剣、二振り
一応恋愛だと思います。
感想返しは、何か話を投稿した際の活動報告にて行っております。
返答が遅くなってしまいますが、お許しください。
その時代は、大陸史上最も争いの多い時代だった。
数多の国が様々な思惑から戦へと身を投じた戦乱の時代である。
多くの人々が、有名無名、貴賎を問わず命を散らした悲惨にして無残の極致。
悲劇無き者が多数を占め、至福の生を感受する者が少数だった地獄の時代であった。
そして同時に武人が名を馳せ、戦場を駆け巡る武の時代でもあった。
多くの英雄が生まれ、死に、さらにまた生まれる。
武人達が最も輝いた時代でもあったのだ。
その中でも異彩を放つ二人の武人。
彼らは出会いより長い間、互いを好敵手として武を競い合い……。
奇妙な最後を遂げた二人である。
武人としての人生を互いの命を獲る事に費やした二人。
その出会いは、ある戦地での事だった。
しかし意外な事に、二人はこの時敵として出会ったわけではない。
同じ陣営で仲間として戦地に立っていたのである。
二人の内一人は、デュークという男性。
常人よりも若干長身である事以外、然して特徴のない男ではあった。
髪もくすんだ金色であり、目の色も青。
そこらにいる一般的な若者という風情の男だった。
その中に異常さを見出すとすれば、それは彼の持つ類稀な力であろう。
彼の持つ剣は、自らの足先から胸ほどの長さを誇る大剣だった。
剣の刃は鋭利さを欠いていたが重く、常人であれば一振りするだけでも精一杯という代物だった。
彼はそんな剣を通常の剣を振るう様に容易く扱った。
上段より振るわれるこの剣を受けた者は、防ぐ剣を叩き折られ、そのまま頭骨から腰骨までを一直線に叩き斬られた。
故に、彼のいた戦場では真っ二つになった遺体が多く見受けられたという。
その対となるもう一人の武人は、セッカという女性だった。
その身の丈は、デュークはおろか常人と比べても低かった。
セッカはデュークと違い、他にない身体的な特徴を有していた。
髪は黒く、瞳も若干の茶を帯びた黒である。
扱う剣は反りのある特殊な形状の剣。
切れ味の良い極東の剣である。
彼女は極東の島国より渡来した一族の末裔であった。
彼女の剣はデュークのように力を頼りにしたものではない。
むしろ、デュークの対極にあるような剣である。
彼女の剣は、技を以って斬るものだった。
小柄であり、女性特有の細腕であるという致命的な要素を持ち、それでも剣士としては生きるには技を磨き力の部分を補うしかなかった。
そして彼女の磨いた技は、その身の非力を補って余りある鋭さを有していた。
彼女の剣は乱戦の中にあっても、他の剣と打ち合わされる事がなかった。
振るわれた刃は相手の防御を掻い潜り、常に相手の柔肌、それも首だけを裂いた。
鎧の隙間に通された刃は頚骨の間へと正確に突き入れられ、もしくは首そのものを跳ね飛ばし……。
どちらとしても相対した者は絶命を免れなかった。
デュークは力を磨き、セッカは技を磨いた剣士だった。
そんな二人に共通する部分があるとするならば、それは互いに一撃必殺を旨としていた所だろう。
剣の性質は違えど、二人は一撃で命を奪う事に特化していた。
同じ戦場で見えた二人が、互いに注目する事は必然であった。
しかし戦の最中、二人は互いを認めながらも接触を図る機会はなかった。
二人が初めて言葉を交わしたのは、戦いが終わった後である。
報酬を貰った二人はその後、街道で再び見えた。
「お前、いい腕だな」
声をかけたのはデュークの方である。
セッカは、後ろからついてくる彼に気付いていた。
しかし、彼女は振り返り相手を改めるのに、その声をきっかけとした。
「一つ、死合ってみないか?」
デュークの提案に、セッカは彼へ向き合った。
言葉は返されなかったが、彼女は鞘から剣を抜き放った。
それは応じるという合図である。
デュークはそれを悟り、笑った。
話が早い。
少しばかりの問答もないままに、応じる彼女に小気味の良さを覚えた。
デュークは構える。
彼の構えは、セッカの流派で言う所の八相の構えというものであった。
セッカは剣を脇に構える。
八相に対し、有利と言われる構えである。
