第67話 身命を賭す
「僕の高祖父である守屋光宗は、神事の際に奉納する刀剣を造る職人だったのですが、その一方で守屋流剣術の師範も務めていました。当然五代目である僕もその両方を極めるべく、日々錬磨しております」
目の前にいる守屋伊織は、昨日と同じ作業着で正座をしている。ここは守屋家の道場。しかしこのぼさぼさ頭の男が、剣術の使い手とは驚きだ。まったく強そうには見えないが、一応腰には刀を帯びている。
「修馬くん、剣術において一番大事なことは何かわかるかい?」
「大事なこと……?」
そのことについて、少し考え込む修馬。何となくだが、技術的なことより精神的なことのような気がする。
「しっかりとした倫理観を持つということじゃないでしょうか?」
何となくそう答えると、瞬きをした伊織の目が一瞬だけ鋭くなった。
「それは具体的にどういうことだい?」
「日本刀は人の命を奪うことが出来てしまう道具。だからこそ扱う者は、自分の人間性を理解する必要があるのではないと」
床の間に飾られている鞘に収まった刀を見て、修馬は答える。
「それは素晴らしい答えだと思いますが、自分を知ることだけでは少し足りません。己を知り、相手を知り、そしてこの世の理を知る。初代守屋光宗も、刀とは人の命を奪う道具だとはっきり明言しています。その上で、剣術とは身命を賭して向き合うものだと教えているのです」
「身命を賭して……」
「ええ、生と死は常に隣り合わせ。剣術使いは、生きるために死を賭して戦うという矛盾を背負わなければならないのです。修馬くん、あなたは剣術の道に命を賭けることが出来ますか?」
真剣な表情で、真っすぐこちらに視線を向ける伊織。勿論、修馬も中途半端な気持ちで剣術を習いたいと思っているわけではない。友梨那を救うためには、帝国の兵士とも、魔物たちとも戦わなくてはならない。命を賭ける覚悟なら、すでに出来ている。
「広瀬修馬、命を賭けます。伊織さん、どうか俺に剣術を教えてください」
修馬は正座したままお辞儀した。伊織もそれを了承するように、深く頭を下げる。
「勿論教えましょう。ただ今言った剣術の心得は、初代の言葉であって僕の考えとは多少異なります」
いきなり発言を翻す伊織。では彼が剣術において一番大事なこととは何なのであろうか?
黙ったまま小首を傾げると、向かい合う伊織が両手を畳の上について移動し、急に距離感を詰めてきた。
「僕の思う一番大事なこととは、日本刀の美しさを知るということです!」
20代後半くらいに見える伊織が、少年のように目を輝かせそう言ってきた。
「は?」
短い疑問形でそう聞いてしまったのが良くなかったのか、そこからおよそ1時間程、ひたすら日本刀の強さと美しさについてハイテンションで語られてしまった。何という日本刀マニア。いや、狂気の剣術使いと言えよう。
「さあ、日本刀の魅力については余すことなく伝えました。後は技術面を少し勉強しましょうか」
伊織は背後に置いてあった2本の竹刀を手に取り、立ち上がった。その時、正座から胡坐に移行していた修馬もよろよろと重い腰を上げ、そして伊織から竹刀を1本受け取った。
「今の実力を計りたいので、試しに全力で打ち込んでみてください」
片手で竹刀を持ち、ぶらぶらと揺らしている伊織。だが修馬は、剣道の経験などないので、正解の振り方がいまいちよくわからない。とりあえず、今までの魔物との戦いの経験を思い出し挑むことにしよう。
ここは守屋家の建物がある以外、基本何もない山の中。自分たちが声を出さなければ、そこは静寂の世界になる。
声も出さずに対峙していると、畳みの沈む音、己の心音、そして耳鳴りの幻聴までもが聞こえてきた。
挑む。
心を決めた修馬は、強く畳を蹴った。そして竹刀を上段に掲げ、力の限り右袈裟に振り下ろす。だが伊織が、スナップを効かせた腕で竹刀を振り上げると、修馬の竹刀は反対方向に弾かれてしまった。目にも止まらぬ早業。
そこから何度か攻撃を仕掛けたのだが、いずれも伊織の曲芸のような腕の動きで防がれてしまった。
荒れる呼吸を整えつつ攻撃を続ける修馬。だが腕を下ろしたその瞬間、今度は伊織がその隙をつき攻撃を仕掛けてきた。咄嗟に竹刀を跳ね上げ、それを弾き返す。
その後、何度かの攻防を繰り返した後、腕試しは終了した。こちらの肩が完全に上がってしまっているので、終わりにしてくれたのだろう。
「どうです? 疲れましたか?」
「はぁ、はぁ、はぁ、結構しんどいです……」
興奮した犬のように荒い呼吸をする修馬と、全く息が上がっていない伊織。流石は達人。見た目強くなさそうだから、正直舐めていた。
「だいぶ、無駄な動きが多いようでしたから。少し力を抜くと良いかもしれませんね」
そう言って、竹刀の素振りをみせる伊織。確かに動きは速いのだが、あまり力が入っている様子はない。しかしながら、あれで敵を斬ることが出来るのだろうか?
