第77話 星屑堂のティータイム
「はい。お茶を入れましたので、どうぞ」
店内の端に用意された小さなハイテーブルの上に、ティーカップを運んでくるアイル。中に入っているのは薄紅色の澄んだ液体。紅茶のような色だが、香りから察するにハーブティーのようだ。
修馬はティーカップと手に取り、一口飲み込んだ。温かいが清涼感のある味で、夏の時期でも飲みやすい。
向かいに立ったアイルもティーカップに口をつける。ロッキングチェアにうな垂れているララは、その姿を眺めているだけでお茶は飲まない。幽霊とは不憫なものだ。
「ところでその『無垢なる嬰児』に関する魔術ってなんなの?」
修馬が先程話していた話題に戻ると、ララの虚ろな目が少しだけ大きくなった。
「無垢なる嬰児のことは、ご存知ですかぁ……」
それはココから聞いて知っていたことなので、修馬ははっきりと頷いた。無垢なる嬰児は、龍神オミノスの幼体。その成長を止めるために、ココはその山に住んでいるのだ。
「無垢なる嬰児は、4つの聖地の力と抗老化魔法に似た魔術で成長を止められているのです……。お兄ちゃんはその魔術の副作用として、自分の成長も止まってしまっているはずですよ……」
「成程。それが、さっき言っていた呪いのようなものの正体か」
そう思いアイルの顔に目をやると、彼女は持っていたティーカップをテーブルの上に置き、微かにララと視線を合わせた。
「そうなんです。それは無垢なる嬰児の封印を守る、モンティクレール家の当主に代々伝わる魔術。本来であれば成人以降に受け継がれなくてはいけないのですが……」
アイルの口から語られるココの生い立ち。
その話によるとココが11歳の時、住居のある魔霞み山が襲撃を受け母親とララは殺されてしまい、ココと当時当主であった父親は瀕死の状態に陥った。そして自らの死に際を悟った父親は、瀕死のココにモンティクレール家に代々伝わる魔法を継承し、そして息絶えたのだそうだ。ココは辛うじて生き残ることが出来たが、成長はそこで止まってしまったため、見た目が幼い姿のままだという。
「その時、ララは9歳でした……。享年9歳です」
聞いてもないのに、またも年齢を言うララ。しかしそんな幼い時に、親と共に殺されてしまうとは何ともやりきれない気持ちになる。
「本人を目の前にして聞いて良いのかわからないけど、ココの家族は何で殺されてしまったの?」
そう聞くと、ララは哀しげな表情を強め、力無く首をもたげた。
「ララを殺したのは天魔族なのです……」
その言葉を聞き、修馬の脳裏に魔霞み山の出来事が思い浮かんだ。あの時ココはサッシャに戦闘を挑んでいたが、まさか彼と天魔族の間にそんな深い因縁があるとは思わなかった。
更にアイルがララの言葉を補足する。
「師匠の家族を殺したのはヴィンフリートという名の天魔族。彼らの目的は、龍神オミノスを復活させることにあります」
「ヴィンフリートって……」
聞いたことがある。それは帝国の岩石地帯で会った天魔族の名だ。伊集院が師匠と呼ぶ、茶色のローブを羽織る怪しげな男。
ララはココと100年くらい会っていないと言っていたが、天魔族はそんなにも以前からオミノスを蘇らせようとしているのだろうか?
そこで途切れる3人の会話。すると突然、静かな店内に地響きがして床がガタガタと揺れ出した。地震だ。叫び声を上げ、身を伏せるアイル。だが、実体がないと思われるララと地震に慣れている修馬は、落ち着いたまま揺れが収まるのを待った。
「また、地震なのです……」
ロッキングチェアに揺れながらララが言う。修馬も棚に飾られた容器が落ちないか確認しながら「ああ、地震だな」と返した。
「何で、あなたたちは落ち着いていられるのっ!?」
テーブルの下で伏せているアイルは、愕然とした顔でこちらを見上げている。震度は恐らく3程度。流石にオーバーリアクションだろう。
「俺の生まれた国は地震が多いから慣れてるんだ」
「慣れる慣れないの問題じゃないですよ! 命の危険だってあるのに!」
若干怒ったような顔で立ち上がるアイル。本当に大袈裟だ。
「そもそも地震の多い国って、出身はどこなんですか?」
「出身……」
そう聞かれても何と答えたらよいかわからず少し考えたが、そうしたところで出身地が変わるわけではないではないので、正直に答えることにした。
「日本だよ」
「ニホン?」
「黄昏の世界にある、日本っていう国」
再び3人の会話が途切れた。店の中だけ、時が止まってしまったかのようだ。
「た、黄昏……? シューマさんは、黄昏の世界の住人なんですか?」
恐怖におののく様に、身を退いていくアイル。退き過ぎてカウンターに思い切り背中と腰をぶつけていた。
「うん。まあ、別に信じなくてもいいけど」
そう言うと、アイルは全力で首を横に振った。
「いえいえいえいえ、信じます! 言われて気付きましたが、シューマさんからはこの世界の住人とは少し異なる存在感を感じるのです」
「本当に?」
「勿論です。シューマさんが黄昏の世界の住人だと考えると、納得のいくこともあります。先程あなたは、魔霞み山に行ったと仰っていましたが、普通の人間ではあの山を囲む壁を越えることは出来ませんし、入口にある楼門に至っては触れることすら叶わないはず。つまり、魔霞み山に入ることが出来たのは、恐らくシューマさんがこの世界の人間ではないからなのです」
