第7話 夢か現か幻か
びくっと肩を揺らしブランケットをはねのけると、修馬は寝ていたベッドの上からむくりと起き上がった。
「おや、意識が戻りましたね」
不意に横から声が聞こえてきたので、ゆっくりとそちらに目を向ける。するとそこには、ベルベットのマントを纏った銀髪の男が立っていた。彼の姿はよく覚えている。そう、それは昨日、夢の中で出会った人物。
「えっ、何これ? ここどこ?」
修馬が寝ていたのは、小さな窓が設けられた簡素な寝室。
これは夢か、それとも現実か? 理解の追いつかない現状に、修馬の頭は大いに混乱した。
「気を失ってしまっていたので、町外れで宿を取ったんですよ」
銀髪の男にそう言われ、修馬は己の行動を思い返した。俺は学校の屋上に行き、そこで転校生の鈴木友梨那と会ったのだが、その後肩に乗った黒い化け物に食われそうになったところで意識を失い、気がついたらここで寝ていた。大まかにはそんな感じ。
「さっきの黒い化け物は?」
修馬が質問すると、銀髪の男は不思議そうな顔で首を傾げた。
「はて、黒い化け物? 夢でも見ていたのですか? あなたは自ら出現させた『流水の剣』の暴走に巻き込まれて、そのまま気を失ってしまったんですよ」
「流水の剣?」
そう言われてみれば、水泡に呑み込まれてしまった記憶は確かにある。ただそれは夢の中の話だ。そして目の前にいるこの男も、夢で出会った人物。これが現実で、さっきのが夢? それともこれが夢で、さっきのが現実? もうこうなってくると、己の記憶に自信が持てなくなってきた。
「ということは、あなたがあの何とか騎士団から助けてくれたんですね。ありがとうございます」
このおかしな記憶については、考えても結論は出ないだろうと悟り、とりあえずは修馬は今いるこの世界を現実と受けとめて、ここまで運んでくれたであろう銀髪の男に礼を伝えた。
「いえいえ、私はたまたま居合わせただけですから。しかしこれも何かの巡り合わせ。折角出会ったのですから、よろしければ次の町まで一緒に参りませんか?」
「次の町?」
修馬はそう聞き返しベッドから降りる。銀髪の男は観音開きの小さな窓を開けると、そこから見える山を指差した。
「ええ。私はこれから魔霞み山を越えて、グローディウス帝国のバンフォンに向かおうと思っています」
「グローディウス帝国……?」
昨日の夢の記憶が徐々に蘇る。グローディウス帝国は現在いる国と戦争になりかけている国……、だったはず。
「この国を出るのか」
修馬が聞くと、銀髪の男は大きく頷いた。
「その方が良いでしょう。何と言っても我々は、アルフォンテ王国の王宮騎士団に追われている身ですからね」
成程そうだった。王族に関する余計なことを言ってしまったため、今俺はあの糸目の騎士たちに狙われてしまっているのだ。そう思うと同時に、修馬は泉で会ったタヌキ顔の女のことも思い出す。日本のことを知っていたあの女なら、この不可解な出来事の原因も知っているのではないだろうか?
願わくば、この国を出る前にあの女に一目会いたいが、糸目の騎士の強さも充分承知している。やはり今は、この銀髪の男と一緒に行動した方が間違いないだろう。
「そうですね、あなたと一緒なら心強い。どうか次の町まで、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく。私の名はサッシャ・フォルスター。サッシャと呼んでください」
サッシャと名乗る男は、そう言って右手を差し出した。修馬は両手でそれを握り返す。
「俺の名は広瀬修馬。修馬と呼んでください」
「シューマ、それでは申し訳ないけど私が買ってきた服に着替えてくれないか。その格好ではいささか目立ちすぎてしまう」
サッシャに言われ、改めて己の服を確認する。そうだった俺はまだ女性物のワンピースを着ていたのだ。
これは自分の趣味ではなく、追いはぎにあった結果こうなってしまったのだということを一生懸命説明しつつ、修馬はサッシャが買ってきたという服に着替えた。薄墨色のチュニックに、紺色のスキニーパンツ。そしてその上から木綿素材にキルティングを施した丈夫そうな上着に袖を通す。
「これって、この国の一般的な服装なの?」
着け方のわからない革のベルトを持て余しそう聞くと、それは木綿の上着の上から巻くのだとジェスチャーを交え教えてくれた。
「これは『綿織物の鎧』。旅人が好む、軽くて丈夫な服です。」
確かに柔道着のように軽くて丈夫そうだ。修馬は言われた通り上着の上からベルトを巻き、銀色の金具を留めた。
「俺、お金持ってないけど大丈夫?」
「ええ、気になさらないでください。追いはぎにあった人から、お金は頂けません」
そう言いながらサッシャは、修馬を部屋の隅にある鏡台の前に誘った。
艶のない革製のショートブーツを履いた修馬は、鏡の前に移動し己の姿を確認する。本格的にファンタジーの世界に入り込んだようで格好いいのだが、若干のコスプレ感は隠しきれない。
「何か、逆に目立ちそうな気がするけど……」
「良くお似合いですよ。まあ個人的には、先程のワンピースも嫌いではないですが」
サッシャはそう言ってにやりと笑う。冗談なのか、本気なのか? 着替えた服の下で少しだけ鳥肌が立った。
「似合ってるならいいんだけど。で、いつ町を出るの?」
「準備出来次第すぐに出発しましょう。いくら町外れの安宿とはいえ、ぐずぐずしていると王宮騎士団に見つかってしまうかもしれない」
サッシャはそう言って、肩掛けの麻袋を修馬に差し出した。受け取り中を見ると、巴型の小さな革袋とランタンのようなものが入っていた。修馬はその中に山小屋で借りたベージュのワンピースを畳んで入れる。
「準備は大丈夫。だけどサッシャ、出掛ける前に1つだけ質問してもいいかな?」
修馬は言う。すぐにでも出掛けたい様子のサッシャは、扉の前まで移動すると、姿勢良く回れ右で振り返った。
「何でしょう?」
「サッシャは、『日本』という国を御存じですか?」
「ニホン? ああ、どこにあるのかは知りませんが、以前会った男でニホンから来たと言ってた若者がいましたね。変わった響きのする国名だったんで、よく覚えています」
「えっ! ま、マジですか!? その人の名前は?」
興奮気味に聞く修馬。しかしサッシャは小首を傾げてわからないことをアピールした。
「名前は存じ上げません。ですが、彼が行くと言っていた場所は覚えています」
「どこですか?」
少し遠慮がちに修馬が尋ねると、サッシャは腰に手をあて得意気な笑みを浮かべた。
「グローディウス帝国、帝都レイグラードです」