第53話 客船セントルルージュ号
赤茶けたウッドデッキの上を、こつこつと歩いていく修馬。
「随分でかい船だな……」
口を開けたまま高く顎を上げ、それを見上げる。港にはこれから乗船する予定のセントルルージュ号が停泊していた。全長100メートルはあろうかという立派な客船は、その視界に収まりきらないほどの大きさだ。
船体には等間隔に3本の煙突が立っているがマストのようなものは存在しない。つまりその船は蒸気船であることを指し示している。この異世界においては、いささかオーバーテクノロジーのように感じる。
「鋼鉄製の船など珍しいであろう。だが安心しろ。ユーレマイス共和国の乗船技術は世界でも最高峰。特にこのセントルルージュ号は『レミリア海の孤城』と称され、世界各国の造船技師や船魔道士たちが称賛する船なのだそうだ」
先程港の前で合流したマリアンナはそう説明しながら、長い金髪を後ろで縛り器用にまとめた。セクシー度のインフレが、もう止まらない。
「ところで、そのユーレマイスって国はどこにあるんだ?」
「ユーレマイス共和国はこれから向かう国だ。千年都市ウィルセントを首都とする、世界の中心の国」
「ああ、千年都市がある国か。そういえばどこかで聞いたような気がする」
2人は人の混み合っている桟橋に並び、そして多くの乗客と共にセントルルージュ号に乗船した。受付の所で乗船券を渡すと、その係員が「日没までには出航するだろう」と教えてくれた。
そして螺旋階段を上り2階のデッキに上がった修馬とマリアンナは、手すりにもたれ広がる海を眺めた。水平線に重なりかけた夕日が海面を橙色に染め上げ、正面から流れる海風が船の上を爽やかに吹き抜けていく。異世界とはいえ、やはり海は良いものだ。
「で、どこから捜そうか?」
マリアンナによると、間違いなくこの船に友梨那が乗っているはずらしいが、この広い船内から人捜しをするのは容易ではないだろう。恐らく乗客も100や200ではきかない数字だ。
「まずは食堂と舞踏場を捜すのがいいだろうな」
「ぶとうじょう」
武闘場をいう物騒な文字が脳裏に過ぎるが、すぐに舞踏場であると気付いた。船上のダンスパーティー。まさかの異世界に来て、こんなセレブ体験をするとは思わなかった。
「人が集まる場所なら情報も仕入れられるからな」
「……確かに」
海を眺め、これからのことを話し合っていると、やがて船後方から汽笛が鳴り響いた。
船と桟橋を繋ぐ橋桁が外される。この汽笛は出航の合図だ。これから始まる3泊4日の船旅。広い船内とはいえ、さすがに到着までには友梨那を見つけることが出来るだろう。
一度地下3階にある客室に行き暫しの休憩を挟んだ後、2人は友梨那の捜索を再開した。マリアンナは食堂、修馬は舞踏場へと足を運ぶ。
螺旋階段を上り、1階の舞踏場前に辿り着く修馬。すると間口の広い入口からジャズのようなメロディーが流れてきた。中を覗くと、すでに多くの人達が踊りに興じている。
ただ一点だけおかしなところがあった。それは中にいる人達が皆一様に仮面を被っているということだ。男性は目元が隠れるもの、女性は目から鼻にかけて顔半分を隠す仮面をつけている。これはいわゆる仮面舞踏会というやつか?
舞踏場の中に入ると、係員に目元を隠す猫の顔を模した仮面を手渡された。あまり着けたくはなかったのだが、着けてみたら着けてみたで意外とテンションの上がっている自分がいる。何、このドキドキ?
とは言うものの、女性とダンスなどマイム・マイムくらいしか踊れないので、なるべく目立たぬように壁に寄りかかり友梨那の姿を捜した。傍目からは、女性を物色しているスケベ野郎に見えてるかもしれない。
ホール全体に目を光らせる修馬。ただそこにいる人達全てが何らかの仮面を着けているので、本人の特定が結構難しい。見逃してしまわぬよう、修馬は注意深く女性の口元を観察した。まあ、夜は長い。気長に捜すことにしよう。
舞踏場にいる男たちは皆、修馬が着ているような乗馬服のような、燕尾服のような衣装を着て、女たちはマリアンナが着ていたドレスに負けずとも劣らない美しい衣装に身を包んでいた。
修馬は同じような格好をしているにも関わらず、優雅な踊りに興じる彼らを目にして尋常じゃない居心地の悪さを感じた。社交界デビューはまだ早かったようだ。
そして進展のないまま時間だけが過ぎていったのだが、緊張感が途切れたところで、どこからか女性の短い叫び声が聞こえてきた。そしてその叫び声は連鎖するように、舞踏場の中に広がっていく。何かが起きた!
「止まれ、女っ!!」轟く、若い男の声。
その声の方に首を向けると、物凄い勢いでこちらに走ってくる女性の姿を確認した。ターコイズブルーの衣服を纏う若い女。まさかとは思ったが、それは間違いなく今捜している鈴木友梨那だった。
「ゆ、友梨……っ!!」
呼び止めようと前に出たのだが、不審人物と勘違いされたのか近づいた瞬間、平手打ちを喰らわされてしまった。失敗した。仮面を着けたままだった。
すぐに仮面を外しその場に投げ捨てたのだが、友梨那は物凄い速さで逆方向に走り抜けて行ってしまった。
慌てて追いかけようと地面を蹴る修馬。だが背後から走ってきた黒服の男と肩がぶつかり合い、2人まとめて地面に転がった。
「くっ、待て女っ!!」
立ち上がり後を追おうとする黒服の男。この男、友梨那のことを追っているのか? 状況からそう判断した修馬は、黒服の男の腕を掴み、行かせないように阻んだ。
「何をする!? 邪魔をするとただではすまんぞっ!!」
黒服の男はそう言って、腰に帯びたサーベルを抜き切っ先をこちらに向けた。右目に海賊のような黒い眼帯を着けたその男は、左腕に竜の紋章が描かれた白い腕章を着けている。恐らく、伊集院と共にいた軍服たちが着けていた物と同じ腕章。つまりこいつは帝国憲兵団の兵士だ。間違いなく俺たちの敵。
周りにいる仮面を着けた乗客たちが、悲鳴と共にその場から逃げはじめる。だがサーベルを向けられたくらいで、今の俺は逃げはしない。この旅でそのくらいの強さは身についているのだ。
「私は帝国憲兵団大佐、フィルレイン・オズワルド。今すぐにそこをどかねば首をはねて行くぞ!」
「上等だよ。お前の肩書きなんてどうでもいい。憲兵団だか鑑定団だか知らねぇが、社交場で剣を抜くような無粋な奴は俺が懲らしめてやる!」
友梨那の姿を確認することができた修馬は、いつになく強気に眼帯の男を挑発してみせた。