第89話 再終了
涼風の双剣から噴出する風を利用し、狭い山道を疾走する修馬。すでに何度か通った道だが、流石にこの速さで走るのは危険を伴う。だが、後ろから戦鬼が追ってきているかもしれないので、速度を緩めることは出来なかった。
細い木立の中を縫うように駆け抜け、ようやく広い空間に抜け出た瞬間、突然頭上から「あっ、居た!」という声と共に何かが勢いよく落ちてきた。
「あー、上手く逃げられたようだね」
空から落ちてきた人物がそう声をかける。それは、飛翔魔法で飛んでいたココだった。修馬は急に止まったため、地面につんのめ顔を強打してしまったが、ココに会った安心感からか、不思議と表情は笑顔になった。
「もう、追ってきてないの?」
「うん。戦鬼の足はそれほど速くないからねぇ」
ココの言葉を聞き、大きく息をつく修馬。落ち着いて辺りを見ると、そこが勇者モレアの石碑がある場所だと気づいた。群生するアクオ草のおかげで顔面の被害が少なかったようだ。
「少し休んでもいいかな?」
腕と足がかなり疲弊したので、そのまま地面の上に胡坐をかきそう聞いたのだが、ココは石碑を見つめたままじっと押し黙っていた。
「ああ、それは勇者モレアの石碑だよ」
そう教えると、ココはようやくこちらに顔を向けた。
「勇者モレア……? 何だか違和感がある」
「違和感? どんな?」
よく理解出来ずにそう聞き返すと、ココは再び石碑に視線を向けた。
「……誰か居ない?」
「えっ?」
そう聞かされ石碑の周りをよくよく見回すが、ココの言う誰かは確認出来ない。
念のため石碑の後ろも調べてみようと立ち上がると、次の瞬間、石碑の横でグーと鈍い音が鳴り、革製の服を着た長身の男が突然姿を現した。驚きのあまり動きが停止する修馬。何だ、こいつは!?
「……おい、そこのちっこいの。何で俺がここに居ることがわかったんだ?」
男はそう言うと、不機嫌そうにココを指差した。
だがココは、質問を無視するように「お腹空いてるの?」と聞き返した。先ほどのグーという音は、明らかにお腹の鳴る音だったからだ。
「腹か……。確かに昨日から何も食ってなかったな」
自分の腹をさする長身の男。その人物はサイドヘアーを丁寧に編み込んだ洒落者のようだが、どこか野暮ったさを隠しきれない人相をしていた。いわゆる雰囲気イケメンというやつだ。
どこか憎めない顔に気を許したのか、修馬はふと思いついたようにポケットの中を探る。するとその中に、豆が1粒だけ残っていた。だが、これだけでは腹は満たされないだろう。
「タケミナカタ、これで何か作れないかな?」
独り言のようにそう呟く修馬。すると左肩から、黒い球体のタケミナカタが飛び出すように出現した。これには同じように突然現れた雰囲気イケメンもびくりと反応する。
「何だ、この小汚い黒いのは?」
「何だとは何だ、この無礼者め! 儂は剛毅朴……」
名乗っている途中、修馬はタケミナカタの口を手で塞いだ。黒い球体から短い手が出てきて、わちゃわちゃと上下に振っている。
「そういう面倒くさいのはいいから、これでちゃっちゃとお菓子でも作ってやってよ」
「貴様、儂のことを何だと思っておるのだ? しかも豆1粒で菓子を作れという、常識破りの無理難題。まあ、儂も菓子が好きだから、作ってやらんでもないがのうぉ。あ、ほれっ」
タケミナカタは不服そうにそう言うと、修馬の手の中の豆がいつの間にか3つのぼたもちに変化していた。
「おおぉ!!」
自分でお願いしておきながら、人一倍びっくりしてしまう。何故、豆1粒からぼたもちを作ることが出来るのだろう? これはまさに、神の所業。
「ぼたもちが出てきたよ」
3つのぼたもちを差し出すと、雰囲気イケメンは困惑したように顔をしかめた。
「何だその土塊は? お前の肩の上にいる黒いのの子供じゃないのか?」
