第52話 港へ
繁華街を外れ、雑に舗装された道を早足で歩く修馬とマリアンナ。
この辺りは倉庫街のようで歩く人もまばらだったが、どこからか妙な気配も感じていた。ちらちらとオリーブグリーンの服を着た男が目の端に映るような気がするのだが、そいつの視線だろうか?
「シューマ、気付いているか?」
マリアンナが前を向いたまま小声で聞いてくる。オリーブグリーンの男のことかと思ったが、確信はなかったので首を傾げて黙っていると、彼女は更に小さな声で「囲まれてる」と呟いた。
囲まれた……?
修馬は足を止めずに、眼球だけを左右に動かして辺りを窺う。確かにマリアンナの言う通り、複数の男たちが自分たちの周りに確認出来る。全員オリーブグリーンの服を身に着けているが、どうやらあれは軍服のようだ。あいつらは、帝国政府の人間だろうか?
「俺たちの素性がばれたのか?」
「……恐らく。あの男たちは、左腕に竜の紋章が描かれた白い腕章を着けているだろう? あれは帝国憲兵団の証だ」
「帝国憲兵団?」
平静を装いながら歩を進めている2人。だが、軍服の男たちは少しづつ距離を詰めてきている。
「やつらに船に乗ることを知られると面倒なことになる。今は二手に分かれて敵を巻き、出航の直前に港で落ち合うことにしよう」
「わかった。けどマリアンナはそんな格好で逃げられるのか?」
マリアンナの服装をじっとりと見る修馬。その裾の長いドレスは、とてもじゃないが走りやすい服装とは言い難い。
「無用な心配だ。私は王宮騎士団の副長を務めた女。脚力においても、その辺の男共には負けることはない」
「そうか。それならいいのけど……」
そう声を漏らす修馬の視線の先に、腕章を着けた軍服の男たちが数名現れた。そしてその中央には魔道士のような格好をした男がおり、首をもたげて笑みを浮かべている。
「おい修馬、何だその格好は? パーティにでも行くつもりか?」
つばの広い帽子を上に持ち上げる魔道士。その男はやはり、伊集院祐であった。まずい展開だ。
「左右に散るぞ。武運を祈る」
短く言うとマリアンナは右方向に駆けていった。一拍置いて修馬も逆の左方向に走り出す。
「分かれて逃げたぞ、追えっ!!」
伊集院が声を上げると、周りにいた軍服の男たち3人に囲まれてしまった。人間相手に武器を振るいたくはないが、そんな悠長なことを言っている場合でもないか?
こちらが躊躇しているのも束の間、軍服たちは腰に帯びたサーベルを抜くと、次々に襲いかかって来た。
「くそっ! だったら相手してやる。出でよ、王宮騎士団の剣!!」
白い刀身が美しく光る長剣が手の中に出現する。修馬はそれを華麗に操ると三方向からの攻撃を見事に防ぎきった。
その剣さばきに威圧された軍服たちは、剣を引き攻撃の手を緩める。馬鹿共め。これは自律防御の魔法のおかげだ。
「……やべーな。まさかあの修馬が、ここまで戦えるのかよ。流石は軍神の加護といったところか。おい、お前らは下がってろ。こいつの相手は俺がする」
軍服たちの間を抜け、ゆっくりと近づいてくる伊集院。その体からは不気味なオーラを醸し出している。
いよいよ、こいつと戦わなければいけない時が来たか……。
伊集院と対峙しつつ、右に視線を反らす修馬。マリアンナの姿はもうない。良かった。彼女は上手く逃げおおせることが出来たようだ。
そしてゆっくりと視線を前に戻したその瞬間、修馬の顔が一気に青褪めた。
「友梨那っ!! こっちにくるな!!!」
腹の底から声を張り上げる修馬。
「ユリナだと!? 黒髪の巫女かっ!!」
間抜け面で振り返る伊集院。修馬はそれと同時に涼風の双剣を出現させ、マリアンナの行った方向とは逆の道に向けて地面を蹴った。
実は嘘だ。
友梨那がいると見せかけて、上手く注意を反らしその場から逃げだすという頭脳プレー。
友梨那に危険を及ぼす恐れのあるこいつは、ここで始末しておいた方が良いのかもしれないが、今は少し時間が足りない。船に乗り遅れてしまったら、それこそ友梨那を守ることが出来なくなってしまう。
人から逃げる野生動物の如く、地面を駆ける修馬。だが伊集院もすぐにそれがフェイクだと気付き、醸し出るオーラを己の左腕に集めた。
「くだらねぇまねしやがって。逃げすわけにはいかねぇんだよ、『ゴーレムハンド』!!」
伊集院が左腕を下から上に突き上げると、修馬が走っていた付近の石畳が突然大きく膨れ上がった。
「何だ、これっ!?」
危機感を覚えた修馬は、涼風の双剣を出現させその場から高く跳び上がった。
その直後、盛り上がった石畳は粉々に砕け、その下から巨大な土の塊が出現する。巨人の腕を模したような土の塊。
双剣から風を噴かせ上空に退避した修馬だったが、その腕のような塊は手を広げると、そのまま宙に浮く修馬を掴み強く握り締めてきた。
「うあっ!!!」
全身の骨が軋むような激しい痛み。伊集院の奴、本気で俺を殺す気だ。
「あっけない終わりだったな。そのまま地面に叩きつけてやるよ!」
冷酷な笑みを浮かべ、伊集院は左腕を下に振り下ろす。その動きとリンクするように、巨大な土腕は地面に向かって勢いよく降下した。
どうにか手の中から抜けだそうと、涼風の双剣を最大出力にする修馬。だがその土の拳に強く握られてしまっており、脱出することがどうしても出来なかった。
まずい、圧死する!