「力を抜いてしまっていいんですか?」
「無論です。剣術は自然体が大事なのです」
伊織は突然、奇妙な蛸踊りを始める。多分これは自然体ではない。
「まあ、そうは言っても百聞は一見にしかず。とりあえず見て貰いましょう」
そう言って、道場の奥から何かを抱えてくる伊織。竹の芯に俵状に藁を巻いた巻藁というやつだ。
持っていた竹刀を置き、腰に帯びている刀を抜く伊織。
「自然体の構えとは、肩の力を抜き、へその下に力を込め、そして腹式呼吸を意識する」
胸をゆっくり上下させ息を整えると、伊織は素早く剣を上段に掲げ、そして流れるように斜めに振り抜いた。気持ちよく切断された巻藁の上部が、音も無く吹き飛ぶ。伊織は視線を動かすことなく、刀を鞘の中に収めた。
素直に感動を覚え、手を叩く修馬。
「こういうの実際に初めて見ました」
「中々、目にする機会は少ないですからね。では、修馬くんもやってみてください」
使用した巻藁を片付け、そしてまた新しい巻藁を持ってくる伊織。
「やってみるって、これをですか?」
「実際に真剣を振ってみると、己に何が足りないのか理解しやすいと思いますので……はい」
そう言って渡された日本刀を、恐る恐る受け取る拓人。リアルな重みを手の中に感じ、不思議と緊張感が湧いてくる。
本当にやるのかな?
伊織に視線を向けると、彼は真っすぐな表情で静かに頷いた。どうやら本気でやらせるつもりのようだ。実際に見ることも少ないような居合斬りの実演を、まさか自分が経験することになるとは思わなかった。
日本刀を鞘から抜き、白く光る刃を見つめる修馬。折角の機会だ。日本刀の扱いはよくわからないが、一度本気で斬り込んでみよう。
鞘を畳みの上に置き、両手で柄を握る。そして足を踏みしめ、巻藁に目を向けると、何やら物々しい空気が流れだした。ただならぬ緊張感。
心が落ち着いたタイミングでやりたかったのだが、どういうわけか気持ちが切迫してしまい、いきなり力まかせに斬りかかってしまった。
ザクッと音が立つ。
修馬のその斬り込みは、以外にも巻藁を真っ二つにしていた。驚きも重なり、今になって足ががくがくと震える。
「き、斬れた……」
振り返りそう言うと、伊織は笑みを浮かべ、斬り落とした巻藁を拾い上げた。
「初めてでここまで出来るとは正直驚きました。お見事です。ですが、この2つの断面を比べてみてください」
2つの巻藁の斬り口に目をやる修馬。1つはストロー状になっている藁の断面が確認できるが、もう1つの断面は、半分くらいの藁が中央に潰れてしまっていた。
「藁の断面がひしゃげているのが、修馬くんの斬った巻藁です。この藁を潰さずに斬ることが出来れば、一人前と言えます」
確かに伊織の斬り口と比べると、自分のは叩き斬った感が否めない。どうすれば、このように美しく斬ることが出来るのだろう?
考え込むように宙空を凝視していると、伊織がこちらに手を伸ばしてきた。刀のことだと思い、置いていた鞘に戻し、それを渡す。
「いいですか? 力を入れるのは振り下ろすタイミングではありません。被対象物と接触するその刹那、一瞬だけ渾身の力を込めるのです」
「一瞬だけ?」
「ええ」
刀を鞘から抜き、伊織は再び構えた。しかし今度は片手でだ。慌ててその場から離れる修馬。
巻藁と向き合った伊織は、右手を左耳につく位置まで振りかぶると、それを横に向かって一気に薙いだ。
サッという音と共に、半分に斬れている巻藁が更に半分になって吹き飛ぶ。やはり、伊織氏の太刀筋は美しい。
「刀も腕と同じ、体の一部だと考えてください。そしてインパクトの瞬間、腕、足、背中、腰、体の全てを使用し対象物を斬ることに集中する。そうすれば、おのずとこのように斬ることが出来るでしょう」
拾い上げた巻藁の断面を見せつける伊織。やはりその斬り口は鮮やかで、藁は全てストロー状を保っていた。