しかし、彼女がその構えを選んだのは相性を考えての事ではなく、それが自分にとって最も慣れ親しんだ型であるからだった。
たとえ相手が自分の不利となる型を取ったとしても、セッカは脇構えを取った事だろう。
それほどに、彼女は自分のその構えに自信を持っていた。
「行くぜ!」
宣言し、デュークは斬りかかった。
言葉にしたのは、彼なりの公平さを配慮しての事だった。
黙って切り込み、不意を衝く形にはしたくなかったのだ。
デュークは一気に距離を詰め、上から一直線に振り下ろした。
セッカは斜めに剣を振り上げ、相手の首を狙う。
が、それを中断して地面を転がり、剣を避けた。
その避けた先に、デュークはさらに追い討ちをかける。
再び、振り下ろされる剣。
セッカは不安定な体勢から半身を捩りつつ立ち、相手の首を狙っての一撃を放つ。
その一撃が当たれば、デュークが絶命する事は明らかだった。
それは彼も理解していた事であろう。
本来なら、そのような攻撃を受ければ防ごうとするものである。
しかし、彼が取った行動はさらなる攻撃だった。
振り下ろされた剣をそのまま横薙ぎにし、セッカの足を狙った。
斬るというよりも力任せに振り回したという類のものであったが、彼の剛剣を以ってすればそれでも足を折る事ができるだろう。
攻撃を継続する事で、相手の攻撃が勢いを得る前に打ち勝とうとしたのだ。
デュークには、相打ちであるならばこちらが勝つだろうという自信があった。
結局、セッカはそれに反撃よりも避ける事を選んだ。
距離を取る。
取らざるを得なかった。
普段なら、立ち回りにおいて剣の届く位置を維持する彼女である。
それは、相手のどのような所作に対しても、隙を見出して必殺の一撃を放てるようにである。
殺せる時に手を出せず、戦いを長引かせる事は避けたかった。
武人という生き物には男性が多く、それよりも体力の劣る女性の方が長丁場では不利だからだ。
一撃で相手の首を断とうとするのは、女性の身で武に置く彼女なりの戦略であった。
しかし、それでも逃げざるを得なかったのだ。
このデュークという男は力任せだけでなく、小手先の技も持ち合わせているようだった。
しかも自分の命を危ぶむ一撃を前に、なお攻撃を振るという胆力も持ち合わせている。
それは最初の一撃からしてそうだった。
セッカが攻撃する事を諦めて転がり避けたのは、それでは相手の斬撃を止められぬと思ったからだ。
あのまま攻撃していれば、たとえ命を絶てたとしてもその代償として自らの頭蓋を縦に割られていた事だろう。
それほどの一撃だったのだ。
恐らく、この男は自分がこれまで戦ってきたどのような剣客よりも強い。
最上位の強者であろう。
セッカの氷のように頑なな表情が、笑みに綻んだ。
そのような者と立ち会える事は気分の良い事だった。
それはデュークも同じである。
並の相手であるならば、今の一撃で趨勢は決していた。
今の一撃で足を折れれば、あとは動けぬ相手に剣を一度振り下ろすだけで殺せただろう。
それが通じぬ相手だった。
明らかに、これまで戦ってきた相手とは違う。
そんな相手と戦える事は、楽しかった。
その時、奇しくも二人の気持ちは一致した。
この者を斬りたい、と。
仕切り直され、二人は再び構えを取った。
再び、その剣が閃く。
刃を交わし、切り結び、必殺の一撃を放ち合う……。
四方八方より死の去来する戦地。
その様な死地ですら味わった事のない死閃が、二人の間を交差する。
激しい攻防ではあったが、それにしては剣と剣のぶつかる音が少なかった。
それはセッカが打ち合わせる事を嫌ったからである。
セッカの剣は鋭さによって斬る事を前提としたものだった。
打ち合わせ、刃こぼれして切れ味が落ちる事を防ぎたかった。
そして何より、デュークは明らかに自分よりも力に優れている。
打ち合わせても容易く負けてしまう事は必定だった。
故に、その斬撃は攻防を重ねるごとに消極的なものとなっていった。
それはデュークも同じである。
戦いの中でセッカの剣を知るにつれ、最初のような捨て身の攻撃ができなくなっていた。
攻撃して隙を見せれば、それを見逃す相手では無い。
