第76話 千年都市ウィルセント
「へー、シューマさんと仰るんですか。素晴らしいお名前ですねぇ。私、『黄昏世界のシュマ』の愛好家なので、お会いできて嬉しいです」
アイル・ラッフルズは胸の前で手を合わせ、喜びを表現している。黄昏世界のシュマとは、この世界では有名な童話のタイトルだ。名前が似てることで馬鹿にされたことはあるが、ここまで喜ばれるのは珍しい。
ウィルセントの街に入った修馬とアイルの2人は、住宅地を通り抜けた後、商店が軒を連ねる賑やかな通りを歩いていた。港町らしい明るい日差しが、通りを華やかに照らしている。流石はこの異世界で最も栄えている街というだけのことはあり、人の数も人の表情も活気で満ち溢れているようだ。
「しかもシューマさんは、私の師匠ともお知り合いだということなので、何やら星の巡り合わせを感じますねぇ」
ウィルセントに住むアイル・ラッフルズは、大魔導師ココ・モンティクレールの弟子であるということは先日聞いていたことだが、どうやらそれは本当の事だったようだ。
修馬は露出された彼女の胸元をちらりと覗き込んだ。あんな子供にこんな大きな弟子がいるとは驚きだ。
「まあ、知り合いって言うほど深い仲ではないんだけどね。旅の途中、ちょっと縁があっただけで」
「そうでしたか。ですが師匠が人と会うことは稀なので、色々お話を窺いたいです」
にこにこと笑顔を振りまくアイル。そして人の波を通り抜けると大きな十字路に辿り着いた。その角地にある商店、そこが目的の場所だった。
「ここが私のお店です。どうぞお入りください」
アイルは門のように重厚な木製の扉を、体全体で引き開けた。様々な薬草を保管しているためか、中からは乾燥したハーブのような独特の匂いが漂っている。
「お邪魔します」
恐る恐る中を覗き込む修馬。正面には大きな棚があり、幾つもの陶器が並んでいた。薬の容器だと思われる。そして棚の横には、何故か盾や鎧なども飾られていた。
「この店は薬屋さんですか?」
アイル・ラッフルズは高名な星魔導師であり、優秀な薬師だと聞いている。星魔導師というものが何かはわからないが、普段は薬を売って生活をしているのだろう。
「はい。『星屑堂』は老舗の薬屋です」
アイルは被っていた四角い帽子を取ると、ハットスタンドの上部にそれを掛けた。すると、彼女の背中から再び幼女の幽霊がぬるっと現れる。
「そうなのです。星屑堂と言えば、ユーレマイス共和国で最も古いと言われる薬屋……。あぁ、疲れたぁ」
幼女の幽霊は店の奥に向かって滑るように進んでいくと、そこに置かれたロッキングチェアに静かに腰掛けた。少し驚きはしたが、やはりこちらに敵意はないようだ。
カウンターの中に入り込んだアイルは、その様子を見て緩やかに微笑んだ。
「改めてご紹介します。彼女は私の守護霊のララさんです」
「どうも、はじめまして。ララ・モンティクレールです……」
消え入りそうな声で名乗る幼女の幽霊。それを聞いた修馬は、背中に針でも刺されたかのようにぴくりと体をうねらせた。
「モンティクレール?」
それは、大魔導師ココ・モンティクレールと同じファミリーネームだ。
カウンターの奥に立つアイルは、手のひらから炎を放つと小さなかまどに火を入れた。
「ララさんは、師匠の妹さんなんですよ」
「ココの妹っ!?」
修馬が大きく声を上げると、ララは椅子にうな垂れたまま鋭い視線を向けてきた。
「そうなのです。ココ・モンティクレールは、ララのお兄ちゃんなのです……」
そう言われ改めてララの姿をまじまじと見てみる。彼女の顔が似ているかどうかはわからないが、身に着けているハート柄のポンチョは、確かにココの着ていた物に酷似している。年の頃も丁度同じ10歳くらいだ。
「シューマさんは師匠と会ったことがあるそうですよ」
アイルがそう言うと、ララは口を大きく開けてこちらの顔を覗きこんできた。
「それは本当ですか?」
「まあ、真実だよ。帝国に入る際に魔霞み山を通ったんだ。そこでココの屋敷にお邪魔したことがあって……」
そして思いだすあの時の思い出。サッシャとココが戦い出したり、イシュタルに首根っこを咥えられて山を登ったり、火山性のガスで苦しくなったり、まあ、色々大変だった。
「魔霞み山を登るとは、勇気のある御方なのです。勇者モレアの再来なのです……」
指を重ね、祈るように目を瞑るララ。誰だよそれ? と聞きたかったが、彼女は目を開けると哀しげな顔で大きく溜め息をついた。
「はぁ……。お兄ちゃんとは、もう100年くらい会っていないのです」
ララのその言葉に、修馬は自分の耳を疑った。
「今、100年って言った?」
「……はい。かれこれ100年くらい会っていないのです」
聞き間違いではないようだが、100年ってどういうことだ? 彼女は幽霊で歳を重ねないという理屈はわかるが、ココはどう見ても子供だったはず。
「ココって、まだ幼いでしょ。100年前っていうのは、もしかして先代とか先々代という話?」
修馬がそう聞くと、3人は互いに顔を見合わせた。静かな店内に、大通りの賑やかな声を聞こえてくる。
「師匠はああ見えて、かなり高齢ですからね。私も人のことは言えませんが……」
そう言うと、口元を押さえ静かに微笑むアイル。その姿、貴婦人の如し。この人は一体幾つなんだ?
「あの……、ちなみに差し支えなければ年齢を聞いてもよろしいですか?」
再び顔を見合わせる3人。肌の艶、首のはりから察するに10代後半から20代前半に見えるのだが、意外と30代くらいだったりするのか?
「ララは享年9歳です……」
突然答え出すララ。君の年齢は聞いてない。
「私は今年で87歳になりました」
申し訳なさそうに頭を下げるアイルに、それを聞いて少し身を引く修馬。これはあれだ。以前、山小屋で会ったアシュリーの祖母が若く見えたのと同じ美魔女パターンだ。
「魔法使いの皆さんは、歳を取らなかったりするの? だからココも幼いままなのか」
87歳でこの美貌。このメカニズムを解明させれば、現実世界で大金持ちになるのも夢じゃないかもしれない。まあ、無理だろうが。
「そうですね。魔法使い……、特に女性の魔法使いの多くは、若さを維持するために抗老化魔法を使用していることが多いのですが、師匠の場合はちょっと違います。彼の姿が幼いのは、ある種の呪いのようなものなのです」
お湯を沸かしていたのか、アイルの目の前のやかんがカタカタと音を鳴らしている。
「の、呪い?」
自分の意志ではなく、第三者によってあの姿に変えられてしまったというのだろうか? 見た目は子供、頭脳は大魔導師! これをネタに1本の漫画が書けそうだ。
ララはもたれ掛っていた椅子に深く腰掛けると、背筋を伸ばし真っすぐ前を向いた。
「それはモンティクレール家に代々伝わる、『無垢なる嬰児』の封印に関する魔術なのです……」