第78話 勇者モレアの石碑
「まあ、あの石碑を見たところで、何かがわかるとは思えません。そこに書かれている文字は、共和国の研究者が散々調べているのに全く解読出来ていないですからねぇ」
前を歩くアイルがそう教えてくれる。
現在、修馬とアイルの2人は勇者モレアの石碑を目指し、昼頃下りてきた山を再び登っていた。だいぶ足腰がきついが、2つの世界を繋ぐ大事なことがわかるかもしれないので、泣き言を言っている場合ではない。
「その勇者モレアって人は、この世界では有名な人なの?」
修馬が問うと、アイルは何時にない真顔でこちらに振り返った。
「かつてこの世界に現れた、龍神オミノス。その龍神を倒し、魔霞み山に封印したとされる伝説の人物です」
「へぇ、オミノスを倒した人間がいたのか……。それは凄い伝説だ」
自然の摂理の如く、ラスボスを倒す勇者。それはまさに、修馬が想像する通りの勇者だった。
そしてその龍神オミノスを倒した勇者の石碑に天之羽々斬のことが記されているということは、やはり現実世界で見たあれがRPGで言うところの伝説の剣で間違いないようだ。しかしその石碑は解読出来てないのに、何故ララの父親は天之羽々斬の名前を知っていたのだろうか?
修馬は山を登りながらアイルの背中を見つめるが、現在ララは姿を消してしまっている。だが、アイルの守護霊だと言っていたので、恐らく存在はしているのだろう。今は姿を消しているタケミナカタが、しっかりとこの会話を聞いているように。
「しかし、またモレアの石碑に行ってアクオ草を摘んで帰ったら、パナケアの薬が大量に作れてしまいますねぇ」
アイルは前を向いたまま言った。それは独り言だったのかもしれないが、その言葉に聞き覚えがあった修馬は言葉を返さずにはいられなかった。
「パナケアの薬って、あの万能薬のパナケアの薬?」
「はい、勿論そうです。パナケアの薬は、星屑堂の創業当時より作られている秘薬ですから。製造に時間がかかるので、少々値は張りますが……」
アイルはそう言って「ほほほ」と笑う。
パナケアの薬とは修馬が、グローディウス帝国のバンフォンの町で購入した薬である。あの時はセクシーで怪しげな店員に350ベリカで買わされたのだが、実際のところでは幾らくらいなのだろう?
歩いている内に道幅が広くなってきたので、修馬はアイルの隣に歩み出た。
「ちなみにパナケアの薬は幾らで売ってるの?」
「値段ですか? パナケアの薬は4000ダニーです」
「ダニーっ!?」
新たに出てきた異世界の通貨単位。おそらくユーレマイス共和国のものなのだろうが、一体1ダニーは何ベリカになるのだろう? 聞いたところで計算するのが面倒なので、そこはスルーすることにする。
「やはり少し高いですかね。今はアクオ草を使わずにモケモケ草だけで作った粗悪な類似品が市場に出回っていて、星屑堂の正規品はすっかり売れなくなってしまいました」
アイルはそう言うと、深くため息をついた。若々しい顔をしているが、実年齢は87歳。逆らえぬ時代の流れを感じているのかもしれない。
「けど、俺も前にパナケアの薬買ったことあるよ。ちょっと怪しい店だったけど」
「そうですか、ありがとうございます。うちのお店では、昨日も1つだけしか売れませんでしたねぇ」
そう言って、乾いた笑いを吐き出すアイル。しかし1つしか売れないって、商売として大丈夫なのだろうか? 他人事ながら心配になってしまう。
そして小一時間程歩いていくと、ようやくアクオ草が生える開けた場所に辿り着いた。そこは、勇者モレアの石碑がある所でもある。
「先ほどもご覧になったとは思いますが、これが件の石碑です」
アイルに促され、石碑の前に立つ修馬。雨や風の浸食で幾らか風化してはいるが、何らかの碑文が刻まれているのはわかる。だが勿論読むことは出来ない。
「これは、古い文字で書かれているから解読出来ないの?」
「それがさっぱりわからないのです。現存している古代文字を紐解いても、こんな文字はこの石碑以外に存在すらせず文字列の規則性も意味不明。単に出鱈目で書いたのではないかとさえ言う研究者も出てきているのが実情です」
「ふーん、出鱈目ねぇ」
こんなものをわざわざ冗談か何かで作るものだろうか? そんな思いで眺めてはみたが、この世界の普通の文字ですら読めない修馬には、当然、この石碑も読めるわけはなかった。
「ふむふむ、成程。この石碑には、禍蛇を倒した経緯が記されているようじゃぞ」
いつの間にか肩の上に現れたタケミナカタが、小さく頷きながらぶつぶつとそう言っている。呆然とするアイルと、普通に驚く修馬。
「えっ!? タケミナカタ、これ読めるの?」
「当然である。むしろ小僧は何故これが読めぬのか? ここに書かれている文字は、日本語じゃぞ」
「はあ!? 日本語っ?」
そう言われ、よくよく見てみると、確かに漢字っぽい文字が書かれているような気がする。碑文の右の列を上から下に指でなぞっていく修馬。しかしそこに書かれている字は中国語のように漢字だらけで、結局解読することは出来なかった。
「……その文字は、右から縦に読むのですか?」
一歩後ろにいたアイルは、目の焦点が合わぬまま修馬とタケミナカタに目を向けている。この様子から察するに、文字を読む方向から既に間違えていたようだ。漢字のようなものが縦横等間隔で記されているので、確かにわかりずらいかもしれない。
「さよう、日本語は特殊な言語。しかもだいぶ古い言葉で書かれておる。内容を要約すると、『あぐねあの槍』を用いて禍蛇を魔霞み山に封印した。我が国に伝わる天之羽々斬、そして異界の武器であるあぐねあの槍、この2つが揃えば禍蛇の討伐も可能であろう。といったことが記されておる。禍蛇というのは、この世界でいうところの龍神おみのすのことじゃな」
石碑を見ながらそう語るタケミナカタ。彼の言う通り、禍蛇と龍神オミノスは同一のものという考えはもはや疑うことのない事実のようだが、新たに出てきたあぐねあの槍というのは一体何であろうか?
その異界の槍について何か知っていることはないかアイルに聞こうとしたのだが、彼女はこちらが言うより先に口を開き、タケミナカタに顔を近づけた。
「ここに記されている文字は、黄昏の世界のものなのですか?」
アイルの眼力の強さに、たじろいでしまうタケミナカタ。修馬の肩の上で、体を楕円形に歪ませている。
「う、うむ。その通りである」
「勇者モレアはシューマさんのように黄昏の世界から来て、そしてこの世界で龍神オミノスを封じた……」
アイルはタケミナカタの顔をまじまじと見つめながらそう呟く。
「そして天魔族は、この碑文の内容を知っていた。だから俺たちの世界に行き、天之羽々斬を奪いに来たんだな」
修馬がそう返すと、アイルは急に目に光を宿し真っ白い頬を微かに紅潮させた。
「……シューマさん、時代が動きますよ」