相手の反撃を許してしまえば確実に命を奪われるだろう。
それが解かり、彼には珍しく慎重さが顔を出していた。
互いに、己の本分を発揮する事ができぬまま続いた死合。
時間が経つにつれ、動く事すらできない事も多くなった。
ただ睨み合い、時間だけが過ぎていく無意味な時間だ。
二人はそこに、自らの未熟さを感じ取った。
今まで多くの雑兵……いや、名のある剣客すらも相手に戦ってきた二人である。
その誰もを切り伏せてきたが、目の前の相手には自分の勝てる結末を見出せないでいる。
思えば、自分は実力の伯仲した相手と手合わせした事がなかったのだ、と強く実感する。
そして、だからこそそのような相手に出会った今、どう処すれば良いのかわからなくなっている。
これを未熟と言わずして、なんと言おう。
二人は互いに、その事実への屈辱を覚えた。
先に剣を収めたのは、デュークであった。
八相に構えた剣を下ろし、声をかける。
「飯にしないか?」
「いいだろう。腹が減った」
セッカもそれに応じ、剣を鞘に収めた。
剣を交え、殺気を放ち、殺しあった二人は同じ焚き火を囲む事となった。
あたりはすっかりと暗くなっていた。
焚き火の上では、野うさぎが丸ごと焼かれている。
「あんたみたいに強い人間がいるとは思わなかった。それも女だというのだから」
デュークの言い様に、セッカは眉根を寄せた。
「女の何が悪い」
「そもそも筋肉が薄い」
デュークが返す。
「大きさも良くない。身体も小さく、体力も男に劣る。全体的に硬い部分が少なすぎるんだ。戦いに向いた体では無い」
セッカは反論する事ができなかった。
それは彼女自身も、常々不便さを覚える事だった。
デュークの言葉がただただ偏見によるものでない事を知れて、色めいた心中が落ち着きを取り戻した。
「それをして、あの強さを持つからこそ俺はあんたを尊敬する。俺はこの身体を頼りにして戦えるが、俺がお前に成代わったとしてもお前と同じように戦えはしないだろう」
「……私にも、お前のような胆力はない。斬られる事を覚悟した打ち込みなど、できない」
セッカが他人を褒める事は珍しい。
生来、不器用な性質である。
嘘を嫌い、実直であり、気の利いたお世辞など言えない。
そのため、敵を多く作ってきた。
その性質を改める事などできず、だから彼女は極力黙りこむ事を処世術としている。
そんな彼女が彼に対して褒める言葉を言えたのは、彼女が本心からそう思ったからである。
「ありがとよ」
デュークは素直に礼を良い、嬉しさから笑った。
彼もまた素直な性質である。
ただセッカと違い、その内心を隠すのではなく全て表へ出すようにしていた。
二人は焼けた野うさぎを切り分け、平らげた。
腹が満たされると、セッカが口を開く。
「お前のその剣は、我流か?」
デュークの剣技は、セッカが今まで見た事のないものだった。
興味が湧き、訊ねる。
「我流かぁ」
釈然としないという口振りで、デュークは呟く。
「流派と呼べるものですらないな。力いっぱい振り下すだけだから。構えだって、あれが一番力の入れ易いようにと思ってああなっただけだ」
「……いや、お前の剣には理がある。もはやあれは、剣の流派だ」
「そんなもんかねぇ」
釈然としないふうに、しかしまんざらでもない様子でデュークは答える。
「そう……。一撃で相手を殺す事に長じたお前の型は、理に適っている。今の時代では特に」
「そうだろ? 何せ、一撃で殺せなければ、魔法ですぐに傷が治ってしまうからな」
回復の魔法は一昔前まで擦り傷が治れば良い程度の弱いものではあったが、戦乱の時代にあって著しい進歩を遂げていた。
その進歩によって、今や瀕死の重傷を負った兵士を一、二分後には戦線へ復帰させる事もできた。
その程度の魔法が、昨今の戦地では当然のように使用されるのである。
その習得は容易く、デュークとセッカも当然使う事ができた。
今現在、武に身を置く者の嗜みと言って良い技術だった。
「回復魔法の発達で、戦場の主流は、槍や剣などから一撃で相手を殺しやすい斧や大槌へと変わっていった。それどころか、さらに魔法主体のものへと変わろうとしている。私はそれが面白くない」
