第47話 関所の谷
大きな石橋を渡り、澄んだ水の流れる川を越える。
谷の狭間にあるその町は山の奥地にあったのだが、ここまで辿って来た町や村とは異なり多くの人が溢れかえっていた。
「へー、随分人がいっぱいいるんだね」
きょろきょろと首を動かし修馬が聞くと、マリアンナは軽く頷き「帝都に向かう旅人は、必ずこの町を経由しなくてはいけないからな……」と答えた。
山の上から見下ろした限りではそれほど大きくない町に見えたが、そのメイン通りは大勢の人で賑わっている。軽装の人よりも、長旅をしてきたであろう大きな荷物を持った人たちが多く見られた。その多くが旅人か行商人なのだろう。
「こんなに人がいるってことは、その関所は観光地化してるのか?」
「まさか……。関所など珍しい物でもないだろう」
行き交う人波を潜り抜け、2人はその関所跡があると思われる場所に歩いていった。しかし進むにつれて更に人の数が増えていく。そして遂には人が多すぎて前に進むことが困難になる程の人ごみにぶつかった。
背伸びしたマリアンナは、その先にある関所の建物を覗きこむ。
「どうやら関所を通る人で混雑しているようだな」
「関所は解放されてるんじゃなかったの?」
「うむ。聞いていた情報ではそのはずだったのだが、おかしいな」
周りから聞こえてくる会話に耳を傾けると、どうやら帝国政府はこれから起こるかもしれない戦争に備えて、2日ほど前から関所の機能を復活させ検問を強化しているらしい。溢れている行商人は、戦争特需を期待して帝都レイグラードに向かっているのだそうだ。
一度人の少ない町外れの路地まで引き返した2人は、そこで急に今までの旅の疲れが出てきたかのように建物の脇にやるせなく腰を下ろした。
「関所の復活が2日前なら、友梨那は普通に通って先に行ってるんだろうな。一か八か、涼風の双剣の最大出力であの関所を飛び越えてみるか?」
修馬の提案に、マリアンナは素早く首を横に振る。
「いや、帝国政府の目がある中で目立つことは避けよう。私の正体に気付かれると非常にまずい」
「そうか……」
そんな話をこそこそしていると、どこからかベルガモットのような柑橘系の香りがふわりと漂ってきた。気になった修馬が振り返ると、建物の陰から長い足を露出したベリーショートカットヘアの女が姿を現す。
「何か困っているようだね」
にやにやと笑みを浮かべながら、友達のように話しかけてくるベリーショートの女。今の会話が聞かれてしまっていたのか?
緊張感が走ると同時に、マリアンナは密かに剣の柄を握った。ベリーショートの女もそのことに気付いていたようだが、彼女は特に表情を動かさない。
「あー、警戒しなくてもいいよ。あたしは帝国政府の人間じゃないから。まあ、仮にそうであったとしても、その剣はこっちに向けない方がいいかもね。あたしはこう見えて結構腕が立つんだ」
彼女は腰に長めの短剣を帯びている。幾ら強いとは言っても、あれで王宮騎士団の剣を持つマリアンナと戦うのは無謀というものだ。
「あなたは『ガーネック国』の方か?」
マリアンナが突如口にする聞いたことのない国名。そう言われるとベリーショートの女はそこで初めて表情を変えたが、すぐにまた平静を保ち薄く笑みを湛えた。
「……あんたたち、帝都に行って何をするんだ? そんななりで観光とか言わないよな?」
ベリーショートの女は、マリアンナの露出度の高い鎧を舐めるように見ている。まあ、どう見ても騎士か戦士の格好であり旅人には見えない。
「人を追っていてね。そいつがいま帝都にいるはずなんだ」
修馬が答えるとベリーショートの女は「ほう」と呟き口元を押さえた。彼女はマリアンナの出身に関する質問にはさらさら答える気がないようだ。
「この関所の混み具合から見て、今から並べばどのくらいで通ることができるだろうか?」
代わりに新たな質問をぶつけるマリアンナ。ベリーショートの女はそれにはすぐに反応し、視線を合わせてきた。
「わからずに並んでいる者も大勢いるが、関所は夕方になると閉鎖されてしまうのさ。今から並んでも、今日通ることはできないだろうな。そもそもあんたらは通行証書を持っているのか?」
「通行証書っ!?」
それは恐らく関所を通るための手形的な券。マリアンナの顔を見ると、眉間に深い皺が刻まれていた。まあ、先程まで関所が機能していることすら知らなかったくらいなので、その通行証書とやらも持っているはずがない。
「その様子では持ってないようだな。まずは役場に行ってそれを発行して貰う必要があるが、通行証書は1枚500ベリカもするらしい。全く帝国政府はあこぎな商売しやがるよな」
ベリーショートの女は乾いた笑いを浮かべながらそう言うが、それを聞いているマリアンナはむっつりと奥歯を噛みしめている。
「2人で1000ベリカ……。出せない金額ではないのだが、もしもユリナ様が船に乗って千年都市に向かわれてしまっていたら、その後を追う船賃が出せなくなってしまう」
マリアンナは腰に着けた小さな革袋を確認している。修馬もパナケアの薬を買っていたため、今の所持金はゼロだ。これは困った。
今のところ友梨那が帝都レイグラードで待ってくれている保証はない。彼女の目的は千年都市ウィルセントに行ってパナケアの薬を手に入れることだから、船が出ているなら乗ってしまっているだろう。
「まあ、そんな馬鹿らしいことで大金を使うことはない」
相変わらずベリーショートの女は薄笑いを浮かべている。ではどうすれば良いのか?
「今日のところはこの町で宿でも取るといい。そして明日の朝じゃなく、昼頃にまたここに来るんだ。そうしたら、きっと面白いことが起こるはずさ」
予言じみた言葉を残すと、ベリーショートの女は建物の陰に消えるように去っていった。柑橘系の青く爽やかな香りだけが、人のいない路地裏に微かに残った。
―――第10章に続く。