に染まった枝葉が見えて、わたしは恐怖した。

 怒っているの? 天子さま、怒っていらっしゃるの? わたしが暴言を口にしたから、怒っていらっしゃるの?

 わたしは怯えながら、船縁に身を隠して成り行きを見守る。

 この時わたしが懺悔して、内なる海に身を投じていれば次なる事態は起こらなかったのかもしれない。ただの思い込みかもしれないけど、わたしは強くそう思った。

 だって、いつもわたしが保身に走ると最悪なことが起こる。死にたくないと無様に願う度に、周りの人にとんでもない迷惑が引き起こされるのだ。

 青色に輝いた枝葉の先から、青色の光の珠が生まれる。キラキラと宝石のように輝く巨大な珠が、ものすごい勢いで発射された。

 陸地の方向に向かってまっすぐと。

「ーーーー!」

 わたしは声にならない声をあげた。船縁にしがみつき、飛んでいった方向を見る。数刻の後に、凄まじい衝撃波がわたしを襲った。

 船は転覆し、海の中に投げ出される。鼻から口から塩辛い水が入ってくる。息ができなくて混乱しながらも、わたしは先ほどの光景の意味について考えていた。

 裁きの光……? 天子さまがリーンに、裁きの光を下したの?

 脳裏に、炎に飲み込まれる村と泣き叫びながら逃げ惑う村人が浮かんでくる。

 わたしのせいで。わたしが天子さまを怒らせたせいで、最悪なことが起きてしまった……。


 ゆっくりと意識を浮上させる。

 夢はここで終わった。続きがないことをわたしは知っていた。

 これこそが、わたしがマグノリアと名付けたもう一人の自分に封印していた記憶だった。

 わたしは白子として産まれ、どこかの時点でこの記憶を取り戻していた。だけど、オズワルドさまたちから教えられたこと……"白子の前世は素晴らしい魂である"というのを信じ、今度こそ幸せになる選択肢を選ぶために封印した。

 都合の悪い記憶を封印してしまったわたしは、好き勝手に振る舞った挙げ句に同じような過ちを犯し、同じように後悔、暴走、幸せになれないなどと考え始める。

 結局わたしはいくら取り繕おうとも、わたしでしかいられないと言うことなのかしら。

 だけどうまく記憶を封印したわたしは、ある一部の人間にとっては都合がよいものになった。司彩の記憶までも一緒くたに封印したカノンは、何も知らないカノンという人格で居続けられた。

 長くは続かないだろうと思っていたこの不安定な状態を続けさせたのは『悪意』だった。

『マグノリア。きみは幸せになりたいんだよね』

 あいつがわたしに話しかけてきたのはいつだったか。

 そうだ。橙戌がとりついたあと、ハルムヘイルの兵に馬車で運ばれていたときのことだ。

『このままではきみは幸せになれない。きみがマグノリアとしてカノンに働きかけなければ、また同じ道を辿るだけだよ』

 あいつは人の記憶を勝手に読んだ。気味が悪いくらいにわたしのことを理解していた。あいつはわたしの中に入り込み、わたしに力を与えた。マグノリアというひとつの魂を明確に分離した。マグノリアに司彩を統制する力を与え、その代わりにあいつにとって"都合が悪い記憶"を封印させた。

 背中のアザはそのときにできたものだろう。あいつらが不気味な術を使うと、使った現場には気味の悪い刻印が残る。

 ルカは多分その事を知らない。ルカの中からあいつは度々顔を出し、自分に都合が良いように仕込みをしていた。あいつの存在を知っていたのは、スイだけなんじゃないかと思う。

