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この異世界はラノベよりも奇なり  作者: 折笠かおる
―――第16章―――
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第72話 荒天の訪問客

 その日の戸隠は、朝から強い雨が降っていた。

 曇る窓越しに、叩きつけるような雨を見守る修馬。今日は朝から守屋伊織が出掛けてしまっているので、稽古は休み。修馬は伊織の祖母と共に、家で留守番をしていた。


「凄い雨だなぁ。この辺りはいつも、これくらい降るんですか?」

 廊下の掃き出し窓を覗きながらそう質問したのだが、茶の間の座椅子に座る婆ちゃんは、テレビを観ているだけで何も答えない。


 廊下に続く雪見障子は開け放たれているので聞こえないはずはないのだが、返事がないのはいつものことなので、修馬は特に気にもせず茶の間に入った。テレビはCMが終わり、次の番組が始まるところだった。テレビショッピング的な番組だ。婆ちゃんはそれに興味があるのかどうかはよくわからないが、じっと画面を見つめている。


 すると、茶の間にある柱時計の古めかしい鐘の音が3回鳴った。

 もう3時かと思い、腰を下ろさずにそのまま台所に向かう修馬。この時間になったら、婆ちゃんにお茶菓子を出さなくてはいけないのだ。


 食器棚の上にある木曽漆器の重箱を手に取り、茶の間に持っていく。蓋を開けると、中には涼しげな色の上生菓子と、表面が糖衣でコーティングされたバームクーヘンが入っていた。婆ちゃんは基本的に洋菓子は食べないので、バームクーヘンは俺のおやつということ。


 上部を押し込まないとお湯の出ない古いポットから急須にお湯を入れ、煎茶を2つ用意する。婆ちゃんもようやくテレビから目を離し、テーブルと向きあった。会話こそないが、楽しいおやつの時間だ。


 もそもそとバームクーヘンを食べている真向かいで、婆ちゃんは練り切りで作られた上生菓子を黒文字楊枝で小さく切り分け静かに食べている。


 時々鳴る雷にも一切反応を示さない婆ちゃんだったが、山の木々を大きく揺らす一陣の風が建物を包むように吹き抜けると、突然その目を見開き、そしてゆっくりと瞼を下ろした。


「……客が来るね」

 婆ちゃんは突然そう言い、切り分けた上生菓子を口に運んだ。


「客? 知り合いでも来るの?」

「知りはしない。恐らくお前の客じゃないか」

「俺の客?」

 バームクーヘンを頬張る修馬の頭に疑問符が浮かんだその瞬間、呼び鈴の音が静かな茶の間に大きく鳴り響いた。驚いた拍子に口の中の物を一気に飲み込むと、不意にしゃっくりが出てきた。


 ヒック、ヒックと喉の奥を鳴らしながらも頭の奥で考える。俺の客って、まさか伊集院にここにいることがばれたのか?

 表情が強張る修馬に、ばあちゃんは手を振って早く行けと合図する。

「なぁに。ここは神域だから悪さは出来ないだろう」


 悪さって何だろうと思いつつ、しゃっくりと止めるため以前サッシャがやっていた耳の穴に指を入れる民間療法を試みる。そうしていると、呼び鈴の音がもう一度鳴った。


「耳を塞いでいてもしょうがないだろう。とっとと行っといで」

 婆ちゃんに急かされ、耳に入れていた指を外し重い腰を上げる修馬。もしも本当のお客さんだったら申し訳ないので、いそいそと玄関に駆けて行った。


「どちらさまですか?」

 扉越しに聞いてみるが返事は無かった。

 恐る恐る玄関の扉を開けてみると、そこには山高帽を被った黒いスーツの男が立っていた。青い目をした西洋人のような男。意外な来訪者に言葉を失う修馬。


「はじめまして。私はウェルター・ランダイムと申します。あなたは広瀬修馬さんですね」

 流暢な日本語で挨拶をする山高帽の男。


「は、はじめまして……」

 そう言葉を返す修馬。向こうはこちらのことを知っているようだが、修馬には彼が何者なのかわからない。田舎で育った一介の高校生に、外国人に知り合いなどいるはずもなかった。


「あなたは一体何者だ?」

「……ウェルター・ハブ・ランダイムと名乗った方がわかりやすかったかな?」

 そう言って、口から牙を剥くウェルターと名乗る男。こいつ、人間じゃない!


 全身に鳥肌が立つ修馬。そのミドルネームはもしや……?

「お、お前、まさか天魔族っ!? 何でこっちの世界に!」


「ご理解いただけたようですね。あなたたちが行き来しているおかげで、2つの世界は繋がりが厚くなっているのです。我が師である、サッシャ・ウィケッド・フォルスターの『星巡り』の魔法でも転移することが出来たのですから」


「サッシャ……、サッシャの手下が何をしに来たんだ!」

 パニックになりながらも、修馬はそう問いただす。だがウェルターはにやにやと笑い、建物の外観を眺め出した。


「実に素晴らしい結界。こちらの世界には魔法の類は存在しないのかと思いましたが、これでは手出しが難しい」


 手出しって何だ……? こいつ、俺の命を奪いに来たのか?

 修馬の胸が強く鼓動する。だが婆ちゃんの言っていた通り、悪さは出来ないようだ。サンキュー神域。


「しかし噂には聞いていましたが、黄昏の世界の文化水準は素晴らしい。町は美しく整備され、建築技術も高度だ。知能水準も高く、子供でも読み書きを覚えている。だがそれは、過去に魔法の力を捨てた結果だと聞かされていたのだが、それは違うのか?」

 ウェルターは言ってくる。だが言っている意味がよくわからない。


「魔法なんて概念は、この世界の人達は皆、空想だと思っているよ。気休めのおまじないみたいのはあるけど」

 修馬がそう言うと、ウェルターは哀しげに青い目を細めた。

「気休めの結界にしては、随分強力だ。これでは『天之羽々斬あめのはばきり』を奪うことが出来ない」


「……アメノハバキリ?」

 言葉を繰り返す修馬。するとその時、普段座椅子に座ったら全く動かない伊織の祖母が、ゆらりと玄関に姿を現した。


「ば、婆ちゃん?」

 恐ろしい顔で睨む婆ちゃんを見て、修馬は足が動けなくなる程の緊迫感を覚えた。睨まれているウェルターも、幾分緊張しているような面持ち。


「建物の中から威圧されていると思ったら、あなたの仕業でしたか。恐ろしい御婦人だ……」

 ウェルターの額から一筋の汗が流れる。睨んだだけで天魔族をここまで追い込むって、もしかすると婆ちゃんは凄い人なのか?


「伊織なら用があって出てるから、また別の日に改めなさい」しゃがれた声でばあちゃんは言う。

 ウェルターは顔を強張らせたまま口を閉ざしていたが、しばらくすると素直に頷き「……ではいずれ」と言って踵を返した。


 敷地内から出ていく間、婆ちゃんは刺すような視線で睨んでいたが、姿が見えなくなると急にいつものとぼけた表情にすっと戻った。

「悪かったね。あれはあんたじゃなくて、うちの客だったよ」

 婆ちゃんはそう言って、茶の間に戻っていく。


 安堵と疲労が一緒に押し寄せ、その場にへたり込んでしまう修馬。妙なタイミングでしゃっくりをしていたことを思い出したが、それと同時に「ひっく」と横隔膜が揺れた。


 修馬は玄関の三和土たたきに座ったまま、両耳の穴の中に静かに指を差し込んだ。

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