「いや、見た目はあれだけど、これは美味しいお菓子だよ」
多少田舎臭い和菓子だが、修馬はぼたもちが嫌いではなかった。
「そんなに言うなら、試しにお前が1つ食べてみろ」
ふてぶてしい態度で命令してくる雰囲気イケメン。言われなくても1つは自分で食べるつもりだ。全部お前にくれてやるつもりは毛頭ない。
左手に乗ったぼたもちを右手で掴み、がっつり頬張る。大きなサイズだったので、半分以上手の中に残った。
「あー、うまっ!」
思わず唸る修馬。適度に粒の残る香りの良いもち米とうるち米。そしてたっぷりとくるんだ粒あんは仄かな甘さで幾らでも食べれそうだ。
すると誘われるように喉を鳴らしたココが、ぼたもちを掴んで一口食べた。瞬間とろけるような表情に変化する。
「うまーい!! 中身のもちっとした白いのは何?」
「米だよ。もち米」
そう答えると、雰囲気イケメンが目を丸くして声を上げた。
「米っ!? お菓子は普通小麦粉とか果物で作るだろ? 米を甘くして食べるとか正気か!?」
「ふん。米の食い方もろくに知らん若造が何を言う。我が国の米文化の真髄とくと味わえ!」
タケミナカタは修馬の手からぼたもちを奪い取ると、そのまま跳び上がり、雰囲気イケメンの口の中にぼたもちを無理やり詰め込んだ。
大きなぼたもちを口の中に入れられて、始めは苦しそうにしていた雰囲気イケメンだが、どうにか咀嚼してゆっくり飲み込むと、眉間に寄っていた皺が綺麗に無くなった。
「……うまい。こんなうまい菓子初めて食べた。しかも、初めて食べたのにどこか懐かしい……。何だってんだ、この感覚は?」
あまりの感動に、演技口調になる雰囲気イケメン。けどまあ、言わんとしていることはわかる。ぼたもちってそうだよな。
「それはそうじゃ。儂が厳選した素材でこしらえたものだからな。精々感謝するがいい」
タケミナカタは誇らしげに目を閉じ、頷くように体を揺らした。
「厳選って、タケミナカタが? 俺の持ってた豆で作ったんじゃないの?」
「はぁ、情けない……。お前は本当に儂が豆1粒でぼたもちを作ったと思っているのか? あれは材料を呼び出すための呼び水に過ぎない」
「へぇ、そうなんだ」
特に興味もなさそうに、残ったぼたもちを口にする修馬。すると雰囲気イケメンは、手についたあんこをぺろぺろと舐めながらこちらに近づいてきた。
「俺の名前はライゼン。手は汚れたが、旨い菓子をごちそうになった」
ライゼンと名乗る雰囲気イケメンは、頭を下げて礼を言った。だが長身のため、見下ろすような体制になっている。
「ところで、実は俺は今、仲間を捜している」
唐突に話を変えてくるライゼン。自分たちのように、旅をしながら特定の人物を捜しているのだろうか?
「仲間?」
「ああ」
そう頷き、ライゼンは更に近づいてくる。そして強く抱き着いてくると、腹の辺りに熱い痛みが走った。
「なあ、お前は俺の仲間じゃないのか?」
そして体を離すライゼン。その手には短剣が握られており、刃には赤い血が滴っていた。
そこでようやく腹を刃物で突かれたと気づく修馬。だからといってどうすることも出来ず、そのまま天を仰ぐように後ろに倒れた。
その音に驚いたのか、野鳥がバタバタと空へ羽ばたいていく。修馬の目には、木々の隙間の向こうにある青い夏の空が見えていた。
これは死んだかな……。薄れゆく聴力だったが、ココの魔法を放つ音が微かに聞こえてきた。大魔導師を怒らせてしまったようだな。馬鹿な男だ。
視界がゆっくりと白んでいく中、どこか客観的にそんなことを考えていると、突然目の前にライゼンの狂気の表情がぼんやりと映った。
「一度、死んでみろ」
赤く染まった短剣で、喉笛を一気に引き裂かれる。そこで視界が真っ暗に落ち、修馬は声もなく絶命してしまった。
―――第22章に続く。