 スイは見ていた。わたしとルカが同時に眠っていたときにも、わたしたちを見ていた。スイは悪意を知っていたが、それをわたしたちにも虎白にも告げなかった。

 何故なら、彼は悪意に加担する存在だったから。

 この悲劇を引き起こしたのは、悪意とスイだ。彼らは何かをきっかけに手を組んで、司彩が支配する世界のシステムを壊そうと目論んだ。

 最終的にスイは、虎白に味方をすることを拒否して身を隠した。虎白は彼らを止める力を持つ唯一の存在だったから。

 それがマグノリアの視点から見た、一連の事件の隠された側面……わたしの内なる見解だ。

 スイはわたしの味方と言いながら、わたしの中にいる『悪意』の味方をしていただけなのかもしれない。

 スイさんもまた、わたしを利用するだけ利用して、捨ててしまおうとしていただけなのかも……。

『あはは。悪くない洞察だよ、カノン』

 頭の中に突然響いた声にギョッとする。

『悪くはないけど、心外ではあるかな。折角命を懸けて君を守り抜いたというのに』

「ご、ごめんなさい、スイさん……」

 わたしは慌てて謝った。

 カノンというのはそういう人間だ。頭の中で不平不満をぶちまけていようと、目の前に当事者が来ると萎縮してしまう情けない人間なのだ。

『そんなことはないよ、カノン。私は君を勇敢で聡明な人間だと思っている。出会ったときからずっとね』

 わたしは心の目を開いて声の主を見る。

 わたしの目の前に現れたのはスイさんだった。緑色の髪と目をしたスイさんで、彼がわたしの中に入ってきた狐翠の魂であることはすぐにわかった。

『カノン。君は少し悪い方に考えすぎるきらいがある。物事は単純であることのほうが多いんだよ』

 うるさいわね、と思ってしまって慌てて口を塞ぐ。塞いでも無駄だ、口に出しているわけじゃないんだから。

 狐翠は少しも気を悪くした風もなく、楽しげに目を細めてこう言った。

『取り繕う必要はない。私はそんな君が好きだったし、これからもずっと好きだろうから』

 わたしは答えに窮した。狐翠の瞳はまっすぐで、嘘偽りを言っているようには見えない。

 というか、ここはわたしの頭の中だ。彼がわたしに隠し事をできるはずもない。マグノリアと分離していたときならともかく、わたしはすでに彼女と融合している。

 彼はわたしに嘘はつけない。つく必要がない。そこまで考えてようやく、わたしは彼の話を真面目に聞く気になった。

『君はスイを疑いながらも、スイからの贈り物を身に付けてくれていた。君がそういう人間だから、私は君のことを信用したし、好ましく思っていた』

「そんなの、当然のことでしょう。人からもらったものは、誰にもらったとしても大切にするのが普通です」

『普通ではないよ。私はそれを普通だと思う君が好きだった。誰かの期待に応えたいと思う誠実な人柄が好きだった』

「わたしなんて、ただの偽善者ですよ。人を助ける力もないのに助けたいと言って、中途半端に投げ出すんです。わたしよりも立派な人はたくさんいるし、そういう人と比べたらわたしなんて悪人と見なされてもおかしくない……」

『何故人と比べるんだ? 君が勇敢で聡明であり、私の好む性質を持っていることは、他の魂と比べる必要のない事実だろう。いちいち他人と比較する必要はないんだよ』

 狐翠は微笑んでいる。スイさんと同じ顔で微笑んでいる。

 この人は何者なんだろう。スイさんの魂は白子の体に残っていた。わたしに入ってきた魂は、スイさんではないはずなのに、どうしてわたしにこんなにも優しいことを言うのだろう。

 狐翠は訝しげなわたしの様子が可笑しいのか、クスクスと笑い声をあげて言った。

『君があまりにも打たれ弱いものだから、スイは心配になってしまったんだよ。誰かに励ましてもらえないと、君はすぐにふて腐れてしまうんだから』

「…………」

『せっかくの勇敢で聡明な魂がくすんでしまう。それはとても残念で、私の望むところではない。だからスイは少しだけ、自分の記憶を私に残した』

「スイさんの記憶を、狐翠に残したんですか?」

『君に関する記憶は、スイには必要がなかったから』

 彼は遠い目をする。私を通してスイさんの亡骸を見ていたのかもしれない。

 スイさんは座り込むわたしの膝の先で、静かに目を閉じていた。満足そうな安らかな寝顔だった。

『さあ、カノン。立って、前を向くんだ。君にはやらなくてはならないことがある』

 やらなくてはならないこと……。わたしは胸に手をやる。そこには二つの宝物が下がっていた。

 パルフィートと緑の石。ルカさんとスイさんの思い出の結晶だ。

『君らしく生き、君らしく死ぬんだ。どんな結末を迎えようと、私は祝福しよう』

 わたしは立ち上がる。膝が軋み、足首がぐらついてよろめく。しばらく眠っていた影響だろうか。

『君のおかげで自分らしく死ぬことができたスイが、君を祝福したいと言っている。君らしい生き方を私に見せてくれ。何が起ころうとも、私は君の味方であり続けるよ』

 スイさん……。わたしは彼の安らかな顔を見つめて、涙を流した。

 わたしはあなたを疑っていたけど、あなたを心から頼りにしていた。あなたは何度もわたしを救ってくれた。

 あなたがわたしを気に入ってくれていたように、わたしもあなたのことが好きだった。

 あなたがわたしのことを利用して、先に目的を果たしてしまったことを妬む気持ちはないわけではないけど、わたしたちは紛れもなく仲間だったんだろう。

 世界のシステムに望まず組み込まれ、翻弄されながらも、自分なりの幸せを探し求めていた仲間。

 もっとも、スイさんはわたしなんかよりもずっと素直に目的を追い続け、辛くも到達してしまったわけなんだけど……。

 彼が悪意の味方だろうが、わたしを利用したのが事実であろうが関係ない。わたしが今、彼の期待に応えたいと思っていることが真に大切なこと。それがわたしらしい生き方なんだ。

 そうなんでしょう? スイさん……。

 スイさんの代わりに狐翠が微笑むのを感じながら、わたしは彩謌を歌う。

 『ティール、三、八、五、七、三、八、ニ、ラグ、ニ、五、三、四』。

 スイさんが口にした座標へ、狐翠の力で飛んだ。

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