「だからお前も、一撃で相手を殺す技を磨いているわけだな?」
「そうだ」
セッカは答え、頷いた。
「私の家は、代々剣技を糧として生きてきた。しかし、今やその伝統も潰えようとしている。私の父も兄も、剣の鍛錬よりも兵法を重んじるようになってしまった。その様が私には我慢ならない」
セッカの一族の祖先は、ある貴族に腕を見込まれて代々その貴族に仕えてきた。
それからずっと、剣の腕だけを磨いて主のために働いてきたのである。
しかし、回復魔法の進歩によってその剣技の価値は低く見られるようになってしまった。
実際の所は、一族全体の剣の質が落ち、価値はなくなっていただけのかもしれないが……。
何せ一族の中で、末娘のセッカに太刀打ちできる人間はいなくなっていたのだから。
だがセッカは、それが我慢ならなかった。
「我が家の剣を軽んじられる事……それが私には許せない。だから私は、自らの技で我が流派の力を世に示したいのだ」
「ふぅん」
デュークはあやふやな返事をした。続けて口を開く。
「そういう自分の剣への誇りみたいなものが、俺にはないがね」
「ならお前は、何故剣を極める? 何故、私と死合いたいと思った? 誇りが無ければ、強さを比べようなど思わないはずだ」
「好奇心だな。あんたが強い事は戦場で見てわかった。戦って、斬れるかどうかわからなかった。だから実際に試してみたくなったのさ。俺にとって、人を斬る事は生きる事と同じものだからな」
言って、デュークは自分の剣を持って示した。
「口減らしに村から追い出されて以来、俺は人を斬って生きてきた。そうして金を貰う生き方しか知らない。それが人生の全てだ。だから、斬れなくなったら死ぬ時なのさ」
「斬れなくなれば死、か」
デュークの言葉を反芻し、セッカは笑みを浮かべた。
「然り。斬れない剣に、存在価値などない。気に入った」
セッカは共感を示した。
彼の言う事は、自分の価値観に通じる所があった。
セッカの一族は、人を斬るという一点に価値を認められたのだ。
その価値を持たぬ今の一族に、セッカは嫌悪を持っていた。
まさしく、斬れない剣だ。
存在価値などない。
セッカはそのようになりたくない。
自らは、何よりも斬れる剣でありたいと思った。
「俺も、お前の事が気に入った。……だから、また死合いたい」
「それは私も同じ気持ちだ」
この価値観を同じくする男。
彼と同じく、セッカもまた再び死合いたいと思った。
だが……。
「今すぐではないが、な」
「ああ。今の俺では、お前に勝てる気がしない。負ける気もしないが」
セッカの言葉に、デュークは答えた。
今戦ったとしても、昼間の二の舞となる事は明らかだった。
互いに慎重となりすぎ、膠着が続くだろう。
それは二人の共通認識である。
そうならぬためにも、自分を鍛えなおしたいと二人は考えていた。
「一年後、またどこかで会おう」
「わかった。その時に、決着をつけよう」
こうして、二人は一年後にもう一度死合う約束を交わした。
ただ二人は知らなかった。
この約束が一度だけのものにならない事を。
一年後、二人は約束通りに見え、会わぬ間に磨き培った己の腕を遺憾なく発揮した。
互いに、山へ篭り、戦場を駆け、余す所無く己を磨く事に費やした一年。
しかし、その一年では決着をつける事ができなかった。
もう一年の時を経て、再戦を望む事は当然の成り行きと言えた。
そしてまた一年。
さらに一年、と二人の決着は持ち越された。
この間の二人は、ずっと互いの事を考え続けていた。
鍛錬を積む間も、常に相手の事を念頭に置き続けた。
会わぬ間も、その心は相手の事で占められていた。
どう動き、どう対処するか、次に会う時はどれほどの力を培っているか、自分の力量はそれに追いつけているか……。
そのような事ばかりを考え、剣を振って一年の時を過ごすのである。
二人は約束の日以外にも、時折ばったりと出くわす事があった。
その時は戦う事もせず、さながら親しい友人のように言葉を交わした。
性格の違う二人ではあったが、事が剣の事となれば話も弾んだ。
しかし約束の日には、そのような仲の良さが嘘のように互いの命を取る事に執心するのである。
