第83話 白獅子の盾
暗雲が街の上空にだけぽっかりと穴を開けている。そこから差し込む朝の光が、災いの終息を感じさせた。
「それじゃあ、ララは行くのです……」
ココの手から離れ、大きくお辞儀をする幽体のララ。彼女はこの世での役目を終え、あの世へと旅立とうとしているようだ。
「うん。父上と母上によろしく」
ララの言葉に対し、ココは片手を上げて軽い感じに答える。今生の別れになるのだが、非常に淡白な離別だ。
「最後にお兄ちゃんとイシュタルに会えて、ララはとても幸せなのです……」
ララは微笑むように目を閉じる。修馬もそれと共感するように瞼を閉じたのだが、ふと気になることがありすぐに目を開いた。
「ん? イシュタル?」
気付くと、修馬の横には白毛の獅子のような獣が座っており、目が合うと「にゃー」と返事をしてきた。
「うわっ、いつの間に!?」
そこにいたのは、イシュタルっぽい白毛の獣。動揺する修馬の腰に、白毛の獣は顔を擦りつけている。
「イシュタルはすっかりシューマに懐いているね。基本、白獅子は人間には懐かない生き物だから珍しいよ。美味しいお菓子をお土産に持ってきてくれたからかな?」
ココは言う。だが横で喉をゴロゴロと鳴らしている獣はせいぜい大型犬くらいの大きさしかないので、トラやライオンくらいのサイズだったイシュタルとは別の個体だと思われる。
「何で、イシュタル? 大きさが全然あれだし……、子供か何か?」
舌をもつれさせながらそう言っていると、不意に修馬の左肩から黒い球体のタケミナカタが現れた。
「カカカカカッ! あの時の白桃の焼き菓子は、この儂がこしらえた物じゃ。美味であったろう?」
ココがタケミナカタと会うのはこれが初めてのはずだが、「やあ、どうも」と普通に挨拶している。こんな奇妙な物体を目の当たりにしても動じる様子を見せないのは、さすがは大魔導師といったところか。
「あなたがシューマを守護している神様ですね」
「左様。剛毅朴訥、金科玉条の軍神でお馴染み、建御名方神である。甘党故、菓子作りには少々覚えがある」
意気揚々と語るタケミナカタ。白桃がピーチタルトに変化したことや、旅の途中、豆が大福に変化したおかしなお菓子な出来事は、やはりこいつ仕業だったようだ。軍神のくせに女子力の高い能力を持っている。
「僕も甘党なんだぁ。気が合いそうだね!」
「うむ。貴様の術のおかげで、儂も力を発揮しやすくなったようじゃな。感謝しておるぞ」
よくわからないが、いきなり打ち解けるココとタケミナカタ。2人はいちゃいちゃしながら、甘いお菓子の話をしている。しかしそれは今凄くどうでもいい。
「そんなことより、このイシュタルは魔霞み山で見た時より随分小さいけど、本当にイシュタルなの?」
修馬が聞くと、ココは迷惑そうに振り返った。
「ああ、うん。都会の街の中じゃ目立つだろうから、少し小さくなって貰っているんだよ。今のイシュタルは幽体だから、大きさなんてどうにでもなっちゃうのさ」
「幽体?」
「そう、ララと同じ幽体。イシュタルは噴火の時に死んじゃったんだ」
「ええっ!?」
詳しく話を聞けば、イシュタルは魔霞み山が噴火したことにより噴石に当たって命を落としてしまったらしい。ココ自身の命にも危険が迫っていたので、魔霞み山を離れたココは幽体のイシュタルの背中に乗り、半日かけてウィルセントまで飛んできたのだそうだ。
「そうか、イシュタルはあの噴火で……」
死んでしまっていると言われても、実際に目の前にいるしココもこんな調子なので、あまり哀しい気持ちにはなれない。
視線が合うとイシュタルは「にゃー」と鳴いた。幽体はサイズの変更が自由自在のようだが、やはりライオンのような立派なたてがみがあるので、物凄く目立っていると思われる。
「けどララさんもイシュタルと一緒なら、黄泉の旅路も心配ないですね」
アイルが少し安心するようにそう言ったのだが、ララはどこか困ったように首を捻った。
「イシュタルはまだ、この世に残るみたいなのです……。たぶん、シューマの手助けをしたいのです」
ララが言うと、イシュタルは同意するように「にゃー!」と大きく鳴いた。
目を丸くしたココが、ララの方に目を向ける。
「イシュタルの言葉がわかるの?」
「同じ幽体だから、わかるのです。シューマのことを守りたい……。そんな強い気持ちがイシュタルから伝わってくるのです」
ララが呼びかけるとイシュタルはトコトコと近づき、尻尾を巻いて座った。彼女は全てを察したかのように、イシュタルの頭を優しくなでた。
「天に舞い散る無数のマナよ、ララ・モンティクレールの名の元、イシュタルを望むべき姿に変化させるのです……」
ララの口先から吹かれた黒い息吹が、イシュタルの体を包み込む。そしてその黒い靄のようなものが晴れると、そこにイシュタルの姿なく、代わりに一枚の丸い盾が地面に置かれていた。中央に獅子の顔が彫られた白い盾。
「それは『白獅子の盾』なのです。イシュタルの魂は、常にシューマと共にあるのです……」
そう呟きながらララは天へと上昇していく、自分の意志と言うよりも、何か別の力によって引っ張られているような雰囲気だ。
「えっ! ど、どこに行くの!?」
「そろそろ、時間なのです……」
ララは漆黒のオーラを零しながら、空に昇っていく。そしてその上空の暗雲の大きな穴からは、眩い光が溢れていた。
「じゃあ、ララは行ってくるのです……」
「うん、じゃあねぇー!」
地上でにこやかに手を振るココ。
「いや、あっさりしてるなっ!?」
修馬はそうつっこんだのだが、ララは「どうせすぐに会えるのです……。さようならー」と縁起でもないことを言いながら、天の彼方に消えていった。