第84話 マリアンナの行方
修馬は地面に転がる円形の白い盾を手に取った。
「これがイシュタル……?」
しかし何でまた、盾になど変化したのだろうか?
「その獣、小僧の守護霊になりたかったようだが、すでに守護神である儂がおったので身を引き、防具になることで役に立とうとしているようじゃな。分際をわきまえた賢い畜生である」
タケミナカタはどことなく上から目線でそう言うと、スイッチが切れたかのようにふっとそこから姿を消した。
もう少し、他の言い方は出来なかったのかなぁと思いつつ、修馬は白い盾を拾い上げる。そして、裏面のベルトを腕に締めると、握り手を掴み前に構えた。見た目より軽く、扱いやすそうな盾だ。
「……それどうなの?」
急にココが言ってくる。「何が?」と聞き返すと、ココは修馬の体を全身隈なくチェックし始めた。現在の修馬はごわごわので皺だらけの燕尾服という服装。その上で立派な盾を持つ姿は、奇妙な格好に見えているに違いない。
「何か鎧を装備しないと釣り合いが悪いね。アイル、星屑堂の鎧をシューマに見繕ってよ」
ココに言われると、アイルは表情を崩した。
「そうですね。どんなものがよろしいでしょうか? とりあえず店の中にどうぞ」
アイルに誘われるまま、修馬とココは店の中に入る。星屑堂は老舗の薬屋だが、棚には何故か鎧や盾も並べられていた。この中から適当に選んでも良いのだろうか?
「さあ、シューマさん、どれでも好きなものを差し上げますよ? 折角ですから高い鎧を選んで下さいね」
アイルは気前よくそう言ってくれるが、この店はどうも儲かっていないようなので、高価なものは貰いづらい。
なるべく安そうな鎧を物色する修馬。すると、ココがやたらと分厚い金属製の鎧を勧めてきた。
「これがかっこいいよ、シューマ。歴戦の重戦士みたいだ!」
この鎧は体格的にどう考えても似合わなそうなのだが、一応言われるがままに着てみる修馬。ただ着てみたはいいが、案の定身動きが取れない。総重量100kgくらいあるのではないだろうか?
「いや、こんなの動けないから」
そう言うと、ココとアイルは大笑いした。良いように玩具にされている気がする。
その後も似合わない立派な鎧を無理やり着させられたが、どうにもしっくりくるものがない。だがそんな時、棚の隅っこに以前サッシャが購入してくれた綿織物の鎧に似た鎧が置いてあることに気づいた。結局のところ、これが一番いいのではないだろうか?
「シューマさん、それは一般的な旅人が好んで着ている服ですよ。仮にもこれから天魔族と戦うのというのですから、もっと防御力のある鎧を装備した方がよろしいかと」
アイルは言う。確かにこれから友理那を奪還するために帝国や天魔族と戦わなければいけないのだが、個人的にはあんな重い物を着てまともに戦える気が全くしない。
「うーん、そうかもしれないんだけどさー……」
そう言いよどみ少し視線をずらすと、そこには女性向けと思われる銀色の甲冑があった。マリアンナの装備していた鎧によく似ている。彼女は今、どこにいるのだろうか?
「うふふ、それは女性物の甲冑ですよ。アルフォンテ王国製のものです」
修馬が見ているものに気づいたアイルはそう指摘する。
「いや、知り合いに同じものを着ている人が居たから、少し気になって」
「お知合いですか……。そういえば、昨日うちに来たお客さんも、この甲冑を着ていましたねぇ。金色の髪をした、美しい女性でした」
何気ないアイルの言葉に、修馬の瞳孔が大きく開いた。
「金色の髪……? ちなみにその人は名前を名乗っていましたか? マリアンナという名じゃなかったですか?」
矢継ぎ早に質問する修馬。だが気圧されたアイルは、少し身を引いて両手を前に差し出した。
「ああ、ごめんなさい。お客様のお名前までは確認していないんです」
「……そうですか」
がっくりとうな垂れる修馬。流石に、客の名前を一々確認することはないようだ。
「けど、彼女は人を捜していると言っていましたね。もしかして、それがシューマさんのことだったんですか?」
アイルは思い出したかのようにそう言う。もしもマリアンナが生きているなら、勿論人を捜しているはずだ。友理那のことは当然として、俺のことも……。
「ちなみにその人は、どこかに行くと言っていましたか?」
「えーと、確か彼女は、陸路で帝国に行くと仰っていました」
帝国。それは友理那が現在いると思われる国。やはり、その金髪の女性はマリアンナなのだろうか?