交わされる約束は口約束でしかなかったが、二人がそれを違える事はなかった。
二、三日、一方が遅れる事はあっても、もう一方は来る事を信じて約束の場所で待っていた。
そして、出会いから七年が経つ頃……。
七度目の死合い。
約束の日、約束の場所。
先にそこへ訪れていたのはデュークだった。
大石に腰掛けていたデュークはセッカが来た事を認めるとおもむろに立ち上がり、抜き身となった剣の柄を握り、八相に構えた。
セッカもまた鞘から剣を抜き放ち、脇に構えた。
一声も発する必要は無い。
二人が揃い、成す事は一つしかないのだ。
先手を取ったのは、デュークである。
雷光を思わせる速さ、鋭さで剣を振り下ろす。
セッカは一歩退いて、紙一重でそれをかわす。
前髪が数本ハラリと散る中、一歩踏み出して横薙ぎに斬り込む。
デュークは構わず前に出て、振り下ろした剣を振り上げた。
身を捩り、セッカはそれをかわす。
が、避けきれずに肩を刃が掠める。
捩ってそれたセッカの斬撃はデュークの頬を深く裂いた。
仕切りなおそうと後退するセッカをデュークは追い、さらに攻勢をかける。
振り下ろされる剣。隙を衝いて返される刃。奇襲じみた豪快な横薙ぎ。深く身を沈めて足元を狙う斬撃。片足を上げて回避。そこから踏み込みと同時に振り下ろされる剣。地を転がっての回避。
距離を取っての対峙。
荒い息を整える両者。
言葉の無い両者の脳裏には、これまでに見知った相手の手の内が反芻される。
その処し方を今一度考える。
しかし酸素を欠乏した脳は、思うようにその解を出してくれない。
混乱が生じる。
その混乱を無理やりにでも取り払おうと苦心する。
それができなければ、命を失うのだ。
息が整うと、再び攻防が始まる。
一年間考え、培ってきた技の応酬が両者の間で繰り広げられる。
互いが互いのために……。
想い合い……。
相手を殺すために研鑽を積んだ技の数々である。
しかし時間が経つと、次第にそれは意味を成さなくなっていった。
出せる手は全て出し尽くし、用意していたはずの技は全て披露した。
もう見せるべきものは何も無い。
試すべき手は何も……。
最早、二人の繰り出す剣は技でもなんでもなかった。
ただ剣を振っているだけ。
当初こそ、打ち合わされる事のなかった剣であったが、そうなると行く度もぶつかり金属の音を響かせるようになった。
雑多に打ち合わされた剣には、いくつもの刃こぼれができていた。
そして……。
何十合と打ち合わされた剣は、ポキリと折れた。
折れたのは、セッカの剣である。
玉鋼を何度も折り重ね、薄く伸ばされた剣は見た目に反して頑丈である。
彼女自身、打ち合わされる際に極力折れぬよう打ち合っていた。
しかし、デュークの膂力を以ってして振るわれる大剣を何度も受ければ、折れるのも致し方なかった。
とはいえ、デュークの剣も無事とは言えない。
刃こぼれは勿論の事、所々にひびが入っていた。
一歩間違えば、こちらが折れていたとしてもおかしくない状態だった。
セッカは、手元の剣を見下ろす。
半ばから折れたそれを目にし、鞘へ収めた。
その場で、デュークに背を向けて胡坐をかく。
そして、首元を晒した。
「斬れぬ剣に、存在価値は無い。決着だ」
「……そうだな」
デュークは、セッカの首を狙って剣を構えた。
「良い、七年だった……。こんなに楽しい時はなかった」
「私もそう思う……。そして、お前にそう言ってもらえる事が嬉しい……」
剣が、振り下ろされた。
その一年後、二人は共に暮らしていた。
一年前の死合いにおいて、セッカは剣を折られて首を差し出した。
しかしデュークがその首を落とそうと剣を振った時、セッカの頚骨に当たった彼の剣が折れてしまったのである。
そうしてセッカは絶命を免れ、得物を無くした今はデュークと二人で暮らしていた。
それは剣が無ければ、世を渡る術がないからである。
デュークは新しい剣をすぐに見つけたが、セッカの剣は極東の珍しいものでおいそれと見つかるものではなかった。
死合いで生き残った以上、二人は未だにその決着を望んでいた。
セッカがデュークと死合うにあたって、ただの剣では太刀打ちできない。
だからこその休戦である。
