第45話 奇跡の青年
背後から吹いた風が、静かになった岩石地帯を吹き抜け砂を巻き上げる。
ミルフォードに抱えられている修馬は、彼の腕から降り砂の地面に足を着いた。体力を使い果たしたせいか、膝ががくがくと揺れ動く。しかし敵であるヴィンフリートは、それ以上にダメージを受けている。最早決着は着いただろう。
「成程、黄昏の住人の力を甘く見ていた。まさか我が体に風穴を空けるとは……」
ヴィンフリートは腹に大きな穴を空けられても尚、恨み言を吐き続けていた。恐るべき生命力。しかし今までの物理攻撃と違い、この傷は自己修復することができないようだ。
修馬は揺れる膝を押さえ何とか真っすぐに立ち上がろうとすると、近くにいたマリアンナが肩を貸してくれた。そしてこちらに変わって毅然たる態度で勝利宣言する。
「勝負は着いた。貴様の負けだ、天魔族!」
「げげげげげっ。確かに分が悪いようだ。今日の所は素直に負けを認めよう」
まるで再戦があるかのような言い回しをするヴィンフリート。そして彼は短い杖を横にすると、その端を顔の下部分に当てた。
ここから逃げようとしても、マリアンナとミルフォードがそうさせないであろうことは明白の事実であるのだが、一体何をしようというのだろうか?
その様子を呆然と眺めていると、その短い杖から怪しげな調べが奏でられた。あれは横笛も兼ねているらしい。
ゆっくりとはしているが、どこか焦燥感のあるメロディーが砂地に響く。
すると突然、目の前の空間が歪みだした。異変を察したマリアンナとミルフォードがそれぞれ剣を向ける。
そしてしばらくすると、その歪んだ空間から1人の人物が薄らと現れた。黒いマントを纏い、大きなとんがり帽子を被った魔法使いを思わせる男。
その男は辺りをぐるりと見回すと、背中を掻きながらヴィンフリートの顔に目をやった。
「師匠、こんな戦闘の真っ最中に俺を呼ぶとか珍しいっすね。加勢でも必要なんすか?」
「いや、加勢はいい。こいつらは相当手強い。少し油断していたら、この有様だ」
ヴィンフリートは腹に空いた大きな穴を見せる。魔法使いの男は「えっ!」っと声を漏らし、今一度こちらの顔を睨んできた。大きなとんがり帽子の鍔で顔を半分は隠れてしまっているが、それでも敵意に満ちた雰囲気はしっかりと伝わってくる。
「確かに強そうな騎士が2人もいるな。お前らか、師匠をここまで追い込んだのは?」
魔法使いの男は己の持つ漆黒の杖を前に掲げそう言ってきたが、マリアンナとミルフォードが答えるまでもなく横にいるヴィンフリートがそれを否定した。
「いや、そいつらではない。俺の体に穴を空けたのは、騎士の女に肩を借りているそこの坊や。お前と同じ、黄昏の世界の住人だ」
「……黄昏の世界?」
口を横に曲げまじまじと観察してくる魔法使いの男。そして目を擦るともう一度こちらに目を向け、そして表情が固まった。異常で過剰な反応。
「お、お前、シューマイじゃねぇか!!」
魔法使いの男は大きなとんがり帽子を脱ぎ棄てた。毛先を遊ばせた、どこか鼻に付く見覚えのある顔が現れる。その人物は修馬の幼馴染でクラスメイトの伊集院祐に他ならなかった。
「伊集院……? 嘘だろ?」
突如として現れた現実世界の人間に、頭の回転が追いつかない修馬。
異世界に来ている現実世界の人間は俺や友梨那だけではないということは確かに聞いていた。カタミラの町の病院で聞いた奇跡の青年、最初の山小屋で聞いた四大元素の全てを操る物乞い。それが伊集院だということなのか?
「ふざけんなっ!! てめぇが俺の師匠に勝てるわけねぇだろっ!!」
伊集院の怒りと比例するように、大地が微かに振動し始める。
「けっけっけっ、何と知った顔のようだな。お前の時といい、我は黄昏の住人の力を計り損ねたようだ。ここは撤退し、今一度勝負を挑むぞ」
師匠と呼んでいたヴィンフリートの言葉だったが、伊集院はすぐに反論し前に躍り出た。
「いや、こんな奴俺がこの場で黒焦げにしてやりますよっ!」
それと同時に上空から不可解な光が放たれる。見上げるとそこには星のように巨大な火の玉がゆらりと浮かんでいた。あれが伊集院の能力。奴は本気で俺のことを殺す気なのか?
「くたばれっ、アストラルファイアッ!!」
掲げた漆黒の杖を勢いよく振り下ろす伊集院。天を焦がす深紅の炎が重力に従い、地面に落下してきた。今の俺の状態では、あの大きさの炎を避けることができない。
どうにか流水の剣を召喚しあの炎を打ち消そうと手を伸ばしたのだが、どうしてもそれを召喚することができなかった。己の魔法力を使い果たしてしまったようだ。
諦めを覚えてしまう修馬だったが、その横にいる2人の騎士はまだ気持ちが死んでいなかった。
「少々大きいようだが、手伝って貰えるかマリアンナ副長」
「……勿論です。ミルフォード団長」
両手で握った王宮騎士団の剣を、天を斬るように強く振りあげるマリアンナとミルフォード。白刃が光り閃光を放つと、伊集院の呼びだした巨大な火の玉は蒸発したかのように、そこから跡形もなく消え去った。やはりこの2人は強さは、他の団員とは桁違いだ。
「くそっ! 俺の炎を斬撃で消しただと!? 何者だよ、お前らっ!!」
たじろぐ伊集院に、ミルフォードとマリアンナは正々堂々名乗り出る。
「アルフォンテ王国、王宮騎士団団長、ミルフォード・アルタイン」
「同じく、王宮騎士団副長、マリアンナ・グラヴィエ!」
「アルフォンテ王国だとっ!? 敵国じゃないか。戦争でもしにきたのかよ!」
「天魔族を打ち倒して帝国と戦争になるというのは、全く持っておかしな理論だ。帝国が天魔族と同盟を結んでいるというのなら話は別だが?」
ミルフォードにそう言われると、伊集院は急に威勢が弱くなりもごもごと口籠った。
「ここは我の負けだ。大人しく身を退くぞ」
ヴィンフリートが掠れた声でそう口にする。しかし伊集院は首を縦に振らない。
「お前は自尊心が高すぎる。時には負けを認め、撤退する強さも必要だ。今日、こうやって自分より強い相手と戦えたのは、必ず成長の糧となるはずだからな……」
「けど負けを認めたくない相手なら、1人や2人いるでしょ!? 俺の場合それがこいつなんだ!」
必死にアピールするのだが、ヴィンフリートはそれを認めない。
「駄目だ。言うことを聞け」
「けど……」
「タスク!!」
名を呼ばれ、我に返る伊集院。血走った目でこちらを睨むと、横で力なく立っているヴィンフリートの肩を担いだ。
「おい、修馬。この借りは絶対に返してやるからな……」
伊集院は呪いの言葉でも唱えるようにそう言うと、ヴィンフリートを担いだまま天高く飛び上がり、そしてどこかに消えていってしまった。