「陸路か……。船を使わなくても帝国に行けるの?」
修馬は帝都レイグラードと千年都市ウィルセントを結ぶセントルルージュ号に乗っていたので、海路しか行く手立てがないと勝手に思い込んでいた。当たり前のことだが、異世界の地理はさっぱりわからない。
「遠回りになりますが、不可能ではありません。ですが、帝都レイグラードに行くには海峡を越えなくてはいけないので、どちらにせよ途中から船を使うことになると思います」
アイルの説明を聞き、少し考え込む修馬。何故マリアンナは海路を使わず、遠回りの陸路を選んだのだろう?
「マリアンナ・グラヴィエ……。アルフォンテ王国王宮騎士団副長の人だね」
ココが不意に言葉を挟んできた。
「ココ、マリアンナのこと知ってるの?」
「勿論。けど、どうして彼女は船を使わずに、わざわざ歩いて帝国に行こうとしているんだろう?」
顎に手を当てるココ。それは、彼にとっても合点がいかない話のようだ。
アイルは待っていましたとばかりにカウンターの下から1枚の紙を取り出すと、それをテーブルの上に広げた。異世界の文字は全く読めないので、何の紙かはわからない。
「ウィルセントからレイグラードを繋ぐ船は、全部で3本あります。その内の2本は、帝国が所有する中型の客船。もしもその金髪の女性が、師匠の言う通りアルフォンテ王国の王宮騎士団員なら、恐らく敵対している帝国の船には乗ることは控えるでしょう。そして残る1本は、共和国の造船会社が所有するセントルルージュ号。こちらはシューマさんの話が正しければ、天魔族によってレミリア海に沈められてしまったということですので、いずれも乗ることが出来なくなってしまいますね」
よくわからないが、どうやらその紙は船の運行表だったようだ。そういえばレイグラードで似たものを見ていた気がする。
「セントルルージュ号……、それって何?」
ココの惚けた言葉に、修馬とアイルは足を滑らせる。彼は山に籠り過ぎて、情報が追い付いていないようだ。
「世界最大の客船だよ! 知らないの?」
「大型客船か……。けど、沈没しちゃったんだね」
「そうだよ。それで大変なことになってるんだから」
何も知らないココのために、修馬はセントルルージュ号の事故の顛末を教えた。船は天魔族によって、沈められてしまったこと。その船には『星の鼓動』と呼ばれる魔玉石を運んでいて、それがレミリア海の海底火山に落ちたことにより、世界的な天変地異が起きていること。その船に、修馬と友理那とマリアンナが乗っていたこと。
「ふーん。帝国も随分な力技を使ってくるじゃないか。星の鼓動を多くの命と共にレミリア海に沈めるなんて、まるでいけにえを必要とする呪術の手口だ……」
不機嫌そうに目を細め、己の持つ振鼓の杖を握りしめるココ。
「もう一つ言いますと、その沈没の原因が帝国にあることがはっきりすれば、ユーレマイス共和国とグローディウス帝国は戦争になるでしょう。世界は二大大国を中心に、2つにわかれてしまうかもしれません」
アイルがそう言うと、星屑堂の店内に沈黙が落ちた。ココの持つ振鼓の杖の先端の太鼓が、何かの拍子にカロンと優しい音を立てる。
ココは一つ息をつくと窓の外に目を向けた。街の上空こそ青空が見えているが、そこから外れると未だ暗雲が広がっている。
「シューマ。噴煙が落ち着いたら、僕たちも帝国に行くよ。彼らが時空の扉を開けてしまわぬように対策する必要がある」
「……対策って、どんな?」
修馬が尋ねると、ココはいたずらな笑みを浮かべた。
「とりあえず、ベルラード三世に会いに行く」
ココのその言葉を聞き、アイルは目を丸くした。だが修馬は、その人物の名を聞いたことがない。
「誰、ベルラード?」
「そりゃあ勿論、グローディウス帝国の皇帝だよ」
暫しの静寂が店内を包む。そしてその時、修馬の頭の中を埋め尽くしていた疑問符が、いきなり感嘆符に変化した。
「皇帝っ!!」
―――第20章に続く。