剣を無くした彼女へ、共に居ようと提案したのはデュークだった。
新たな剣を見つけるまで、デュークは彼女を守ろうと思った。
デュークとしては、セッカが剣の無い隙を衝いて誰かに殺されてしまう事が面白くなかった。
彼女を殺すのは自分である。
自分でなくてはならない。
彼はそう思っていた。
彼女をこの手で殺すその日のために、その身を守ろうと思ったのだ。
彼女もまたその考えを察し、素直に提案を受け入れた。
そんな二人が、ある村のはずれに居を構えて住むようになったのは思わぬ事態に見舞われたからだ。
山の裾野に広がる森林の中に建つ一件の家。
二人はそこへ住むようになった。
それは、セッカが妊娠したからである。
無論、それはデュークとの間にできた子供であった。
しかし、二人が恋仲になった末にその子が生まれたわけではない。
ある日デュークは、セッカを抱きたいと申し出た。
それは愛情を覚えての事ではなく、男としての純粋な性欲からだった。
本来ならば、商売女を買って晴らすのだが、新たに剣を買ったデュークには手持ちの金がなかった。
よって金もなく、セッカに頼んだのである。
セッカは素直に頼み込んでくるデュークに「こいつアホか」と呆れすら覚えたものだが、仕方ないなとそれに応じた。
他の男に頼まれれば斬って捨てる所だが、デュークが相手ならば一度ぐらい良いだろうと思ったのである。
そうした申し出は一度きりの事であったが、その一度で彼女は子供を身篭った。
「性欲には勝てないからな」
食事時、焼いた肉を食べながらデュークは言った。
「だからと言って、商売女の如く扱われた事は不快だがな」
「……商売女? どちらかというと普通の女より筋肉質で、少年を抱いているようだったがな」
「殺すぞ」
デュークの言葉に、セッカはステーキナイフを手に返した。
「面白い」
デュークもまた、ステーキナイフを握って答える。
ステーキナイフを得物としたその攻防は、技量の差でセッカがデュークのナイフを斬り折り、その後デュークが強引にセッカのナイフを指で曲げるという事態に発展。
二人の攻防は、新しいステーキナイフ二本を購入するという結末へ帰結した。
そして二人の間に生まれた子供は、黒髪碧眼の女の子であった。
名前はエイミと名付けられた。
とても元気で闊達な子である。
「うー♪ うー♪」
玩具の剣を振り回しながら、ご満悦な様子のエイミ。
「ずいぶんと上機嫌じゃないか」
そんな我が子を見て、デュークは言う。
「いつもこんな感じだがな。転んで頭をぶつけても笑う。腹が減った時ぐらいしか泣かん」
セッカが答える。
「そうなのか。見た事がないな」
「家にいないのだから仕方が無い」
デュークは金を稼ぐために、外へ出ている事が多かった。
「うっ! うーっ!」
両親がそばにいる事に気付いて、エイミは両手を二人に伸ばす。
セッカはそれに応じて抱き上げる。
するとエイミは、デュークの方へ両手を伸ばした。
デュークが手を差し出すと、エイミはその小指を力いっぱい握った。
「力が強いな」
「赤ん坊はそんなものだ。弟もそうだった」
「お前、兄弟いっぱいいるのな」
「数だけは多いぞ。皆、ボンクラだ」
デュークは自分の小指を握る小さな手を見る。
自然と笑みが零れた。
「愛おしいか?」
セッカが訊ねる。
「……ああ。そうだな」
「私もだ」
望んだ子ではなくとも、自分の血を分けた子というのは愛おしい。
しかし、セッカはそこに危うさを覚えていた。
自分の子供を愛しく思う事はいいだろう。
この子と過ごす事に幸せを感じるのも、人としては良いことなのだ。
しかし、セッカは只人ではない。
武人である。
武に身を置くものが、平穏な日常へ慣れ親しむ事が良い事だろうか。
このままではいずれ、武人としての自分が消えてしまうのではないかと彼女は危ぶんでいた。
自分がデュークと共にいるのは、あくまでも互いを斬るという目的があっての事だ。
その目的がぶれる事は、歓迎できない。
セッカは育児の側らで、鍛錬も怠っていなかった。
デュークの剣を思い、毎日剣を振った。
さながらそれは、自分を弱くする『幸せ』というものから逃げようとするかのようであった。
