第70話 跳ね馬と凶鳥
反乱軍の所有する帆船、リーナ・サネッティ号は穏やかな夕暮れの空の下、西に向けて進路を進めている。
だがその船の上はというと、あまり穏やかとは言い難い状況で、熱気と殺気が色濃く渦巻いていた。
修馬はその時、大柄髭面の如何にも海の男といった風貌をした反乱軍の船大工、ベック・エルディーニと甲板の上で、木剣での試合をしていた。
「得意の防御は、もうしねぇのか?」
言葉と共に上段から、ベックの鉄槌のような一撃が落ちてくる。防ぎたいのは山々だが、彼の攻撃は激しすぎる。何度も剣を盾にしては、その内に破壊されてしまうだろう。
「あんたの攻撃の相手をしていたら、こっちの腕がおかしくなるよ」
攻撃を避けつつ、反撃のチャンスを窺う修馬。筋肉質のベックの一撃は速く、そして重い。だがその反面、相手に見せる隙もまた、大きかったりするのである。
「だったら、この一撃で決めてやるよ!」
ベックは剣を大きく振りかぶった。
ここが勝負所だと読んだ修馬は、彼の大振りの攻撃を前転でかわながら距離を詰め、真っ黒に日に焼けた脛を軽く木剣で叩いてやった。大袈裟に痛みを訴えるベック。まあ、弁慶の泣き所だからこれは仕方がない。
「はい。勝負あり! これで2勝2敗、ベックさんとうとう追いつかれましたよ」
横で観覧していたビスカ・コルヴェルがそう言うと、ベックは脛を押さえながら「何っ!?」と大袈裟に顔を歪めて叫んだ。
「だったら次で決着だ。おい、シューマ! 休憩を挟まず、次の試合とっとと始めるぞ!」
何という元気な男だと辟易する修馬。持っている木剣を杖代わりにして立ったまま体を休めると、遠くで見ていたこの船の航海士、アルカ・コルヴェルという名の男がこちらにやってきた。
「もう、日が暮れる。今日はこれくらいにしておこう。シューマくんもお疲れのようだ」
素晴らしい助け船を出してくれるアルカ。彼はビスカの兄で、航海士を務めながらこの船の船魔道士も兼務している。
ベックは一瞬こちらに目を向けるとすぐに振り返り、甲板の端に置かれている木箱の上に腰を下ろした。
「シューマが疲れているのなら仕方ない。今日はこれくらいで勘弁してやろう」
どこか勝ち誇ったようにそう言ってくるベック。勝敗にはあまり興味がない修馬は、それで逃れられるのなら万々歳なので、横にいるアルカに礼を言った。
「いえいえ、ご苦労様でした。しかしベックと対等にやりあうとは、中々の腕前です。流石アーシャが認めるだけのことはありますね」
お褒めの言葉を頂いて嬉しい反面、複雑な気持ちもある。修馬の中で、セントルルージュ号を反乱軍が沈めたという疑いが、完全に晴れているわけではないからだ。
だがこれまで話をしてきた印象を言えば、少なくともこの船に居る人達に悪い心を持った人はいないと感じたのも事実だ。
「俺はあなたのように魔法を使いこなすことが出来ないから、魔物を倒すために剣術を鍛える必要があったんだ」
船魔道士であるアルカにそう言うと、彼は目を閉じて小さく首を振った。
「勇敢で結構なことです。ただ、私の魔法に魔物を倒すほどの力はありませんよ」
「けど船魔道士は海で現れる魔物を退治するのも仕事の一つなんでしょ?」
「普通はそうですね。しかし私の魔法は風を読み、そして操ることに特化しているので、この船での魔物退治は主にベックとアーシャが担当しているのです」
それを聞き、そうなのかと頭の中で理解した瞬間、突然頭上からけたたましい鐘の音が鳴り響いた。甲板の上が緊迫した空気に包まれる。
「魔物だー! 魔物が出たぞ―っ!!」
帆柱のてっぺんにつけられた見張り台から、少年が掴んだ柱を滑るようにして器用に下りてくる。彼は最初にアーシャと決闘した時にいた、小学校高学年くらいの少年だ。名前はマール・アンジェロ。身軽で目が良いので、主に見張りを担当しているとのことだ。
下りてきたマールは、最後に尻もちついた痛みをこらえながら「凶鳥だ! 凶鳥が来る!」と声を上げた。
「珍しいな凶鳥か……。シューマくん、アーシャの戦いをよく見ていてください。彼女は面白い武器を使いこなしますから」
アルカがそう言うと、船内からのっそりとアーシャが出てきた。彼女の右手には己の体程の大きさがある大剣を手にしている。
「どこだ、凶鳥は?」
「11時の方角です!」
マールが進行方向の右側の空を指差す。始めは何も見えなかったが、時間が経ってくると一粒の黒い点が空に浮かび上がってきた。距離があり今は豆粒ほどの大きさにしか見えないが、あれが凶鳥と呼ばれる魔物だろうか?