死に物狂いで双剣の風を噴出し続けるも、身動き一つ取れはしない。そして死の影が脳裏に過ぎった丁度その瞬間、土の拳の力が不意に緩み、修馬はその隙間からシャンパンのコルクのように勢いよく飛び出した。
空中で激しく回転しながら、上空200メートル程の高さまで飛んでいく修馬。何とか双剣の出力を調整すると、空中で静止することに成功した。
回転したことで頭がくらくらしたが、視線を下に向けると朦朧とした意識がはっきりと冴えた。
そこは帝都が一望できる程の高さ。港から続く平地には広大な町が広がっており、その先にある大きな丘の上には、重厚な城郭に囲まれた白亜の城がどっしりと鎮座していた。
景色は良いのだが、あまりの高さに手のひらからは汗が滲み、足の裏がぞわぞわとざわめきだす。
とりあえず修馬は湿る手で双剣を落としてしまわぬよう、ゆっくりゆっくりと降下していった。しかし、何故先程の土の塊から逃れることが出来たのだろう?
高さ50メートルのところまで降りたところで、地上で異変が起きていることに気付いた。3人の軍服たちが見守る中、何故か伊集院とマリアンナが対峙し威嚇しあっているのだ。
「マリアンナッ!! 逃げたんじゃないのか!?」
上空から質問すると、マリアンナもこちらに気付きほっとした顔を浮かべた。
「おお、シューマ! ユリナ様はどこに行かれたのだ? この下衆男、一向に口を割らないのだ!」
「えええっ!?」
どうやらマリアンナは先程ついた修馬の嘘を真に受けて、ここに戻ってきたようだ。恐るべき俺の演技力。
「ごめん! 友梨那の件は俺の嘘だ!」
「何ーっ!?」
純粋に驚くマリアンナ。目の前の伊集院は苛立った様子で、己の持つ漆黒の杖を前に掲げた。
「だからさっきからそう言ってんだろっ! これでも喰らえ、『アイシクルスピア』!!」
伊集院は杖の先端で円を描くと、その線状に短い氷の槍が5本並ぶ。そしてその杖を振ると、氷の槍は白煙を上げながら真っすぐに飛んでいった。
「はっ!!」
マリアンナは剣を大きく左右に振った。すると飛んできていた氷の槍はその全てが砕かれ、氷の粒になり地面に落下した。目にも止まらぬ見事な剣さばき。
「だから、何でお前は俺の魔法を簡単に防げるんだよっ!」
怒りの声を上げる伊集院を無視し、マリアンナは彼に背中を向ける。
「ユリナ様がいないのなら、ここに留まる理由はない。これにて失礼する」
そう言い残し、マリアンナは去っていく。長いスカートが風を含み大きく広がった。
「逃がすかっ!!」
その後を追う伊集院。残された修馬は更にそれを追いかけようかとも思ったが、すぐに思いとどまった。俺が行ったところで足手纏いになりかねない。ここは彼女に任せて、当初の予定通り二手に分かれて逃げ切ろう。
地に降り立った修馬は、涼風の双剣を投げ捨て流水の剣を召喚した。目の前にはまだ3人の軍服たちがいる。
「お前ら伊集院の後を追いかけないってことは、俺の相手でもしてくれるのか?」
修馬がそう凄むと、軍服たちは大いに怯みだした。何だか強キャラにでもなった気分。
「それはサッシャ様の流水の剣。何故、お前がそれを……?」
「何故だと思う?」
意味深な笑みと共に一歩にじり寄る。しかし彼ら帝国政府の人間が、天魔族であるサッシャのことを敬称付きで呼ぶのは何故だろうか? やはり以前、アルフォンテ王国王宮騎士団団長ミルフォード・アルタインが言っていたように、帝国政府内に天魔族が介入しているのは間違いないということか。
「まさかお前、サッシャ様を……」
こちらの思惑通り、勝手に勘違いしていく軍服たち。この場の空気は完全にこちらが制していると言える。
「お前らもあいつのことに連れてってやるよ。行くぞ、『スプラッシュレーザー』!!」
流水の剣の切っ先から大量の水を放出させる修馬。ただの水なのだが軍服たちはそれを浴びると、一目散に逃げ出した。
ふふふ、恐れ入ったか。これに懲りたら二度と俺らに喧嘩を売らないことだ。
修馬は流水の剣を前に投げつけると、踵を返しそのまま反対方向に走り去った。