甘やかなそれを振り切り、叩き斬るように彼女は剣を振り続けた。
時折、デュークと模擬戦もする。
そのおかげで、未だかつてない程にセッカはデュークの剣を理解するに到っていた。
もはや、知り尽くしていると言ってもいいだろう。
それはデュークも同じ事である。
恐らく二人は、未だかつてない程に互いの事を理解していた。
次に戦う時は、これまで以上に濃密な戦いとなる事が予想できた。
今度こそ、決着が着くかもしれなかった。
国元の信頼できる刀匠に依頼した新たな剣。
それが届いた時こそ、その時である。
その剣は、商人ギルドを経由して最寄の町へ届く手筈となっていた。
その時が早く来い、とセッカは願っていた。
でなければ……。
その日は、エイミの姿が朝から見えなかった。
昼ごろになっても、その姿は見つからなかった。
自分の足で歩けるようになって、エイミはその活発さを遺憾なく発揮するようになった。
これまでいけなかった未知の世界に惹かれ、エイミは好奇心のままに歩き回った。
まったく……好奇心で動くのは父親に似たのだな。
そう思い、溜息を吐きながらセッカは家の中でエイミを探した。
そんな時である。
「ただいま」
デュークが自宅へと帰ってきた。
彼は朝早くから、近くの町へ行っていた。
帰ってくるにも早い時間だった。
だから、セッカは怪訝な面持ちで彼を見る。
「早かったな」
「ああ」
短く答えると、デュークは布に巻かれた棒状の物をセッカへ渡した。
「これは……」
布を解くと、それは鞘に収められた一振りの剣だった。
見覚えのあるそれは、セッカの依頼した剣である。
それを見て、待ち望んでいたその時が来た事を察する。
そして、驚くほどに躊躇いのない自分を自覚した。
心配する事などなかった。
どれだけ幸せに浸ろうと、私にはこれ以上の物はなかったのだ。
そう察した。
あらゆる物がどうでもよくなった。
今までの営みも、幸せも、どこかへ行った娘の安否も……。
どれも、彼女の憂いにならなかった。
ただただ、この男を斬りたい。
そう思った。
「やるか……」
それはデュークも同じだった。
彼もセッカ同様、今の生活に幸せを覚えていた。
しかし、セッカの剣が届いている事を町で知った時、デュークはその幸せ以上に彼女との戦いを望んだ。
だから急いで、家へ帰ってきたのだ。
二人は家の外へ出た。
家の前で、剣を抜く二人。
セッカは二、三回剣を振る。
使い勝手は今までの物と同じだ。
あの刀匠は相変わらず腕が良い。
セッカの癖をしっかりと把握している。
セッカは一つ、息を吐いた。
二人は構えを取る。
合図はなく、その時から戦いは始まった。
戦端を切ったのはセッカである。
デュークに倣うかのような、捨て身の一撃だった。
セッカの剣速はデュークに勝る。
それも自身を省みない分、普段よりも速かった。
デュークがそれに合わせて同様の手を使おうと、セッカの剣の方が先に届く。
初撃にして、相手の命を直接狙う一手だった。
そこに容赦など感じられない。
例え相手が、身体を重ねた相手であってもそれは変わらない事だった。
それを察したデュークはその剣より逃げた。
セッカに攻撃後の隙など無い。
必殺の一撃とはいえ、彼女の斬撃には力みが少なかった。
首を斬り落とせる最小限の力が乗るのみである。
デュークが反撃を狙っても、すぐさま斬り返される事だろう。
だから逃げた。
セッカの一撃を後退して避けると、さらに距離を取って走り出す。
それをセッカは追った。
家屋のある広場から、木々の生い茂る森の中へと入り込む。
体格の小さなセッカはすぐさまデュークへと追いついた。
木々の合間を抜けて彼の背を追い、その直後デュークはセッカへ振り返った。
彼女の頭蓋を狙い、剣を振り下ろす。
木々の合間にあった彼女はそれを避ける事ができなかった。
手に持つ剣を相手の剣に合わせ、自分の刀身の腹を思い切り叩くように押した。
デュークの剣の軌道をそらし、自分の身体を木へ押し付けるようにして反らす。
デュークの剣が地面を叩いた。
セッカは前へ出て突き込む。
遮蔽物の多い森の中では、彼女の得意とする横薙ぎができなかった。
デュークが森の中へ逃れたのは、それを見越しての事だったのだろう。