アイルは早口で説明する。そういえばあの時、ココもサッシャも、その扉には触れることすら出来ないって言ってたかもしれない。
「そうか。だから俺はあの門を開けることが出来たのか……」
しんみりとその時のことを思い出す修馬。
「しかし、シューマさんが本当に黄昏の世界から来た人だったとは驚きです。私も星魔導師の端くれとして、『星巡り』の研究は続けているのですが、未だに成功は出来ていませんので……」
少しだけ頬を赤く染めたアイルが、こちらに目を向けてそう言ってくる。ただ言っている意味はよくわからない。
「星巡りって、何?」
「それは勿論、この黎明の世界と黄昏の世界を行き来するための秘術です。シューマさんは星巡りの魔法で、こちらの世界に来ているのではないのですか?」
そう問われたが、修馬にはどういう原理で2つの世界を転移しているのか理解出来ていない。全く持って不可思議な謎現象。
これに関しては、タケミナカタに聞いた方が良いのかもしれない。そう思い至ると、丁度ティーカップの置かれたハイテーブルの上に黒い球体のタケミナカタが鎮座しているのが目に映った。
「まあ、儂もよくわからんのじゃが」
突然出現した喋る球体に驚いたアイルは、またもテーブルの下に身を隠した。
「魔物っ!?」
「魔物ではない。儂は剛毅木訥、金科玉条の軍神、建御名方神である」
きっちりと自己紹介をするタケミナカタ。するとロッキングチェアに座っていたララが浮かんだまま近づいてきて、そして突っつくように指先で触れた。
「これは魔物ではないのです……。精霊か神霊の類なのです」
「神霊? 魔物ではないのですか?」
顔を上げたアイルはテーブルに乗った黒い物体を覗きこんだ。
「そう、儂はお前たちの言う黄昏の世界の神。どういう理由で儂らがこの世界に来ているのかは説明できぬが、星巡りという言葉には聞き覚えがあるぞ。先日、黄昏の世界に来たウェルターと名乗る天魔族は、星巡りの魔法を使用してやってきたと言っておったからな」
得意気に語るタケミナカタ。この神様、戸隠の屋敷にウェルターが来た時は姿も見せなかったくせに随分しっかりと覚えている。ただあの時の状況がわかっているなら、助けてくれてもいいじゃないか。そう思う修馬なのであった。
「天魔族が星巡りを使用して黄昏の世界に!? ほ、本当ですか、シューマさん?」
目の前にいる不可解な存在と、突然舞い込んだ様々な情報に混乱している様子のアイル。だがそれは実際にあったことだ。天魔族のウェルターは「ではいずれ」と言っていたので、まだ恐らく現実世界に居て、そしてまた戸隠の屋敷に現れるだろう。
「うん。確かにあいつはそう言ってた。俺たちが行き来しているせいで、2つの世界の繋がりが厚くなってるとも言っていたかな……」
ウェルターが説明するところによると、彼はサッシャの星巡りの魔法で転移してきたらしい。今までの経験では、自分の意志で異世界転移することは出来ないと思っていたが、その星巡りという魔法を使えば任意で出来るようになるのだろうか?
落ち着きを取り戻すように、静かに息を呑むアイル。
「しかし、一体何故天魔族は黄昏の世界に行く必要があったのでしょうか?」
天魔族のウェルターが来た理由は、はっきりと覚えている。あいつは天之羽々斬を奪うために現実世界に来たのだ。
「天魔族は龍神オミノスを倒すのが目的でしょ? あいつはそれが出来る武器を求めて、黄昏の世界に転移してきたんだ」
修馬が言うと、アイルは困ったように眉をひそめた。
「オミノスを倒す武器? それは天魔族に伝わる槍のことではないのですか?」
「いや、槍ではないよ。天之羽々斬という名の神剣だ」
「アメノハバキリ?」
「そう、天之羽々斬」
その剣の名を口にすると、テーブルの上のタケミナカタを突いていたララが「あー」と掠れた声を上げた。
「アメノハバキリ……。その言葉は、ララも聞いたことがあるのです」
「えっ、何で?」
それは現実世界に存在する神剣。何故、異世界の住人が知っていると言うのだろうか?
「勇者モレアの石碑に、アメノハバキリのことが記されているからなのです……」
虚ろな表情だが、嘘を言っている雰囲気ではない。だが、横にいるアイルにとってもそれは初耳だったようで、先程からずっと眉をひそめたままだ。
「それは本当ですか、ララさん?」
「あの石碑を読み解くことは出来ないけど、それは父上が言っていたことなので間違いないのです……」
現実世界に伝わる神剣の名が、異世界の石碑に記されているという不可思議な情報。もしかすると、過去にも自分たちのように異世界転移してきた人たちがいたのだろうか?
「その勇者の石碑っていうのは、どこにあるの?」
修馬がそう聞くと、アイルはこちらを見て大きな目を瞬かせた。
「勇者モレアの石碑……。それがあるのは、アクオ草の群生地です」
「アクオ草の群生地?」
修馬とアイルの目が合う。すると彼女は、カウンターに置かれた草の入った籠に視線を動かした。
「それはつまり、私とシューマさんが出会った場所です」