「まだ見えないが、マールが言うのなら間違いないだろう。帆を閉じろっ! 喰い破られるぞ!」
アーシャの命令を受け、帆を畳み始める船員たち。流石は隊長だ。一声で甲板の上に流れる空気が変わった。
「アルカ、凶鳥っていうのは、どんな魔物なの?」
「全長5メートルはある、巨大で凶暴な鳥型の魔物です。人間でも小さな子供なら一呑みにされますよ」
あっさりと恐ろしいことを口にするアルカ。だが、何故そんなにも余裕なのか?
「じゃ、じゃあ、大人なら狙われなかったりするの?」
「まあ、大人は爪で頸動脈を裂かれ殺された後、ゆっくりついばまれるだけですね」
「結局、捕食されるっ!!」
気付くと修馬は、滅茶苦茶お腹が痛くなっていた。魔物怖い……。
大剣を持ったアーシャは帆柱の下に立ち、じっと上空を睨んでいる。
しばらくすると灰色の羽と真っ赤なくちばしを持った巨大な鳥が、矢のような速度で突っ込んできた。あれが凶鳥だ。
バキッと上空で破壊音が鳴った。砕けた木の破片が、甲板の上に容赦なく落ちてくる。凶鳥が見張り台とぶつかり、一部を破壊したようだ。
「いきなり攻撃してくるとは、随分機嫌が悪いようだな……」
船を壊されても尚、慌てることのないアーシャ。彼女は旋回する凶鳥を一睨みすると、重量のある大剣を持ったまま帆柱を蹴り、上空に向かって跳び上がった。
そこからはもう、あっという間の出来事だった。
アーシャは帆柱を蹴りながら高く高く跳び上がっていき頂点に辿り着くと、大剣ごと体を回転させ弧を描くように凶鳥を真っ二つに斬り裂いた。
割れた凶鳥の亡骸はそれぞれ海に落下し、大きな水しぶきを上げる。
そして上空に跳んだアーシャは、帆柱の縄梯子に片手で掴まり、そこから器用に下りてきた。何という戦闘センスなのだろう。修馬はこんな人物と試合をしていたことに、今更ながら恐ろしくなってきた。
「どうしたシューマ、何て顔をしている?」
アーシャに言われ、修馬は自分の顔を左右の手で挟み整えるように小刻みに動かした。
「い、いや。アーシャの戦いを見て、俺の戦闘力なんてまだまだなんだなあと思ったんだ」
「あたしにはこの大剣『跳ね馬』があるからな。木剣での練習試合では実力にそれほど差は無いのかもしれないが、実戦ではあたしの方に分があるだろう」
アーシャはそう言って大剣を差し出す。持ってみろということのようだ。
片手で渡されたその剣だが、実際に手にとってみるとそれはとてつもなく重く、両手でも支えるのがやっとだった。
「この重さの剣を持って、あんなに高く跳び上がったの? 嘘でしょ?」
驚愕する修馬を、アーシャはにやついた顔で見返した。
「驚いたか? この跳ね馬という名の大剣には、重力を軽減させる魔法が備わっているのさ。地属性魔法の使い手なら、これを軽々と扱うことが出来、更に自分の体重さえも操作することが出来るんだよ」
「地属性魔法……」
残念ながら、魔法は一切使えないと大魔導師ココに宣言されている。この武器だけは絶対に召喚しないようにしておこう。
「成程、魔法の備わっている武器か……。けどそれを扱う魔法の力は、結局本人の力。やっぱり、アーシャは強いよ」
修馬が素直な気持ちを述べると、アーシャは不敵な笑みを浮かべた。
「そうか。誰でもそうだが、褒められればやはり気分がいい。お前も守りたいものがあるのなら、あたしたちのように強くなるんだな」
そう言い残し、船内に去っていくアーシャ。彼女の背中越しに、オレンジ色の夕日が沈もうとしていた。
太陽を反射し海面が黄金色に染まる。空は棚引く雲を境目に朱色とくすんだ青でわかれていた。船上から見る美しい夕焼け。それは現実世界のものと、何ら変わりはなかった。
「今日のレミリア海はいつになく穏やかだ。明日もこの調子で進めれば良いですね」
横に立つアルカが言う。修馬は「明日も晴れますよ」と呟き、沈みゆく夕陽をいつまでも眺めた。