セッカはそれを卑怯とは思わなかった。
自分の有利に持ち込んで戦う事は、戦術の内である。
生き死にのかかる戦いにおいては、卑怯と謗ったとしてなんら意味がない。
死ねば、その声すら出せないのだから。
デュークは剣を振り上げてセッカの剣を跳ね上げた。
跳ね上げられた反動を利用して跳び、木を蹴ってデュークの背後へ着地する。
振り向き様に、袈裟の軌道で振るわれるデュークの剣。
避けて下方より振るわれるセッカの剣。
それを見越していたかのように、デュークはすぐさま剣を振り上げて対となる軌道でセッカの剣を迎撃する。
打ち合われる刃。
散る火花。
数合の打ち合い。
もはや、互いに手は知り尽くしている。
今までのように、打ち合いを回避する事などできない。
デュークの力を巧くいなし、手数で相手の隙をうかがうセッカ。
セッカの連撃を防ぎつつ、機を待つデューク。
狙う物は互いに、相手の命。
無数の命を狙う音が森の中へ響き続けた。
いつ止むとも知れないそれらではあったが、その終わりはほどなくして訪れる……。
セッカの一撃を受け、力任せに押し返すデューク。
しかしセッカは、それを見越して次の技の動作へ入る。
デュークは八相を構え、セッカは脇に構える。
セッカは地を這うように低く刃を走らせ、デュークは天高くより剣を振り下ろした。
互いに命を奪うために放つ、必殺の一撃である。
これが放たれた時こそ、決着が訪れる。
二人は同じ予感を覚えていた。
上下より、二振りの刃が閃く……。
「うー♪ あーう♪」
そんな二人の間で、場違いな声が聞こえた。
声のした草むらから、ひょっこりとエイミが顔を上げる。
「「……!」」
共に絶句する。
セッカは刃を止める。
彼女の剣閃は、エイミの首を落とす軌道にあった。
同時に、デュークもまたセッカの頭の上で剣を止めた。
そのまま切り下ろしてしまえば、セッカと共にエイミを真っ二つにしてしまっていた事だろう。
デュークとセッカは、同時に溜息を吐いた。
それは安堵だった。
同時に、戦意を失っていた。
そして二人は、同じ考えに至る。
「斬れぬ剣に、存在価値はない……」
呟いたのはセッカだった。
相手を斬る事よりもこの子の命を優先した。
それはきっと、武人として失格なのだろう。
もはや自分は、武人を名乗るべき者ではないだろう。
それは自分のみならず……。
二人は、お互いの姿を見やった。
武人とは言えぬ、互いの姿だ。
もう、斬りたいと思えなかった。
武人ではない彼方にはもはや斬る価値も無く、武人ではない自分には斬る必要もない。
「帰るか」
「ああ」
ただ一人、エイミだけが状況を察する事無く、両親の姿に無邪気な笑みを浮かべていた。
それが二人の最後の死合いとなった。
以来、セッカは剣を持つことすらしなくなり、デュークとはただ死合うという目的のための関係を改めた。
正式な夫婦となりたい旨をデュークに伝え、彼もまたそれに応じた。
娘の命を守るか、死合う相手の命を奪うか。
その選択の天秤を娘の命へと傾けた彼女は、自分には武人としての価値がないと判じたのだ。
斬れぬ剣に存在価値は無い。
あの時、相手を斬れなかった自分は最早武人とは呼べなかった。
そう思って、彼女は剣を置く事にしたのだ。
それはデュークも同じだった。
生計を立てるために剣を振るう事はあったが、求道的に自分の腕を試そうとする事はなくなった。
剣を捨てた二人に残ったのは、二人の間にできた娘のみである。
あの死合いの結末から二人は、ただの夫婦として生きる事を選んだのだ。
それから十数年後。
とある戦が終わり、街道を行く一人の剣士がいた。
そんな剣士へ、一人の女性が声をかける。
「お前、いい腕だな」
振り返る剣士が見たのは、黒髪碧眼の女性だった。
その背中には、二振りの剣……。
大剣と極東の剣が、交差していた。
「一つ、死合ってみないか?」
二振りの剣はその刃を失い、しかし一振りの名剣を生み出した。
剣士を志した時、どちらかの剣をあげようと言われ「両方使う」というわがままを言った彼女は、右手に持った大剣で相手を真っ二つにし、左手に持った極東の剣で相手の首を狙う化け物となった。